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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第31話 神に従う赤い子羊

 
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。

本日はお休みなので、昨日上げられなかった分をまず上げさせて貰います。 

 


 宇宙歴七八六年一〇月~ フェザーン


 フラフラと裏通りを歩いて偶然立ち寄った店のはずなのに、そこにはしっかりと狐の網が張り巡らされていたでござる。

 悪運と言うべきなのか。そう言わざるを得ない運の悪さ。間違いなく偶然のはずだ。誘導されたわけでも、追っかけられたわけでもない。なのに、黒狐の情人があの店にいた。豊満で妖艶な肉体も、世の中を達観したような眼差しでもなかったので別人だと思っていた(あるいは思いたかった)わけだが、ドミニク=サン=ピエールと名乗っている以上、本人なんだろう。もう二度と近づくまいとは思っていたが、俺は再びこの店を訪れている。

「いらっしゃい」
 胡桃材の扉を開けると、いつものように年配のバーテンダーが出迎える。弁務官事務所内での勤務という名の統計処理作業を終えて、尾行を巻きながらの訪問だから時刻は二〇時を過ぎている。店の営業時間は午前二時までだが、ドミニクは火曜日と木曜日と金曜日、しかも二二時で上がってしまう。本人に聞いて地雷を踏むようなことは遠慮したいので、フェザーンの労働法を調べて、それが意味することを事前に確認しておいた。それから導き出される結論は、ドミニクには黒狐の魔手が『まだ』延びていないということ。

「叔父さんから聞いているわ。私が店に来ない時にはいらっしゃらないんですってね」
 二曲目を歌い終えたドミニクが、今夜は光沢のある紫のドレスに細い金鎖のネックレスという、『そういう衣装は後二〇年くらいしてからのほうがいい』といった姿で、俺の隣の席に座る。彼女の叔父さんとやらには心当たりがないので聞いてみれば、ドミニクは細い手でバーテンダーを指し示す。

「この店にいらっしゃってからもう一月も経つというのに、ご存じじゃなかったのは驚きね」
「ここには歌を聴き、酒を飲みに来ているのだから、知らなくも別にいいんじゃないか?」
「あら、じゃあ私の歌を聴きに来てくれていると期待して良いのかしら?」
「酒だけが目的なら、週に一回がいいところだよ」

 それが全てではないが、事実であるので俺は正直に応える。毎日飲み歩くほど給与をもらっているわけでもなく、当然ながら『同盟弁務官事務所駐在部』の領収書をきれるような店でもない。高級でも場末でもない、その微妙な位置にある酒場で、ドミニクの歌声とそれを目当てにしている中間所得層ないし中小企業の幹部といった客層の話に耳を傾けるということが目的なのだから。だが黙々と酒を出すバーテンダーの動きまでは正直俺の目は回っていなかった。

「せっかく五〇〇〇光年離れた同盟から来ているというのに、こんな場末の飲み屋の小娘の歌声が聴きたいなんて、貴方も随分と物好きなのね」
 ドミニクの言葉に、俺は一瞬下腹に力を込める。叔父であるバーテンダーは場末と呼ばれて少し不愉快そうだが、半ば諦めてもいるようだ。さすがに俺から同盟出身者だとは話していないし、他にも特段自分が同盟出身者ではないと思うよういろいろと気をつけているはずだが……やはり後で黒狐とつながっているのか。ここで席を立てば余計怪しまれると思い、軽くスルーしてみる。

「物好きなのは否定しないよ」
「貴方の帝国公用語、変なところにアクセントがあるからバレバレ。きっとお国の言語教師が下手だったのね。もっとも帝国のド田舎からくるオノボリさんに比べれば、遙かにスマートで聞きやすいけど」

 そう笑いながら、ドミニクはいつものように烏龍茶を傾ける。原作でルビンスキーやルパートと一緒に搭乗するときは必ずと言っていいほどウィスキーとロックアイスが並んでいた。フェザーンの青少年健全育成法にも一六歳未満の飲酒はこれを認めないとある。そして彼女の態や店の規模・品格・備品から言っても、今の彼女が宝石店やクラブの経営者で、貨物船のオーナーとは思えない。

「貴方が来てくれるお陰でようやくダンス教室の月謝が払えるの。これからもご贔屓してくれるとありがたいわ」
「ウチの上司のことだから、来月にはどこにいるのか分からないよ」
「本当にウソが下手ね。航海士のような専門職なら、一月もフェザーンの地上に縛り付けておくなんて、そんな馬鹿な会社があるわけ無いでしょうに」

 俺を見るドミニクの流し目に、危険な物が僅かだが含まれているのは分かる。時折アントニナも同じような目をする。それは決まって『そんなことも分からないほど僕(ちなみにアントニナは僕っ子だ)が馬鹿だと思うのか』と怒っている時だ。俺があえてそれに言葉で応えず、肩を竦めて手を開くと、小さく鼻息をつくドミニクの顔には僅かながら優越感が浮かんでいる。頭がいいと自覚している証拠かも知れない。

「……じゃあ、俺はなんだと?」
「最初は同盟弁務官事務所の駐在武官かとは思ったわ。けれど貴方って若すぎるし、軍人にはとても向いてなさそうだし、何よりウソが下手すぎる。それにあの人達は必要以上に見栄を張って、こういう場所にはこないの。別のクラブで痛い目に遭ったからよく覚えているわ」

 いきなり直球ど真ん中で当てられて、俺の背中にはかなりの量の冷や汗が伝ったが、運良くドミニクは自分で否定してくれた。意外に迷っているのか、グラスから滴る水滴が包む手を伝うくらいになってから続けた。

「同盟系中小商社の研修社員、というところかしら。そうね。会社の幹部、それも最近昇進したばかりの人の息子さんで、近い将来会社経営に参画させたいと親心を持っている。それにかなり上級の幹部からの受けもいい。だけどまだ若いし経験が不足しているから、まずは外の世界を見てこいとばかりにフェザーンに放り出された。そんなところね」

 ……中小商社を同盟軍に変えればそのままその通りというべきだ。言葉に裏なく、正直に分析したというのであれば、ルビンスキーがその利発さ故に情人にしたという話も信じられる。しかし……シトレのクソ親父がいつも俺に言っている『軍人に向いていない』というのが、こんな時に役に立つというのも、なんだか癪にさわる。

「会社の名前は聞かないでほしいね」
「贔屓のお客さんを困らせるわけがないでしょう? しかも私の夢に投資してくれる確かな金蔓に」
「正直だなぁ……しかし、君の夢ってなんだ?」

 ドミニクの夢。少なくともルビンスキーの情人になることではないだろう。ただの情人ならルパートの母親のように捨てられるのがオチだ。夢と聞かれてドミニクは一瞬驚いた表情を俺に見せた後、自嘲気味に応える。

「歌手よ。女優にもなりたいけれど、今は歌手」
「君は美人だし、オーディションを受ければすんなり通るんじゃないのか?」
「私くらいの美人なんてこのフェザーンには『一束幾ら』でいるわよ。歌もダンスも同じ。オーディションでは良いところまでは行くけれど、なかなか最後までは行けないわ……覚悟がないからかしらね」
「覚悟?」
 ドミニクからとても聞くような言葉ではないので俺が問い返すと、ドミニクは困ったような表情を浮かべる。答えたくないというよりは、答えにくいという感じか。
「芸能事務所とかに所属する事よ……そしていろいろな人の『相手』をすること。『相手』をするなら、ステージでも何でも用意するって人は結構いるわ」

 『相手』という意味は言葉通りではないことはわかる。女性として譲れない一線だということも。ただここはフェザーンで、『国でも親でも売り払え……ただし出来るだけ高く』が格言となる場所だ。故にドミニクも『覚悟』という言葉を使ったのだろう……ルビンスキーの魔手が届いていないことに、俺は心底ホッとした。

「私は戦う限りは勝ちたい。でも守りたい物もある。だからクラブやいろいろな処を廻って、気のいいパトロンを見つけようと思ったけれど……やっぱり甘いのね、私」
「一五歳の女の子ならば、それくらいが普通じゃないか?」
「貴方、ご家族はいて?」
 ドミニクの突然の問いかけに、俺は戸惑った。何故そう言う質問がでてくるのか、瞬時には分からない。だが俺が答えるまでもなく、ドミニクは言葉を続ける。
「私には叔父さんしかいないわ。技師だった父は宇宙船の事故で死亡。音楽教師だった母は病気で。兄弟はいないし、残った血縁の叔母さんも一昨年亡くなった。音楽をやりたくてもお金がない。血の繋がらない叔父さんにそこまで甘えるわけにはいかない。お金が全てのフェザーンで、私の財産といえばこの身体と声だけ」
「……」
「声を売り物にするなら、身体は絶対に売りたくない……ただそれだけ」
 あと四年でルビンスキーに見初められ、情人の一人となって一財産築き、ルパートを騙し、ルビンスキーの側で多くの陰謀を見つめてきた女性の、それが一五歳での意地だった。

「俺が気前のいいパトロンでなくて悪かったね」
 俺はしばらくの沈黙の後、そう応えるしかなかった。学校に戻れと言うのも、覚悟を決めろと言うのも簡単だ。だが学校に行けと言うのは今までの努力も、将来の夢も諦めろと言っているのに等しい。覚悟を決めろと言うのは彼女を今まで支えてきた精神への侮辱だろう。
「……最初から期待していないからいいわよ。おかしなものね……フェザーン人の私より、フェザーンの事を理解している同盟の人なんて」
 そう言うとドミニクはすっかり氷の溶けた烏龍茶を一気に飲み干すと、顔だけ俺に向けていった。
「こういうの、本当はルール違反なんだけど、貴方の名前を伺ってもいいかしら?」
「……ビクトル=ボルノー。ビクトルでもボルノーでも、どちらで呼んでも構わない」
 情報部で勝手につけてくれた(というよりブロンズ准将の簡単なアドバイスで作った)偽名を俺は口にした。前世を含めて、偽名を名乗るのは初めてで、緊張していないと言えばウソになる。それを感じ取ったわけではないだろうが、ドミニクは一度目を細めた後、俺が今まで飲んでいたグラスに手を伸ばし、残り少なくなっていたウィスキーを一気に呷ると、空になったグラスを俺の目の前で掲げて言った。

「ビクトルさんの速いご出世を、私は心待ちにしているわ」


 それからも俺は毎週火曜・木曜・金曜と変わらずドミニクのいる店に通い続けた。さほど高い店ではないとはいえ何度も通うわけだから、出ていく額も結構なものになる。それまで外食で済ませていた昼食も弁当にし、それなりに生活費を削ってどうにか月収支を黒字に持っていくことができた。時折俺を食事に誘ってくれる同僚もいたが、預金額を想像してから乗ったり断ったりをしている。それゆえか『ボロディン少将の家は倹約なのか』と変な噂すら立ってしまった。ゴメン、グレゴリー叔父。

 そしてフェザーン当局から帝国軍の情報が入り、弁務官事務所での確認調査などで残業や泊まり込みがない限り、いつものように二〇時にはカウンター席の一つを占めて、ドミニクの歌と狭いスナックの室内を漂う来客の噂話に耳を傾ける。酔客に絡まれたときには笑顔で対処し、二ヶ月もすると常連として認識され、特にドミニク以外話しかけてくる人はいなくなった。時折女性が話しかけてくることもあったが、しばらくすると俺を挟んで反対側の席にドミニクが座るので、みな気まずそうに去っていく。

「若い男性がこの店に来ること自体、珍しいことだから彼女達も『機会』を逃したくないの。わかるでしょう?」
 ドミニクは苦笑して俺にそう応えた。
「彼女達、ビクトルのことを『ヴィクトール要塞』と呼んでいるわ。カウンターに座ったらトイレ以外に動こうとしないし、幾らモーションの砲撃を仕掛けても小揺るぎもしないって。どんな『主砲』をお持ちなのか味わってみたいとも、言っていたわよ」
「幸いなのか不幸にしてなのか、一度も使ったことがないよ。実際あるのかすら、自分でも正直自信がない」
「あら、お国にはそういう人はいらっしゃらないの?」
「同僚に言わせると『シスコンで口から先に生まれた男』だからモテないんだそうだ」

 俺がそう応えると、ドミニクはしばらく首をかしげたまま俺を見つめている。まだ右目まで赤茶色の髪は届いていないが、艶やかな髪が落ち着いた照明に照らされて、悩ましげにきらめいている。本人は卑下するが、充分に美人だと思う。俺に僅かだが好意を持ってくれていることもわかる。だが例え九割九分ルビンスキーに繋がっていないとは分かっていても、デートに誘ったりするのはどうにも気が引けた。

「……さしあたって、私も妹のように思われているという事かしら?」
「三人もいればもう義妹は充分だよ。新年のプレゼントをどうしようか、今から頭が痛いんだ」
「妹さん、お幾つ?」
「来年度で上から一三歳・一〇歳・七歳」
「可愛い盛りね。画像とかお持ち?」
 俺が軍服姿のグレゴリー叔父や軍官舎の写っていない三人の集合写真を選んでドミニクに見せると、あら、と意外そうな声を上げた。

「みんな美人だけど、真ん中の妹さんだけ毛並みがちがうのね」
「いや、全員血の繋がった妹だよ。家族の中で血が繋がっていないのは俺だけだし」
「……ビクトル、養子なの? それで養われ先の義理の妹さんに、新年のプレゼントを贈るわけ? 貴方、ちょっと人が良すぎない?」
「いやこの歳まで養ってもらったんだから、むしろ当然じゃないか?」
 と前世日本人らしく答えると、ドミニクは心底呆れたといった表情を浮かべている。フェザーンの家族愛がそれほど薄いとは思えないが、家族が血の繋がっていない年老いた叔父一人ということが影響しているのかも知れない。しばらくすると、『よし』と少し気合いが入った声でドミニクは呟くと、俺に身体ごと向き直って言った。

「今週の日曜日。良かったら、私と義妹さんのプレゼントを買いにご一緒できないかしら?」
 句読点の位置が間違っている事を祈りつつ、覚悟を決めて俺はドミニクの申し出を了承することにするのだった。

 

 
 

 
後書き
2014.10.29 更新 
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