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戦場の蛍

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3部分:第三章


第三章

「本当に生き物が少ないな、この国は」
「少なくとも虫は少ないですね」
 整備担当の下士官が彼に応えてきた。リヒャルトは既にパイロットスーツを着ている。今空港にその格好でいるのは彼だけである。
「森に入ればでかい獣は結構いますけれど」
「クズリとかムースとかトナカイだな」
「ええ。あとは狼と」
「熊か」
 ロシアの象徴ともなっている動物だ。寒い国である為そこにいる動物達はかなり大きなものになっているのだ。それがロシアの特徴でもある。
「そういうのはいるんですけれどね」
「ついでに言えば人間もでかいしな、ここは」
「そうですね。それは」
「中には小さいのも混ざってるがな。東から来ているのがな」
 ソ連は総動員をかけていた。その為多民族国家のこの国ではアジア系の兵士も多く存在していたのである。特に戦車兵はロシアの戦車の内部構造があまりにも小さい為小柄な兵士が多い。そのせいでアジア系の兵士が戦車兵になることも多かった。これはロシア独自のことである。
「大体は大きいな」
「別に大きくなくてもいいんですがね」
「まあそうだな」
 下士官のその言葉に頷きながらまた周りに目をやる。周りはただひたすら暗く上には星達が瞬いている。蟹座がすぐに目についた。
「夏なんだな、一応は」
「ですね。星座を見ていると」
「星はロシアでもドイツでも同じか。他のものも同じだといいんだがな」
「そうはいかないのが世の中ってもので」
「全くだ。特に今はな」
「ええ」
 直接言葉には出さないが戦争のことである。戦争をしているという事実は変わらない。だから今こうして夜間出撃に入ろうとしているのだ。他ならぬ彼が。
「そろそろいけるか?」
「はい、もうすぐです」
 別の下士官がリヒャルトの今の問いに答えてきた。
「では大尉。御気をつけて」
「イワンを一人残らず叩き落してくるぜ。それでいいな」
「そうしてもらわないと困ります」
 それは彼等の偽らざる本音であった。整備兵は送り出すことしかできない。しかし戦争に勝ちたいという気持ちは彼等も同じなのだ。戦場に向かうことはなくとも。
「ですから。御願いしますね」
「ああわかったさ。じゃあ行くな」
「はい」
「出撃準備ができました」
 ここで待っていた言葉がやって来た。
「大尉、御願いします」
「わかったぜ。じゃあ行くな」
「御武運を祈ります」
「ヴォータンの加護ってやつだな」
 そう言って不敵に笑ってみせる。彼にも自信があるころが窺える笑みと言葉だった。
「ワルキューレに迎えられないようにはするぜ」
「ええ。では帰ったら」
「ワインで乾杯だ。ドイツのワインでな」
「楽しみにしていますので。では」
「またな」
 互いに敬礼をし合って愛機に乗り込む。夜の世界を切り裂いて空に上がる。司令や整備兵達が出迎えで手を振るのは夜の闇の中ですぐに見えなくなる。しかし心は受け取った。リヒャルトはその心も胸に収め戦場に向かう。合流場所に辿り着くともうそこには多くの友軍機が集まっていた。二発の大型戦闘機メッサーシュミット一一〇が主体だが彼が今のっているメッサーシュミット一〇九もある。フォッケウルフは見当たらない。
「他の部隊も苦労しているんだな」
 本来夜間にはあまり使わない一〇九も結構いるのを見てこう思った。
「このまま苦労したまま、ってのは御免だがね」
「そこの一〇九」
 そんなことを思っているところに通信が入って来た。
「所属基地と官職氏名は」
「第七空軍第二十四戦闘機大隊所属、ノブゴロド航空基地のリヒャルト=カイザーリング大尉だ」
 彼は問われるままに名乗った。
「これでいいか」
「そうか。カイザーリング大尉か」
 通信先の相手はリヒャルトの姓を確認した。
「わかった。では合流してくれ」
「了解」
「作戦は聞いているな」
 闇夜の中でまたリヒャルトに問うてきた。
「我々はこれから」
「闇夜の中に迫り来るイワン共を成敗するんだな」
「そういうことだ。わかっているなら話が早い」
「そう聞いて来たんでね」
 リヒャルトは笑いながら相手に言葉を返した。それはもう既に司令から聞いていることである。心の中では何を今更という気持ちもあった。
「夜も戦えるってことでね」
「そうか。それは有り難い」
 相手はリヒャルトが夜間戦闘ができると聞いて安心したような言葉を述べてきた。
「そうでないとな。やはり」
「おいおい、そういう人間ばかり集められたんじゃないのか?」
 リヒャルトは彼が心から安心したような声を出すのでこう言葉を送ってからかった。
「頼むぜ。素人なんていねえよな」
「一応玄人ばかり集まっていることになっている」
「一応ねえ」
「少なくとも向こうよりは質はずっといい筈だ」
 東部戦線の特徴の一つにもなっていることである。質では圧倒的に上のドイツ軍をソ連軍は数で向かう。結果としてドイツ軍は自分達の何倍もの相手を常に向こうに回していたのだ。
「その分数は向こうが圧倒的だがね」
「撃墜数が稼げていいぞ」
 今度はあえてリヒャルトをリラックスさせる為の言葉であった。
「向こうから寄って来るのだからな」
「美女なら余計にいいんだがね」
「それは勝ってからだな。とにかく今は」
「わかってるさ。イワンの奴等を一人でも多く空から叩き落すんだな」
「そういうことだ。では合流してくれ」
「ああ、わかったぜ」
 相手のその言葉に頷く。そうして合流した後でレニングラード上空へ向かう。だが市街地上空に入ろうとしたその時だった。
「前だな」
 編隊の中の一人が言った。
 
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