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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第105話 ドジっ娘メイド技能?

 
前書き
 第105話を更新します。

 次回更新は、
 12月24日。『蒼き夢の果てに』第106話。
 タイトルは、 『βエンドルフィン中毒?』
 

 
 その瞬間――

「きゃっ!」

 どう見ても勘が良い、とは思えない彼女。しかし、何故か今回に限って、彼女に向けて振り下ろされた不可視の刃に気付いて仕舞った朝比奈さん。
 更に今回の場合は、彼女の居場所及び体勢が悪い。
 朝比奈さんが居るのは俺と万結の間の狭い場所。万結が他人に対して身体を避ける訳がないので、必然的に彼女自身が身体を捩るようにして少し前かがみに成り、湯呑を俺の前に置こうとした直前だったので非常にバランスの悪い状態。

「おっと!」

 心の中でのみ軽い舌打ち。矢張り、久米仙人の前例に示される通り、仙人に取って女性の色香と言う物は修行の妨げに成るしかない、と言うのか。
 一瞬の隙を突かれた事に対する言い訳めいた内容を、心の内にのみ浮かべる俺。しかし、死に神と言う存在は大抵の場合、そう言う一瞬の隙に自らの傍らへと忍び寄るもの。今回が本当の意味で命を賭けた戦いでなかったが故に、何も失わなかったと言うべきなのでしょう。

 少し自戒めいた思い。そして次の刹那。
 彼女が倒しかけた湯呑を右手で。見えない何かを無理に躱そうとして仰向けに倒れ掛けた朝比奈さんを左腕で。
 そして、彼女の鼻先を掠めた見えない何か――相馬さつきの作り出した気の刃を、俺が作り出した見えない刃で宙空にて迎撃し、消滅させて仕舞う。

「大丈夫ですか、朝比奈さん?」

 左腕でメイド姿の彼女を抱きながら、そう話し掛ける俺。ごく稀に訪れる二枚目に相応しいシーン。
 もっとも、今回の場合は俺がもう少し早い段階で見えない剣を弾いて置けば、朝比奈さんが俺の腕の中に倒れて来る事もなかったのですが。更に言うと、彼女に直接害が及ぶ位置にさつきが殺気を放って来たとは思えないので、朝比奈さん自身が気付かなければ、何の不都合もなかったはずなのですが……。

「だ、大丈夫ですよ、武神くん」

 自分が何に驚いて倒れ掛けたのかまったく理解出来ていない雰囲気の朝比奈さんでしたが、それでも、何故自分が床に仰向けに倒れていないのか、については理解出来たのか、少し上気した表情ながらも、ちゃんと答えてくれる。
 ――抱き留められた俺の左腕の中から。
 しかし……。
 ここで発生する一瞬の空白。俺は自らの腕の中の少女を見つめ、
 彼女も俺の瞳を見つめ返す。

「あ、あの、武神さん……」

 かなり控えめな雰囲気で話し掛けて来る朝比奈さん。しかし、肝心の俺がこの異常事態に認識が追い付いていない状態。何と言うか、重要なパーツが不足していると言うのか、話のテンポが悪いと言うのか。とにかく、凄く座りが悪い……宙ぶらりんな状態と言う感じ。
 そうして、僅かな空白の後……。
 かなりの疑問符を浮かべたメイド姿の少女から、正面に座る団長殿に視線を向ける俺。

 その位置……。先ほどと同じ、俺の正面で赤ペンを持ったまま固まって居る彼女。
 ただ、俺の視線に気付いたそのハルヒが、

「何よ?」

 少し不機嫌……と言うか普段通り、かなりキツイ視線で俺をねめ付けて来た。ただ、今現在、彼女が発して居るのは不機嫌と言うよりは不審と言う雰囲気。おそらくこの瞬間、俺が彼女に視線を向ける意味が判らなかったのでしょう。
 成るほど、少し考え過ぎだったと言う事ですか。そう考え、心の中でのみ口角に浮かべる、少々性格の悪い類の笑みを浮かべる。

 しかし、それならば――

「なぁ、ハルヒ。こう言うタイミングのツンデレ娘の正しいツッコミは、
 あんた、何時までみくるちゃんを抱いているのよ! 
 ……とか、
 ちょっとふたりとも、何時まで見つめ合って居るのよ!
 ……とかではないのか?」

 未だ左腕の内に朝比奈さんを納めながら、かなり不思議そうに問い掛ける俺。但し、これは必要ないボケのような物。そもそも、最初に朝比奈さんを抱き寄せた瞬間に、そう言うツッコミが入らなかった段階で、彼女はそう言う小説やアニメなどで飽きるほど登場させられたツンデレ娘などでない事は確かですから。

 しかし、

「あんた、あたしに何を求めて居るのよ」

 さっきの早業に一瞬だけ感心したあたしがバカみたいじゃないの。最後の方は俺から、少し朝比奈さんの方向へと視線を外しながらハルヒはそう答える。
 成るほど。矢張り、彼女が俺に向けて居る感情は恋心と言うのとは少し違う感情なのでしょう。
 それに、俺は人外……人類とは少し違う種族の方々には色々な意味で大人気ですが、人類に関してはそのかなり特殊なフェロモンは通用しないみたいですから、人類には人間としての魅力で勝負するしかないので……。
 これはこれで仕方がないですかね。

 ……などと少しずれた感想を思い浮かべる俺。
 そんな俺に対して、

「それにそもそもさっきのは、何もない所で突然バランスを崩したみくるちゃんのドジっ娘メイド技能が発揮されただけだから、あんたを責めても仕方がないじゃないの」

 ……何と言うか、非常に物分りの良い言葉を続けるハルヒ。但し、朝比奈さんが身体のバランスを崩したのは見えない刃に驚いたからなので、別にドジっ娘メイド技能が発動した訳ではないのですが。
 ただ、そもそもそのドジっ娘メイド技能と言う技能が謎過ぎて、どのような効果を期待出来る能力なのか判らないのがアレなのですが。

「それに、みくるちゃん」

 再び俺の腕の中のメイド姿の上級生に視線を移したハルヒが、今度はかなりの上機嫌でそう話し掛けて来る。
 ただ……。ただ、かなり判り難いけど、どうにも現在の彼女は表面上に現われているほどには上機嫌と言う訳ではなさそうな雰囲気。妙に物分りが良かったり、そうかと思うと上機嫌を装ってみたり。これでは無表情な有希やタバサの方が考えて居る事が判り易いような気もしますが……。

「ふぇ、な、何ですか、涼宮さん?」

 話の中心に居ながら、気分的には完全に部外者と成った気分だったのか、かなり驚いたように俺の腕の中からそう答える朝比奈さん。
 ……と言うか、現状ではこのメイド姿の先輩を解放する暇がないのですが。この体勢。右腕を彼女の膝の下に回せば、所謂、お姫様抱っこと言う状態に成るぐらい、彼女と俺は密着して居たのですが。

 何となくタイミングを逸し、しかし、そうかと言って話の腰を折ると、今は上機嫌を装って話しを続けているハルヒが妙な方向に爆発する可能性が有るだけに、ウカツな動きを行う訳にも行かず……。
 そんな俺の内心の葛藤など知ろうともしない、ある意味、我が道を行くハルヒが言葉を吐き出し始めた。

「流石はあたしが見込んだだけの事はあるわね。あたしのSOS団に男子が団員として加わった途端の、そのドジっ娘メイドっぷりは賞賛に値すると思うわ」

 そもそも、本当にドジっ娘メイドが実在するのかどうかなんて、このあたしですら疑っていたぐらいだから。

 ――もう答えを返す気力さえ失くすような言葉……ある意味、非常に彼女らしい内容を。もっとも、それならば、そもそもあんたは朝比奈さんの何処をどう見込んで、SOS団とか言う訳の判らない集団に引き込んだのか判らないでしょうが、……と言うツッコミ待ちのような内容なのですが。
 ただ……。
 ただその瞬間に、俺の頭に思い浮かぶあるひとつの仮説。例えば何か野生の勘……いや、ハルヒ独特の不思議センサーのような物が働き、廊下を歩いている見た目普通の女生徒を拉致して来た。そんな馬鹿な可能性に思い至ったのですが……。
 しかし、流石にそれはないか。……と、軽く頭を振って、その普通では有り得ない想像を、頭に浮かんだ次の瞬間に簡単に否定して仕舞う俺。

 それに、確かこの五月――SOS団結成の段階では、世界は未だハルヒと外なる神の接触が有った、……と言う事に成って居た世界。歴史が元の流れに戻るには七月七日の夜を待つ必要があった。つまり、その五月の段階では、朝比奈さんは未だ未来から訪れた異世界のタイムパトロールの関係者だったはず。その彼女の目的は涼宮ハルヒの監視と意識誘導だった事は想像に難くないので……。
 ハルヒの不思議感知センサーに反応が有ったとしても不思議ではないのか。

「でもね、みくるちゃん。未だ詰めが甘いわよ」

 俺が妙な方向で納得をしている間。そして、おそらく朝比奈さんはハルヒが何を言っているのか理解出来ていない間に、更に言葉を重ねて来るハルヒ。今度は右手の人差し指を立て、訳知り顔。正に、何かをレクチャーする人間特有の雰囲気を発しながら。
 ただ、これまでの話の流れ、及び俺の経験則から言わせて貰うのならば、次の話は真面目に聞く必要のない代物。本当にしょうもない内容を言葉にする可能性が高いと思うのですが……。

「次のチャンスには、こいつのズボンにお茶をこぼして、乾かしてあげますとか、染みになるといけませんからとか言って、無理矢理脱がそうとするとか、逆に前に向いてこいつ諸共転んで、その胸の下敷きにする、とかしたら完璧よ」

 彼女自身が何を考えているのか判りませんが、妙なハイテンションで最後に親指を立てて魅せながらそう言うハルヒ。但し、顔は笑って居るけど、気分的にはあまり上機嫌とは言い難い様子。
 ただ、そうかと言って、不機嫌だとは言えない微妙な雰囲気。何か蟠りが有るのか、それとも、気に入らない事が有るのに、それに付いては何も言えないような状況なのか。

 どうにも情報不足で、現在のハルヒの状態を掴みかねている俺。
 しかし……。

「大丈夫ですか、朝比奈さん」

 何時までも朝比奈さんを胸に抱いたままで居る訳には行かないので、完全に俺が彼女の体重を支えていた状態から、ちゃんと彼女の両足で真っ直ぐ立てるようにしてやる。
 ただ、ワザとこのタイミングを選んで彼女を解放する辺りが、俺の俺たる所以なのでしょうが。

 一瞬の空白。それまでずっと場を支配し続けたハルヒが黙り、我関せずの姿勢で本を読み続けている有希がページを捲る手を止める。外を見つめ続けるだけであったさつきは、何時の間にか俺の隣から彼女の側に移動していた万結と睨み合う。
 朝比奈さんは呆れ、弓月さんはあまりの急展開に何も言えない状態。

 そして……。

 てっきり、ハルヒの話をちゃんと聞いてから自らは解放されるのだろう、と思い込んでいた朝比奈さんが少しきょとんとした瞳で一度瞬きを行い、その後、何か珍しい生き物を見る瞳で俺の顔を少し上目使いに見つめて居た。
 うむ、この感じなら、ハルヒの垂れ流している戯言(毒電波)は右の耳から入って、左の耳へと抜けているでしょうね。

 もっとも、それぐらい涼宮ハルヒの言葉を無視して行動を起こす人間が珍しいと言う事なのかも知れませんが。

「ありがとうございます、武神さん」

 美少女に相応しい微笑みと共に、少し小首を傾げながらそう伝えて来る朝比奈さん。一瞬、この少女にならば抱き着かれても良いかな、などと言う善からぬ考えが頭の隅を過ぎって行った。
 その瞬間。

「あんた、あたしの話を最後まで聞く気はないの?」

 何故か右横から引っ張られる俺のネクタイ。いや、ネクタイが引っ張られる事は初めから想定済み。何故ならば、彼女の方がツッコミ待ちのような言葉を投げ掛けて来たから、素直にスルーして、今度は彼女の方からツッコミを入れ易いシチュエーションを作っただけ、なのですから。
 それに、そもそもハルヒが話し掛けて居たのは朝比奈さんの方で有って、俺は関係なかったような気もするのですが……。

 そんな、非常に真面な疑問が頭の片隅に浮かぶ俺。但し、朝比奈さんに彼女の話を聞かせなかった自分の行為を地平線の彼方に放り出した、俺的には至極真っ当な正論など涼宮ハルヒと言う名前の少女が考えてくれる訳などなく。
 次の瞬間、無理矢理右側に向かされる俺。其処には身体の右半分を折り畳み式の長テーブルの上に乗せたハルヒが、マゼンタのネクタイを引っ張りながら少し怒った顔で俺を睨み付けている。
 但し、口調や行動ほど不機嫌と言う雰囲気ではない、みたいなのですが。
 飽くまでも俺が彼女から感じて居る雰囲気が……。

「心配せんでも、ちゃんと聞いとるがな」

 出来るだけ()()()()な雰囲気に聞こえるような表情及び口調でそう答える俺。
 握られたネクタイに更なる力が籠められ、引き寄せられる俺。彼女との距離は三十センチメートル。

「コーナーポストの最上段からハルヒがフライングボディプレスを決める、と言う話なんやろう。ちゃんと聞いとるから心配すんなって」

 あれは目の位置で言うのなら三メートル以上の高さに成るはずやから、間違いなしに足が竦むと思うけどな。
 感覚としては、もう殆んど頬と鼻が擦り合うんじゃないか、と思われるほどの距離にまで接近した彼女に対して、そう答える俺。

「やっぱり何も聞いていないじゃないの」

 本当に何処をどう聞き間違えたら、其処まで話を変えられるって言うのよ。胸の下にあんたを下敷きにするのはみくるちゃんであって、あたしじゃないって言うの。
 呆れたような口調。しかし、彼女は怒ってはいない。

「そうか? まぁ、大して変わらへんと思うけどな」

 少し緩んだ引き寄せられる力。その隙に体勢を整え、右目のみに映していた彼女を正面に捉え、右の耳で聞いて居た声を、ちゃんと両方の耳から聞こえるように持って行く。
 ただ、その瞬間に見えた彼女の瞳に映り込んだ俺の顔に、思わず笑い出しそうになったのですが。

 これから口にする台詞に関して……。

「そもそも、女の子一人を支え切れなくて男の子はやってられないでしょうが」

 妙に真面目腐った顔。言葉は曖昧でどのような意味にも取る事が出来る内容。
 もっとも、これは真実。そもそも、最近ではほぼ呼吸を行うように自然な形で生来の能力――重力を自在に操る能力が発動可能で有り、反応速度も常人を凌駕する物を持って居る以上、余程不意を突かない限り、少女が転んだぐらいで俺を巻き込んで胸の下で窒息状態に成る事や、下着が丸見えの状態に成るラッキーイベントが発生する訳はありませんから。

 まるで睨み付けるように俺の瞳を覗き込んで居た彼女の挑むような視線が、ほんの少し和らいだ。
 そうして、

「本当に、本気なのか、冗談なのか全然分からないんだから」

 ……と、まるでため息を吐き出すようにそう言った後、きつく右手で掴んで居たネクタイを解放する。
 うむ、これで大丈夫。先ほどまで感じて居た妙な感覚。何かが少し気に入らない。不機嫌になる寸前のような微妙な感情は既に消え、普通の状態へと移行して居ますから。

 外見及び人間としての能力は非常に高い。更に躁鬱が激しくて感情に振り回されがち、と言う黒き豊穣の女神シュブ=ニグラスの依り代にぴったりの器。本当に、()()()()に選ばれて仕舞った彼女。

「何よ。未だ、何か文句が有るって言うの?」

 憐憫……。おそらく、何故、このタイミングでそんな瞳で見つめられるのか判らないであろうハルヒが、彼女に相応しい調子で問い掛けて来る。どうにも判り難い反応。ただ、語気、及び、彼女の表情から判らない、彼女の心の深い部分では別に不機嫌なようには感じられない。
 何にしても通常運転中の彼女。既に、元々座って居たパイプ椅子に腰を下ろしたハルヒが少し上目使いに俺を見つめている。
 柔らかなまつ毛に守られた双眸は大きく、腰まである長い髪の毛が艶やかに流れる。

「あのな、ハルヒ」

 上目使いの少女に惑わされた……訳ではないと思いますが、それでも思わず言葉を発して仕舞う俺。結論。矢張り俺は甘すぎる。
 ただ……。

「一昨日も言ったように、何か。普通では考えられないような厄介事に巻き込まれたら俺を呼べ。絶対に助けに来られるとは限らない。それでも――」

 万難を排してもオマエのトコロに辿り着くから。
 言葉を最後まで口にする事はなかった。しかし、おそらく彼女には伝わったと思う。

 その言葉を聞いた瞬間、何故か彼女は少し不満げな表情を見せた。そうして、先ず、何を言っているのよ、……と、少し呆れたような表情と口調でそう前置きをした後、

「一度信じてあげる、と言った以上、あんたの事は最期まで信用するわよ」

 ……と続けた。
 もっとも、その彼女が俺の言う得意教科の事を信用して居なかった、などと言うダブルスタンダードをついさっきまで犯していたような気も……。
 そう考え掛けて、少し考える方向を変えて見る俺。

 こいつ、俺……と限った事じゃないけど、誰かに勉強を教えて見たかったんじゃないのか、と言う方向に。
 どうも俺の周りには昔からそう言う種類の女の子が集まり易かった。何と言うか、かなり頼りない風に見えるようで、同い年の女の子どころか、年下の女の子でさえも俺を弟扱いにする時が有りましたから。
 更に、この部室に居る人間の内、朝比奈さんは二年生。朝倉さん、有希、それに万結は人工生命体。少なくとも、誰かに勉強を教わらなければならないとは思えない。
 さつきもそんな物を必要とはしていないでしょう。弓月さんは、運動に関してはどうか判りませんが、見た目の雰囲気から考えると勉強に関しては問題ないと思います。

 そんな中に、少々胡散臭い関西弁標準仕様の、如何にも頼りなさげなヤツが現われたのですから……。

 女の子が基本的に持って居る母性本能……と言うか、お姉さんぶってみたい、と言う感情が湧いて来たのかも知れません。

 どうやら、ハルヒが俺に抱いて居る感情は良く言っても弟扱い。おそらく不出来な弟分に対する姐さんと言う程度の感情なのだろうと、考えを纏める俺。
 まぁ、小説や漫画、アニメの主人公ではないのですから、この辺りが妥当ですか。理由もなくモテモテ状態に成るほど世の中は甘く出来ていない、と言う事なのでしょう。

「それに、あたしから言わせて貰えるのなら、あんたの方こそ、あたしの事をもっと信用して貰いたいのだけど」

 嫌われたり、無視されたりするよりは余程マシな扱いだったと喜ぶべき状態じゃないか、と考えていた俺。そんな、答えを返そうともしない俺に対して、

「あたしだけじゃなくて、みくるちゃんも護ってくれたみたいだけど……」

 更に言葉を重ねて来る彼女。……って、この内容は!
 俺は、改めて自らの正面に視線を向ける。其処には俺から視線を外し、在らぬ方向。この文芸部の部室に無理矢理連れて来られた最初の理由。俺の学力の程度を確認する役割は既に終わり、八十五点の点数を付けられた現社の答案用紙が、所在無げに存在するだけの机の上を見つめる少女の姿があった。

「知って居る事なら知らない振りもして上げられるけど……」

 知らない事に関しては、それ以上、何もして上げられないのだから。
 非常に聞き取り難い小さな声でそう呟くハルヒ。いや、おそらくこの言葉は俺に聞かせる為に発した言葉などではない。
 しかし――
 こいつ……、さっきの俺とさつきの戦いに気付いて居たのか?

 確かに、先ほどの戦いは常人には感知出来ない戦いだった。しかし、逆に言うと()()ではない、ある程度の能力……俺のような見鬼の才を持った人間にならば、確認する事が出来る戦いでも有ったと言う事。
 そして、この世界と言うのは過去から異世界より介入される事が多かった世界で有るが故に、現在、一般的な家庭の出身だったとしても過去は違う可能性が高いと言う世界。

 例えば、朝倉さんの従姉だと言う設定に成って居る天野瑞希(あまのみずき)さんなどは正にその典型。両親やその家系の何処が術者に繋がって居るのか判らないのですが、しかし、現在では俺と同じ式神使いとして退魔業に従事している人間。
 そんな土御門だの、賀茂だの、安倍だのと言う古い魔法に繋がりの深かった家系に直接繋がりがない人間でも簡単に優秀な術者となる実例がある以上……。

 更に、ハルヒの場合、最早異世界の出来事と成って仕舞った世界では千の仔を孕みし森の黒山羊(シュブ=ニグラス)の因子を植え付けられたり、その流れからこの世界でも多くの能力者と深く関わったりしています。
 まして、有希や綾乃さん。それに万結とさつきなどの能力者が傍に居た場合、その近くに居る人間にも影響が出る事はタバサの例からも確実ですから。

 こう考えると――

 ハルヒ自身が僅かに異能に目覚めつつ有ったとしても不思議ではない。
 シュブ=ニグラスのようなとんでもないレベルの制御不能な能力などではなく、至極一般的な術者レベルの異能に……。

 そう考えを纏める俺。但し、もしそうだとすると、この部室内で行ったさつきと俺の戦いは、かなりウカツな行為だった可能性も。
 何故ならば、ハルヒに多少なりとも他の能力者が近くに存在している影響が出て居る可能性が有る。朝比奈さんも先ほどの戦いに気付いた雰囲気。弓月さんは覚醒に至る条件の内の幾つかをクリアしている。
 そして、朝倉さんに至っては、常人だと本人が思い込んでいるだけの状態。

 この場に居る全員が先ほどの戦いに気付いて居る可能性が有る、と言う事ですから。

 ただ……。
 ただ、もし、先ほどの戦いにハルヒが気付いて居たと考えるのなら、ひとつだけ解せない部分が――

 そう考え掛けて、しかし、上目使いに俺を見つめる彼女の瞳を見つめた瞬間、その疑問の部分に関しても既に彼女の口から答えが為されている事に気付く俺。
 それは、先ほどの戦いではハルヒの周囲でも見えない刃が交わされていた、と言う事。
 同じような状態に置かれていた朝比奈さんは、その見えないはずの攻撃に驚き、そしてその攻撃を躱そうとしてバランスを崩し、結果、俺の腕の中に納められる事と成った。
 しかし、ハルヒはその戦いに気付きながらも平然と……。眉ひとつ動かす事なく無反応を続けた。

 これは普通に考えると不審。未知の出来事。それでも、おそらく自分に危害が加えられる可能性が高い現象が起きて居る事だけは理解出来たはず。それぐらいの殺気は籠めて居ましたから。
 気付かなければ何も害はない。しかし、其処で起きて居る事態に気付いて仕舞うと、身体中の産毛が逆立つような感覚――恐怖を感じるはず。
 一般的な反応は朝比奈さんのように未知の攻撃から逃れようとするはず、なのですが……。

 しかし、ハルヒは豪胆にも、そんな異常な状況の真っただ中で無反応を貫いた。
 これは流石に不審。何故、そのような事を彼女が為さなければならないのか、その理由が不明過ぎますから。
 ……と考えるべき、なのでしょう。

 しかし、その部分に関して実は既に答えが為されて居たと言う事。それは、あんたの事は最期まで信用する、と言った部分。これはその言葉通りの意味だったと言う事。

 さつきの放った殺気。それは正に俺を殺す事が出来るレベルの物。しかし、ハルヒはその攻撃を俺が捌く事を信じて躱そうとも、恐怖により身体を強張らせる事さえしなかったと言う事。

 更にその後、前日に俺が言った、深淵を覗く者は、の言葉を守り、見えないはずの戦闘に気付き掛けた朝比奈さんの思考を、自らが転んだ理由の追及に向けさせるのではなく、別の方向へと向けさせようとしてくれた。
 故に、あの意味不明の『ドジっ娘メイド技能』なる珍妙な台詞が生まれたと言う事。

 表面上に現われている強気で、我が道を行く的な少女の裏側に、心の優しい他人を思いやる普通の少女が隠れている。そう言う事なのでしょう。

 短い間にそう結論付ける俺。それに人間は複雑で、その上に気まぐれ。根っ子の部分ではそう言う人間だったとしても、ある特定の人物の前ではそう言う素直な自分を出せない場合も有りますし、更に、素の自分を弱い人間だと決めつけ、出来るだけそう言う面を人前で出さないようにする人間も存在します。

 ただ……。

「悪いなハルヒ。信には信で応えるのが俺のポリシーなんやけど――」

 オマエさんの知りたい事は、俺が教えて良い領分を越えて居る。
 最後の部分はかなり小さな声でそう口にする俺。いや、どちらかと言うとタイムパラドックスや平行世界化などが絡む事件で、その事件の中心につい最近まで存在していたハルヒに教えるとマズイ内容が確実に存在して居るはず。
 何故ならば、其処から先の未来に悪影響……。例えば、もう一度、歴史の改竄が行われる可能性が出て来たりするはずですから。

 確かに、今の彼女からは、危険な兆候を感じる事はないのですが……。
 しかし、

「何時の日にか、これまでに起きた全ての事を話せる。そう言う日が来る。せやから、その日まで待って居て欲しい」

 彼女が求めて居る答えを知るには、彼女、涼宮ハルヒが人類の未来に悪い影響を与えないと言う確証が得られない限り難しい。
 流石にそんな事を俺には確約出来ない。しかし、それでも尚、この世界に絶対に不可能だと言う言葉もないはず。

 俺の言葉に、一瞬、不満げな雰囲気と表情……少し口を尖らせた表情を浮かべたハルヒ。
 しかし……。

「まぁ、良いわ。それに、そもそも信用するって言ったのはあたしの方だから仕方がないのだし」

 しかし、それも一瞬。特に不満げな様子もなく、割とさっぱりとした口調でそう答えるハルヒ。この様子から想像すると、おそらく彼女は、彼女が一瞬だけ浮かべた表情や感情に俺が気付いたとは思っていないのでしょう。

 何にしてもハルヒに多少の能力。水晶宮から渡された資料に記して有った制御不能な、何に起因するのか判らない……。世界を恒常的に支配する圧倒的な理すらも捻じ曲げ、それを持続させ続けるような能力ではない、俺たちとそう変わらない能力を得つつ有る事が判ったのは良かったでしょう。
 ハルヒの至極一般的な能力への覚醒に関しては水晶宮でも想定内の事象でしょうから、俺がアレコレと悩んでも仕方がない事。そう考えて、取り敢えず、何時までも突っ立っている理由もないので朝比奈さんを解放した時以来、膝の後ろ側でのみその存在を確認していたパイプ椅子に再び坐り直す俺。
 時間的には午後の四時前。冬故に短い太陽の支配する時間がそろそろ終わり掛けようとする時間帯。既に氷空は夕焼けに染まる準備を始める頃。

 今日の晩飯は何にしようか。……などと言う、およそ高校生らしくもない所帯じみた考えに思考の大部分を費やしつつある俺。もっとも、朝は簡単な物。昼も学食で済ませるので、真面な食べ物と言うのは夕食だけなので……。
 そのような、かなり呑気で平和な事を考えつつある俺。

 その瞬間、これで今日は大人しく終わってくれると考えていたハルヒが立ち上がった。
 細く長い髪の毛と、彼女の髪を纏めるリボンが立ち上がった勢いに連動して跳ね、カーテン越しに差し込んで来る陽光が反射して天使の輪が浮かんだ。

 そうして、軽く一周分、周囲を見渡した後、

「じゃあ、SOS団の次の活動を発表するわね」

 ……と言い出したのでした。

 
 

 
後書き
 言い忘れて居ましたが、この世界のハルヒは消失ヴァージョン。もしくは、憂鬱の最初。髪の毛を短くする前の彼女です。
 大きな意味はないのですが……。そもそも、彼に纏わる歴史が存在していない世界なので、髪の毛を切る、と言う歴史がなく成っていますから。
 この世界ではね。

 それでは次回タイトルは『βエンドルフィン中毒?』です。
 
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