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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十四章 水都市の聖女
  第一話 死者と聖者

 
前書き
 ……ちとグロイ? 

 
 ガリア王国の王都であるリュティスから遠く離れた郊外。そこには何処まで続くのか伺い知ることすら出来ない石壁がある。その向こうには、ガリアの王族が暮らすベルサルテイル宮殿があった。王都から離れた位置に王族の住む宮殿がある理由は複雑なものではない。単純にその宮殿が馬鹿らしいほどの規模がその理由である。その面積は、小さなものであれば一つの街がすっぽりと入る事が可能なほどの大きさだった。
 そんな巨大な王族の住居に向かう蠢く影の姿があった。
 時は深夜。
 唯一の明かりである双月と星は空を覆う分厚い雲に隠れており、伸ばした己の指先さえ目を凝らすも見えなほどの闇が辺りを包んでいる。
 だが、夜の闇を掛けるその影は、迷いない動きで真っ直ぐ宮殿へと向かって進んでいく。その速度や影の大きさから、どうやら馬か何かに乗っているようだ。影が進む先に、夜の闇を更に濃くしたような闇が広がる。大きな森が、影の前に立ち塞がる。まるで巨大な怪物が大きな口を開いて獲物が飛び込んでくるのを待っているかのようで。だが、影は躊躇することなく闇深き夜の森へと突き進んでいった。





「遂に反乱が起きてしまいましたか……。何時かは起きるだろうとは思ってはいましたが、まさか両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)が反乱を起こすとは思ってもいませんでした。司令のクラヴィル卿は王政府寄りだと聞いていましたが、噂話等当てにはなりませんね」 

 宮殿を取り囲む巨大な石壁の下を歩く騎士が二人。壁石に掲げられた松明の明かりに浮かび上がるのは、老騎士と若い騎士の二人だけ。昼に降った雨から来る湿気に顔を歪めながら、一人の若い騎士がため息混じりにぼやく。ぼやきの内容は、つい先日ガリアの北西海岸にある軍港サン・マロンにおいて、両用艦隊が反乱を起こしたことについて。そのおかげで今やリュティスでは戒厳令が発令され、王都にあるほぼ全ての戦力が港へと向かっていた。噂によると、今も睨み合いが続いており、何時終わるのかさえ予想がつかないそうだ。
 鉛のように重いため息を耳にした老騎士は、南白百合花壇騎士団の同僚であり後輩である若い騎士に顔を向けると首を小さく横に振った。

「きみの悪いところは直ぐに結論を出すことだな。さて、その反乱自体も本当かどうか……わたしはそこも疑わしく思っておるよ」
「では、反乱の話はデマなのですか?」
「デマというよりも……振りをしているかもしれないな」
「振り、ですか? しかし、何故そんなことを?」
「さて、理由は分からんが、誰が命じたかは少し考えれば誰にでも分かる。クラヴィル卿は頭を下げて出世したと言われる男だ。矯正され調教された犬が、さて、飼い主に噛みつけるときみは思うのか?」
「つまり、それは―――」
「陛下の思し召しというわけだ」
「……」

 老騎士の話を若い騎士は否定することはしなかった。殆んど妄想や空想とさえ思える話を若い騎士が否定しないのは、それはこの老騎士の事を尊敬しているからである。入団してからこれまで教師の代わりをしてきた老騎士の凄さは良く知っている。家柄さえ良ければ、この老騎士は騎士団の一つや二つ軽く束ねていてもおかしくはない実力があることをよく知っているからだ。そして、この話を否定するほど、この年若い騎士はヒネクレ者でも、愚かでもなかった。それに、言われる前から若い騎士は自分でも薄々何かがおかしいと感じていた。
 とは言えまだまだ疑問は尽きない。年若い騎士がその疑問を解消するため「それでは―――」と話を続けようとした時、丁度二人は王室の御猟場であるテーニャンの森へと視線を向け。そこで動く何かの影に気づいた。

「誰だッ!」

 誰何の声と同時に“明かり”の呪文を唱え、テーニャンの森へと向ける。眩い光に、黒いローブを羽織った男の姿が浮かび上がる。既に二人の騎士は引き抜いた杖の先を謎の男へと向けていた。メイジの杖を突きつけられながら、謎の男は身じろぎもしない。若い騎士が杖を動かさず声を上げる。

「フードを取れっ!」

 指示を拒否することなく、謎の男は顔を隠していたフードを外した。フードに隠されていた顔を見た若い騎士が息を呑む。隣でも歴戦の勇者である老騎士が目を見開いた。

「カステルモール殿っ!?」

 フードの下から現れたのは、東薔薇騎士団団長であるバッソ・カステルモールであった。若い騎士とそう変わらない年齢ながら、一つの騎士団の長を任せられている男である。老騎士と同じく家柄は決して良いとは言えないが、他国にも轟く程の実力により騎士団長にまで任じられた、若いながらも数々の勇名を持つ騎士だ。そんなガリアの騎士でその名と顔を知らない者はいないと言ってもいい程の有名人を前に、しかし若い騎士は訝しげに眉根に皺を寄せた。

「東薔薇騎士団はサン・マロンに向かったと聞いていましたが、何かあったのですか?」

 いるはずがない者がいる事に戸惑いながらも、何時までも騎士団長に向かって杖を突きつけているのはどうかと思った若い騎士が杖を下ろそうとするが―――

「フランダールッ! 杖を下ろすなッ!」
「―――ッはい!! え? あ、そ、その、どういうこ―――」

 叱咤する老騎士の声に背筋をびくりとさせながらも、若い騎士は反射的に下ろしかけていた杖を再度カステルモールに向ける。騎士団に入団した時から教えを受けてきた老騎士の強ばった厳しい声に、若い騎士は思考を挟む間もなく条件反射的な動きで杖を動かしていた。そして、若い騎士はカステルモールに杖を突きつけ直した後、反射的に背後の老騎士に疑問を投げかけようとする―――が、それは間違いであった。

「―――ッ馬鹿者!! 目を離す―――」
「―――え? ッ!?」

 老騎士の警告の声は、全てが若い騎士に届くより前に、森の闇の奥から飛んできた無色の風の塊により強制的に停止させられる。城壁に掲げられた松明の明かりが届かない位置に吹き飛ばされ、見えなくなる老騎士。そして若い騎士も同じく、目の前で起きた出来事を理解するより前に腹部に強烈な衝撃を受け吹き飛ばされる。ゴロゴロと地面を転がり、背中に硬い何かが当たり身体が止まる。痛みと衝撃により意識が遠ざかっていく。
 だが、せめて何が起きたのか確認だけでもしなければと、若い騎士が最後の力を振り絞り顔を上げると、そこには厳しい顔をしたカステルモールが、軍杖を先程まで自分が立っていた場所に向けている姿だった。つまり、味方であるはずの東薔薇騎士団の騎士団長が、自分に攻撃を仕掛けてきた。

「っ、ぁ、な、ぜ?」 

 その問いに、カステルモールは応えることはなかった。










 背後から現れた部下たちが、警邏の騎士を縛り上げている姿を横目に、カステルモールはこれまでの事を思い出していた。
 目まぐるしく変化する日々であった。
 貧乏貴族に生まれ、将来に希望を見いだせなかった時、見込みがあるとの一言で自分を引き立ててくれた殿下。楽しいだけの日々ではなかった。辛いことも多くあったが、しかし杖を捧げるに相応しい尊敬する殿下の元、毎日が充実していた。いずれ殿下が王となり、自分はその下で支えていくのだと疑い無く信じていたあの日々。
 だが、そんな夢は儚くも散ってしまうことになる。
 殿下の兄とは到底思えぬあの愚鈍な男が王となった日から、全ては崩壊を始めた。
 守るべき主の暗殺。
 残されたオルレアン公夫人の暗殺未遂。
 王女シャルロット様に対する死の宣告に等しい命令の数々。
 ―――何も、出来なかった。
 決して見ていただけではなかった。どうにかして助けようと自ら動き、周囲に働きかけもした。だが、結局は何も出来はしなかった。動く端から全て封じられてしまい、そうこうしているうちに、全ては終わっていた。主を無くした自分たちは、嵐の海に取り残された小舟のようなもの。進むべき先も分からずただ沈まぬようにするだけしか出来なかった。騎士団の団長とは言え、相手は王。一介の騎士団長がどうにか出来るような相手ではない。
 ギリっ、と噛み締めた唇から血が滲み、鉄の味が口中に広がる。
 だが―――しかし。
 あれから時が流れ、無能はその浅短を晒し、今や外だけでなく内にまで敵を作る始末。
 今ならば―――今だからこそっ!?

 カステルモールは決意を新たに心の中で強く頷いた。
 あの日―――両用艦隊の反乱の報を受けたカステルモールは、始めからそれを信じる事はなく。直ぐに各地に潜む協力者から情報を得て、真実を手にした。
 そう―――反乱とは真っ赤な嘘であり、全てがロマリアへの領土的野心を抱いたジョゼフの陰謀である、と。
 その事実にカステルモール率いる東薔薇騎士団は激昂した。
 同盟国に対する騙し討ち等という非道、もし露見すればガリア王国は消えぬ汚名を刻まれることとなる。そのようなこと、許される筈がない―――決起の時は今と、カステルモールは決意した。
 サン・マロンへ向かうと見せて、カステルモール率いる東薔薇騎士団は夜の闇に紛れてリュティスへと引き返した。時間は掛かったが、何とか夜が明ける前にはリュティスへと戻ることが出来た。戻る途中、協力者である各連隊へ急使を送り、既に三つの連隊から協力の確約を取り付けている。日が昇る頃には、その三つの連隊もここリュティスへと到着するだろう。上手く事が進めば、三日後には、トリステインに亡命している亡き主の一人娘であるシャルロット様を玉座へと迎える事さえ可能かもしれない。
 亡き主―――オルレアン公の面影が残すシャルロット様が玉座に座す姿を思い、カステルモールは何時ぶりかになる笑みを口元に浮かべた。
 そして、石壁の向こう―――王宮へと険しい目で睨みつけたカステルモールは、杖を高々と掲げた。

「さあっ! 行くぞ諸君ッ!! 簒奪者から玉座を取り戻し、正当なるお方へとお返しするためにっ! 各々ガリア花壇騎士として誉れを魅せろッ!!」

 ―――オオオオォォォォォォッ!! という地鳴りに似た歓声と共に、次々に騎士団は“フライ”を唱え石壁を飛び越えていく。静まり返った夜に騎士団の歓声は良く響き、降り立った東薔薇騎士団の騎士たちの前には、異変に気づいた警備の兵たちが集まってきていた。だが、もはや勢いづいた東薔薇騎士団を止められるような者などいるわけがなく、立ち塞がるものを全て吹き飛ばしながら彼らは一直線に目的の場所へと向かう

 ―――怨敵ジョゼフが眠るグラン・トロワへと。










 ――――――――――――――…………。


 玉座に腰掛けたジョゼフは、目を閉じ耳に当てたオルゴールの奏でる音に聞き入っていた。
 力の抜けたその姿は、今にも鼻歌を歌い始めそうなほどだ。始祖の調べに浸っていたジョゼフは、ゆっくりと目を開き始める。天を見上げる眼差しの先には何も映ってはおらず、空虚な色をたたえていた。
 何も映さない瞳のまま、ジョゼフは何かに誘われるかのように唇を開き始める。しかし、それがナニカの形を作る直前、玉座の間に衛士を連れた大臣が息を切らしながら飛び込んで来た。
 虚空を見つめていた目がゆっくりと下へと向かい、汗を拭う大臣へと向けられる。

「へ、陛下っ、た、たた、大変でございますっ! む、謀反が、謀反が起こりましたっ!」

 慌てて玉座の前まで駆け寄ってきた大臣は、勢いそのまま跪いたためか、前へゴロリと転がり床へと額を強かに打ち付けた。数秒額を抑えながら痛みに耐えた大臣は、涙が混じる声でジョゼフに謀反について報告する。

「む、謀反は東薔薇騎士団っ! す、既に警護の者を蹴散らし、こ、このグラン・トロワにまで侵入してきておりますっ! げ、現在“鏡の間”において親衛隊が防衛線を敷いておりますが、それも時間の問題と思われますっ! そ、そそ、早急に地下通路で脱出をっ! わた、わたしの護衛隊が警護を仕りますのでっ」

 本来ならばいくら勇名名高き東薔薇騎士団相手とは言え、ここまで簡単に侵入を許す筈はなかった。しかし、件の“陰謀”のため多くの部隊や騎士団が出払っているため、今王宮の守護をしているものは、メイジでもない傭兵が数百人にメイジが二十名程度。数の上では圧倒的に有利ではあるが、八十名いる東薔薇騎士団員は全員がメイジ。メイジではない者が何百人いようとも、精々壁になれば良い方であり、戦力に数えることなど出来はしないのだ。つまり、数の上でも質の上でも劣っている王宮側の勝利の可能性は零と言っても何ら問題はない。
 それがわかっているからこそ、大臣は王と共に逃げ出そうと必死なのであった。
 だが、当の狙われている張本人であるジョゼフはオルゴールから耳を離さず、大臣を一瞥しただけで目は閉じる始末。身体をゆっくりとメロディーに合わせるかのようにユラユラと揺らしている。
 その余りの緊張感の無さに、大臣は王が死を前に現実逃避しているのだと考え、自分一人でもどうにかして逃げられないかと周囲を見渡していると―――、

「―――ひ」

 ―――遠くで聞こえていた剣戟の―――魔法の―――戦いの音が途絶えた。
 つまり、それは……。
 その意味は明白である。
 変え用のない現実を前に、大臣はガクガクと遠目でも分かる程大きく震えながら玉座の間の入口へと視線を向ける。大臣に付き従っていた護衛の者たちも各々杖や剣を入口へと向けた。間もなく勝者である東薔薇騎士団の面々が現れるだろう。護衛はメイジを含め十人。時間稼ぎも満足に出来はしないだろう。
 自分の心臓の音が耳にうるさいほど大きくなり、どれだけ呼吸をしても足りず、ぜえぜえと犬のように下を出して激しく息をする大臣の前に―――ソレは現れた。

「―――ぁ?」

 最初、ソレが何なのか大臣には分からなかった。薄暗い王座の間に次々に転がり込んでくるボールのようなもの。しかし、形が歪なのか、真っ直ぐ進むものは殆んどなく、王座の間に広がるようにソレは転がっていく。大臣とその部下たちは、杖や剣を構えるのも忘れ、何処か呆けたような表情で近付いてくるソレを見つめている。ソレはゆっくりと転がりながら王座へと近づいていき―――その正体を現した。
 ソレが何なのか理解した瞬間、大臣は、否、玉座の間にいたジョゼフを除く全員が息を飲んだ。

「「「―――ッ!!?」」」

 ゴロリゴロリと玉座の間へと転がり込んできたのは、大きなボールのようなナニカ。薄暗い玉座の間では、遠目ではソレが何なのか直ぐに分からなかったが、明かりが届く場所までソレが転がってきた時、直ぐにソレが何なのか全員が強制的に理解させられた。

「ひ、ひひ、ひぃぃイイぃぃィッ!!?」

 女のような甲高い悲鳴が上がる。
 次々に転がってくるそれを前に、誰も動けず視線さえ離せない。
 ゴロリゴロリと次々に転がってくるそれは、転がる度に赤い線を滑らかな大理石の床に跡をつけていく。その跡を辿れば、欠けた残りがあるとでも伝えるかのように。
 丁度八十を数えるソレが玉座の間へと入ってくると、ソレはそれ以上転がってはこなかった。
 重く沈んだ空気が玉座の間へと満ちる。誰も声を上げない。ただ異様に荒い呼吸音が聞こえるだけ。声を上げた時、自分もソレの仲間入りするのではと、根拠のない恐怖により誰もが喋れない中、最初に口を開いたのは誰も予想だにしない人物であった。

「―――楽しめたかね?」
「「「ッッ!!??」」」

 ジョゼフの声に反射的に玉座へと視線を向けた面々は、目を疑った。
 つい数秒前まで玉座にはジョゼフ以外誰もいなかった。なのに、今彼らの目には玉座の背後に立つ黒い人影があった。黒いローブですっぽりと全身を覆った姿から、男か女かはハッキリとは出来ないが、背の高さや肩幅の広さから男だと思われる。そんな不審全開な男が背後に立っているにも関わらず、ジョゼフは平坦な声のまま淡々と問いかけていた。

「話すことは出来ると聞いていたん―――」
「―――足リン」
「ほう」

 荒い、喉が焼けて潰れたかのような低く雑な声であった。地獄の奥底から響いてくるような声に、大臣や護衛の者たちが自分の耳を抑え怯える子供のように蹲った。
 聞く者の心臓を削るような声を間近に聞きながら、しかしジョゼフは涼しい顔で頷く。

「お前は行かなくとも良かったのか? 例えあの男だろうと改良されたヨルムンガンドを相手では勝てぬかもしれんぞ?」
「玩具デ殺セルヨウナ男デハナイ」
「ならば、お前なら殺せると?」
「……マダ足リン」

 背後の男の言葉が予想外だったのか、ジョゼフは目を丸くすると背後を振り返り笑みを向けた。

「東薔薇騎士団を全滅させるほどの力でも足りんか」

 ジョゼフの視線が背後から前へと向けられる。
 玉座の前へと平伏するかのように綺麗に並んだ―――



「―――エミヤシロウヲ殺スニハ、マダ足リン」



 ―――生首へと。

 
 
 
 
 




 都市ロマリアから北北東へ三百キロ程離れた位置にある街アクレイア。ガリアの国境付近にあるその街において、明日から二週間に渡り教皇の即位三周年記念式典が行われる予定であった。
 記念式典とは言うものの、何か特別な催しがあるわけではなく、ただ式典の二週間に渡り、教皇は数人の神官と巫女と共に祈りを捧げ続けるだけである。しかし、祈りを捧げる教皇の姿を一目見ようと、ハルケギニアの各地から何万もの信者たちが押し寄せ。更にその信者相手に商売をしようと商人たちやただの物見遊山等様々な人がこのアクレイアへとやって来る。その総数は十万にも届くかもしれず―――その中には確実に教皇に対し害意を持つ者がいる。
 その後ろで糸を引く者こそガリア王ジョゼフ。
 ハルケギニア全土の支配を企んでいるだろうガリア王ジョゼフを打倒するため、予想される教皇の暗殺を逆に利用し、ガリアの横暴を封じ込めようとする作戦が行われようとしていた。その作戦のための会議が、記念式典を明日に控えた夜、アクレイアの聖ルティア聖堂において行われていた。
 会議に出席する者は、今回の作戦を知る者たちとその作戦を実行するものたちの主要メンバーたちであった。
 トリステインからは―――アンリエッタ、ルイズ、ティファニア……そしてセイバー。
 ロマリアからは―――教皇ヴィットーリオとジュリオ。
 そしてアクレイアの市長と聖ルティア聖堂の大司祭。
 この合計八名の間で会議は行われていた。
 アクレイアの代表として会議に出席している市長と大司祭に対しては、混乱を控えるためガリアが狙っているものが“虚無の担い手”ではなく教皇と伝えている。と、言うよりも、この会議自体が市長と大司祭を騙すための演出のようなものであった。アクレイアにおいてガリアが何かを起こすのは間違いないが、それが一体どんなものなのかは分からない。もしかすると見物客もまとめて巻き込むような方法を取る可能性もある。ならば人手が大いに越したことはない。アクレイアの協力を取り付けるため、“教皇暗殺”が図られているという嘘ではあるが本当でもないどうあっても断れない事を盾に、市長と大司教の協力を取り付けたのである。
 そして今、教皇暗殺を防ぐための計画をジュリオから説明を受けた市長と大司教は、計画の磐石さを知り安堵すると、明日から始まる式典の準備があると会議室から出て行ってしまった。
 残されたのは、ロマリアとトリステインの関係者だけ。
 さて、ここから本当の作戦会議(・・・・・・・)が始まるのかと思いきや―――そうはならなかった。

「―――ガリアが軍を動かす可能性はあるのか」

 声を上げたのはティファニアの背後に控えるように立つセイバーだった。
 セイバーは冷ややかな視線の先には、大きな丸いテーブルを挟んだ向かいに座るヴィットーリオとその背後に立つジュリオの二人がいた。
 投げかけられた問いに答えたのは、市長たちへの説明のため、黒板の前に立っていたジュリオであった。

「可能性は五分といったところでしょうか。先週から今までガリアに不審な動きは見られません。しかし一応の用心のため、国境付近には我が軍の精鋭である聖堂騎士隊が率いる四個連隊四千が駐屯しています。空にはロマリア皇国艦隊も控えていますので、ガリアでこれに対抗できる空中戦力は“両用艦隊”ぐらいです」
「国境付近に軍を配置するとは―――まるで戦争を望んでいるようですわね」

 氷のような冷ややかな声をジュリオとヴィットーリオに掛けたのは、対面に座るアンリエッタであった。アンリエッタは不純物がない水を凍らせたかのような蒼く透明な瞳をジュリオたちに向けながら、白い頬の片方を僅かに持ち上げた。

「いえ、『まるで』ではなく戦争がしたいのですね。どうやらその美しいお顔の下には、随分と血に飢えた獣が住んでいるようで。ふふ……まあ、今のわたくしも人のことは兎や角言えませんが―――ねぇ」

 スッと、細めた瞳が会議室を照らす魔法の光をキラリと反射させる。反射された光はまるで氷の刃物のように鋭く凍えた冷気をジュリオたち二人の身体を裂く。
 ブルリと内蔵を突き抜け背中へと抜けた怖気に、ジュリオたちが身体を震わせると、アンリエッタの横に座るテーブルに目を落としていたルイズが口を開いた。

「“暗殺”でも“戦争”でもどうでもいいわよ……これが終わったらちゃんとシロウを返してくれるのなら、ね」
「……ええ、ミス・ヴァリエール。今回の件が解決すれば、必ずミスタ・シロウを貴方へお返しします」

 にこやかな笑みを返すヴィットーリオに、ルイズは「ハっ」と小さく笑うと、顔を伏せた状態から対面する二人を()めつけた。

「別に今すぐ返してくれてもいいんだけど?」
「残念ですがそれは無理ですね」
「……シロウなら独力で戻ってくるかもしれないわよ」
「以前も説明しましたが、彼がここまで戻ってくるのは不可能です。わたくしも彼を牢屋等で拘束出来るとは思ってはおりません。ですから―――」
「―――シロウでも戻ってこれない何処かへ飛ばした―――でしょ」
「はい、その通りです」

 ルイズの言葉にヴィットーリオは頷いた。
 ガリアへ対抗するための仲間である筈が、ルイズたちとヴィットーリオたちの間には、友好的なものは欠片もなかった。それどころか、ルイズたちはヴィットーリオたちに向ける、親の敵にでも向けるような殺気を隠そうともしていなかった。
 何故、こんな事になったのか。
 事の起こりは、今から二週間前の事であった。
 ヴィットーリオが覚醒し発動させた虚無魔法“世界扉”が予想外の結果に終わったその翌日―――衛宮士郎の姿が消えた。
 前日起きた出来事が出来事だったため、もしかしたらと言う思いが消えない中、ルイズたちは聖堂内だけでなくロマリアの街を探すが見つからず、時間だけが無情に過ぎていった。何処を探しても見つからない。日が落ち、焦燥だけが募る中、ルイズ達が最後に頼ったのはブリミル教の頂点に立つ男―――ヴィットーリオだった。
 だが、長い手続きを終えてようやく会えた最後の希望であるヴィットーリオから向けられた言葉は、ルイズたちの予想を遥かに上回る言葉だった。

 ―――エミヤシロウは、わたくしが“虚無魔法”でとある場所へと飛ばしました。

 その言葉の意味がルイズは一瞬分からなかったが、直ぐさまその意味を理解すると、激昂と共にヴィットーリオへと掴みかかろうとした。しかし、事前に控えさせていたのだろう聖堂騎士が部屋へと雪崩込み、それは防がれてしまった。聖堂騎士と言う名の壁越しに睨み付けてくるルイズたちに向かって、ヴィットーリオは変わらない涼やかな顔で続けた。

 ―――エミヤシロウを何処へ飛ばしたかはわたくししか知りません。そして飛ばされた場所は、例え彼であってもここまで帰って来ることは不可能です。彼を返して欲しいのならば、わたくしたちに協力してもらいます。

 否―――と、ルイズたちが口にする事が出来るわけがなかった。
 その時から、ルイズたちはヴィットーリオの手駒と成り下がった。今のところ、トリステインの関係者で士郎が人質とされた事を知らないのは、セイバーを除く水精霊騎士隊の男子生徒四名だけであった。伝えたとしても、動揺して足でまといになる可能性があるということから、四人には士郎は特別な任務のため一時的に離れると伝えていた。
 あれから二週間経つが、士郎が何処へ飛ばされたかは全くと言って不明であった。
 タバサやキュルケ、コルベールも独自に動いていたが、士郎が何処へ飛ばされたかの情報は全く手に入れることが出来ないでいた。ヴィットーリオは自分の虚無の系統が移動に特化していると説明していた。そしてヴィットーリオのあの自信。士郎が自力で戻っては来れないと断言するところから考えるならば、最悪ハルケギニアどころかサハラを越えた場所にまで飛ばされている可能性がある。もしそうならば、ハルケギニアの者でも知らない土地から、異世界の住民である士郎が自力で戻ってこれる可能性はほぼ零と言ってもいいだろう。
 だからこそ、ルイズたちは愛する男を奪われた憎しみと怒りを押し殺しながらも、ヴィットーリオの命令に従うはめとなっていた。

「人質とは―――その若さで教皇の地位に就いたにしては、随分と馬鹿な真似をしたな」

 ルイズとは逆の位置であるアンリエッタの隣に座るティファニアの後ろ。そこに立つセイバーが、眼光鋭くヴィットーリオを睨みつけた。怒りに包まれた清廉な声が刃となって突き刺さるが、ヴィットーリオは涼しい顔で受け止め、口元に小さな笑みを浮かべた。

「そうでしょうか? たった一手であなたたちの力が使えるのならば、わたくしには悪手とは到底思えませんが」
「―――ほお」

 無表情のまま、何処か感心したような、馬鹿にしたような声をセイバーが上げると、ガタンッ、と音を立てルイズが椅子から立ち上がった。会議室の全員の視線がルイズに向けられる。集中する視線にルイズは頓着する事なく踵を返すと、会議室のドアへと向かって足を動かし始めた。

「何処へ行くんだい?」

 会議室を出ようとするルイズの背中にジュリオが声を掛けた。ルイズの足がピタリと止まるが、それだけ。振り返ることはなかった。

「部屋に帰るのよ。もう話すようなことはないでしょ。これ以上ここにいたら、色々と爆発してしまいそうなのよ―――分かるでしょ?」

 傾けた顔から一瞬覗いたルイズの瞳には、地の底で蠢くマグマのような熱が篭っていた。それをまともに受けてしまったジュリオはこみ上げてきた悲鳴を何とか飲み込むと、微妙に引きつった笑み浮かべた。

「確かにそれは困るね。爆発するのは憎きガリアを前だけにして欲しいから。確かにもう今更説明するようなこともないし、帰っても大丈夫だよ」
「……ええ。帰らせてもらうわ」

 ルイズの足が動き出し、白い服の裾が浮き上がる。
 何時もの魔法学院の学生服ではなく、合わせ目にオレンジのラインが走った白い神官服に身を包んだルイズの姿が、扉の向こうに消えていく。ガチャリと音を立てて閉まる扉の向こうへと、ヴィットーリオは笑みを浮かべたまま声を掛けた。



「期待していますよ―――聖女ルイズ」
 
 
 







 
 

 
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