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四重唱

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第十七章


第十七章

「貴方が少し色目を使っても文句は言いませぬぞ」
「あの男と結婚されるのですか!?」
 オクタヴィアンは粗野な男爵の言葉を聞いてゾフィーに問うている。粗野で下品なオックスと優雅でそれでいて清廉なオクタヴィアンの対比となる場である。それと共に醜男と美男と。光と影の如き対比がはっきりとなる場である。しかしそれもまた今日の舞台では違っていたのだった。
 やはり男爵は優雅だ。そうしてあえてゾフィーをオクタヴィアンのところにやるように。。そう仕向けているふしがあった。それはオクタヴィアンであるヒルデガントも感じていた。
(この人もまた)
 アンドレアスである男爵を見て心の中で呟く。
(あの人と同じで)
「この狡猾な若者を笑わずにはいられぬな」
「この方は貴方が嫌いなのです」
「心配するな。そのうちに好きになる」
 この言葉は。ゾフィーに言ったものではなかった。それがわかるのはそこにいたオクタヴィアンとゾフィー、そして舞台の外にいる元帥夫人だけであった。そうした言葉だった。
「あの人も」
 元帥夫人であるハンナはそれを聞いて言うのだった。
「あの二人を。一緒にさせようと」
 それがわかった。今夫の、男爵の心が。
「そんなことをしては花嫁に対して侮辱になる」
「貴方は何という」
 オクタヴィアンはその言葉を受けて歌う。しかしここでも微妙な感じであった。
「鈍感な人なんだ」
 これは男爵に対してではなく。自分自身への言葉になっていた。
「仕様がなければ今すぐにでも教えてあげよう」
 自分自身に対して言う。責めていた。そうして男爵と斬り合いになるがここでも。彼はあえて斬られるのだった。
「見事だな」
「ええ」
 観客達はその芝居を見て見事と言う。しかしそれだけではないのは舞台ではわかる。そこが観客と舞台の違いであったがそこまでは観客も流石にわかりはしなかった。
 舞台は完全なまま続く。既にマスコミも批評家達もその評価を決定させていた。
「最高の舞台だ」
「何もかもが完璧だ」
 口々にこう言い合うのだった。第二幕が終わり休憩の時間になっていた。殆ど誰も席を立つことはない。第二幕の余韻と第三幕への期待の中に身を置いているのであった。
「いよいよ最後だが」
「ここで上手くいくかどうかだが」
「必ず上手くいく」
 それはもう予定事項であった。それはもうわかっていたのだ。
「何があろうとな」
「ああ。問題はそれがどういった最高かだ」
 そこであった。最高といっても幾つもあるものなのだから。
「それはこれからわかるな」
「最後の幕が開いた時に」
 それはもうすぐだった。しかし今はそのもうすぐがどうしようもなく長く感じる。それは彼等が期待している何よりの証拠であった。舞台に対して。
「さあ、今だ」
「開いたぞ」
 幕が開いた。遂に最後の舞台であった。
「ここからだな」
「肝心なのはか?」
「ああ、そうだ」
 こう言う者もそこにはいた。彼等の中には最後こそ肝心だと言う者もいるのであった。
「ここでな」
「どうなるかか」
 それぞれの目で視線を集中させる。そうして最後の舞台を見るのであった。
 最後まで歌手達は演じている役そのままであった。華麗なだけでなくそこには魂さえもあった。その心で歌い続け演じ続けている。オックス男爵が恥をかいて舞台を消す場面になっていた。ここでは男爵の格好悪さがとりわけ強調される演出が多いが今回はかなり違っていた。
「全ては終わりました」
 元帥夫人が彼に言葉を告げる。そうして男爵はそれを受けると。
「ロイポールド」
 彼の従者に声をかけるのだった。優雅な物腰で。
「行くとしよう」
 多くの者に取り囲まれあれこれと言われながらであるがそれでも悠然かつ優雅に姿を消す。その去り際はオックス男爵ではなくフィガロの結婚のアルマヴィーヴァ伯爵ではないかと思える程だ。実はオックス男爵のモデルはこの伯爵である。確かに好色なのであるが優雅で気品があり堂々とした人物だ。何しろフィガロの結婚で出て来る登場人物の殆どを向こうに回す事態になってもまだ威風堂々としており貴族然としているのだ。ディートリッヒフィッシャー=ディースカウの圧倒的な名唱を代表として多くのドイツ系バリトン歌手がこの役で大当たりを取っていることからもわかるようにこの伯爵は単なる敵役ではないのである。実に見事な主役の一人なのだ。これはオックス男爵に言えることでもある。今アンドレアスはオックス男爵となりそれを観客達に見せきった。彼が舞台を去る時に拍手すら起こっていた。
 
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