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クルスニク・オーケストラ

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第八楽章 エージェントの心構え
  8-2小節

 短いブラックアウトを経て、ルドガーたちはチャージブル大通りに立っていた。正史世界に帰って来たのだ。

 ルドガーはこっそりジゼルを窺う。後ろ向きの彼女の、少しだけ見える横顔には、憐れみにも悼みにも似た痛痒が――

「ルドガー」
「……はい」

 つい直立して呼びかけに答えるルドガー。

「わたくしが分史のエリーゼ様にした仕打ち、貴方はどう感じました?」
「どう、って」

 エルと同年代の女の子、しかも知り合いを、嬲るも同然に傷つけて追い回すあの所業。
 まるで、狩りだった。
 《エリーゼ》の悲鳴も泣き顔も懇願も、こびりついて離れない。
 これから本物のエリーゼに会う時にどんな顔をすればいいのか。胸がひたすら暗く、重い。

「正直、気分が悪い。分史だって分かってても、エリーゼ本人にひどいことしたみたいで――当分忘れられそうにない」
「それです!」

 ビシ! ジゼルがふり返り、人差し指をルドガーに突きつけてきた。

「貴方は今『忘れられそうにない』と言いましたね。何故ですか?」
「だから、気分が悪くて」
「何故気分が悪いのです?」
「エリーゼとリインをあんなふうに傷つけたから……」
「あのエリーゼ・ルタスとリイン・ロンダウは、分史世界のエリーゼ・ルタスとリイン・ロンダウです。いわば可能性が実体を得た蜃気楼です。それでもルドガーの気分は悪いままですか?」
「……悪い。ものすごく悪い。ごっちゃにしてるわけじゃないけど、心がダメージを受けるのは止められない」

 答えに自信はなかったのだが、ジゼルは満足そうに肯いた。

「そうです。自分がしたことでも他人がしたことでも、辛いこと、悲しいこと、痛ましいこと、傷つけることは、良識のある人間であれば心苦しく感じます。そして相手がどんな存在であれ、わたくしたちの目と耳は騙されます。人間の脳はそういう仕組みだからしかたありません。そして、わたくしはそれこそが、エージェントに最も大切なモノだと思ってますの」
「えっと…気分が悪くなることが?」
「忘れられないことが、ですわ」

 いつかの仕事を思い出しているのか、ジゼルは少し遠い目をして語り始めた。

「例え消えて無くなる人々であっても、これから壊す世界であっても、わたくしたちが覚えていればなかったことにはなりませんわ。少なくともわたくしは、わたくしが分史世界の人々にした所業を忘れられません。今ルドガーが、《エリーゼ》と《リイン》にわたくしがした仕打ちを『忘れられそうにない』と感じるのと同じで。わたくしも《エリーゼ》と《リイン》への所業を死ぬまで忘れないでしょう。そして、思い出すたびに、自分を責めます。もっと優しい道はなかったのかと」

 自分で言っては世話がないはずの言葉を、ジゼルは自然に発す。そこには長年エージェントをしてきたゆえの説得力がある。

「ですから、わたくしたち分史対策エージェントは、分史世界の存在の尊厳を認め、誠実に接しなければいけませんの。他でもないわたくしたちの記憶が、わたくしたちを押し潰さないように。忘れられず、覚えている記憶たちが、心を苛まないように。――お分かり?」
「……たとえ世界ごと壊しても、その世界での自分の行いはなかったことにできない。俺が覚えてて、忘れない限り、なくならない。――胸に刻みます」
「よろしい。今日は帰って休みなさい。報告はわたくしがしておきます」
「え? でもジゼル、さっき、《レコード》吸収して」
「このくらい慣れっこですわ。先輩の言うことが聞けないんですの?」

 ルドガーは逡巡したが、帰ることにした。分史とはいえエリーゼをいたぶったジゼルと、エルを同じ場にいさせるのは酷だと考えたからだ。

 ルドガーはジゼルに一礼して、エルを連れて歩き出した。 
 

 
後書き
 ちょっと強引だったカナ? 
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