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パープルレイン

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第二章


第二章

 何となく理由はわかった。気が楽しいからだ。それが身体にも出ているのがわかった。全てはあの少年を見る楽しみからだ。
「胸も何だか」 
 今真砂子は素っ裸であった。タオルすら纏ってはいない。その大きな胸も最近垂れかけているのが気になっていたがそれが昔の様にあがっているのがわかった。それを見てさらに気分がよくなった。
「こんなことになるなんて」
 鏡の自分の姿を見て笑みを作った。
「意外ね。けれどいいわ」
 身体を拭いて部屋を出る。そして箪笥にしまってあった。下着を取り出す。
「楽しいから。それもあの子のおかげね」
 そう思うとあの横顔が頭の中に浮かぶ。名前も知らない年下の子。一回りは離れているだろう。向こうは真砂子のことなぞ何も知らない。真砂子も彼の顔しか知らない。けれどそれでも真砂子はそれで満足していた。下着を着けた後は男もののカッターを着てそのままベッドに入る。これが彼女の部屋の中でのスタイルだった。そして洒落た今時の簡素な部屋の中で静かに眠りに入る。時計の目覚ましを確かめて。朝になればジャージに着替えて走る。いつもは義務的に走っている為けだるい。だが明日は気持ちよく走れると思った。
 毎日がさらに楽しくなってきた。食欲も出て来て、よく動くようになった。仕事もこれまで以上にこなし、評価もあがった。今真砂子は全てが楽しくて仕方がなかった。
「何かさらに機嫌がよくなったね」
「若返ったからかしら」
 真砂子と丈は昼食を摂っていた。この日は休日出勤でファミリーレストランでの昼食であった。普段はコンビニで買ったサンドイッチ等で済ませることも多いがこの日は少し奮発してここでの食事となったのである。
 二人は窓側のテーブルに向かい合って座っていた。そして話をしていたのである。
「若返ったんだ」
「おかげさまでね」
 真砂子は両肘をつき、手を重ねていた。その甲の上に顎を置いていた。そうした少し気取ったような姿勢で丈と話をしていた。
「生活に楽しみができたせいで」
「恋のおかげかな」
「恋かしら」
 まだ彼女にはその実感はなかった。
「さてね。それは君が一番わかってるんじゃないかな」
「前も言ったかも知れないけれど恋とかそういう意識はないわ」
「そうなの」
「ただね。楽しみがあるだけ」
「それだけでそんなに変われるのかね」
「それが変われるのよ」
 真砂子は答えた。
「人間ってのはね。そのうち貴方もわかるかもね」
「何ていうか思わせぶりな言葉だね」
「女の言葉と言って欲しいわね」
「どうだか」
 そんな話をしていると注文したメニューがやって来た。丈はナポリタン、そして真砂子はハンバーグセットだった。
「えらく大きなハンバーグだね」
「ええ」
 真砂子が頼んだのは四〇〇グラムのハンバーグであったのだ。牛肉のものであり重厚な肉汁がソースと絡み合っていた。
「食欲があって」
「ダイエットにも気を遣っていたんじゃなかったの?」
「それ以上にお腹がすくのよ。もう動けない位に」
「学生じゃあるまいし」
「そうね。学生の頃に戻った気分」
 彼女は言った。
「何をしても。元気が有り余って仕方がないのよ」
「それもこれも生活に張りが出て来たからだね」
「そうね」
 それを認めた。
「そこまで変われるんだったら何か知りたくなってきたな」
 丈はナポリタンにチーズをかけながら言った。真砂子はハンバーグを切り、それを口に入れている。口の中に肉の旨味が広がる。ソースの濃厚な味と合わさり真砂子の口の中を支配した。
「一体それが何なのか」
「言う程のことじゃないわよ」
 真砂子はその切ったハンバーグを口の中に入れ終えた後で答えた。
「些細なことだから」
「どうだか」
 丈はその答えに対して冗談めかした声で返した。
「本当は凄いことなんじゃないの?」
「知りたいの?」
「否定はしないね」
 そしてこう返した。
「一体どんな恋をしているのか」
「じゃあ言うわ」
 真砂子は悪戯っぽく笑って応えた。
「プラトニックラブよ」
「プラトニック」
「そうよ。ただ見ているだけ」
「それでそこまでなれるのかね」
「貴方はそんな恋はしたことないのね」
「こんな性格だからね」
 軽い調子で言う。
「大人の恋は幾らでもあるけれど」
「若い恋はなし」
「その若い頃からね。幸か不幸か」
「まあどれがいいとは言えない話ね」
「そっちもそうなんじゃないの?」
 丈は言った。
「そんな恋は」
「学生の頃はあったわ」
 彼女は言った。
「あの頃は若かったから」
「今は違うの?」
「あの頃に近付いていってるかもね」
 そう言ってにこりと笑った。
「少しずつ」
「それはいいことで」
 そう言いながらスパゲティを口にする。
「けれどそれは思い違いだと思うよ」
「どういうことかしら」
「近付いていっているのは少しじゃないと思う」
 丈は言った。
「かなりね。傍から見てもわかるよ」
「お世辞かしら」
「そうとってもらっても別に構わないよ」
 笑ってこう述べる。
「僕が思っているだけどね」
「まるで口説くみたいね」
「大人の女の人を口説くのは得意だけれどね」
 ここで紅茶を飲んだ。アイスレモンティーである。
「けれど若い人は得意じゃないんだ」
「私が若いって?」
「気がね」
 そしてこう答える。
「今の君は前と違うね。ハリがあるよ」
「あら、ハリは前からあるわよ」
「若さが加わったってことさ」
「若さがね」
「そのまま元気になっていったらいいさ。きっといいことがあるから」
「それじゃそうさせてもらうわ」
「うん」
 話は終わった。そして真砂子はふと前を見た。店のドアが開いたのに意識がいったからである。
 そこから少年達が入って来る。休日だから遊びであろうか。その中の一人を見て彼女は思わず声をあげそうになった。
「どうしたの?」
 真砂子の様子が変わったことに丈も気付いた。
「タレントさんでもやって来たの?」
「いえ、そんなのじゃないわ」
 真砂子は平静を装ってこう返した。
「何でもないわ」
「そうなの」
「ええ。だから気にしないで」
「了解。これが終わったらすぐに会社に戻ろうか」
「ええ」
 真砂子は外見は何とか冷静さを保っていたが内心は違っていた。心を驚かせて店に入って来た少年の中の一人を見ていた。それはいつも横を通り過ぎていくあの少年であった。

 
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