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小さな英雄

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1部分:第一章


第一章

                    小さな英雄
 イギリスは追い詰められていた。誰もが敗北を覚悟していた。
 ダンケルクから命からがら逃れることはできた。しかしドーバー海峡にはドイツ空軍が集結しそこから戦闘機や爆撃機を次々に送り込んできた。
 イギリス軍も必死に迎撃する。しかしドイツ軍の勢いは凄まじく将兵の疲労は日に日に蓄積させていっていた。
 とりわけパイロット達の疲労は深刻なものだった。来る日も来る日も出撃しそれが終わればソファーの上でも何処でも休む。そんな日々だった。
 辛い戦いが続く。その中で将兵達だけでなく市民達も戦いに参加していた。
「敵が来ました!」
「ロンドンに向かいます!」
 イギリス軍が来るとすぐに軍に知らせるのだ。
「数は二百はいます!」
「すぐに出撃して下さい!」
 彼等もまた心強い味方だった。そしてその中にはヘンリーもいた。彼はまだ十歳にもなっていない。疎開の話も出たが無理に志願して残っていたのである。
「敵が来ます!」
 四六時中フランスの方を見て敵が来たらすぐに知らせていた。
「また来ます!」
「そうか、わかった!」
「出撃だ!」
 彼の報告を受けてすぐに出撃が為される。彼等はまた出る。
 彼の報告はかなり役立つものだった。毎日テントまで作ってそこに留まりドイツ空軍を見ていた。雨の日も嵐の日もであった。
 毎日毎日そうして敵を見張っていた。誰が何と言おうともだ。
「今日もいるのかい」
「はい」
 年老いた下士官が自転車で彼のところに来た。彼はじっと海峡の向こうを見据えたまま応える。そのドイツ軍がいる海峡の向こうをだ。
「ドイツ軍は何時来るかわかりませんから」
「学校の勉強は?」
「持って来てます」
 見ればだった。その手には教科書がある。しかし目はじっと海峡の方を見ている。
「ですから大丈夫です」
「そうなのか」
「はい、何があってもここを離れません」
 ビスケットを食べながら下士官に述べる。それは彼が置いていく差し入れである。食べ物も飲み物も最低限のものだけ採ってそのうえで見張りを続けている。
「ドイツ軍がここから去るまでは」
「ドイツ軍がかい」
「あいつ等イギリスを攻め落とすつもりなんですよね」
 下士官にこのことを尋ねてきた。
「そうですよね、やっぱり」
「まあそうだね」
 その通りだと答える下士官だった。
「だから来るんだよ、毎日毎日」
「だったらあいつ等にイギリスを渡さない為に」
「ここに残るのかい」
「はい」
 まさにその通りだというのだった。
「そうです。死んでもここに残ります」
「危ないと思わないのかい?」
 下士官はこう彼に尋ねた。
「敵に見つかったらそれこそ撃たれるよ」
「そんなの気にしません」
 彼は恐れを知らない顔だった。彼が今いる場所は緑の幾分か段差のある丘陵ですぐそこが白い崖になっている。まさに海峡のすぐ側である。
「だって今はそんな時じゃないですから」
「イギリスがかい」
「はい、そうです」
 まさにその通りだというのである。
「ですから僕はここから離れません」
「ドイツ軍が去るまでは」
「そうです。去りません」
 何があってもという口調だった。
「あいつ等に。何があってもイギリスは」
「そうか。そこまで言うんなら」
 年老いた下士官も遂に折れたのであった。
「坊主の好きなようにしろ」
「それでいいんですね」
「いいさ。上には言っておくよ」
 優しい声で彼に告げる。
「もうな」
「すいません」
「いいさ。今は本当に辛い時だしな」
 イギリス自体がということである。とにかく今は本当に猫の手も借りたい状況なのだ。何か少しイギリスにとって都合の悪い現実が起こればそれだけで敗れてしまうような。そんな状況なのであるからだ。
 
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