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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第四十七話 闇の攻防



帝国暦488年  5月 14日  オーディン  リッテンハイム侯爵邸  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「人口問題か」
「うむ」
「宇宙の統一か」
「そうだ」
わしとリッテンハイム侯の会話を妻達が無言で聞いていた。リッテンハイム侯爵邸の応接室には沈鬱な空気が漂っていた。テーブルの上にはコーヒーカップが四つあるが誰も手を付けようとはしない。

「何も気付いていなかった、我らは、いや帝国が滅びかけていたとは……。愚かな事よ」
侯の言葉には自嘲が有った。
「気付かなかったのは我らだけではない。それに今は問題の深刻さに気付いている、そして対処しようとしている。その事が大事だ、そうであろう」
リッテンハイム侯が“うむ”と言って頷いた。

「そんなに酷い事になっているとは思いませんでした。改革を行い、平民達の不満を取り除けば、そして貴族達の専横を抑えれば何とかなると思っていましたのに……」
「私もですわ、お姉様」
アマーリエの言葉にリッテンハイム侯爵夫人が頷いた。普段は勝気な彼女も精彩が無い、余程に衝撃を受けているのであろう。

「クリスティーネ、大公の話を聞いて私も調べてみた。直ぐに分かった、確かに人口は減少し続けている、成人男子の数が減っているのも事実だった、平民の女達は男を巡って争いを起こす事も有るようだ。貴族達なら単なる色恋沙汰だろうが彼らは違う、結婚出来るか出来ないかの瀬戸際だ。場合によっては争いは殺人にまで発展する事も有る。それほどまでに彼女達は追い詰められている」

アマーリエと侯爵夫人が大きく息を吐いた。エリザベートとザビーネを応接室に入れなかったのは正解だな。あの二人にはいささか厳しすぎる話だ。
「何時頃からブラウンシュバイク公は気付いていたのです」
「わしとアマーリエが最初にそれを聞いたのは今年の二月の事だ、侯爵夫人。あれがカストロプへの視察に行った後だった。もっとも人口減少の問題は以前から気付いてはいたようだ。視察に行って予想以上に深刻だと考えたらしい」
侯爵夫人がアマーリエに視線を向けた、アマーリエが頷いた。また侯爵夫人が息を吐いた。

「あの時、戦争を止める必要が有るとエーリッヒが言った。和平を考えているのなら危険だと止めた、バルトバッフェル侯の故事も有る。だがあれは和平では無く統一を最初から考えていたようだ」
「しかし可能なのか? 百五十年も戦ってきたのだが」
リッテンハイム侯が首を傾げている。確かにそうだ、わしにも多少の不安は有る。

「和平は難しいと言うのですよ、リッテンハイム侯」
アマーリエが答えたがリッテンハイム侯は納得しなかった。
「貴族の大部分が力を失っても?」
「ええ」
侯がわしを見た。目で確認をしている。答えねばなるまい。

「先日の話し合いの後、少しエーリッヒと話をした。両国の面子がそれを許さぬだろうとあれは言っている」
「面子?」
侯が訝しげな声を出した。侯爵夫人も訝しげな表情だ。
「和平条約を結ぶとなれば相手を反乱軍とは呼べぬ。自由惑星同盟という国家として認めねばなるまい、出来るかな」

リッテンハイム侯が“なるほど”と言って頷いた。侯爵夫人も頷いている。納得したようだ。
「負けているならともかく現状では帝国が優位に戦いを進めている。この状況でそれを平民、貴族の区別なく帝国人が受け入れられるか、その辺りが予測が付かぬと言うのだ」
「確かにそれは有るな」

「それに劣悪遺伝子排除法の事が有る」
リッテンハイム侯の表情が厳しくなった。
「どういう事かな、あれは今では有名無実化されているが」
「確かにそうだ、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下により劣悪遺伝子排除法は有名無実化された。だがあの法から全てが始まったのも事実。あの法に反対した者達が帝国を逃げ出し反乱軍となった。和平を結ぶとなれば廃法にしろと要求してくるだろうな」
リッテンハイム侯が唸り声を上げた。妻達は息を凝らしてわしと侯の話を聞いている。

「有名無実化されていてもか?」
「有名無実化されているのなら廃法にし易かろう、そう言うとは思わぬか?」
「なるほど」
「反乱軍にはルドルフ大帝が制定したという重みが理解出来ぬのではないかとエーリッヒは考えている。マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下でさえあの法を有名無実化するのが精一杯で廃法には出来なかった。その辺りの機微は説明しても理解出来ぬだろうと。むしろ意地になって廃法にする事を要求しかねぬと」
リッテンハイム侯が大きく溜息を吐いた。気持ちは分かる、わしもエーリッヒから聞いた時は溜息しか出なかった。

「確かに和平は難しいな。一時的には結べても恒久的なものにはならぬか……」
「理は反乱軍にあろう、名を捨て実を取れと説得してもいずれは破綻するとエーリッヒは想定している。五年持つかどうか……。その場合両国の感情の齟齬は酷いものになるだろう。それくらいなら最初から統一を考えた方が妙なしこりは残らぬ、そう考えている」

リッテンハイム侯がまた溜息を吐いた。全く気の滅入る話だ。聞くだけで気が滅入る、ならばそれをどうすべきか考えているエーリッヒの心労は……。気が付けばわしも溜息を吐いていた。
「いずれは平民達の人権の尊重を守る法を皇帝の勅令として発布する必要が有るとエーリッヒは言っていましたわ」
アマーリエが話し出した。わしが疲れたとでも思ったか……。

「反乱軍を打ち破り統一した後は彼らを安心させなければならない、そのためにはどうしてもそれが要ると。それなしでは新領土の統治は上手く行かないと。劣悪遺伝子排除法は有名無実化されている。新たに人権の尊重を守る法を発布する事で劣悪遺伝子排除法を事実上廃法にする。そのためには勅令という形で法に重みを付ける必要が有ると言っていました」
「……」
「エーリッヒにとって改革は国内問題の解消だけでは無かったようです。反乱軍を下し宇宙を統一するための下準備だったのでしょう」

リッテンハイム侯が項垂れている。気持ちは分かる、無力感を感じているのだろう。ブラウンシュバイク公爵家はとんでもない当主を持った。
「侯、コーヒーが冷める、飲まぬか」
「……そうだな、頂こうか」
四人でコーヒーを飲んだ。苦い、それに冷めている。なんとも拙いコーヒーだ。それでもコーヒーを飲むことで少しは気分も入れ替わった。

「しかし統一は可能なのか? 簡単ではないと思うのだが」
リッテンハイム侯の言葉に侯爵夫人が頷いた。
「いざとなればイゼルローン要塞を反乱軍に呉れてやるそうだ」
リッテンハイム侯と侯爵夫人が信じられない物でも見た様な顔をしている。可笑しかった、笑った、久方ぶりに笑った様な気がする。

「笑い事では有るまい、大公」
「わしもエーリッヒにそう言った。笑い事では有るまい、何を考えていると」
「……」
「イゼルローン要塞陥落後、謀略を仕掛け反乱軍に大規模出兵をさせるそうだ。兵力は最低でも八個艦隊程かな。それを帝国領奥深くに誘い込み殲滅する」
侯が信じられないといった表情をしている。また笑ってしまった。そう言えばエーリッヒも笑っていた。どうやらわしも侯と同じような表情をしていたのだろう。

「百五十年、一方的に攻め込まれていたのだ。立場が逆転したとなれば連中、さぞや逸るだろうな」
「……」
「そこを唆すのだ、帝国は混乱しているとでも言ってな。不可能では有るまい」
「……」
何時の間にか囁くような声になっていた。侯が驚愕に眼を見開いている。

「一度大きな損害を受ければ簡単には回復出来ぬ。人口の減少も有るが財政の問題も有る筈だ」
「しかしイゼルローンは如何する。あれが反乱軍に有っては簡単には攻め込めぬ」
リッテンハイム侯が額の汗を拭きコーヒーを一口飲んだ。声が掠れている事に気付いたようだ。

「イゼルローン要塞は攻略可能だ」
「まさか……」
侯も侯爵夫人も驚愕している。
「その事は軍務尚書も統帥本部総長も知っている。攻略案を考えたのはエーリッヒだ」
「……全て想定済み、そういう事か」
「……」

そういう事だ。呆然としているリッテンハイム侯、侯爵夫人を見ながら思った。エーリッヒは全てを想定している。いずれは国内を改革し反乱軍を征服して新たな銀河帝国を創り出すだろう。人類史上最大の帝国、平和と繁栄を享受する帝国。そしてエーリッヒの作った帝国は最盛期を迎えるに違いない。だがそれを生み出した人間は……、溜息が出た。



帝国暦488年  5月 16日  オーディン  ワルター・フォン・シェーンコップ



フェルナー大佐に案内された店はなんとも雑然とした店だった。ガラの良くなさそうな客が大勢いる。
「ここは?」
「主として平民達が利用する店だ。昼間は食事だが夜は酒を飲みに客が来る。飲んで愚痴を零し憂さを晴らす」
「なるほど、だから俺達もこんな服装を?」
「そういう事だ」

俺もフェルナー大佐も軍服ではない。ごく目立たない、決して上等とは言えない私服だ。用意したのはフェルナー大佐、これを着て出かける用意をしてくれと言われたが、さて……。出入り口の近くに有る適当な席に座りビールとカトフェルプッファー、リンダー・ルラーデンをフェルナー大佐が頼んだ。メニューも見ずに頼んだから何度か来ているのだろう。

「ここに来たわけが分かるかな、シェーンコップ大佐」
フェルナー大佐が顔を寄せて小声で話しかけてきた。
「公は改革を進めている。察するところ、平民達の反応を知りに来た、そんなところか。出入り口に座ったのは逃げやすい様に、入って来た奴を確認するためだろう」
同じように小声で答えるとニヤリと大佐が笑った。合格かな。

「俺の事はアントンと呼んでくれ、俺もあんたをワルターと呼ぶ」
「分かった」
合格だ。
「ここに来るのはもう一つ理由が有る」
「ほう、それは」
「ここのリンダー・ルラーデンは美味いんだ。あんたも一度食べてみれば分かる。病み付きになる」
「そいつは楽しみだ」

何となく楽しくなってきた。ビールと料理が運ばれてきた。乾杯をしてからリンダー・ルラーデンを一口食べた。
「なるほど美味いな」
フェルナー大佐が笑った。
「そうだろう、もう一度乾杯だ」
もう一度乾杯してからまた一口食べた。美味い、確かに病み付きになりそうだ。

“しかし何だな、今回の改革だがありゃ何なのかね。貴族を優遇しているようにも見えるがそうじゃねえようにも見える。はっきりしねえんだが”
“領地は取り上げたぜ”
“しかし借金は棒引きだし融資も呉れてやったんだろう? 丸儲けじゃねえのか”

早速始まったか。中央の方に男が二人、若い男と中年の男が話している。周囲にも頷いている人間が何人かいた。若い方が不満を言っているな。フェルナー大佐に視線を向けると彼が頷いた。今度はカトフェルプッファーを食べてみた、こいつもいける。店が雑然としている割に繁盛しているのは料理が美味いからだろう。まあ女連れで来る店ではないが男同士なら問題は無い店だ。今度リンツ達を連れて来てやろう。

“税金を払うんだ、軍隊も無くなったし農奴も無くなった。貴族と言ったって金持ちとどう違うんだ? 爵位が有るだけだろうが”
“まあそう言われればそうだが……、どうも釈然としねえな!”
若いのがビールをぐっと飲むとドンと音を立ててジョッキをテーブルに置いた。彼方此方から賛同する声が上がった。

“落ち着けよ、領民達は喜んでるだろうぜ。貴族の借金返済のために働かされる事はもうねえんだ。連中のふざけた裁判で泣く事もねえ。こいつは天と地の違いだぜ、そうだろうが”
“うん、まあそうかな”
若い男が不承不承に頷いた。周囲も同様だ、頷いている人間が居る。

「結構関心を持っているな」
「当然だ。ブラウンシュバイク公は平民出身だ。彼らにとっては公ならば自分達の暮らしを良くしてくれるという思いが有る」
「不満が有るようだが」
「一つ間違えると帝国の経済が滅茶苦茶になる。それらを避けながら改革をしているんだ、簡単には行かないさ」
苦しそうな表情だった。改革の内容は俺も聞いてはいる、確かに簡単にはいかない、苦労しているようだ。

“それより領地の開発に収益の三十パーセントが使われる事になったんだ。そっちの方が大きいぜ。これまでは領地の開発なんてしてこなかったんだからな”
“どうせなら五十パーセントにして欲しかったよ。三十パーセントだなんて中途半端だ”
若い男がぼやくと彼方此方から賛同する声が聞こえた。

“五十パーセントと言って貴族達が受け入れるか? 受け入れなかったらゼロだぞ。ゼロよりは三十パーセントの方がマシだろうが”
“まあ、そうだけど”
“少しずつでも良くなってるんだ、あんまり文句を言うんじゃねえ。公爵閣下だって苦労してるんだからな”
“分かってるよ、そんな事は”
拗ねた様な口調だ。甘えているのだろう、中年の男は職場の先輩か、余程に信頼しているのかもしれない。

「職場の上司と部下かな」
「……ま、そんなところかな」
「もう一杯行くか、アントン」
「そうだな、それとマウルタッシェンを頼もう。こいつも美味いんだ」
「楽しみだ」

“改革も大事だが捕虜交換も上手く行って欲しいぜ。知り合いに捕虜になった奴が居るんだ”
“俺、リヒテンラーデ侯の声って初めて聞いたよ。台詞は棒読みだったな、もうちょっと心を込めてくれると信頼出来るんだけど”
若い奴の言葉に中年の男が笑い出した。

“失礼な事を言うんじゃねえ、ああやって広域通信で宣言したんだ。やるって事じゃねえか。まあ反乱軍がどう対応するかもあるがな”
“まあそうだけど”
“政府も俺達に関心を持ってくれたって事だ、良い事じゃねえか”
“もっと早く持って欲しかったよ”
また中年の男が笑った。



ビールを飲み、出された料理を全て平らげてからブラウンシュバイク公爵邸に戻るとフェルナー大佐は直ぐに公の私室に向かった。今日の結果報告だ、私室では公が軍服を着たまま待っていた。
「二人とも御苦労様、それで」
「まあ、今のところは問題は無いかと。改革の意図をきちんと理解してくれているようです」

フェルナー大佐の報告に公が満足そうに頷いた。
「フレーゲル内務尚書に感謝しないと。良くやってくれている」
「そうですね」
「……」
妙な事を言う、どういう事だ。公とフェルナー大佐が俺を見て意味有りげに笑った。何だ、何が有る?

「シェーンコップ大佐、店で話している二人組の男が居ただろう。中年の男と若い男だ」
「ああ、……まさかとは思うが」
「そのまさかだ。あの二人は帝国内務省、悪名高き社会秩序維持局の職員だ。帝国中の彼方此方で内務省の職員が同じような事をしている。あそこは大所帯なのでね、人手に困ることは無い」
社会秩序維持局! 俺が絶句していると公が楽しそうに笑い出した。

「世論の操作、誘導ですか」
公が首を横に振った。
「そう見えるかもしれませんが私としては改革の内容を知らせるのが目的です。彼らに改革の内容を誤って理解して欲しくないのですよ」
「……」
「改革の意図を捻じ曲げて平民達に伝えられては困るのです」

意図を捻じ曲げて? 世論の操作、誘導をしているのは公ではないのか。
「そういう事をする人間達が居るのですな、それを防ごうとしていると」
「そうです、居てもおかしくは無いでしょう」
改革に反対する者だな、という事は……。フェルナー大佐が面白そうに俺を見ている。また試されている。

「門閥貴族達、ですか」
「それも有りますね」
それも有る? 他にも有るという事か、一体誰だ?
「分かりませんか?」
「……」
「門閥貴族と密接に繋がっているもの。彼らから大きな利益を得ているもの」

密接に繋がっている、大きな利益……、利益! そうか、そういう事か。
「フェザーンですな」
公とフェルナー大佐が満足そうな表情をしている。どうやら合格か、帝国に来てから試されてばかりだな。

「より正確にはフェザーンの自治領主府、大企業ですね。自治領主府は帝国が強大になる事を望んでいません。そして大企業にとって門閥貴族は大事な顧客です。彼らが弱体化すれば利益が減ります、場合によっては死活問題になる」
「……」
当然だが連中にとっては目の前の青年は目の上のたんこぶだろう。

「比較的好意的なのは独立商人を中心とした零細企業です。彼らは改革によって商機が増えるのを期待しています」
「なるほど」
俺が答えるとブラウンシュバイク公が笑みを浮かべた。

「ようこそ、シェーンコップ大佐、これが帝国です。政府、貴族、軍人、平民、フェザーンが入り混じって争っている。この他にも外には自由惑星同盟という敵が居ます」
「……」
同盟にとっても目の前の青年は目障りな筈だ。何とも敵の多い御仁だ。皆が彼を殺したがっている。

「そしてブラウンシュバイク公爵家はその渦中に居る。これから改革が進めばブラウンシュバイク公爵家を取り巻く環境は今以上に厳しくなるでしょう。その事を理解してください」
「承知しました」
俺が答えるとブラウンシュバイク公は笑みを浮かべて頷いた。

リューネブルクの言った通りだな、ドジを踏めばとんでもない事になる。それにしても周りは敵ばかりというのに怯えた様子も嘆く様子も見せる事は無い。外見とは裏腹にかなり豪胆なようだ。いや、敵の総旗艦に乗り込んでくるのだ、臆病の筈がないか。楽しくなってきたな、目の前の青年が何処まで行くのか見たくなってきた。同盟では味わえない楽しみだ。仕官した甲斐が有ったというものだ。




 
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