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クルスニク・オーケストラ

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第六楽章 呪いまみれの殻
  6-1小節


 今日は久しぶりの、《私/俺/僕/あたし》が自由に動ける日。さあ、何をしましょうか?




 今、わたくしとリドウ先生は差し向かいに座っている。クラン社の1フロアをまるまる医療棟にした病院の、診察室で。

 今日はリドウ先生の問診の日。わたくしの記憶力の異常などがないかを診る日なんです。
 ……といっても、もう異常だらけなんですけどね。

 白衣で髪を束ねたお医者様スタイルのリドウ先生を見られる、貴重な日でもありますのよ。

「んじゃまず、両親の名前」
「父ブルクハルト・クワイ・リート、母ブリギッタ・アン・リート」
「兄弟」
「姉セルマ、兄ヴェルナー、弟ロニ、妹エミーリア」
「その他近親者は」
「トリグラフにはおりません」

 リドウ先生は何もお答えになりません。正解のようです。
 ほっとしました。昨夜、戸籍謄本と住民票で予習した甲斐がございました。

「生年月日。お前の」
「…あ…っと…4975年、土霊盛節(アルプ)火旬(ルージ)です」
「ブー。残念でした。誕生旬が違うね」
「あ……」

 しまった。家族構成を覚え直すのに気を取られて、自分のパーソナルデータの再確認を忘れてた。

「次行くよ。出身校、下から」
「公立××××初等学校、私立×××××中等学校、私立××××高等学校、以上です」
「好きな色」
「赤」

 好きな色はいつでも変動なし。おそらくわたくしに《呪い》をかけた常盤緑の精霊のせいでしょう。

「好きな食べ物」
「お、お肉、とか」
「好きな花」
「ジャスミン」
「最近買ったもの」
「コッヘンの『テニジンは針金じかけ』…は買いに伺ったんですけどなかったんでした。なのでブラッドベリの『形而上学』を一冊。大型書店で『月刊庭園』の今月号と『精霊交信』創刊号を。後は作曲用の楽譜の白紙ノート。くらい、です」
「昨夜と今朝食べたもの」
「昨夜はロールキャベツ。今朝は…残り物のスープとパンとヨーグルトです」
「――好きな色には変動なし。食べ物の項目では前は外食巡りだったのが自炊になってるな。料理そのものにも手をつけてる。好きな花もナルシスからジャスミンに変わった。古書漁り、音楽活動、ガーデニングは継続中」

 リドウ先生はさらさらとカルテに今までの問診内容を書き込んでいく。

「精霊の雑誌については……何? 算譜法(ジンテクス)が使えるご先祖様でもいたの?」
「おられました。自意識は希薄な方でしたが、知識が溢れ返って。確実に1500年以上は前の方です。念のため入門者向きだと思った雑誌を選んだのですけど」
「エレンピオス人は黒匣(ジン)なしで算譜法(ジンテクス)なんて使えない。精霊術なんて言わない。それに関しては知識だけ突き詰めて実践は放置。いいな? あんな奇ッ怪なモン、使ったらその場で苦労が水の泡だぜ」

 要するにエレンピオス人の常識に精霊術はないから、使えるようになって白眼視されないようにしろ、とのご意向ですわね。
 そうやって患者の身の上まで心配してくださるリドウせんぱいは、やっぱり素晴らしいお医者様です。

「ま、実践も何も、霊力野(ゲート)のないお前じゃできっこないんだけどね」
「承知しております。お気遣いありがとうございます」

 膝に置いていたコートを着て、バッグを取る。

「……お前はいいねえ。いつもヘラヘラ笑っててさ」

 あらお珍しい。お医者様モードのリドウ先生から個人的意見を聞けるなんて。雪でも降るんじゃないかしら。

「だって、《十錠の薬を飲むよりも、心から笑ったほうが効果がある》んですもの」
「今日は誰だよ」
「《Dチームのトマスです、リドウ副室長。最後のほうは、恥ずかしながら心療内科に通いながら任務をしていましたので》」
「ふうん。あ。言っとくけど、俺、最近、室長になったから」
「《失礼しました。昇進おめでとうございます。では、失礼いたします》」

 その《レコードホルダー》はわたくしの顔で笑って敬礼し、診察室を出ました。 
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