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歪んだ愛

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第2章
  ―5―

重たい瞼を無理矢理こじ開けた目で見た時間は、午前十時を少し回った時だった。あれから如何やって自分が帰宅したか…記憶に無い。然し、視界に入る風景が自宅、自分の部屋なのだから、如何にかこうにかして帰宅出来たのだろうと、どんなに酩酊してても帰宅出来る帰化本能に感謝した。
どんなに酔って居ても和臣、きちんと自宅に帰り、途切れ途切れではあるが記憶を持つ。タクシーを掴まえ、自宅を云い、大丈夫ですか?お送りしましょうか?と心底心配するタクシー運転手に大丈夫だと云い帰宅する。
今日は確か運賃を払う時、一万しか無い!御免大きいのしかない…、大丈夫ですよ、八千と…のお返しですね、と運転手と会話したのを覚えて居る。
其れ迄は覚えて居るのだが、以降の記憶が全くない。
帰宅する迄は陳腐な体裁を保つ様、気丈で居るが、嗚呼自宅だ、そう思った瞬間和臣の記憶は真っ暗になる。エレベーターに乗った記憶等完全に飛び、無い。
「う…ん…」
寝返り打ち、腕に知った体温を抱き寄せた。
ん?一寸待て…
慌てて顔を上げた和臣に、気怠い笑みが、其れで居て寝起きの本能を刺激する笑顔があった。
「あら、起きた?木島さん。」
目の前にある妖艶な笑顔、ファンデーションは少し崩れて居るが、アイラインも睫毛もしっかりして居た。
「ええと…」
「雪子よ、覚えてる?」
「其れはもうしっかり…」
御免、ヤっちゃった?と聞くと、雪子は崩れた化粧等何ともない風に破顔した。
「紳士だったわ、寝る迄、最後迄ね。」
「悪い、変なの見せたな。」
酒に酔った積もりは無い、秀一から受けたフランス人だか何だか知らないが、其の攻撃に和臣は落ちた。
雪子は終始笑顔で和臣の、手に滑るストレートの柔らかい髪を撫で、耳元で囁きを繰り返した。
少し掠れたソプラノ、心地良かった。
「こんな紳士初めてよ。」
「んー…、紳士で居させて呉れないか?此処迄来たら紳士で居たい…」
「んー?如何しようかなぁ…、木島さんの身体、あったかい……」
寝起きの自然反応を指摘する雪子の艶かしい細い指に和臣は苦笑い、逃げる様に身体を捩った。
「頼むから、そう、挑発しないで呉れよ。」
言葉では何とでも云える、枕に沈む雪子の青い程の黒髪に和臣は触れた。小首傾げ、自分を見る大きくも細い雪子の目に、其の、呼吸を繰り返す薄い唇に、期待する様に競り上がる胸に和臣は笑うしかなかった。
「本当、挑発するなよ。」
ベッドに沈めた細い手、力の加減が出来ない。
「あたしね、木島さん……和臣さん…、久し振りに欲情したわ…?」
「頼むから、煽らないで呉れよ…、其れで無くとも、会った時からヤバいのに。」
「貴方がそうである様に、あたしだって、貴方を求めたわ…、如何しよう…あたし、貴方が好きだわ…」
娼婦の、一時の戯言だと思って…
雪子の言葉は、和臣の欲望を燃え上がらせた。荒がる息を飲み込む様に雪子の薄い唇は和臣の唇に触れ、流動する腰の筋肉に細い指が触れた。
「如何しよう、和臣さん…、本気になりそう…」
「俺だって思って同じだよ…」
もっと、奥に来て…、そうして貴方を感じさせて……。
鼓膜に繰り返される掠れた吐息とソプラノに、時間の感覚が失せた。
「頼むから、俺を本気にさせないで、雪子……」
「同じ事云いたいわ…」
娼婦紛いの女に夢を見させないでと、雪子のソプラノが鼓膜に響いた。
「会って半日其処いらで云う言葉じゃないのも、ベッドの中での戯言だと思って貰っても構わない…」
涙の滲む雪子の瞳に、和臣の胸は締め付けられた。
愛してると囁かれた雪子の本能は強く和臣の欲望を飲み込んだ。


*****


病院と云うのは不思議なもので、家族全員が同じ所に掛かっている場合が多い。同じ土地にずっと住んで居るなら尚更其の傾向は強く、東条家も其の型に当て嵌まり、まどかとゆりかのカルテは直ぐに集まった。特に内科は赤ん坊の頃から二人を知る老医師と看護師迄居た。そして“若先生”と呼ばれる老医師の息子も二人を良く知って居た。
「ゆりかちゃんは喘息持ちだったんだよ。」
「ゆりかちゃんの方が出生体重が軽かった記憶がある。」
菅原とそう年が変わらない若先生は、カルテの一番最初を開いた。
若先生で此の年なら大先生は一体幾つなのだろうか。七十前?いやもっとか?
しっかりした頭を匂わせる視線は、瞼に沈むが中々に色気があった。
こういう年寄りになりたいな、と和臣は思う。
「嗚呼、そうそう。ゆりかちゃんの方がまどかちゃんに比べて一回り小さかった。だから私、最初まどかちゃんが姉でゆりかちゃんが妹だと思ったんだよ。で、お腹に居る時から性格は同じなんだなぁって。」
和臣の疑問持つ表情に大先生は、嗚呼、と声を上げた。
「いやね、まどかちゃん、あんま云いたくないんだけど…」
「一寸素行に問題があってね…」
「いやいや待て、そう云うと語弊があるな。…活発過ぎる。うん、そう、活発過ぎる。」
「内の身長測定器と体重計、三つ壊した…」
二人の医者は暗い顔で溜息を吐き、同時に額を掻いた。
「身長測定器にはぶら下がって、体重計は目盛りが動くのが面白いってんで飛んで、馬鹿になった。」
「怒ってもケロっとして笑ってるんだよ。」
「其れで泣くのがゆりかちゃんだった。あー、懐かしいな。」
後ろで聞いて居た看護師は覚えているのかケラケラ笑い出した。
「大先生、怒ると物凄く怖いのよ。まどかー!って診察室から怒鳴ると、患者さんがビクゥって。で、先生打ったーって。其れ以上頭打つな、其れ以上馬鹿になったら幾つ測定器があっても足りゃしないって、あはは、おかしー。」
「信じられんだろうが、此れが中学迄続いた。」
「其れからはもう、来なくなったな。身体が弱いのはゆりかちゃんだったし、喘息も落ち着いたから。」
「東条まどかは、付き添いで来てただけ…?」
和臣の言葉に医者と看護師は頷き、和臣は其の侭手帳にペンを走らせる加納と見合った。
「活発なお嬢さんで。」
加納のフォローに三人は乾いた笑いしか出なかった。大先生は咳払いし、ゆりかのカルテを見た。
「ゆりかちゃんは反対で、物凄く大人しい子だった。まあ喘息もあったし、お母さんが過保護だったね。まどかちゃんは放っておいても勝手に育つでしょー、みたいなね。中学になると、完全に二人は別物になったね。」
三人は口を揃えて、ゆりかは大人しかったと云う。
腰迄あるロングヘアーを二つ結びにするゆりか、男子の校則を守ってるのか?と聞きたい程短髪だったまどか、静かに歩くゆりかに反し、バッサバッサと重たいスカート鳴らし大股で歩くまどか。友達も、余り居ないゆりかの一方で、まどかは何時も男子生徒と連んで居た。其の友人の男子生徒と制服交換したったわー、と学ラン姿でゆりかの付き添いに来た時は、本当に男の子だと勘違いした。
「あんまりに男っぽいから、此の子、性同一性障害かなんかじゃないかって思った。」
「そんなに?」
「活発の度合いが、男の子だったんだよ。絶対スカート履かなかったしね。」
「スカート履かすと痙攣してたわ。なんで僕にー!…嗚呼そうだわ、一人称が僕だった。だから大先生が疑ったのよ。」
「そうそう、そうだわ。だから聞いたんだ、君は自分の性を如何認識してる?って。そしたら、僕がこうなってるのはゆりかの為で、母さんの為だ、って。」
和臣はゆっくりと加納に向き、頷き合うと病院を後にした。
駐車場に戻った二人は車内で黙っていた。手帳を見る加納は腑に落ちない顔で眉間を掻く。
「如何した、なんか引っ掛かるか?」
「いいえ?唯、東条まどかはワタクシの最も嫌うタイプだな、と。」
「刑事がそんな事云ってたら仕事にならんだろう。」
「妹にそっくりなのですよ。」
「御前、妹居るのか。」
「ええ、居ます。大嫌いです。顔も見たくない。」
同じに妹の居る和臣は如何答えて良いか、鼻を鳴らした。
顔を見たくない程嫌いだが、辛い事に妹はそっくりだった。鏡を見る度嫌でも妹を見てしまう結果となる加納は、鏡が大嫌いだった。
家に鏡が無い、と迄言い出し、如何やって髭剃ってるんだ、と聞くと、勘と手触り、と危なっかしい。
「そんな嫌ってやるなよ、妹は御前の事好きかも知れないだろう。」
和臣の言葉に加納は、此の世の終わりを見た様な、蛞蝓の交尾を見た様な目で和臣に向いた。
「何の拷問ですか。彼奴がワタクシを好き等。地球外生命体から言い寄られた方がマシです。」
「そんなに怒らないで下さい、フリーザ様。」
「お黙りなさい、ザーボンさん。」
「最近、御前の声が中尾隆聖で再生される。」
「全然似てませんけど。」
電子煙草を咥えた和臣は加納の肩を叩き、発車を促した。


*****


東条まどかの全体像は見えて来た。だが未だ情報が足りない。夏樹の情報が早く欲しいと時一は切に思った。
東条まどかが男っぽい性格をして居たのは、病弱なゆりかを守る為。そして、そんなゆりかを心配する母親に「活発である」と証明する事で安心させる為。
同時に、何時も母親に心配されるゆりかを羨望して居た。
誰よりも母親を頼りたかったのは、まどかだった。本来ならゆりかに似た様な性格だったのに、無理矢理に性格を変えた。其れが何時しか本物になり、活発である自分に疑問を抱かなくなった。心の何処かでそんな自分を嫌い、又拒絶し、然し、活発である自分を母親が求めた。
だからまどかは、ゆりかと正反対でならなければなかった。
正反対、対局……部屋の家具配置が其の意識を教えている。
同じ物…詰まりDNA、同じ家具を買い、対局に置く。
出来ればもっと早く、まどかに会いたかった。屍体等では無く、生きたまどかに。そして、其の心の声を聞きたい。
「ゆりかさんに、なりたかったんだよな。いや、ゆりかさんに、戻りたかった。でも結局、戻れなかったね。」
母親よりももっと、ゆりかと正反対の自分を求めた人物――夏樹冬馬の為。
此の二十六年、一度としてまどかは、まどかで居た事があったのだろうか。
そう思うと、時一の視界は霞むばかりだった。
初期設定の侭の着信音、一々設定を変える等時一はしない。
「如何しました?珠子(たまこ)さん。」
柔らかい声と正反対の無表情な顔が、鏡に映る。そんな自分の姿を眺め乍ら、勝手に動く口が別の生き物の様に見えた。
「来週は一度家に帰ります、はい、恵御(めぐみ)は元気ですか?あはは、声聞こえてます。」
何て能面じみた顔だろうか。声は笑って居るのに、何故顔は笑って居ないのだろう。
誰か俺を、見付けて呉れ――。 
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