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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  圏内事件

「それじゃ、とりあえず鑑定の目処は立ったけど……」
「まだ他に何かあるの?」

 考え込むキリトを、かの血盟騎士団副団長《閃光》のアスナが疑問符付きの視線で覗き込む。一方のキリトはしがないソロビーター。何とも珍しいコンビではあるが、ひょんなことから、少しの間共同戦線を張ることにしたのだ。

「いや。二人で手は足りるかなぁ、と」

 キリトがそのままの恰好で言うと、納得したようにアスナも頷いた。

「確かに、これからのことを考えると、もう一人くらい協力者がいてもいいわね。誰か候補がいるの?」
「え? あ、えーっと……」

 困ったように頭を掻き、答えに窮するキリト。今回の案件に協力を頼むなら、信用がおけて、尚且つ頭の回転も速ければ言うことはないのだが……何せ自分は孤高極まるソロ(ぼっち)プレイヤーである。よくつるんでいる連中で言えば赤バンダナの刀使いがいるが、それは主に後者の理由から却下する。もう一人の巨漢商人のところにはこれから向かうが、何日もというのは、店をやっている以上厳しいものもあるだろう。となると……。

「……別に、いないならいいけど」
「……一人、いる」

 微かに憐憫の色を瞳に灯し始めたアスナの言葉を遮るようにしてキリトが言う。その顔には、大喧嘩でもした後のような気まずさが色濃く浮き出ていた。



 エミとシリカの二人と行動を共にした日から、既に二月。アインクラッド第二十四層西エリアをまるごと覆っていた寒気も幾分和らぎ、朝布団から抜け出すのも、真冬からすれば随分と容易になったと切に感じる、ある春の日。紺色の夜の帳が家を取り囲む針葉樹林の葉の間に舞い降りた中、マサキはつい数分前からリビングに漂い出した、香ばしい肉汁と芳醇なデミグラスソースの香りによって、自身の腹の虫が活性化しつつあるのを感じていた。

 余談だが、あの後エミは無理なペースでの中層プレイヤーの補助を止めたという。同時に住所も平均水準の宿にグレードアップしたものの、元の支出の大部分を占めていた、参加パーティーに渡すポーションや結晶アイテムの支援費が大分圧縮されたため、比較的余裕のある生活を送れているらしい。最近は料理にも凝っていて、元々は安くて不味い食材を少しでも美味しく食べるために取ったという《料理》スキルの熟練度が、つい先日七百を越えたとか。
 ここで一つ注釈を加えておくと、これらの話は情報屋等を通じて収集したわけでも、ましてやマサキが直接本人の私生活を覗いて調べたわけでもない。そんなことをしようものなら、「アインクラッド屈指の美少女を追い回す変態ストーカー」として、翌日の朝刊の一面を飾るという名誉を賜ることになるだろう。
 ……もっとも、被害者と加害者の矢印を逆にすれば、現在の状況とそう変わらなくなりそうではあるが。

 閑話休題。
 とにかくここまでの話は全て、

「はい、お待たせ! エミさん特製ハンバーグですっ!」

 ジュウジュウと食欲をそそる音を絶え間なく放ち続ける鉄板を二つダイニングテーブルに並べ、自分はマサキの対面に腰を下ろしたエミその人が、マサキに対し(聞いてもいないのに)ベラベラと喋った本人談なのであった。そのため裏付けは取っていないが、彼女のスカートが以前のいかにも安物然としたホワイトから可愛らしい薄いブルーに、流れるような黒髪を後ろで束ねているアクセサリーも、簡素な黒のヘアゴムから白地に黒のドットが入ったシュシュに様変わりしているのを見るに、あながち嘘ではないとマサキは考えていた。もっとも、それが嘘だろうが本当だろうが、マサキには関係ないのだが。

「いただきまーす!」
「…………」
「……あれ? マサキ君食べないの? ひょっとして、ハンバーグ嫌いだった?」
「……いや」

 当たり前のようにハンバーグをパクついているエミに抗議の視線を向けたマサキだったが、彼女には効果がなかった。やや大げさな溜息と共に肩を竦め、脂のハネも大分収まってきていた肉の塊にナイフを入れる。ご丁寧なことに中にはチーズが挟まれていて、一欠片を口に放り込むと、舌の上で肉とチーズ、ソースの三味が調和した。満足げに頷くシェフを見るに、どうやらこれは彼女にとっても納得のいく味だったらしい。

「うん、大成功! あ、マサキ君、明日は何が食べたい?」
「明日も来る気なのか……」

 呻くような声を上げて、マサキは右手で額を覆った。
 ピナの一件の後、エミはこの家が大層お気に召したらしく、頻繁に姿を見せるようになっていた。そのうち「ただお喋りに来るだけだと悪いから」とかいう理由で手料理を振舞うようになり、今ではキッチンのことはマサキよりもよほど把握している有様である。前線でのレベリング時や階層攻略時に何故かよくでくわすことも併せれば、週に五日程度は彼女の顔を見ている計算になるほどだ。

 ここまで来ると、マサキの視野に「エミを追い返す」という選択肢が入ってくるのだが、それには一つ問題がある。
 それは、彼女がアインクラッド屈指の美少女であるということだ。しかも、つい最近まで頻繁に中層プレイヤーたちの支援を行っていたため、ボリュームゾーンでも名前と顔が売れている。つまりどういうことかと言うと、下手に追い返した場合、かの《閃光》様のそれに次ぐ規模とさえ言われている《モノクロームの天使ファンクラブ》――もちろんどちらも非公式だが――が強く反発する可能性が極めて高いのだ。
 残る方法はマサキが家を引き払って逃亡するか、現状を大人しく受け入れるかの二択。前者はマサキとしては受け入れがたく、必然的に後者を選ばざるを得ない。のだが、もしこの一方的なストーキングが露見した暁には、何故か被害者であるはずのマサキが「アインクラッド(以下略)を自宅に連れ込んでいるジゴロプレイヤー」とのあだ名を頂戴することになる。つくづく、美人とは得な生き物である。

 はあ、ともう一度溜息。情報流出の可能性が最も高い某情報屋に関しては、一応本人が「デマとゴシップは売らない主義だゾ」と公言しているため、そこから世間に漏れることはないと考えていい。が、それでも彼女の個人的興趣の対象となることはまず間違いないわけで、マサキとしては出来るだけ早く彼女と疎遠になり、後は何を言われようと知らぬ存ぜぬを貫きたい。
 幸いにもと言うべきか、マサキと唯一親交と呼べる関係を構築していた者は既に三途の川を渡りきっている。風の噂などマサキにとって道端の小石のようなものだし、彼女の性格的に、いくら自分が袖にされたからと言って、逆恨みしてこの家の場所を言いふらすようなことはしないだろう。となれば、これからは多少強引にでも彼女を追い返すべきか……。

 と、ここまでの考えを食事と平行してまとめたマサキは、続いてその方法の検討に入ろうとする。
 そんな時だった。

「……ん?」

 視界の端に、メッセージ受信を表すアイコンが点滅した。現在メッセージのやりとりが可能なフレンドはアルゴ一人のマサキがメッセージを受け取るという場合は、二つほど考えられる。即ち、マサキを知っている人物が、同じ階層にいる時限定でインスタントメッセージを送った場合と、アルゴがマサキに向けてメッセージを送った場合だ。だが今回は、そのどちらでもなかった。
 厳密に言えば、直接のメッセージ送信元がアルゴであるため、後者の亜種のようなものだろう。だが、アルゴは今回、別人物からの依頼でメッセージを転送しただけなのだ。それほどのことをしてでも相手はマサキにメッセージを届けたかったということらしい。

 転送されてきた文書に目を通すと、メッセージの送信元はキリトだった。五十層のフロアボス戦の前日に話して以来、言葉を交わすことさえ稀だった彼が、一体何の用なのだろうか、と訝しみながら文を読み進めていく。

「《圏内PK》……?」

 そして、一つの不吉な単語にマサキの目が釘付けになった。どうやらそこだけ声に出てしまっていたようで、対面のエミが疑問の表情を浮かべてマサキの顔を見やる。しまった、と顔を苦そうに歪めたのも束の間、マサキは先ほどまでの思考を頭の隅に追いやり、いつの間にか残り一口となっていたハンバーグを急いで口に放り込むと、

「適当なところで帰っておいてくれ」
「え? あ、ちょ、マサキ君!?」

 というやりとりを最後に、キリトの指示にあった第五十層主街区《アルゲード》に向かったのであった。



「ほぉ……」
「へぇ……」
「ふぅん……」

 上記の反応は、「わたしも行く!!」と持ち前の善人根性を遺憾なく発揮してのたまったエミを仕方無しに引きつれ、キリトの指示通り第五十層主街区《アルゲード》の商店二階の戸を開いた時の、中に居た三人のものである。ちなみに、上から店主のエギル、キリト、そしてアスナだ。
 驚きばかりの声を漏らしたキリトとアスナに対し、気味の悪いニヤニヤとした笑いを滲ませたエギル。何を考えているかは分かりたくもないが、ロクなことを考えていないことだけはよく分かるため、マサキは彼を一瞥し「違うぞ」と一声掛けて、空いていた揺り椅子に腰掛ける。出てきたお茶のグレードに、マサキとエミの間で随分な差があったことには無視を決め込んで。

「……で、メッセージの《圏内PK》とやらは、既存のものと何か違うのか?」
「《圏内PK》だぁ!? オイオイ、そんなこと聞いてねーぞ」

 白い湯気が立ち上る湯飲みに口をつけながらマサキが問うと、初耳だったらしいエギルがチョコレート色の巨体を仰け反らせて驚いた。隣に座るエミにはここへ来る途中でメッセージの内容を伝えてあったためエギルほどの反応を見せることはなかったが、やはりまだ動揺が残っているのか、普段は愛くるしい笑顔を浮かべている口をつぐみ、眉間にしわを寄せていた。

「今、説明する」

 マサキたちの視線を浴びて、キリトは真剣に頷き事件のあらましを語った。

 曰く、五十七層主街区の広場で《カインズ》と言う名前のプレイヤーが《継続貫通ダメージ》と思われる攻撃によって死亡。その場に居合わせたプレイヤー全員でデュエルのウィナー表示を探すも発見できず、カインズが吊り下げられていた塔の中にも人っ子一人見当たらなかったという。

「……それで、マサキなら何か思いつくんじゃないかと思って、アルゴを通じてメッセを飛ばしたんだ」
「俺は犯罪捜査なんぞやったこともないがな。……とりあえず今言えるのは、既存のPK法では説明がつかない、ということくらいか」

 渋みの強い緑茶を啜りつつマサキが言う。
 現在知られているPKの方法には、プレイヤーが寝ている隙にウインドウを操作して《完全決着モード》でのデュエルを挑む《睡眠PK》、その派生として、回廊結晶を用いることで鍵付きの部屋の中にいるプレイヤーに対して睡眠PKを行う《ポータルPK》等があるが、今の話を聞く限り、そのどれも条件にはそぐわない。この方法では相手にデュエルを申し込むことが必須で、デュエルのウィナー表示が必ずどこかに現れてしまうためだ。

「そもそも、情報が少なすぎる。それだけだと何とも言えん」
「分かってる。そこで……こいつだ」

 キリトは頷き、ストレージから一本のロープを実体化させた。耐久値が残り少ないのか、所々にほつれが確認でき、一方の端には丁度人の頭が入る程度の輪が作られていた。
 キリトはそれをエギルに手渡す。それだけで意味を悟ったらしいエギルは、リングの部分を嫌そうに見ながらそれを鑑定した。

「……残念ながら、プレイヤーメイドじゃなくNPCショップで売ってる汎用品だ。ランクもそう高くない。耐久度は半分近く減ってるな」
「そうだろうな。あんだけ重装備のプレイヤーをぶら下げたんだ。物凄い加重だったはずだ。……まあ、ロープにはあんま期待してなかったさ。次が本命だ」

 そう言ったキリトが続いて取り出したのは、柄の部分をびっしりと逆棘が覆っていると言う、異形のショートスピアだった。全体が黒い金属で出来ており、天井にぶら下げられたオレンジ色のライトを反射して金属光沢を放っている。

「これ……」

 それを見た途端、隣に座っていたエミが恐怖の滲んだ声を漏らした。無理もない、この棘は深く突き刺さると抜けづらくなる特殊効果を発生させるためのものだが、恐怖という感情が存在しないモンスター相手には効果が薄い。つまりこれは、明らかに『プレイヤーを突き殺す』目的で鍛えられた槍なのだから。

「PCメイドだ」

 鑑定を終えたエギルが低い声で言った瞬間、キリトとアスナが揃って身を乗り出し、マサキは切れ長の目を更に細めた。PCが作成した武器には必ず作成者の名が記録されるため、それを辿ることが出来れば事件の真相により近付くことが可能になる。
 全員の視線がエギルに集中する。それに促されるように、エギルが手元のウィンドウを読み上げた。

「作ったのは《グリムロック》。(つづ)りは《Grimlock》。聞いたことねぇな。少なくとも、一線級の刀匠じゃねえ」
「……エミは、その名前に聞き覚えは?」

 中層プレイヤーとの関わりが多かった彼女であれば、もしかしたら……。そう考えたマサキが首から上のみを回転させて問いかける。エミは暫し天井を見上げ考え込んでいたが、やがて申し訳なさそうに首を左右に振った。

「……なら、まずはグリムロック氏を探すところからか……」
「このクラスの武器が作成できるようになるまで、まったくのソロプレイだったとは考えにくいわ。中層の街で聞き込めば、《グリムロック》を知る人物が見つかるんじゃない?」
「確かにな。こいつらみたいなアホがそうそう居るとは思えん」

 深く頷き、マサキとキリトを交互に見やるエギル。

「な……なんだよ。俺だってたまにはパーティーくらい組むぞ」
「ボス戦のときだけでしょ」

 必死の反撃もむなしく、うっ、と言葉を詰まらせたキリトを尻目に、マサキはエギルに一度睨むような視線をくれて立ち上がった。

「……とりあえず、そのグリムロックの生死だけでも確認しておくべきだろう」

 それには他のメンバーも同感だったらしく、マサキの言葉に全員が頷きで答えた。



 目の前に、真っ黒の壁が座っている。
 真冬の夜のように、冷たくて黒い壁だ。その表面に、左右数十メートルにわたって等間隔でアルファベットの名前が羅列されている。そのうちの幾つかには上から一本の線が引かれ、もうこの世に存在しないことを無機質に告げていた。
 昼のこの場所は親しい人の死を突きつけられた人々で溢れているものだが、夜も遅いせいか、今は誰もいなかった。そのせいで、靴底が足元の鉄板を叩く音が広間中に反響してやたらと耳につく。
 マサキたちは《生命の碑》の前に立つと、グリムロック、そしてカインズの名を探した。二つの名前は程なくして見つかり、見ると、グリムロックは生存、カインズはサクラの月二十二日、十八時二十七分に死亡とあった。

「……日付も時刻も間違いないわ。今日の夕方、わたしたちがレストランから出た直後よ」

 目を伏せてアスナが呟く。それを頭に入れたマサキは、一人輪を抜け出して《T》の列の前に立つ。もう、何度も立った位置だ。目を瞑っていたってここには来られるだろう。
 マサキはある二つの名前の間に視線を向ける。本来ならばそこにあったはずの一つの名前は、あの日持ち主の存在と共に消え去ってからそのままだった。そこに指を走らせると、墓石のように磨かれた黒い石碑は、まるで彼など最初から存在していなかったのだと言わんばかりに、冷たくつるりとした感触を指先に伝えてきた。石の冷たさが指に染み入る度に、指と石との境目が曖昧になっていくような感覚。同時に、マサキの思考も、石の中に吸い込まれていくかのよう。合わせるべき焦点を見失った視界がぼんやりと霞み、代わりにポリゴンが散り行く様と、不快なサウンドエフェクトとが頭を巡る。指先の感触は、蒼風の柄と同じだった。

「……マサキ君?」

 遠慮気味に掛けられたソプラノの声に、マサキの意識は引き戻された。ピントが元に戻り、世界がクリアになる。
 一つ、息を吐く。石に押し付けたままの指先は氷のように冷たくなっていたものの、感覚は石壁のものに戻っていた。

「……今行く」

 いつも通り事務的なトーンで答え、マサキは踵を返す。石碑から目を離す直前、表面に映る青みがかったかがり火が、人魂のように揺らめいていた。

 その後、主だった用事は全て済ませ、翌日の集合時刻を確認して本日は解散となった。各々が転移門を潜り抜けて――キリトとアスナの二人は、珍しく親しげに口を交わしていたが――いく中、マサキは門を離れ南東に歩いた。
 短調のメロディを聞き流しマサキが向かったのは、街南東のゲートだった。ゲート前の広場から城の外へせり出しているテラスも、その外縁に設置された鉄柵も、ゲーム初日から少しだって変わっていない。チラリと周囲に視線を配ると、見回りをする《軍》の連中が目に入ったが、あらかじめ発動させていた《隠蔽(ハイディング)》のおかげで見つかることはなかった。
 前のめりで鉄柵に身体を預け、眼下に広がる星のない夜空を覗き込む。気温は穏やかだが、時折強く吹き上げていく風のせいで若干肌寒い。半ば無意識的に首をすぼめたマサキの前に、どこまでも透明な暗闇が穏やかな微笑を湛えて口を開けている。そうして、寄ってきたものを優しく包み込んで、そのまま綺麗に砕いて呑み込んでしまうのだ。まるで、汚れを浄化する仄暗い深海のように。
 それを眺めていると、もう、このまま終わらせてしまえばいいのではと思えてくる。今からここに飛び込んで、終わらせる。そうすれば、自分の全てが元に戻る。……似たようなことを、この場所で誰かさんから聞いたかな、とマサキは苦笑した。そんな記憶も、全てなかったことにしてしまえばいい。忘れることが不可能だとしても、思い出さないようにすることは不可能ではないだろうから。そもそも自分がここにいるべき理由など、何一つありはしないのだから……。

「……マサキ君? どうしたの?」

 茫漠(ぼうばく)とした夜の帳に沈んでいく思考を突如切り裂いて響いたのは、またしてもエミのソプラノだった。マサキもこれには驚いて、振り向きざまに声を漏らす。

「……それはこっちの台詞だ。何故、こんな場所に」
「それは……マサキ君がわざわざハイディングまでしてこっちに行くのが見えたから、どうしたのかなって思って」

「ごめんね?」と、エミは悪戯を指摘された子供のように笑う。そしてそのままマサキの隣まで歩いてくると、興味深そうに辺りを見回した。

「この場所、好きなの?」
「別に」

 しかめっ面で即答。どちらかと言えば、嫌いな部類に入るだろう。

「えー? ヘンなの」

 お前に言われたくはない……と言い掛けて、その言葉を飲み込む。一体何がそんなに可笑しいのか、彼女は一人でひとしきり笑うと、愛らしい口元をきゅっと引き締めた。

「……グリムロックさんは、やっぱり何か知ってるのかな」

 温度が低くなった彼女の声は、何かを恐れるような不安を孕んでいるように聞こえた。相手はPKに――もしかすると、積極的に――関与したかも知れない人物である以上、そういう人種に耐性のない者がそう思うのも当然だろう。

「……さあな。案外……」

 そう言いかけて、口をつぐんだ。「いい奴なのかも知れん」とでも言うつもりなのだろうか? 我ながら酷い嘘だ。仮に知らなかったとしても、知らずにあんな槍を鍛える人間と親密になれるとは思えない。自分自身どうして嘘をついているのか理解出来ていないから、こうも嘘が下手糞になる。

「……そっか。そうだよね……」

 だが、彼女はその言葉を受け入れて、薄く微笑んだ。もう、全部バレてしまっているのかもしれない。
 マサキは背中を鉄柵に乗せ、頭をその向こう側にぶら下げた。
 最悪の気分だ。このまま自分の身体ごと、何もかもこの空に投げ捨ててしまいたいくらいに。

「マサキ君」

 幾分軽くなったようなエミの声。同時に左手をひやりとした感触が包み込んで、マサキは首を跳ねさせた。

「行こう? もう、大分遅くなっちゃったし」

 すると、先ほどよりも数歩分近いところにエミの顔。暗くてよくは見えないが、少し紅潮しているようにも感じられる。彼女は一度にこりと微笑むと、そのまま手を引いて歩き出した。

「んな……。はぁ……」
「あ、ごめんなさい……。嫌、だった?」
「まあ、感心はしない」

 マサキは繋がれていた手を解くと、その手をポケットに突っ込んで歩き出した。流石にこの状況で投身自殺を図れるほど、マサキは強心臓ではない。

「そういえば、明日はご飯作れなくなっちゃったね……。代わりにモーニングコールでもする?」
「ご自由に。掛ける電話がどこにあるかは知らんがな」

 答えつつ、マサキは真っ暗の天蓋を仰ぎながら、ポケットの中で左手を気持ち悪そうに動かしていた。……全く、変な邪魔が入るところまで、あの時と同じじゃなくても良かっただろうに。
 
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