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或る短かな後日談

作者:石竹
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後日談の幕開け
  二 悪意


 物の無い部屋。床に積もった埃に、二人分の足跡。私の手では。まだ、この爪、肉を引き裂く刃の扱い、慣れない内は彼女を抱き上げることさえ出来ず。光が消えると共に眠りについた彼女をソロリティが背負い、動きを止めたあの肉塊から離れ。残った小さなアンデッド達を出来うる限り私が潰して。床に座るソロリティと、その膝の上。頭を乗せて眠るアリスの姿をぼうと見詰めて。
 あの力は。私には理解出来なかったあの力は、一体何だったのか。彼女の発した緑色の光。触れることなく物を浮遊させ、握りつぶし、破壊する。あの力は何なのか、と。考えたところで、答えが見付かるはずもなく。只々、目覚めることも無く。瞳を閉じたままの彼女を、ソロリティと共に見詰める。
 
「ソロ……ソロリティ」

 彼女へと、声を投げる。静まり返った室内、声は反響し。アリスを無理に起こさぬようにと、囁くようにと声を落として。

「あの力は、何」

 彼女は。膝に乗せた彼女の頭を撫ぜて。

「……ESP、だったかしら」

 私の問い掛けに。私と同じく、囁くように。彼女の視線は。アリスの寝顔、何か、悪夢に(うな)されるよう。怖い夢に、何か、怖いものに。終われるように顔を歪める彼女へと。落としたまま、答えを返し。

「超能力って言った方が分かりやすい、かな」
「……超能力?」

 思わず、怪訝に。その返答に、また、疑問で返し。それでも彼女は、気分を害する様子も無く。肩を竦め、言葉を続ける。

「信じられないと思うし、私も信じ切れてないけれど。只、そういう技術がある、って、記憶はしてる。オカルトとか、そういうのではなくて。確たる技術としての超能力……」

 私は。生きてた頃、何をしていたのかしらね、と。自嘲気味に付け加えて。あんな怪物、ネクロマンシーで作られた……何処までも冒涜的な。あれを見、戦った後であれば。関する知識を持っていることに、不安を覚えても仕方が無いのだろう。
 しかし、今は。感傷に浸っている場合ではなく。

「現に見た、信じる他無い。それに、その知識も余計な混乱を招かずに済む。助かる」

 そして、その力を。有しているのは、他でもない私達の仲間。アリスであって。ならば、これからもあの力を目にする機会があるのだろう……無いに、越した事は無くとも。全くに理解が無いままより、そういう技術が存在するのだと。確信を得ている方が行動し易いだろう、と。

「……そう。こっちも、信じてくれて助かるわ。……それで」

 私へと向いた彼女の目線。私は、頷きで返し。アリスは未だ、眠ったまま。ただ、そのほうが良いのかもしれない。彼女は先程の怪物、あの異形の姿を見て、怯え――それは。端から見れば、気が触れてしまうのではないかと言うほどに。錯乱し、頭を抱え、逃げることさえ忘れて。

「私達を作った誰かは。相当、悪趣味で。性格も悪くて。倫理や道徳観にも欠けていて、人の苦しむ様を見て笑うような、そんな酷い人みたいね」
「……まだ、私達を作った人が嗾けたかは……」

 忌々しげに顔を歪めた彼女。初め見たときは、落ち着いていて、大人びた……私に銃を向けたのも、味方であれば寧ろ、心強いと言えるのだろうと。恐怖に負けず、私へと振り上げられたあの手を撃ち抜き、冷静に。一緒に戦ってくれた。彼女は。その、私たちを纏めてくれる冷静さを持つ割に。怒りを溜め込みやすい性質(たち)のようで。

「……この建物。私たちが調べた部屋は全部もぬけの殻でしょう。使われていないのは明らかで……もしかすると、アレごと捨てて何処かに移転したのかもね。その辺りは、知りようがないけれど」

 問題は、あの怪物が、どういう理由で彼処に居たのかではなく。何故、あの怪物に襲われるような場所に、私たちを配置したのか。彼女の言葉、苛立ちを隠そうとさえせず。それは、私たちを態々危険に晒した誰かへと向けた。

「これから、私は上の階へと行ってみるつもり。私たちを作った誰か……こんな目に合わせた誰かに、恨み言一つ言ってあげたいし」
「……私も、何時までも此処に留まりたくはない。けれど」

 アリスに目をやる。目を、やれば。ゆっくりと瞼を開き。目を覚まし、ぼんやりと宙を見上げる彼女。私の目線を追い、気付いたソロリティも、また。目を覚ました彼女の瞳、覗き込むように身を屈めて。

「おはよう。大丈夫かしら?」
「あ……おは、よう……あっ!」

 目を開き。飛び起きた彼女、ソロリティは身を引き。ぶつかりそうになったことに構いもせず、焦るように、不安げに。辺りを見渡し、私の目。私の視線と、視線を重ね。私の姿を、確認すると、今度は。振り向き、彼女を見。
 心底。安堵した、と、言った様子で。

「……二人、とも、大丈夫、だった……?」

 声は。段々、小さく。先の出来事、放った力。彼女の力は余りにも強大で。そのことを思い出したのか、口篭り。安堵も束の間、また、不安げに。私たちの顔色を窺うように、言う、彼女へ。

「二人とも平気よ。大きな怪我もしてない。……あなたのお陰よ。ありがとう」

 ソロリティは。笑みを浮かべて。その、言葉を聞き。彼女はまた、安堵。小さな笑みを零し。私へもまたその笑みを向けた彼女を見て。私も、自然、頬が綻び。私の笑みを見た彼女は、また。一層。
 あの、惨劇、異形と戦い、危険に晒され。今だって、これからどうするべきか分からず。何時また危険が迫るかも知れず。それでも、彼女のこの笑みは。私たちの心を解し。気が狂いそうなこの状況の中でも、狂気を遠ざけてくれる。

「……でも、あれ、なんだったんだろう……」

 笑みのある時間、ころころと変わる彼女の表情。心配そうに自分の小さな手を見て、握り、開き。目一杯に開いても。力を込めて握り締めても。あの、緑色の光は、一筋たりとて輝きはせず。只々、冷たい空気の中で、彼女が、至って真面目に、真剣そうに。握り、開きを繰り返すのみ。そんな姿もまた、この廃屋とは、狂気に溢れた時間の後とは思えないほど、不釣合いなほど、微笑ましくて。

「あまり、自由に使える力じゃないのかもね。使わなくて済むなら、そのほうがいいと思う」

 そんな彼女の頭に手をやり。髪を梳くように撫ぜるソロリティ。こうしてみると、姉妹のよう。髪の色が近いこともあるのだろう。彼女たちの髪色は、金。対する私の髪は、黒で。些細なこと、只の偶然。彼女達が人としての姿を保ち、私は一人、多くの変異、改造を受けてしまったこと。それも、あるのかもしれない。
 本の少し。小さな疎外感を憶え。そんな自分の思考が、本当に馬鹿馬鹿しい、と。
 思えども。彼女達のその姿は。姉妹のそれは。心から羨ましく――

「マト!」

 アリスの声。何を意味しているのかも分からない、短い言葉。私へと向けた。

「マト?」
「そう。名前、考えてって言ってたでしょう?」

 笑みを浮かべ。言う、彼女。由来は、ああ。オートマトンから。

「私のも考えてくれたのかしら?」

 ソロリティは、そんなアリスに微笑みながら。対するアリスも、また。私に向けたそれと同じ、笑みで。

「うん、リティって、どうかな? マトも、マトでよかった……?」

 少しだけ、心配そうに。けれど、それは。狂気と隣り合わせの。命の危機と隣り合わせのそれではない。その不安は、穏やかな。平穏な一時、その一欠片。微笑ましいほどに。暗い暗いこの世界、仄かに明るく照らすように。

「勿論。ありがとう、アリス」

 礼を述べ。述べれば、彼女は嬉しそうに。そんな彼女を見る私たちも、また。藹々とした時間。こんな時間が、何時までも続いたならば、と。
 けれど。

「……そろそろ、さっきの部屋も調べないとね」

 リティの声。少し沈んだ。きっと、私と同じ気持ちで零した言葉。
 この時間が、少しでも長く続けばよいと。それは、現実逃避にも似た。彼女の言葉に、表情に。心を癒していられる時間。しかし。何時までも、こうしているわけには行かず。動かなければ、きっと何も変わらない。自分たちのことを知るには。作られた理由を知るには。先に、進まなければならない。
 あの戦いの後。私たちはアリスをこの部屋に運ぶために移動し。残った手の群を片付ける為に私は残れど、部屋の調査は行なっておらず。この手では、思うようには行えず。

 あの部屋は。他の部屋とは違い、物があり。何か、私達の過去を知る為の手掛かりが残されているかも知れない。知れないけれど。

「……アリス」

 浮かない顔の彼女。あの惨劇。あの異形。私達でさえ身が竦む。撒き散らされた血と肉に塗れた、あの場所に。

「アリスは、部屋に入らずに……待っていてもいいと思う」

 探索は、私達で行い。アリスは部屋の外で、終わるのを待っていても良いだろうと。これ以上、あの場所に……悍ましい光景の広がる場所に。アリスを連れて行きたくない。

「……マトと、リティはまた、あの部屋に入るんでしょ?」
「調べてはおきたいわ。少しでも、情報が欲しいから」

 リティは大丈夫だろう。彼女は、自分の感情と、行動を断ち切り。冷静であり続けてくれる。

「私も調べる。けれど、あなたには無理をして欲しくない。何か見つけたら部屋の外まで持ってくるから……」

 彼女へと伝える。思い描くのは、震えるアリスの姿。崩れ落ちる彼女の姿。目に焼き付いて離れない。怪物を前に怖がり、動くことも出来ず、心が壊れてしまうのではないかと、不安になり。出来るならば――

「――一緒に行く」

 出来るならば。あの部屋に彼女を。通したくない、と。

「……大丈夫? 無理をする必要は……」

 彼女は。首を、横に振って。立ち。

「大丈夫。二人が頑張ってるのに、私だけ……置いていかれたく、ないの」

 埃を払い。彼女は、彼女は。言い。私は。
 連れて行くべきか。連れて行っても良いものか。答えを、返せず。

「……マト」
「……何、リティ」

 立ち上がる彼女、新たな名前。アリスに貰った名前を呼ばれ。その言葉には、本の少し。小さな小さな棘が有り。諌める口調に驚き、彼女を見れば。
 彼女は。僅かに眉を顰めて。しかし、それも。私と目が合い。合えば、すぐに。小さく吐いた息と共に、笑みに変わって。

「過保護」

 言葉は。私に対する忠告で、けれど、何処か嬉しそうに。その表情に、怒りは無く。侮蔑も無く。私の胸の内、考えは。分かっているといった様子で。

「……そう、かな」
「そうよ。自分で決めたことなら、私たちはどうこう言うべきじゃないわ」

 そう、言って。アリスへと向けてその手を差し出し。

「……でも。何かあったらすぐに言って。マトも私も、大事な仲間を失いたくないの。……体の怪我とかだけじゃなくて。あなたの心も壊れて欲しくない。いい?」
「……うん。分かってる」

 差し出された手。彼女の手を握り。アリスもまた。思っていたよりもずっと、しっかりと。力強く返事をして。
 その姿を見て、確かに。私は弱気になりすぎていたのかも知れないと。一つ、吐き出す息と共に、不安の影を吹き払って。

「……そう、だね。ごめん」
「あ、謝らないで。マトが心配してくれてるんだって、分かってるから」

 少し、焦るように。アリスは。片手で、リティの手を握り。握ったまま、空いた手を。
 空いた手を。私に――

「っ……」

 差し出すその手に。反射的に。伸ばしかけた手。彼女の手を。掴もうとしてしまったこの手を、引く。
 掴めないのだ。私は。それは疎か。この手、この爪。近付けることさえ、怖くて。怖くて仕方が無いというのに。

 恐怖に反して。手を握りたい。彼女達と。彼女達の手を。もっと近くに寄り添い合いたいと、そう、そんな欲求が込み上げて。
 意味も分からないまま。薄暗い世界に放り出され。悍ましい怪物と対峙して。その肉を握り、潰し、切り裂くためだけの手、そんな手しか。持っていないこと。与えられなかったことが、酷く心を締め付けて。
 それどころか。私の体。三本の腕、獣足、私自身。怪物のそれ。彼女達とは違う。私一人。彼女達と。離れ、離れて――

 胸の内。突然、湧き上がる何か。冷たく、熱く、息の詰まる。込み上げるそれは。下手をすれば、溢れ出してしまいそうな。

 背を向ける。このままでは。心を癒してくれる存在。大切な存在。大事な、大事な、彼女、彼女だというのに。その顔を見るだけで、胸を。心を。湧き上がるそれに、押し潰されてしまいそうで。
 こんな思いをするならば。こんな思いをする必要は。無い、無いのだと、胸の中、言葉にはせず。自分自身に言い聞かせる。

「なら、行こう、か。一応、私が先、行くね」

 言葉を。発するのも。これ以上。堪えるのも――

「マト」

 背を、向けた。私の手を。小さな手。柔らかな手が。手が。

「あ、アリスっ」

 手を。掴んではいけない。私の手を。触ってはいけない、いけないというのに。あの怪物。硬い皮膚、肉。貫き、切り裂くほどに鋭く硬い、この手を。
 咄嗟に振り払いそうになるも、それで怪我をさせてしまうかもしれない。動くことも出来ず。指、手のひら。幾ら、彼女もアンデッドとは言え。既に。爪の根元、本の僅かに触れただけで。彼女の手からは、その血、粘菌、溢れ出して。
 傷付けてしまった。私の手で。彼女を、大事な人を。溢れ落ちる赤い液体、その色は、鮮明に。思考は、白く。塗り潰されてしまいそうで。

「アリス、離、して。だめ、駄目だから」

 どうにか、声を発しても。彼女は。離さず。只。只。
 笑みを。落ち着いた、笑みを。浮かべるだけで。

「大丈夫。大丈夫だから……そんなに簡単に。マトは私たちを傷つけない」

 手を。私の手を更に強く握り、握ったまま。彼女は。彼女は。

「っ、だめ、アリス、それでも、私は、私は、もう、今だって」
「大丈夫だから。怪我したって……怪我をしても、私は」

 私は、傷付いてなんかない。
 彼女は。彼女は、その手、傷つけながら。そう、言って。

「お願い……離れないで。一人にしないで。一人にならないで。怪我なんかよりも、その方が嫌……」

 より。より、強く。握り締める手。滴る赤。構いはしないというように。彼女は、私に歩み寄り。
 その目には。涙を溜めて。私も、もう。溢れそうなそれを。留めることなんて。

「お願い……お願い。一緒に居て」

 零れ落ちた雫。頬を伝う感覚。握られた手。その言葉は、私の欲した。私の望んだ。一人になりたくない、離れたくない。私が欲しかった言葉と、手。
 私の手を握り締める。小さなそれを。胸を締め付けるそれを。私は。私は、私は。

「……分かっ、た。離れない。離れないから……絶対に。絶対に……」

 彼女の手。握り返すことも出来ず。出来ないけれども、私は。
 空いた片手を、その手に重ね。伏せた顔、零れ落ちる涙。涙を。止めることも出来ずに。

 ありがとう、と。

 掠れた声で。思いを、伝えた。




 ◇◇◇◇◇◇




 二人と共に廊下を歩く。
 彼女達は、既に泣き止み。マト自身、アリスに怪我をして欲しくないと。アリスの手は、今はマトの手首を握り。反対側の手は、私の手。三人並んで、廊下を進む。
 アリスは思っていたよりも、ずっと強い子だったよう。そして、マトも。何事にも動じない……あの怪物と対峙しても。私たちの前に立ち。身を挺してまで戦ってくれた……戦ってくれるほど、力強い子なのだと。

 誤解していた。見えていたのは、見ていたのは。表面だけ。その裏側、隠していた感情、内面まで。私は知らず。アリスは、決して。自分が一人になるのが嫌なだけではない。誰か、マトや……多分、私が。一人きりになろうとすれば、それをも拒む。誰かが孤立するのを。誰かが寂しい思いをするのを、悲しむのを嫌った。そして、そうさせないだけの強さがあって。マトは。それこそ、感情を殺し。自分を殺して。それは、そう。まるで、人形のように振舞おうと……製作者によって名付けられた。皮肉交じりの名前。その意味が分かってしまって、自分が少し嫌になる。
 彼女は。放っておいたならば。感情を殺し続ける。自分を殺し続ける。無理を、無茶をし続ける。体を、心を壊しながら。

 彼女が辿り着く場所。狂気に呑まれて立ち尽くす。爪を振るい続ける。辿り着くかも知れない姿が脳裏に浮かび。そんな未来は見たくないと。周りに居る、隣に居る。私たちもまた、そんな彼女に頼り過ぎないように。抱え込ませないように。気をつけておかないとならないな、と。

 でも。それも。今までよりもずっと、肩の力が抜けたように。自然に。私たちの隣に、在って。きっと、大丈夫。彼女達なら……彼女達となら。きっと、また、何か恐ろしいことが起こっても。乗り越えていける、と。

「……ねえ。何か、聞こえない?」

 そう、思う。私へと向け、彼女。マトは、言い。言葉を受けて、足を止め。銃を。彼女は、爪を。構えて、アリスは手を離す。
 耳を澄ます。音の正体。また、何か。敵が近付いているのかと。

「……聞こえる……何か、這うような。でも……近付いている訳では……ッ」

 駆け出す。私は、彼女達を置いて。視界の端、アリスは、驚いたように。けれど、今は。彼女達を待っているわけにはいかない。

 壊れた扉、私の壊した扉。その扉の向こう、暗がりへ――


 銃口を。向けた時には、既に。
 あの、怪物。肉隗。形は、大きく欠け。随分と小さくなったそれが……肉の束、と言ったほうが良いのかもしれない。頭も、手術台も壊れ、失ったそれが。天井近く、大きく開いた通気口へと這い登り、滑り込む。その姿を見て。

「ッ」

 舌打ち交じりにライフルを撃ち込む。銃弾は、通気口へと吸い込まれ。肉を穿つも、奴は止まらず。そのまま、奥へ。噴出した粘菌と、金属の凹む音。傷付いた怪物は、私の手の届かぬ場所へと逃げ果せて。
 残るのは。怪物の這った跡、赤く肉を引き摺った跡。まさか、まだ、動けるなんて。それとも目を離している間に再生し、息を吹き返したのか。何れにせよ、また襲い掛かってくるかも知れない。また、私たちを。彼女たちを。傷つけるかもしれない相手を取り逃してしまった……酷く、苦々しい思い。背後、追いついた彼女達も、また。部屋の様子、私の様子。見て、察してくれるだろう。

「……まだ、動けるとは思わなかったわ」

 頭の中の知識だけでは。予想できないほどの生命力。目の当たりにして、苦汁を舐めさせられて。初めて、その厄介さを理解する。これから出会う敵達も……出会うかどうかも、まだ知らないけれども。あれほど丈夫な体を有しているのかと考えると頭が痛くなる。あの怪物が特別、再生力に特化したアンデッドであったことを祈りながら。銃を背に担いだ。

「……ごめん。取り逃がした」

 私の言葉に、マトは。横に、首を振って。

「いや。気付けたのはリティだけだった。私こそ、最後までこの部屋に残っていたのに。ごめん」

 この怪物が放った手の群。私がアリスを運んでいる間、彼女が片付けてくれていたのだったか。

「一応、聞いておきたいのだけれど……あなたがこの部屋に残っていたときは、特に変化は無かった?」
「……無かった、はず。動くことは無かった。あの手に群がられても居たから、潰すときに一緒に傷付けたりはしたけれど……」
「寧ろ、あの後も傷は増えていたのね。……相当厄介ね」

 溜息を吐く。吐いたところで、何も変わらず。あの怪物が戻ってくるわけでもない。どうしようもないこと、過ぎたことと諦め。部屋の奥。戦っていたときには注意深く探れなかった場所……机やロッカー、扉のついた保管庫。幾らかの器具。他の部屋とは異なり、誰かが使用した痕跡のある部屋。その奥へと、足を踏み入れ。
 あたり一面。飛び散った粘菌、肉片。何かの欠片。赤く汚れた部屋、机の上や棚の上。目に見える範囲には目ぼしい物も無く。摘み上げた拉げたメスを隅へと放り。甲高く響くその音を聞きながら、机、その引き出しに手を掛けて、引き。

「……何も、ないわね」

 その中には。何一つとして、手掛かりなど無く。本当に使われていたのかさえ怪しむほどに、空っぽの引き出し。机。徹底して、私たちに情報を掴ませないつもりなのか、と。まだ見ぬ製作者を怨み。手付かずの棚。保管庫。手を掛けようとするアリス――

「アリス」
「なに?」

 私の呼び掛けに。彼女は、手を止め。

「ちょっと、後ろを向いてて」

 言われるまま、彼女は……半ば、私が。彼女と保管庫の間、割り込むように。
 保管庫は。見たところ、保冷装置、大きな冷蔵庫と言った風で。この部屋、あの怪物。其処に、保冷庫。嫌でも、中身の予想がつく。

 アリスが背後を向いていることを確認し、その戸を開ける。元々、低い気温。その外気よりも更に冷たく。戸の隙間から溢れ出す空気。そして。

「私たちに必要なものは、何もないみたいね」

 そう。何もない。何も、この保管庫には入っていない。何も見てはいない、と。
 入っていないと。彼女達に告げ。その言葉だけで、顔を顰めるマトと、小さく。嫌悪を含んだ声を上げる、アリス。アリスは気付かないでくれるかとも思ったけれども、この状況では流石に無理か。実際に見るより、言葉で気付いたのならならば、まだ。不意を打たれて気を病むよりもずっと良い。

「……後は、ロッカー……そうね、なにか服でも残ってないかしら」
「……服?」
「あなたのよ。随分汚れてしまったでしょう、さっきので」

 訝しげに尋ねるマトへと、言葉を返す。彼女の着ているのは、体に張り付く黒いトップス……最早、インナーに近い。彼女の三つ腕に合わせて作られた。短かな三つの袖、腹部を晒した。履くのは同じく黒のショートパンツ。髪の色もまた黒く、そして、彼女の獣足、その体毛の色もまた。黒尽くめの彼女。幸いと言うべきか、アンデッドの撒き散らした粘菌は、彼女の黒い服を汚しても、目立ちはせず。しかし、目立たないからといって粘菌塗れと言うのも、どうかと。せめて何か、着替えることが出来るものでもあれば、と。

「いや、いい。私はこれで……なんとなく、大切なものな気がする」
「そう? ……と、言っても」

 ロッカーを開いたところで。私の望んだ物は、彼女には必要の無いものだったとは言え、其処には無く。中身は、空――

「……やっと。何か見つけたみたい」

 開いたロッカー、空っぽの。しかし、よくよく確認すれば。目線よりも随分低い棚板、その端。空いた溝に挟まった、一枚の紙……何か、文字の書かれたそれを見つけて。
 そっと、抜き取る。随分と古い。丁寧に扱わないと、容易に破れてしまいそうなほど。古びたそれを手に取って。

「……読める?」
「……大丈夫みたい。知っている文字だわ」

 背の低いアリスにも見えるよう、腰を屈め。小さな紙、メモ用紙だろうか。片手で持って、読み上げて。

「……当院、研究所の移転……設備、器具類、素体は全て新都へと輸送。地下実験室の封鎖。研究員の私物は各自。2135年」
「……何かのメモ書き?」
「そう、みたい」

 当院というのは、この病院か。地下実験室、研究所も兼ねていた? それの、移転。新都――なにか、知っている。生前の私の知る言葉であった気がするも、確信には至らずに。只。

「やっぱり此処は。もう使われていない施設みたいね」

 だとすると。態々私たちを、使用していない施設に配置し……アンデッドも恐らく、後から設置して。私たちへと襲い掛かるよう。私たちを故意に危険に晒した。何の理由があるのかなんて知らず。知らずとも、只。
 
 それを。許せるはずも無く。
 本当に、何を考えているのか。私たちを作ったそいつは。理由は見えず。只、只、悪意しか。私たちを壊す意思しか見えてこない。私たちの敵で在るようにさえ。いや、実際。

 敵なのだろう。既に、こうして。解体されるに至らずとも、怪我を。あの怪物、取り逃がした。そして、小さな異形の群(スウォーム)。あれ等をけしかけた。攻撃した。敵意を見せた。その時点で。
 一度。問い詰め。痛めつけ。この怒り、鬱憤。心の晴れるまで。いっそ――

「……引き続き、私たちを作った誰かを探しましょう。何としてでも見つけ出さないと」

 必ず。絶対に、と。声は。隠そうとしても。彼女達には悟られまいと。常時のそれを装っても。

 声は。体は。湧き出す怒気に。姿も知らない製作者への憎しみに。


 微かに、震えた。





  
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