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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十四章 水都市の聖女
  第四話 理想の王

 
前書き
 遅くなってしまいすみません。

 m(._.)m 

 
 人、人、人人人人人人人人人人人人……人の群れ―――の中に時折牛やら羊やら家畜の姿。
 血管のように水路が巡るアクイレイアは、移動手段として船が使えるため交通には便利であるが、その代わり都市としては土地が水路に削られ窮屈になっていまっている。そんな場所に、ハルケギニア中から人が集まって来ていた。 
 即位三周年記念式典が始まったのだ。老若男女なくハルケギニア中からブリミル教の信者たちが一斉に押し寄せていた。その中には運良く祝福を受けられるのではと、付加価値を付けるためか家から家畜を持ってくる豪の者が幾人か見かけられた。
 既にアクイレイアの許容量を軽く超え、二、三人並んで歩くのが限界な細い道に信者たちがぎっしりと詰まっている様子が、街中で頻繁に見かけられた。そんな中、特に人口密度が酷かったのが、教皇が巫女を従え祈りを捧げている聖ルティア聖堂の周囲であった。一般の者は聖堂の中へと入る事は許可されていない。そのため、聖堂の周囲の人口密度は現在のアクイレイアの中で最高であった。
 聖堂周辺は、さながらすし詰めならぬ押し詰め状態。
 身体の弱い者や小さな子供ならば、押しつぶされる危険を感じられる程であった。
 ブリミル教徒の目的は、教皇の姿を一目見ることだ。しかし、聖堂の一番前にいる者はともかく、後ろにいる者たちの中には、聖堂の屋根すら見えていない者たちが大勢いるのだ。少しでも前へ行こうとし、結果として群衆は前へと出る。そんな前へと出る群衆が聖堂の中へ入らないように守る者たちがいた。
 青地に白百合と聖具の紋が刻まれたサーコートを身に着けるギーシュたち水精霊騎士隊である。
 彼らは奮闘していた。
 現在は午前十一時過ぎ。
 彼らが警備を始めてから約六時間。
 限界が近づいていた。
 早朝の午前五時から祈りを捧げる教皇と共に警備を開始し、今まで唯の一人も聖堂への侵入を許していなかった。一目教皇を見ようと少しでも前へと出ようとする民衆を、時に口で諌め、時に実力で鎮圧し、時に泣き落とし……。上手く捌いていた彼らであったが、しかし、毎日士郎にシゴかれ驚異的な体力を持つ彼らであっても、やはり、人数の差を埋めることは難しかった。
 なにせ水精霊騎士隊が四人に対し、相手は数千人以上だ。
 どうにかこうにか出来るわけがない。
 それどころか、たった四人で五時間も持たせていたこと自体が異常である。
 伊達に毎日士郎との訓練で死にかけているわけではないようだ。
 
「はいはいはいはいお爺さん。はいそこで止まって。これ以上は通行止めでね。それ以上前へ出られたらちょっと困った事になってしまうんだよ。え? どんな困った事になるのかだって? そりゃあれだ。うちの副隊長殿から後でお仕置きされてしまうのさ。ん? どんなお仕置きかだって? そうだね。この間のお仕置きなんだけど。あれは確か……ああ、そうそう、少し前に訓練の中休みに、うちの隊長がお菓子を持ってきたんだけど―――いやいや、うちの隊長の手作り。は? 女の隊長かだって? そりゃそうなら嬉しいんだけど。残念ながら男でね。で、丁度訓練が一段落してお腹が空いていた時間帯だったせいか、もう一瞬で全部食べてしまって。だけど隊長が持ってきたお菓子は五つあったんだよ。で、ほら、周り見て分かる通り自分も含めて四人しかいないだろ。ここには今いないんだけど、もう一人副隊長がいるんだよ。で、まあその場の勢いというか何と言うか飢餓状態だったからと言うか……つまり五つ目、副隊長の分のお菓子まで食べてしまったんだよ。その後、隊長からお菓子があると聞いてやって来た副隊長が、自分の分のお菓子を食べられたと知って―――……あわ、あわ、あわわわわわわわわ」

 突然震えだした警備の少年に、話を聞いていた周囲の者が心配気に声を掛ける。少年は周りから掛けられる安否の声に、粘ついた汗が流れる頬を引きつらせながらも笑みを返す。

「あ、ああ。大丈夫大丈夫。いや、あの時受けたお仕置きは何故か余り記憶になくてね。無理矢理思い出そうとするとさっきみたいになってしまうんだよ。微かに残る記憶には……剣と風と、後……竜」

 またもガクガクと震えだす少年の姿に、怯えが伝播したかのように周囲の平民たちが僅かに後ろに下がった。
 そんな奇妙な光景がチラホラと広がる中、数少ない人数で何とか警備を遂行している水精霊騎士隊が守る聖堂の中では、話の中で姿を見せていた件の副隊長を含む数人の女性たちが、聖堂内にある小さな部屋に集まって何やら話をしていた。
 数は六人。
 士郎と共にロマリアへとやって来た者の女性である。
 ロマリアに残っていたキュルケたちが、つい先程アクイレイアへと着いたのだ。コルベールは、ここアクイレイアへと来るために使ったオストラント号の点検を行っているため、現在は不在であった。
 狭い一室で円を描くような形で向かい合っている六人は、全員揃って押し黙っている。顔を伏せ、目も合わせていない。空気が鈍感な者でも分かる程ピリピリと張り詰めていた。
 何故? 
 理由は簡単だ。
 それは―――

「つまり―――結局手がかりはなしと言うことね」
「……ええ、残念ながら。ロマリアにはシロウはいないし、ロマリアからも出ていないみたいよ。とは言え、流石に絶対とは言えないけど……ほら、あの馬鹿でかい聖堂ならどこへでも隠す事は可能でしょう」
「いえ、あなたがシロウがロマリアにいないと判断したならば、本当にいないのでしょう」
「あらアルト? そんなに簡単に信用してくれるの?」
「ええ。あなたは信用に値する人物ですので」
「ありがと」

 互いに笑みを交わし合うと、部屋を漂っていた緊張感がほんの少し緩めいた。

「な、なら、やぱりシロウさんは魔法で何処かに……」

 おずおずとティファニアが顔を上げると、キュルケが顔を顰めた。

「問題は本当に戻ってくるのかって点ね」
「……返さない可能性」
「確かに、ないとは言い切れないわね」

 タバサに頷いて見せたキュルケは、チラリとトリステインの女王を見る。

「なにせ返さなければ一国の王さえ動かせるわけだし」
「―――キュルケ」

 ルイズの批難めいた口調に、キュルケはそっと顔を逸らした。

「別に馬鹿にしているわけじゃないわよ……でも、誤解させたなら謝るわ」
「いえ、気になさらないでください。あなたの気持ちも分かりますし。ですが、その心配は少ないと思いますわ」

 軽く笑みを口に浮かばせ、片手を顔の前で左右に二、三度振ったアンリエッタは、その細い顎先に指を立てて小さく顔を上げた。

「シロウさんなら、一人でに帰ってこられる可能性もありますから。人質が勝手に戻られるよりも、ちゃんと自分たちで返したほうが何かとマシでしょうから」
「……帰って来られないかもしれない」
「ま、その可能性もあるにはあるでしょうけど、その時はその時よ」

 タバサに肩を竦めて返すと、キュルケはルイズに顔を向けた。

「で、肝心のご主人様はどうなのよ? シロウはあなたの使い魔なんでしょ。なら、視覚のリンクとか出来ないの?」
「……残念ながら視覚の共有は、一回しか経験がないのよ。それもわたしじゃなくてシロウの方」
「はぁ、役に立たないわね」
「五月蝿いわね」
「―――はぁっ?」
「―――あんっ?」

 ルイズがキュルケが互いに睨み合い、剣呑な気配が辺りに漂う。そんな中、何事もないかのように何時もと変わらない涼やかな声が上がる。

「ガリアはどう?」
「今のところ動きはないようですが……それも今後どうなるかは分かりません」

 タバサの省略し過ぎる問いに答えたのは、この場で最もそういった情報に詳しい人物であるアンリエッタだった。アンリエッタは目を伏せて何か考える様子を見せた後、チラリとキュルケと額をゴンゴンとぶつけ合い唸り声を上げるルイズを見た。

「ですが、彼らの狙いがルイズ―――いえ、虚無ならば……忌々しい事ですが、あの男の言った通りになる可能性が高いと思います」
「……本当にガリアは攻めてくると」

 不安気な声を上げるティファニアに、アンリエッタは頷いてみせる。

「教皇はガリアとの国境に兵を集めているそうです。本人は警戒のためだと言ってはいましたが、もしかすると……何か手を売っている可能性もあります」
「手、とは?」
「戦争を起こすためのです」
「……何故、そう思うのですか」

 鋭いセイバーからの視線を受けると、アンリエッタは眉間に皺を寄せ苦々しい顔つきとなる。

「どうもわたくしには、あの教皇が戦争を望んでいるようにしか思えません。“聖地”奪還のため、虚無の使い手の力が必要だと言っておきながら、ガリアとの戦争を回避する様子が見られないのです。何故? 虚無の使い手は貴重な筈です。世界に四人しかいないと自分で口にしていたのに……。戦争となればそんな貴重な虚無の使い手が死ぬ可能性が高い。聖地奪還のために少しでも戦力が欲しい彼なら、そんな危険を冒したくないはずなのに……どうして?」
「世界に四人しかいないと言うこと自体が嘘という可能性は?」
「なくはないとは思いますが……可能性は低いかと」
「根拠は?」
「根拠としては薄いものですが、ハルケギニアにある最も古い歴史を持つ四つの国家から三人もの虚無の使い手が出ていますので……後は……」

 言いにくそうな顔で口元をもごもごさせるアンリエッタに、セイバーが怪訝そうな顔つきで問い掛ける。

「後は……何ですか?」
「その、何と言うか……女の勘、でしょうか?」
「―――それは……外れにくそうですね」

 セイバーが浮かべた苦笑に、アンリエッタも困ったような顔を向けて頷いた。

「ですが、本当にそう思うのです……」
「しかし、虚無の使い手が四人しかいないとなると、ますます疑問に思いますね。そんな貴重な使い手がいなくなる可能性があると知りながら、何故戦争を回避しようとしないのか……」
「……残念ながら答えを出すには情報が足りなさすぎます。答えを得ることは現時点では不可能でしょう。なら、今考えることは今後の行動についてです。つまり、戦争が起きた際、どうするのか?」

 ぐるりと周囲を見渡すアンリエッタ。視界の端ではキュルケとルイズが互いの襟首をつかみ合ってにらみ合っていた。そんな二人からそっと視線を外したアンリエッタにタバサが声を向けた。

「戦争は決定事項?」
「八割は」
「それも勘?」
「八割は」
「そう……的中率は?」
「……多分、八割です」

 顔を背けながら答えたアンリエッタにこくりと小さく頷いてみせたタバサは、チラリとセイバーに視線を向ける。

「あなたは?」
「来るでしょう」
「女の勘?」
「い―――」

 感情の見えないタバサの顔の中に、ほんの微かに期待のようなものを感じたセイバーは、何処か困ったような苦笑いを浮かべる横に振ろうとした顔を小さく縦に動かした。

「―――え、ええ」
「……そう」

 アンリエッタの時と同じくこくりと頭を上下に動かすが、何処となく満足気な雰囲気を醸し出しながらタバサは続けて問いた。

「的中率は?」
「え? あ、そ、そうですね。こういった事では外れた事はありません……残念ながら」
「そう」

 タバサはチラリとキュルケと互いの頬を引っ張り合っているルイズを見た後、アンリエッタに顔を向けた。

「戦争が起きたら、わたしたちはどうなるの?」
「可能性が一番高いのは、教皇の指揮の下につくのが一番高いかと思われます」
「そうですね」

 セイバーが頷く。

「ええ、シロウさんが人質として捕らわれている今、わたくしたちはどんな要求にも抵抗出来ないでしょう。ですから、実際に戦争が起きれば、あなたたちは最前線に出される可能性がありますが……」

 そこまで言って、アンリエッタはキュルケとのいささかいで体力を消耗したのか、膝に手を当て激しく肩を上下させながら息をするルイズに声を向けた。

「そこのところちゃんと分かっていますか?」
「分かってます―――勿論」

 顔を上げたルイズは、汗で額に張り付いた髪の毛を掴みあげながらニコリとした笑みをアンリエッタに向けた。笑の形を描いてはいるが、決して笑ってはいない目を。

「幸いなことに―――(怒りの感情)の用意は十分よ」
「それは―――安心ですね」

 一般人―――否、兵士であっても尻込みしそうな眼光を向けられたアンリエッタであったが、ふっと小さな笑みを返すだけで特別なリアクションを見せることはなかった。ただ、納得したかのような満足気な様子で頷くだけ。

「自分の使い魔を取り戻さなければいけませんから。ご主人さまであるわたしがちゃんとしないと」
「ふふ。そうですね」
「ええ。そうなんです」

 『ふふふ……』と互いに笑いあう二人。その様子を隣で見ていたキュルケは、ルイズに引っ張られ痛む頬を撫でながら口を開いた。

「そう言えば、陛下はどうするおつもりなんですか?」
「―――え?」

 問いに、アンリエッタはルイズからキュルケに顔を向けると疑問符を浮かべた。

「……陛下は地位も立場も何もかもあたしたちとは違います。これから起きるだろう戦争に陛下が関わるとするのなら、それはもはや一個人の問題ではありません。トリステインがこの戦争に関わるということです。あたしたちだけならば、言い訳は出来ますが、陛下の場合はそれも難しいかと……」
「……それ……は……」
「―――キュルケ」
「何よ」

 アンリエッタが口を硬く結び身体を縮め、ルイズが厳しい口調でキュルケの名を呼ぶ。名を呼ばれたキュルケは、険しい目でルイズを睨みつけた。

「言葉が過ぎるわよ」
「……ええ。確かにそうね。陛下、失礼しました」
「―――いいえ、構いません……その通りですから」

 アンリエッタの伏せた顔に前髪が掛かり、その奥がどうなっているのか伺い知る事は出来ない。が、遮られたその奥から聞こえれくる声は、僅かに震えていた。ルイズとキュルケは目を合わせ、僅かに逡巡を見せた後、結局口を開くことはなかった。
 その様子を、セイバーは何も語らずただじっと見つめていた。
 
「あ、あの……」
「え? どうかしたティファ?」
「い、いえ、その……もうそろそろお昼なので、教皇さまのお祈りも終わる頃じゃないかな……と」
「「「―――あ」」」

 ティファニアの言葉に、互いに顔を見合わせたルイズたちは一斉に声を上げた。
 
「はあ面倒ね。じゃ、わたしとティファはちょっと行ってくるわ」
「大変ね巫女様は」

 キュルケが巫女服姿のティファニアとルイズを見てニヤリとした笑みを浮かべると、ルイズはそれに鼻を鳴らして応える。

「……お腹減った」
「ちょっとタバサそんなとこに座らない。っと、そう言えばあたしたちのお昼はどうなってるの?」
「確か、この隣の部屋に用意すると聞いていますが」
「みたいよ。ほら、タバサ行きましょ」

 お腹が減りすぎたのか、床の上に座り込んでしまったタバサを引きずりながらキュルケが部屋を出て行き。その後をルイズがティファニアを連れて部屋を後にする。
 残ったのは二人。
 アンリエッタ―――そしてセイバーの二人だ。
 ルイズたちが部屋を出ていくのを確認すると、セイバーはアンリエッタに顔を向け小さく頭を下げた。

「それでは、私も―――」

 顔を上げたセイバーが部屋を辞そうとアンリエッタに背中を向け、

「―――待ってください」

 呼び止められた。
 
「何か?」
「……少し、お話したい事が……」
「話、ですか?」
「……話、というよりも……その、相談と言いましょうか」
「相談、ですか? 私に?」

 肩ごしに振り返っていたセイバーが、言いよどむアンリエッタの様子を見て身体ごと振り返る。

「何を聞きたいのですか?」
「……それは」
「…………」

 セイバーはじっとアンリエッタの言葉を待つ。ゆらゆらとアンリエッタの視線が迷うように揺れ……ピタリと止まる。

「―――わたくしは……王失格なのでしょうか」
「……王、失格ですか?」

 予想外の言葉だったのか、セイバーが一瞬キョトンとした表情を見せる。
 アンリエッタは怯えるように顔を背けているためかセイバーの様子に気付かず、弱々しい声を上げた。

「はい……先程『どうするのか』と聞かれた時、わたくしは一瞬何を聞かれたのか全く分からなかったのです」
「分からなかった? 何が、ですか?」
「……何故、そんな事を聞かれるのかが、です」

 ゆっくりとセイバーに向き直ると、アンリエッタはくっ、と一瞬口を噛み締める。

「本当に分からなかったのです……あの時、わたくしはシロウさんの事ばかり考えて……自分が一国の王だと言う事さえ忘れていました。自分の行動が一体どれだけ周囲に影響を与えるのかさえ……忘れて」
「……」
「分かっていたはずなのに、知っていたはずなのに……自分の浅はかな行動で、一体どれだけの人に悲しみを、苦しみを与えるのか……」

 胸に当てた手をぐっと握り締める。

「なのに……変わっていない。あの頃のまま……」

 アンリエッタの脳裏に去来するのは過去の記憶(後悔)
 復讐のため兵を上げ、結果多くの悲しみと苦しみだけを残すだけとなった記憶(自分の罪)

「自分の感情に振り回されて、一体どれだけの人が死んでしまったのか……分かっていたはずなのに……」

 小刻みに身体を震わせるアンリエッタは、じっと黙って話しを聞いていたセイバーに揺れる瞳を向けた。
 今にも泣きそうな、笑っているようにも、苦しんでいるようにも見える奇妙な苦笑いが、アンリエッタの口元に浮かぶ。

「こんな自分が、人の上に……王であることは……間違っているのではと……」
「それは違う」
「え?」

 自己嫌悪に塗られた言葉を、涼やかな声が切り裂く。頬を張られたかのように、アンリエッタが目を見開きセイバーを見る。

「ち、違う、とは?」
「それを判断するのはあなたではない」

 首を横に振るセイバーにアンリエッタが一歩にじり寄る。

「わたくしでは、ない? ……な、なら、大臣なのでしょうか」
「いいえ」
「あっ、民衆ですか?」
「違います」
「じゃ、じゃあ―――」
「アンリエッタ」
「っ」

 声を上げる度に一歩一歩前へ、セイバーに近づいていたアンリエッタの足がピタリと止まる。セイバーの、波一つない湖面のような―――それでいて底知れない深い瞳に見つめられ、知らず胸が騒めく。

「“王”を否定する事が出来るのは、臣下でも民でもありません。まして学者や占い師であるはずもない」
「なら、何なのですか。一体誰が、それ(否定)が出来るのですか?」
「―――未来」
「え?」

 それはアンリエッタの想像していたモノとは全く違った答えであった。
 あやふやであり、明確な形ではないその答えに、アンリエッタは顔には出さなかったが、小さな不満を抱く。

「“今”が“過去”となり、“歴史”となった後、遥か遠い“未来”の誰かが決めることです」
「未来、ですか」
「はい。全てが終わり。何もかもが過ぎ去った後、未来の誰かがそれ(間違っていたかどうか)を決めることでしょう」

 答えの先送り―――それは楽であり救いでもある。
 しかし、それは出来ない。
 したくはない。
 だから、アンリエッタは疲れた笑みを浮かべ、苦い声で告げた。
 自分が未来の誰かにどう語られるのかを。
 そう、きっと自分は―――。

「……なら、きっとわたくしは稀代の暗君として語られるでしょうね」
「かもしれません」
「酷い人ですね。否定してくださらないのですか?」

 少し不満気な、困ったような顔で笑いながら冗談交じりの口調でアンリエッタはセイバーを責める。しかし、セイバーはそれに笑みを返すのでもなく、怒るのでもなく、ただ、静かな顔と口調で諭すようにアンリエッタに伝える。

「その可能性は誰にも否定は出来ません。愚王として歴史に語られる事は有りうるでしょう」
「そう、ですか」

 『もしも』の話。
 だが、セイバーがそれを口にした時、何故かアンリエッタには思った以上のダメージを心に受けた。肩を落とし、落ち込んだかのように僅かに目線を下ろす。そんなアンリエッタに、セイバーは変わらない涼やかな声で告げた。

「―――逆に、名君として語られる事もあります」
「え?」

 有り得ない言葉を耳にしたアンリエッタが、戸惑った声を上げると、セイバーは小さく肩を竦めて口元にだけに浮かぶ小さな笑みを形作った。

「何をそんなに驚いているのですか? あなたが愚王と呼ばれることも、名君と呼ばれることも否定することは誰にも出来ません。未来のことなど誰にも分からないのですから」
「で、ですが」
「愚王と呼ばれていた者が、何十年、何百年経てば、名君だったと変わる事もあります。未来に自分がどう呼ばれるようになるか等、誰にも知ることなど出来はしません」
「それは……しかし―――」

 逡巡するように視線をあちらこちらに飛ばしていたアンリエッタだが、何かを心に決めたのか顔を上げ反論しようと口を開くが、

「―――何せ、国を滅ぼしてしまった王でさえ、名君と呼ばれる事もあるのですから」

 虚空を見上げ、セイバーが何かをポツリと口の中で呟いた、深く、暗い自嘲めいた声の欠片を耳にし、戸惑った声を上げた。

「アルトリア、さん?」
「……いえ、何でもありません」

 アンリエッタの呼びかけに、セイバーはほんの微か、僅かに顎を動かしただけで応えた。弱々しい、見た目通りの華奢な少女の姿に、アンリエッタは続ける筈だった言葉を飲み込んだ。

「……そう言われますが、分かっているにも関わらず、変わらず自分の感情も制御できないわたくしは……やはり、『王の器』等ではなかったのでしょう」
「―――“王の器”ですか」

 肩を落とし、ため息と共に吐き出したアンリエッタの言葉を耳にしたセイバーが、何処か遠い何かを見つめるように目を細める。

「はい。わたくしが王になると決めたのも、突き詰めて言ってしまえば子供の我儘のようなものでした。そんなわたくしに、“王の器”等在ろうはずもありえません」
「……アンリエッタ、あなたは何を持って“王の器”と言うのですか?」
「え?」

 今までのような穏やかとも言える口調ではなく、何処か責めるような言葉に、アンリエッタは思わず驚き顔を上げると、じっと自分を見つめるセイバーと視線がぶつかった。

「そ、それは……」

 アンリエッタの返事を待つように、無言で見つめてくるセイバー。アンリエッタは何かを言わなければと焦燥に襲われるが、何度となく開かれた口からは結局言葉は形となることなく脆く空気に溶け崩れていく。呼吸が出来ないかのように、苦しげに顔を歪め何度となく口を開き閉じる。そんな様子を揺るがない瞳でアンリエッタを見ていたセイバーは、不意に顔を逸らすと何もない空間へ向け問いを投げ掛けた。

「正しき統治と正しき治世を行う正しき王……そんな王がいるとすれば、あなたはどう思いますか?」
「それは……素晴らしい事だと思います。きっと、それは理想の王です。そう……わたくしとは違う……わたくしが目指すべき理想の王で、そんな人こそ、“王の器”の持ち主なのでしょう」
「そう、ですか……」

 唐突な問いに、アンリエッタは内心首を傾げながらも応えを返す。 
 先程のような答えが影も形も浮かばないような問いではない。
 yesかnoのどちらかが答えであり。
 そしてその答えは明らかである。
 
 ―――少なくともアンリエッタには。

 戸惑いながらもハッキリと答えたアンリエッタを顔を動かさず視線だけで見たセイバーは、ふぅ、と小さく息を吐くと気持ちを切り替えるかのように一度目を閉じ、開いて―――口を開いた。
 そして、


 
「―――一つ、昔話をしましょう」



 物語が語られる。 



「……ぁ」


 セイバーの柔らかな唇から溢れる言葉。


「“騎士の王”と詠われた王の話。滅びゆく故国を、民を救うために王となった者の物語です」


 一瞬、揺らめいたように感じた。


「アルトリア、さん?」
「……昔、とある国に“騎士王”と詠われる王がいた。滅び行く国を、民を救うために剣を取り、騎士を率いて数多の戦場を駆け抜けた王。しかし、内乱に侵略者……滅びの淵にあった故国を救うことは、唯のヒトでは叶わない望みであった―――だから、王はヒトを捨てた」
「人を、捨てた?」

 不吉な言葉が聞き間違いではないかと、思わず聞き返す。自問のようなもので、答えを期待してはいなかったが、予想に反して返事はあった。

「……ほんの微かな迷いが、国を滅ぼす要因となる程の瀬戸際にあった故国を救うには、人としての感情は余りにも危険だったのです」
「―――ぇ」

 セイバーの口の端に浮かぶ、微かな苦しみが混じった笑みを見て―――アンリエッタは奇妙な既視感(デジャヴ)を得る。

「喜び、怒り、哀しみ、楽しみ……それは時として大きな力となりますが、しかし、決断を迷わせる弱さにも繋がります。だから、王は殺したのでしょう。国を、民を救うために自分の心を……そして、王は“理想の王”となった」
「理想の、王」

 『理想の王』
 素晴らしく、とても良い言葉だ。
 なのに、何故―――こうも寒気が感じられるのだろうか……。
 忌まわしい事のように、背筋に怖気が走るのだろうか……。

 何故?

 どうして?

 ……そんなのは分かりきっている。

「戦にあっては必ず勝利し、治世にあっては公正公明である王。民が、臣下が、誰もが望み、理想とする王」
「そんなの……」

 有り得ない。
 出来るはずがない。
 人間に、そんな事が出来るはずがない。
 不可能だからこそ、決して届かないからこその理想なのだから。
 目指すことは出来るだろう。
 近づくことは出来るだろう。
 しかし、至る事は不可能だ。
 何故ならば、戦であっても、治世であっても必ず何処かに犠牲が生まれる。
 常に最善の方法を取ったとしても、何処かに犠牲は生まれてしまう。
 一度ならば、二度ならば耐えられるだろう……しかし、何時かは限界が来る。
 迷いが生じてしまう。
 何故ならば、王であっても心があるからだ。
 心があれば、情がある。
 情があれば、迷ってしまう。
 例えば、千の顔も知らぬ民を救うため、苦楽を共にした友を死地へと送らなければならねばならぬ時。
 例えば、密やかな思い人がいる村が死病に侵されてしまい、封鎖し燃やし尽くさなければならぬ時。
 例えば……例えば……例えば…………。
 一秒でも判断が遅れれば、手遅れになってしまう。
 そんな時でさえ、迷わずに最善の策を取れる。

 もし、そんな王がいたとしたならば、それはヒトではない。

 でも―――だからこそ、そのために王は自分を殺したのだろう。

 民の、臣下の望む“理想の王”となるために。

 自分()―――を。
 

「っ」
「長く続く戦に疲弊しきった民草の救済のために、王は戦った。そして、内外の戦乱を駆け抜け、その全てに勝利し王は滅びの淵にあった故国を救い平和をもたらした」

 鋭い痛みが走った胸を抑え、口から漏れそうになった悲鳴を咬み殺す。
 その傍で、淡々と物語は続く。
 素晴らしい王の物語を。
 悲しい生贄の話を。

「しかし、その平和も長くは続かなかった。内乱が起こったのだ。あることが切っ掛けに、共に戦場を駆け抜け、硬い友誼を誓い合った騎士たちが二つに割れ。円卓の騎士と詠われた誉高き騎士たちが、争い、傷つき、そして死んでいった」
「……」

 ずきずきと痛む胸を抑えながら、滲む視界の中、金の語り手を見つめる。
 遠い、遠い手の届かなくなった彼方を思うように、細めた瞳で物語を語っていた語り部が顔をこちらに向け。

「国を救った王が……結局は国を滅ぼす要因となったのです……」
「そんな」

 なんて―――救いようのない。 

「滅びた故国を前に、王は願った。故郷の救済を。そんな時、王は知ることになる」

 それは、希望か絶望か。

「あらゆる望みが叶うという“万能の杯”の事を―――手にした者の望みが全て叶う“万能の願望機”の事を」
「万能の願望機?」

 言葉の意味は何となく分かるが、それが一体どんなものなのか想像出来ず、問いかけるように口にしてしまう。

「“万能の杯”―――聖杯。それを手に入れ、滅びの運命から故郷を救うために、王は戦いに身を投じた。“聖杯”を巡った争い―――“聖杯戦争”と呼ばれる戦に」
「聖杯、戦争」

 何処かで聞いた言葉を耳にし、何処で聞いたかを思い出そうと目を細め、

「聖杯を手にせんと揃った者たちは、何れも劣らぬ猛者たちであった。気を抜けば死は免れない。そんな争いの最中、とある者が酒宴を開いた」
「え? しゅ、酒宴?」

 話の流れ的に有り得ない単語が聞こえ思わずハッキリと問いかけてしまうが、物語は途切れず続く。

「誰が聖杯を手にするに相応しいかを問うための酒宴です。その酒宴には、三人の王が参加しました。酒宴を開いた世界中を駆け巡り多くの国を征服した“征服王”。世界のあらゆる財宝を、欲望を己がうちに収めた“英雄王”。そして……滅んだ故国を救わんとする“騎士王”。三人の王は各々が聖杯に掛ける望みと正当性を説いた。“英雄王”は、望みはないが、聖杯は自分の宝物庫から盗まれたものであるが故に取り戻すと。“征服王”は世界を駆け、全てを征服するために身体を蝕む病の快癒を望んだ。例え聖杯が他に正当な所有権を持つ者がいたとしても、奪い、侵すのが己の王道である『征服』だと宣言して」
「それは、また随分と我の強い人たちですね」

 まるで子供のような二人の王さまの話に、アンリエッタは羨ましげに目を細め笑みを浮かべた。

「我が強いで済ませられるような奴らではなかったですが」
「ぇ?」
「いえ。何でもありません」

 ハッキリと返事が返って来て漏れ出た声に対しセイバーが首を振り応える。

「そして、最後に騎士王が己の望みを口にした。滅んだ故郷の救済を、万能の願望機を持って故国を滅びの運命から救い出したいと」

 口を閉じたセイバーは体ごとアンリエッタに向ける。

「―――アンリエッタ」
「え?」
「その望みを聞いて、二人の王はどうしたと思いますか?」
「それは……感動した、とかでしょうか?」
「………………」

 セイバーからの唐突な問いかけに対し、疑問の声を上げることなくアンリエッタは素直に顎に指を添えて考え込むと首を傾げながら自分なりの答えを口にする。
 しかし、アンリエッタの答えに対し返ってきたのは正誤の判定ではなく、目を見開き驚きを露わにするセイバーの姿だった。
 
「あ、アルトリアさん?」
「す、すみません……その、少し想像の外の言葉でしたので……」

 どうかしたのかとの声掛けに、セイバーは慌てながらも首を横に振りながら息を整えた。
 セイバーが落ち着くのを確認すると、アンリエッタは自分の答えが何が変だったのか考え込みながら答えを尋ねる。

「そんなに変でしょうか? では、どうなったのですか?」
「否定、です」
「―――え?」

 今度は自分の方が驚きを示した。
 驚き固まっているアンリエッタに、セイバーは淡々と答えを教える。 

「哂われ、憐れまれ……騎士王の願いは否定されました」
「ど、どういう事ですか? 何故、そんな……」
「より正確に言えば、願い―――国を救いたいという望みだけでなく。“王”としても、騎士王は否定されたのです」
「なっ―――どう、して」

 アンリエッタには分からなかった。
 何故?
 どうして?
 確かに心を殺して国の身命を捧げる行いはそら恐ろしささえ感じられる程であるが、その全ては国とそこに住まう者たちを思ってのこと。
 常人では量りきれないほどの気高さ、優しさ。
 なのに、何故?
 どうして二人の王は望みを、それだけでなくその気高い魂すら否定したのか?
 アンリエッタは疑問に満ちた眼差しを向け。視線の先にいるセイバーの目に、一瞬鋭い光が過ぎったのをアンリエッタは見た。

「先程、あなたは正しき王が“王の器”を持つ者だと言いましたが、今でも本当にそう思っていますか?」
「―――っ、ぁ」

 セイバーは一歩も動いていない。
 しかし、アンリエッタにはセイバーの姿が一瞬大きく見えたのか思わず背後に一歩逃げてしまう。
 後ろに一歩、しかし直ぐに前に出たアンリエッタに、セイバーの責めるような問いが向けられる。

「臣下が、民が理想とする正しき王……確かに、それだけ聞けば、とても美しいものです。しかし、それはヒトの生き方ではありません。私心を殺し、ただ正しさだけに従い理想に殉ずる……そんなものはヒトではなく、国を動かす為の部品でしかない。正しさに従い理想に殉ずる―――それが、そんなモノが“王の器”だと、自らが目指すべき王だと……あなたは本当に思いますか?」
「わた、わたくしは―――っ」

 反射的に言い返そうとするが、返せる言葉がない。
  
「『王とは、清濁含めヒトの臨界を極めたるもの』」
「え?」
「理想に殉じてこその王だと言う騎士王に対し、征服王が口にしたものです」
「清濁含め……ひとの臨界を極めたるもの……?」
「全て欲望のまま振舞えと言うことです。己が望むままに、笑い、怒り、哀しみ、楽しむ……」
「それは―――」

 ―――余りにも違いすぎる。

 我の強い王様だと自分で口にしたが、それは全く間違っていなかったようだ。
 騎士王(理想の王)とは真逆の王―――征服王。
 一体どんな人物だったのだろうかとアンリエッタが考え込んでいると。

「アンリエッタ」
「は、はいっ!」
「“王の器”とあなたは言いますが、あなたは具体的にそれが何なのか分かっているのですか?」
「っ、わかり、ません……いえ、分からなくなりました」



 自らの理想とする王。

 民が、臣下が望む王。

 それは、一体何なのか?

 戦では必ず勝利し。

 治世では公正公明。

 非の打ち所のない―――誰もが望む王。

 それの―――なんと冷たく悲しいことか……。

 本当に、それは理想なのだろうか?

 そうであることが、正しいことなのだろうか?

 そんなものが、素晴らしいものなのだろうか?

 何かが、欠けているのではないだろうか?

 確かに人は、正しいものを求める。

 素晴らしいもの、美しいもの、良きものを……。
 
 世界を照らす太陽。

 子を抱く親。

 愛を囁く恋人。

 ……でも、それは正しいから、美しいから、良きものだから惹かれるのだろうか?

 違う。

 きっと、そうじゃない。

 わたくしがウェールズさまに惹かれたのは、彼が美しかったからじゃない。

 シロウさんに惹かれたのは、彼に救われたからじゃない。

 そうだ。

 違う。

 あの人は―――暖かかった。

 冷たく、凍えそうだったわたくしを、あの人は暖めてくれた。
 
 言葉で、行動で、優しく、包み込むように。

 だから、わたくしは惹かれたのだ。

 どれだけ綺麗でも、どんなに正しくても駄目だった。

 美しいものには感嘆の声を上げるだろう。

 正しいものには従うだろう。

 しかし、そこにぬくもりがなければ、人は受け入れることは出来ない。

 そして、ぬくもりは、きっとヒトにしか抱くことは出来ない。
 
 何故ならば、それ(ぬくもり)はきっと、ヒトの心から生まれるものだから。
 
 

「―――王とは孤高なるや否や」
「え?」

 何かが掴めそうになった時、セイバーの声がアンリエッタの意識を引き上げた。
 思考に没頭し過ぎていたため周りの状況が掴めずぼうっとするアンリエッタに構わず、セイバーは問う。

「アンリエッタ。あなたは王とは孤高だと思いますか? 違うと思いますか?」
「王が、孤高か否か……それは―――」

 アンリエッタのぼんやりとしていた視点が定まり。
 セイバーの姿をハッキリと映した。
 答えは既にある。
 あの時、心に決めていた。
 例え今、何かが分かったとしても。
 自分は既に選んだのだ。
 だから、答えは決まっている。

「……孤高であるしかない」
「それを決めるのはあなたです」

 怒られるかと思いながら口にした言葉に、セイバーは悪いとも良いとも言わなかった。
 ただ、アンリエッタの目を真っ直ぐに見つめるだけ。
 その目には、悲しみも怒りも感じられず、ただ美しい。
 一瞬状況も忘れ吸い込まれそうなほど美しい瞳に魅入られたアンリエッタの意識を戻したのも、またセイバーの声であった。

「トリステイン王国女王アンリエッタ・ド・トリステイン。最後に、一つだけ質問です」
「―――っ。はい、何でしょうか」

 改めるようにしてアンリエッタに向き直ったセイバーが、厳かとも言える口調で質問をする。
 何を聞かれるかと緊張するアンリエッタに、セイバーは短い問いを口にした。

「あなたの“望み”は何ですか」
「それは―――、それ、は……」

 迷うように言いよどむアンリエッタ。
 だがそれは、答えが分からず悩んでいるからではない。
 答えはハッキリとしていた。
 もう、大分前からアンリエッタの中では決まっていた。
 そう、望んでいた。
 一国の王としてあまりにも非常識に過ぎた望み。
 だから、言い淀む。

「―――国を、民を……いいえ、違います、ね……」

 自分の心を偽り間違った事を口にし―――直前に否定する。
 何故?
 当たり前だ。
 失礼に過ぎる。
 彼女(・・)を前にして、それは認められない。 
 だから、自嘲の笑いと共に顔を上げる。
 前を見る。
 
「ふふ……本当に浅ましい……」

 アルトリア・ペンドラゴンを見る。 
 
「アルトリアさん」
「はい」

 凛々しい顔で、彼女は頷く、
 わたくしの答えを待つ。
 だから、偽りなく自らの本心を伝える。
 例えそれが、王として失格な答えであっても。
 彼女には偽りたくないから。

「わたくしは―――わたくしの望みは、一つだけです」
「それは?」
「笑って欲しい」
「?」
「同じです」

 戸惑い首を傾げるセイバーに、アンリエッタは笑って続ける。

「シロウさんと同じ……わたくしの望みはたった一つ―――笑って欲しい」

 彼を思い、想い、願い―――アンリエッタは自らの胸から溢れ出しそうな心を包み込むように自分の身体を抱きしめた。

「一つ違うところは、ほかの誰でもなく。わたくしはシロウさんに笑って欲しい」

 満面の笑みで。

 童女の笑みで。

 女の笑みで。

 母の笑みで。

 輝かんばかりに笑って、誇らしげに口にする。

 自らの心が望む願いを。 

 満開に咲く花のように笑って。

「それが、わたくしの願いです」
「そう、ですか」
「はい。こんな願いを抱くわたくしは、きっと王失格ですね。誰も認めてくれようはずがありませんから」

 満足気に頷きながらも、口元に苦笑を浮かべ首を横に振ったアンリエッタに、セイバーも笑みを返す。
 それは困ったような笑みではなく。
 何処か、とても愛おしいものを見るような微笑みで。

「そう、思いますか?」
「っふふ。アルトリアさんはこんな事を望む王様を敬う人がいると思いますか?」

 セイバーが浮かべる笑みを見て、何だか恥ずかしくなってきたアンリエッタが顔を背ける。

「さあ? それは私には分かりません。ですが―――」
「え?」

 何時の間にか目の前に立っていたセイバーが手を伸ばし、アンリエッタの頬を撫でた。
 冷たい、白く細い手のひらが、包み込むように頬に触れ、撫でるように滑る。

「今のあなたはとても魅力的です。そんなあなたに惹かれる人はきっと多い。だから、あなたは孤高とはならない―――いいえ、なれないでしょう。それに―――」


 暖かな陽気に誘われ、花の蕾が綻ぶように。


「―――っ」



 驚き固まるアンリエッタの目の前で―――花が、咲いた。



「何故なら、どんなに孤高であろうとしても、それを許してくれない人がいますから」



 一輪の、黄金に輝く花が、芳しき香りと共に。



「あなたが笑顔を望む相手も、きっとあなたの笑顔を望むのですから」



 
 恋する乙女のように、柔らかく暖かに―――満開に花開く。

 






 
 

 
後書き
 感想ご指摘お待ちしております。

 次回は再び士郎。

 次回で幾つかの謎が解ける予定です。 
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