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小噺

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第一章

                        小噺
「いや、私がですか」
 朝方亭円満はその話を聞いてまずは驚いた。
「私が兵隊にですか」
「私がも何も当たり前じゃないか」
 師匠である円谷は驚く彼にこう返したのだった。
「今日本はどうなってるんだい?」
「戦争してます」
 こう師匠に返した宴楽だった。
「それも亜米利加だの英吉利と」
「支那ともまだやってるよな」
「ええ」
「だったら当然じゃないか。あたしはもう歳で行くことはできないけれどな」
 こう弟子に話すのだった。
「落語家でも何でも行かないといけないんだよ」
「そういうものですか」
「じゃあ何かい?行かないっていうのかい?」
「いえいえ、滅相もありません」
 それは両手を前に出して慌てた動作で否定する彼だった。
「あたしだってね、日本人ですよ」
「じゃあわかるよな」
「ええ、わかりますよ」
 今度は真剣な顔で返したのだった。
「それじゃあやっぱり」
「そうさ、行って来な」
 こう弟子に告げるのだった。
「後のことは気にしないでな」
「戦争に。あたしが侍になるんですか」
「こんな御時世だからね。侍になって来な」
 軍人は武士だと思われていた。歩兵の本領という軍歌にもある通りだ。戦前はそう思われていたのである。それも時代であった。
 だから円谷は弟子にこう告げたのである。
「わかったね」
「ええ、わかりました」
 畏まって師匠に述べた。
「じゃあこれから」
「日本の為に戦って来るんだ」
 また弟子に言うのだった。
「いいね」
「はい」
 こうして落語家であることを一旦止めて出征する円満だった。彼は幸いにしてか台湾に配属された。そこの部隊で毎日航空機の整備をしていた。
「エンジンの音ってね」
「おや、円満さんまたその歌かい」
 彼が軍歌を歌いながら戦闘機隼の窓を拭いていると横で点検をしていた鋭い目の男が応えてきた。
「好きだね、その歌」
「いやね、何か歌を歌うと気持ちよく仕事ができるからね」
 その彼に明るい声で返す円満だった。今彼等は当然ながら戦闘服である。それに身を包んで整備にあたっているのである。完全に兵士になっていた。
「だからですよ」
「そうだね。戦争だから真剣にやらないと死ぬけれど」
 彼は言うのだった。
「それでも軍歌位は気持ちよく歌わせてもらわないとね」
「そうでしょ?だからなんですよ」
「歌ってるんですね」
「ええ、そうです」
 まさにそうだというのであった。
「まあここは今のところ平和ですけれどね」
 基地を見回す。今は至ってのどかである。将校達もその顔は真面目だが険しくはない。台湾は戦場にはなっておらず最前線ではないからである。
 だから今はのどかだ。しかしであった。
「それでも何時こっちも」
「ええ。まあ勝ちを信じていきましょう」
「そうですね」
 そんな話をしたのだった。円満はそれからもこの同僚と話をした。そんなある日のことだった。彼はまず自分の名を言ってきたのであった。
「わしの名前ですけれどね」
「あっ、まだ言ってませんでしたか」
「内山っていうんですわ」
「内山ですか」
「そう、内山伸介です」
 それが彼の名前なのだった。 
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