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一言も漏らさずに

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第一章


第一章

                     一言も漏らさずに
「酷い話だな」
「全くだ」
 帝国海軍の者達は無念に満ちた顔でこう言うしかなかった。言ってもどうにかなるものではないのがわかっていても。それでも言葉として出さないと心が落ち着かなかったのだ。
「あれだけの艦をああいうふうに使うとはな」
「アメリカ人は何を考えているんだ」
 次にはアメリカ人への批判を口にするのだった。
「核実験に使うなぞ」
「それも自分達の艦艇までそれに使うらしいな」
「ああ、その通りだ」
 こう言ってさらにわからないといった顔になるのだった。
「そこに原爆を落としてな」
「原爆か」
 彼等は原爆という名前を聞いて無念に満ちた顔を嫌悪に満ちたものに変えた。
「原爆で広島は廃墟になった」
「長崎もな」
 こう言ってその嫌悪をさらに強くさせるのであった。
「あんなもので広島は跡形もなくなった」
「長崎もだ。あれが戦争か」
 彼等の中でそれは最早戦争ではなかった。虐殺と言ってもいいものであった。
「銃を持たない者をあえて焼き尽くすなぞ」
「しかもあの威力は何だ」
 彼等は原爆の威力についてもよくわかっていた。わからざるを得なかった。
「たった一発で街を焼き尽くすなぞ」
「それで葬るというのか」
 ここで顔がまた無念に満ちたものになる彼等であった。
「あの艦を」
「実験材料として」
「言っても仕方ない」
 しかしここで誰かが言った。
「我々は負けたのだからな」
「負けたからだ」
「だからか。あの艦も」
「負けたのは事実だ」
 無念そのものの声であった。
「だから。艦をどう扱われてもな」
「だからといって実験に使うというのか!?」
「ただの実験の素材に」
 軍人として、艦に乗り込んできた者としてそれが許せなかったのだ。これは帝国海軍にいる者の多くの思いでありそれは消せなかった。
「しかもあれだけの艦を」
「あれ程無惨なことに使うというのか」
「仕方あるまい」
 しかし事実は覆らないというのであった。
「それも。我々は敗れたのだから」
「勝者は何をしてもいいのか」
「それがアメリカ、そして連合国の考えなのか」
「そうなのだろうな」
 達観の言葉であった。辛いが現実を認めるしかない達観の言葉だった。
「それがな。連中の正義だ」
「そんなものが正義なのか」
「何をしてもいいというのが」
「ソ連を見ることだ」 
 ここでこの国の名前が出て来た。
「ソ連が満州で何をやったのか。ベルリンで何をやったのか」
「それは」
「あの行いは」
 彼等もソ連がそうした地域で何をやってきたのか知っていた。そのことは引き揚げてきた者達が伝えていた。ベルリンのことは大使館からの情報であった。海軍にありながらもソ連のそうした行いは実によく耳に入っていたのである。それもかなりの割合で。
「あれは人の行いではない」
「悪鬼だ」
 ソ連軍を忌々しげにこう断定する者までいた。
「あの連中は邪悪だ」
「野蛮どころではない」
「しかし今では『平和勢力』だ」
 誰かが実に忌々しげにソ連をこう呼んでみせたのだった。
「何でも学者連中に言うとソ連は平和勢力らしい」
「平和だと!?」
「あの連中がか」
「何でも共産主義は平和をもたらすそうだ」
 二十世紀に広まった迷信である。なおこの迷信に最も毒されていたのが我が国のマスコミであり知識人であった。実に嘆かわしいことにだ。
「何でもな」
「そんな筈があるか」
「嘘だ、それは」
 彼等はその迷信を即座に否定した。彼等はソ連という国家をよく知っていた。
 
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