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四重唱

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第三章


第三章

「これがいいかどうかで和食は決まるのさ」
「そうなのか」
「そうさ。その店は抜群の醤油と味噌を使っているんだ。だから美味いのさ」
「そうなのか。それじゃあ期待できるんだね」
 バジーニも笑顔になっていた。彼も和食はかなり好きだからだ。ちゃんとした和食は世界中の人間を魅了してやまない。最高の料理の一つなのは間違いない。
「思う存分期待していいよ。それじゃあ行くか」
「ああ。メニューはそうだな」
「何がいいんだい?」
 二人は歩きだしながら話をしていた。もうそれで話ははじまっていたのだ。
「そうだね。ここは刺身に天麩羅に」
「シーフードが好きなんだね」
「そうだね。どうもここではそれが少なくて残念だけれど」
 ここでバジーニが残念な顔をしたのはウィーンが内陸にあるからである。オーストリアはドイツに比べるとかなり美食の方であるがそれでも弱点はある。それは海と離れていることである。従って日本人やイタリア人が好む海の幸は少ないのである。もっとも最近は冷凍技術の発達でその弱点もかなり改善されているのであるが。だからこうして刺身だの天麩羅だのといった話もできるのである。
「ウィーン本来の料理はそれがねえ」
「おっと、ウィーンに文句を言うのは禁句だよ」
 大沢はそれについては笑って注意するのであった。
「今からそのウィーンの最高のオペラを演奏するんだからね」
「それもそうだね。じゃあ食事の後は」
「どうするんだい?」
「ココアにしよう」
 彼は明るい笑顔でそう述べた。
「ウィーンらしくね。ザッハトルテでね」
「わかってるね。けれど和食の方のデザートはどうするんだい?」
「勿論それも頂くさ」
 食べ物に関してはかなり許容量の大きいバジーニであった。そのせいか腹が結構出てもいた。それがどうしてなのかは考えなくともわかるものであった。
「後でね」
「わかったよ。それじゃあそれで行くか」
「うん」
 こうして二人は和食の後でザッハトルテとココアを楽しむのであった。そのココアを飲みながら今一組のカップルが深刻な顔で話をしていた。
 一人は背の高い艶やかな美しい女であった。見事な、そのまま黄金を溶かしたような金髪を上でまとめてありその青い目はさながらサファイアのようであった。卵の形をした顔も肌も白くその顔立ちはそのままウィーンの貴族のそれであった。白く奇麗な脚が完全に隠れるスカートが実によく似合っている。彼女がハンナ=フォン=リューゲンバルトその人である。今問題となっている薔薇の騎士において主役であるマルシャリンを務めるその人である。その渦中の人物が今ある者と話をしている。それだけでスキャンダルの種となるものであった。しかもその相手が問題であった。
 黒いスーツにズボン、ネクタイも黒である。白いカッターと対比されてその黒が実によく映えている。着こなしているその姿も実に整っている。しかもそれを着ているのは女である。銀色の髪をパーマにさせている。瞳は黒で大きくそれが白い肌に実によく合っている。中性的な顔立ちと言える、男にしても女にしても通用するような見事な顔をしている。彼女はヒルデガント=ゲーニッツ。ハンナの不倫相手であり今度の薔薇の騎士においてオクタヴィアンを歌うメゾソプラノである。彼女もまた当代きってのメゾソプラノでありまたオクタヴィアンの役でもあたり役と評判を取っている。その二人が今向かい合って話をしているのである。
「今度の舞台でそれなのね」
「すいません」
 二人は少し俯いて話をしていた。ヒルデガントは申し訳なさそうにハンナに答えていた。
「私には。もう貴女を愛する資格は」
「それはお互い様よ」
 ハンナは俯いたままそう述べる。別にヒルデガントを責めるわけではなかった。
「家庭もあって。しかも女どうしだし」
「それはそうですが」
「だから。同じなのよ」
 そう言ってヒルデガントを慰める。
「私も。もう」
「もう?」
「続けられなくなってきたのよ」
 寂しげな笑みを浮かべての言葉だった。
「もう。これ以上は」
「周りの声が気になってでしょうか」
「それもあるわ」
 彼女はそれを認めた。
「けれどね。それ以上に」
「はい」
「私は今も主人が好きで。貴女も」
「私もそれは同じです」
 ヒルデガントもまた家庭を持っている。ピアノ演奏家の夫に娘もいる。だが彼女はレズビアンでもありだからこそハンナとの愛を育んでいたのである。ハンナはそのことで彼女について気付いたことがあったのである。
 
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