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ソードアート・オンライン もう一人の主人公の物語

作者:マルバ
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■■インフィニティ・モーメント編 主人公:ミドリ■■
壊れた世界◆生きる意味
  第六拾弐話 コハレタセカヰ

「――ミドリ、ちょっとミドリってば、大丈夫!?」
 誰かが肩を揺する。彼は目を瞬かせ、頭を振った。次第に意識がはっきりしてくる。
「ねえってば! ちょっといきなりどうしたの」
「わりぃ、ちょっとぼうっとしてただけだ」
「もう、しっかりしてよね。少なくとも今日だけはさ」
 彼女は少し笑って言うが、無理していることがわかる笑い方だった。
「そうだよな。――もうこんなに壊れちまったが、それも今日までだ」
 ミドリは部屋を見渡して言う。ひっくり返った椅子は半分以上がテクスチャを失いのっぺらぼうになっていて、座標が固定されてしまったため起こすこともできないし、そもそも起こせたところで大小様々な結晶がつきだしているため座る気にはなれない。ベッドには進入禁止を表す赤い半透明の直方体が陣取っているため、彼は最近床で寝るしかなくなっていた。壁もあちらこちら剥げて、青い半透明の壁材が飛び出してきている。彼女も周りを見渡し、ため息をついた。
「カーディナルシステムも明後日で連続稼働47年になるもんね。むしろここまでよく保ったって褒めてあげるべきかもしれないね」
「四年前までは普通だったのにな。エラー訂正プログラムの偉大さが分かるってもんだ」
 ミドリはよっこらしょと身体を起こした。彼の右脚や左肩もすでにテクスチャが失われて、青白い半透明の筋組織がむき出しになっている。ミドリは彼女よりも崩壊が少し早く進んでいるようだ。
「この部屋も放棄するしかないな。青いやつにすっかり侵食されちまった。明日からフィールドで寝るか」
「明日は来ないかもしれないよ」
「――そうか、この鉄の城の役割も終わりか。もうほとんど海に沈んじまったし、潮時だな」
 この九十八層にも海水が染みこんできている。海水とはいうが、それはプレイヤーが勝手に付けた名称にすぎない。下層から順に出現した『NO DATA』と書かれた黒い無数の直方体を、便宜上海水と読んでいるのだ。アバターが海水に触れると触れた部分が消失するので、危なくて近寄ることもできない。

 彼はドアを開けようとしたが、しかしそのドアは開こうとしなかった。蝶番に赤い半透明の直方体が張り付いている。
「あれっ、開かないぞ」
「えっ、ほんと? さっき私が入ってきた時は大丈夫だったのに」
「まじか……どうしよう」
「窓を破壊するしかないんじゃない? 扉は赤だけど、窓は青だから数分間は壊せると思う」
 赤い半透明の直方体は破壊不可だが、青のそれは破壊することができることもある。もっとも、一度破壊したところで数分後にはより大きくなって復活するので、できるだけ破壊したくはない。
 彼は大きめの結晶が突き出している机を足台にして窓に歩み寄った。窓枠に海水が付着しているため触らないように気をつけながら、窓にくっついた直方体を叩き割る。
「ほら、急いでいくぞ」
 彼女に声をかけてから、彼は窓の外へと身を躍らせた。ここは3階なので、ある程度の落下ダメージは覚悟しなくてはなるまい。すでにHPの回復手段は失われて久しいので、彼のHPはここ一年ほど黄色いままだ。彼はこの跳躍によってHPゲージが赤く染まることを覚悟した。


「よう、見送りに来たぜ」
 ミドリが声をかけると、ベッドに横たわるプレイヤーが顔を上げた。彼女の横で椅子に座っていたプレイヤーも、片手を軽く挙げて挨拶する。
「来てくださったんですね」
 ベッドに横たわる少女――外見は少女だがすでに60歳を超えている――は掠れた声で応えた。
 かつて『竜使い』と呼ばれた彼女も、すでに相方の小竜はAIへの過負荷で消失してしまい、今やビーストテイマーとは呼べなくなっていた。傍らの少年の膝の上に丸まっている毛玉も、背中にいくつもの結晶が張り付いてしまっていて、満足に動くことはできない。
 少年が毛玉をこわばった右手で撫でると、毛玉はなんとか首を持ち上げ、つぶらな瞳で飼い主を見つめた。しかし少年はそれを見ることすらできない。視力を失っているからだ。

 ミドリの後に続いて女性が入ってきた。かろうじて花とわかる形状の物質を持っている。ストレージは半年前から機能しないので、ミドリの部屋からここに来るまでのどこかで摘んできたのだろう。
「ストレアさんも、ミドリさんも……わざわざありがとうございます」
「なに、気にするなって。どうせ暇なんだ。お前らが最後だしな」
「……そうか、わたしたちが最後なんですね。そっか、これで終わっちゃうんだ」
 少女は悲しそうに笑った。少年が少女の手を握ると、彼女は少し驚いて少年を見、そして彼の手を握り返した。
「……それでも、僕はこの世界に来れて幸せだった――って言ってますよ」
 少女が少年の言わんとしたことを通訳すると、ミドリは悲しそうに俯いた。
「こんな最後でも、幸せだったと言えるのか……」
「わたしも、この世界に来たことを後悔なんてしません。ここに来れたからマルバさんに逢えたんですから。それを思えば、こんな最期も悪くないって思います」
 ミドリの頬を涙が伝った。そんなミドリに代わって、女性は少女に花を渡す。
「これ、あげるね。本当はすべて終わってから渡すつもりだったんだけど――シリカちゃん、お花なんてしばらく見てないでしょ」
 少女は花に対し目を凝らした。ディティール・フォーカシング・システムの起動を十数秒間待った後、彼女はようやくその花をとらえた。
「わあ、ありがとうございます。これは――グラジオラス、ですか。珍しいですね」
「最近じゃ、タンポポとかも殆ど見かけないもんね。園芸種なんてそれこそ珍しいよね」
 女性はふふっと笑った。少女も楽しそうな笑みを浮かべたが――すぐに、その笑みが凍りついた。少年の手を強く握りしめる。
「うぐっ……そろそろ、みたいです」
「……もっと、お話したかったな」
「わたしも、です」
「向こうに行っても、達者でやれよ」
「ミドリさん、こんな時まで、相変わらずですね」
 少女は無理に笑顔を作った。少年の手を更に強く握る。少年が何か言いたげに口を開いたが、何の言葉も出てこなかった。
「マルバさん――わたしも、です。あなたに会えて、良かった。また、会いましょう」

 彼女はゆっくりと目を閉じると……がしゃーんと大きな音を立て、青い破片となって砕け散った。三年前まではディスコネクション警告が出たものだったが、今や文字化けしてしまって残された文字を読むこともできない。いずれにせよ、この世界に残された命が一つ、散っていったことは確かだった。

「くそッ……! 俺はまた失ったのかッ……!」
 ミドリが床を強く殴りつけた。すると彼の左腕が砕け散り、彼は唖然として自分の腕を見つめた。
「まじかよ……崩壊が一気に進んじまった。あと残ってるプレイヤーはお前一人だな、マルバ」
 ミドリが少年に向かって話しかけるが、当然のように返事は無い。ミドリがそちらに視線を向けると、彼の膝の上の毛玉が、ばたばたともがいているのに気づいた。少年は毛玉をゆっくり撫で、すっと目を閉じ……
 なんの前触れもなしに、ただ少女の後を追うように――砕け散った。


 最後の二人のプレイヤーが死んでいった次の日、アインクラッドが崩壊を始めた。残っているのは海水による侵食を免れた九十八層以上だけだったので、全百層が崩壊し終えるまでの残り時間は短かかった。
「準備はいいか」
「……うん」
「もう何の意味もないかもしれないが……それでも、この世界で消えていったプレイヤーたちの無念を晴らすため! 行くぞ!!」
 ミドリが第百層『紅玉宮』の扉を開け放つと、ごごごごご……と不気味な音を立て、ボス部屋の中央に死神のシルエットが浮かび上がった。ミドリたちは全力で駆け出していく。仮想の関節が悲鳴を上げ、ただ走るだけでアバターからポリゴンの欠片が剥離して砕けた。
「うおおぉぉぉォォオオッ!!」
 ソードスキルはもう一年も前に起動できなくなっている。ミドリはただこの世界への怒りを剣に乗せ、モンスターへと叩き付ける。女性もミドリに続いて大剣を振るったが、しかしモンスターのHPは一ドットたりとも減ることはなかった。
 モンスターが鎌を振り上げ、横払いに一閃する。ミドリは伏せて回避し、女性は一歩下がったが、しかしぎりぎり回避し損ねた。一瞬でHPを0にして砕け散る。
「くっ……そおおおぉぉォォッ!」
 ミドリが吠えた。二閃目の鎌を盾で振り払うと、彼は盾をモンスターに向かって投げ捨てた。床を蹴り、拳を叩き込む。モンスターが鎌を振り上げたが、その攻撃をミドリは右手で掴みとった。HPがぐっと減り、残り数ドットほどになる。しかし彼はHPバーに構わず敵の鎌を奪い取り、相手を切りつけた。何度も、何度も斬りつける。それを何十回も続けた後……砕け散ったのはモンスターの方だった。

「ははっ……勝った。勝ったよ、勝っちまった! こんなにあっけなく! ……なんだ、俺が参加してれば勝てたんじゃないか。一体俺は……なにをしていたんだ。クリアして消えるのが怖くて、ボス戦に参加しないだなんて! 俺の『生きる意味』は何だったんだ! こんな終わり方ほど、意味のない人生があるかよ!!」
 ミドリは高笑いした。ついに紅玉宮までもが崩壊を始める。床が抜け、壁が壊れ、全てが黒い海水へと吸い込まれていく。世界が終わる直前、彼は手にした鎌で自らの命を刈り取った――





「――ッ、ミドリさんッ!」
 ……誰かの呼ぶ声が聞こえる。視界が次第に明るくなり、彼は自分を覗きこむ少女の姿を見た。
「ミドリさんッ!」
「あー、うるさい。頭に響く」
「ミドリさん、大丈夫ですかッ!?」
「だから叫ぶなって、シリカ」
 ミドリはなんでもない風を装って、起き上がった。昨日死んだはずのシリカが自分を覗きこんでいる状況が理解できない。
「シリカ、お前なんでここにいるんだ? お前は九十八層のあの部屋で……」
「……ミドリさん、本当に大丈夫ですか? いま、最前線は九十二層ですよ」
「いきなりそんなこと言い出すってことは、変な夢でも見てたの?」
 少年が少し面白そうに言うと、少女は彼を睨みつけた。
「冗談言ってる場合じゃないです! あんな倒れ方して、ただ寝てたわけがないじゃないですか! ストレアさんも意味不明なこと言ってますし、ああもう、一体どうしたら!」
「……マルバ、お前二年前に怪我して以来喋れなかったはずじゃ……?」
「本当に何を言ってるんだい、ミドリ」
 ミドリは頭を振った。なんとなく事の全貌が見え始めたが、確信が欲しくて更に尋ねる。
「……おい、今年は2069年だよな?」
「なにそのでたらめな数字。2025だよ、2025年」
 ミドリはしばし考え、そして高笑いを始めた。
「あはっ、あはははははは!!」
「ちょっ、いきなり大声で笑わないでくださいよ、なんなんですか!」
「いやっ、これが笑わずにいられるかよ! だって、あんなおっそろしいゲームエンドが――」
 ――ただの夢だったなんて。それを確信すると、あまりの安堵感に涙が出てきた。
「笑ったり泣いたり、忙しい人だね。そろそろどういうことだか教えてくれないかな」
 マルバが呆れ返って言ったが、ミドリはそんな彼には構わず泣きながら笑い続けた。 
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