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三個のオレンジ

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第一章


第一章

                      三個のオレンジ
 ロシアは寒い。それも異常に寒い。
 その寒さはあまりにも有名だ。従って憧れる場所は暖かい場所だ。
 従ってバナナはない。パイナップルもない。そんなものはまさに夢のものだ。
「我が国にはバナナ以外何でもある」
 かつてスターリンはこう豪語した。言い換えればバナナはないのだ。
 酒はある。元々ロシア人は無欲である。家と仕事とウォッカがあればそれで満足だとさえ言われている。無欲で素朴で親切な人達だとよく言われている。
 しかしその彼等でも憧れはある。ソ連が崩壊してから持ち前の尋常ではない体力と生命力と回復力で見事に復活した。その中でだ。
 モスクワのあるレストランの中でだ。金髪に碧眼、しかも白い肌の見事なスラブ美女が向かい側にいる背の高いこれまた金髪碧眼の青年に対して言うのであった。
「オレンジないかしら」
「オレンジ?」
「そう、オレンジ」
 それはないかというのである。
「食べてみたいけれど」
「最近オレンジじゃなくてバナナも手に入らないかい?」
 しかし相手の青年はこう言うのであった。
「果物さ。他の国が輸出してくれるから」
「まあね。それはね」
 流石に今はそういうものも食べられるようにはなっている。時代は変わっているのだ。
「なってるけれどね」
「じゃあいいじゃないか」
「違うのよ。もっとね、何かね」
「何か?」
「新鮮なみずみずしいオレンジが」
 それがだというのだ。
「そういうのが欲しいけれど」
「みずみずしいねえ」
「一旦凍らせたのとかじゃなくて。もっと新鮮で。船で運んだのじゃなくて」
「随分贅沢なことを言うな」
 青年は彼女のその言葉を聞いてだ。ピロシキを食べながら言った。二人が食べているのはそのピロシキにボルシチだった。典型的なロシア料理である。
「そんな。新鮮なオレンジなんて」
「ドイツとかは普通に食べてるみたいね」
「イタリアから輸入してね」
 隣の国である。その分だけ新鮮なものが来るというわけだ。
「そうしてね」
「それが羨ましいのよ。ねえイワノフ」
「何だい、ソーニャ」
 ここで二人の名前を呼び合う。
「オレンジ食べたいけれど」
「そのオレンジだよね」
「どうかしら」
 ピロシキを食べながらの言葉だ。
「新鮮なオレンジね。いいと思わない?」
「じゃあイタリア行くとか?」
「あっ、余計にいいわよね」
 また言うソーニャだった。笑顔になっている。
「イタリアね。空が青くて澄んでるらしいわね」
「空が青くて澄んでいる」
 それを聞いてであった。イワノフの顔が晴れやかになった。青い空と聞いてだ。
「凄いね、それって」
「そうでしょ、凄いって思うでしょ」
「ロシアにはそんなのは」
「滅多にないからね」
「雪ばかりだからね」
 ロシアといえば雪である。このモスクワにしてもそれは同じだ。空は常に重苦しい暗灰色であり一年の殆どが雪に覆われている。その彼等にとってイタリアはだ。
 そこの青い空と聞いてだ。イワノフは目を輝かせていた。そうしてである。
「それだったら」
「どう?乗る?」
「乗らないでいられないよ」
 腕を組んで言った。
「もうね。そうだ」
「そうだ?」
「旅行に行こうか」
 こうソーニャに言うのである。
 
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