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ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜

作者:カエサル
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神意の祭典篇
  41.神意の悪意

 
前書き
ついにぶつかり合う二つの神意!!
 

 
 

 轟音が鳴り響く。大気が引き裂かれる。島が軋む不快な音を立てながら振動する。
 今にも沈みそうな十三号増設人工島(サブフロート)の上で爆発的な二つの魔力の塊が激突する。それはぶつかり合うたびに衝撃波を生み出し、辺りを崩壊させていく。
 これが神々の名を冠す者たちの全力の戦いなのだ。
 容赦なく襲いかかってくる衝撃波に耐えながら逢崎友妃は目の前の茶髪の少女を睨みつける。
 彼女も耐えるのに精一杯のようだが、それでもなおこちらへの敵意だけは消えていない。しかしその敵意にはどこか迷いが感じられた。

「どうしてあなたはあの男に手を貸すの?」

「………」

 少女は口を開かない。
 だが、友妃は見逃さなかった。友妃が問いを訊いたとき、わずかに彼女が視線を下に落とした。それは迷いが見られる証拠なのだ。
 やはり彼女は戦うことを望んではいない。
 そうならば、彼女とは武力ではなく話し合いで解決することがかもしれない。

「ボクには、あいつの計画がなんなのかはわからない。それでも彼が行うとしてることが間違ってるのだけはわかるよ! なんでそんなやつに手を貸すの!」

「……黙ってください」

 茶髪の少女が小さく口を開いた。

「あなたに私のなにがわかるって言うんですか。立上さんのなにがわかるって言うんですか!」

 吹き荒れる暴風に逆らい少女の叫びが響いた。それは心からの叫びのように聞こえた。
 その問いに友妃はなにも答えられない。なぜならなにも知らないからだ。彼女のことも立上のことも友妃はなにも知らない。
 ならばこのまま拳を交えてもいいのだろうか?
 先ほどとは違うわずかな迷いが友妃の中に浮かび上がった。
 その瞬間だった。少女が動いた。

「若虎──ッ!」

 反応が完全に遅れた。もはや回避ことはできない。一瞬で迷いを振り切って、右手で拳を固め、呪力を纏わせる。そして飛来する少女の右の掌底へと激突させる。

「紅蓮──ッ!」

 若き虎の牙と紅蓮の刃が激突し、大気へと魔力が放出されていく。
 わずかに押し負けた友妃の身体は後退させられる。

「あなたを倒して私は立上さんを……」

 そこで少女の言葉が止まった。迷いの現れなのだろうか。それとも別の理由が……
 そのときだった。今までに感じたことのない悪寒が身体を走った。

「なっ……」

 視界に映った光景に言葉を失った。
 暗闇が覆う漆黒の夜空を大量のなにかが蠢いている。それは十三号増設人工島(サブフロート)から夜空を覆い隠すほど。
 それの正体に気づいたときには、友妃にできることはもうなかったのだった。




「吹き飛ばせ、アテーネッ!」

 黄金の翼が羽ばたき飛来する無数の蛇の群れを蹴散らしていく。

「まだこんなもんじゃねぇよな、緒河ァ?」

 舌なめずりをしながら立上が不敵な笑みを浮かべる。それは恐怖さえも感じるほどだった。しかし今はそんな感情など切り捨ててでも、彼を止めなければいけない。
 立上が指を鳴らした。乾いた音が大気を震わせ、彩斗の耳まで届いた。それと同時に彼の後方にいた蛇の母体が叫んだ。すると蛇の母体の後方から異次元を割ってくるように何万という蛇の大群が彩斗へと襲いかかる。
 “真実を語る梟(アテーネ・オウル)”だけでは確実に食い止められるような量ではない。それならやることは一つだ。

「──来い、四番目の眷獣、“海王の聖馬(ポセイドン・ユニコール)”!」

 右腕から噴き出された鮮血が魔力の塊となる前に彩斗の身体へと魔力が凝縮されていく。
 目視することができない闇夜の海のような漆黒のロングコートを纏う。
 彩斗が右手を飛来してくる蛇の大群へと向ける。大気中の存在する水分が拡散する。島の周囲を包んでいる海水が巻き上げられ、蛇たちの行く手を阻むように障壁へと変貌するのではなく巻き上げられた海水は大気に飲まれ、消失する。それはまるで蒸発でもしたようにわずかな蒸気に似たものを残してだ。
 そして再び、彩斗は鮮血を噴き出させる。

「──来い、十一番目の眷獣、“剛硬なる闘牛(ヘパイストス・バイソン)”!」

 魔力の塊が大気を引き裂き、彩斗の手の中へと凝縮されていく。
 紅蓮を纏いし、錬金術の最終到達点を模した鮮血の石へと姿を変えた。
 掌に収まるほどの石から爆炎が空気中へと流線を描き、大群の蛇へと襲いかかる。
 この程度の炎では、何万という蛇の大群を蹴散らすことなどできない。

「……失せな」

 爆炎が蛇の大群へと接触した瞬間、とてつもない轟音が響きわたる。暗闇が覆っていた夜空が一瞬にして爆炎へと包み込まれる。爆炎は全ての蛇を飲み込んで消滅していく。

「なにをした?」

 忌々しげに立上がこちらを睨みつける。彩斗は不敵な笑みを浮かべて先ほど起きた現象のことを説明する。

「なに簡単なことだ。水素と酸素が火に反応して爆発しただけだ」

 そうただ簡単な原理だ。“海王の聖馬(ポセイドン・ユニコール)”が空気中と海水を可燃性の気体である水素と支燃性である酸素に分解し、“剛硬なる闘牛(ヘパイストス・バイソン)”の爆炎が着火しただけだ。水素爆鳴気と呼ばれる現象──水素二体積と酸素一体積を混合した気体。点火により爆発的に燃焼し,多量の熱量を生じ強い破壊力を発する。
 その破壊力が蛇の大群を焼き払った。
 結局いかなる強大な魔力を持っていても、最強の眷獣を持っていても、魔族を倒せる武術を使えようとも、自然の力には逆らえないものだ。

「今度は俺の番だ」

 右手に握られていた鮮血の石が輝く。空中に無数の鉄の杭が錬成されていく。
 彩斗がわずかに指を動かした。その瞬間、無数の鉄の杭が立上をめがけて降り注いでいく。
 いくら真祖さえも殺す吸血鬼である“神意の暁(オリスブラッド)”といえどもその身体は脆弱だ。凄まじい回復能力を持っていても同じ“神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣の攻撃を受ければただではすまない。
 しかし、鉄の杭は立上の身体へと食い込むことはなかった。まるでそこに不可視の壁があるとでもいうように全てが撃ち落とされていく。
 ちっ、と大きく舌打ちをし、彩斗は地面を蹴り上げた。解放された吸血鬼の筋力と“海王の聖馬(ポセイドン・ユニコール)”によって爆発的に引き上げられた身体能力が一瞬にして立上との距離を縮める。
 拳に魔力を纏わせ立上へと殴りかかる。しかし立上に当たる前にやはり不可視の壁が彩斗の拳を妨げる。

「お前じゃ、俺には届かねえよ」

 不可視の壁越しに立上の不敵な笑みを浮かべる。

「いや……ぶち抜け、アテーネ!」

 彩斗が叫ぶ。それに応えるように黄金の翼の梟が不可視の壁へと激突する。
 黄金の翼の梟が持つ無力化の能力が不可視の壁を消滅させていく。それに逆らうように不可視の壁が青白い閃光を放ち抵抗する。するとついに不可視の壁を出現させていた者が姿を現した。五十はあるであろう頭部に腕があるべきところにはそこにも五十本の腕。それが左右についている。その姿はまさしくギリシャ神話の登場する巨人。奈落の牢獄タルタロスを守護する門番の“奈落の番人(ヘカトンケイル)”だ。
 しかし、奈落の牢獄を守護する門番だとしても全てを無力化する翼の前では無意味なのだ。わずかな抵抗でしかない。
 黄金の翼を持つ梟が奈落の門番の身体を貫いて消滅させる。
 不可視の壁が消滅するとともに彩斗は一歩踏み込んで拳を固める。

「歯食いしばれよ。クソ野郎ッ!」

 後ろに引いた右の拳が立上の顔面へと抉りこむ。さすがの反応速度で立上は拳を右腕でガードする。しかしその程度で防げるほど強化された彩斗の拳はあまくない。
 バキッという快音を立てて、立上を吹き飛ばす。

「さすが、あの女の梟だ。そうじゃなきゃ……張り合いがねえよな、緒河ァ!!」

 立上の瞳が真紅に染まる。それとともに後ろで沈黙していた蛇の母体が動き出した。
 ひぇぇぇぇ、という声にならない絶叫。耳が痛くなる。
 そして再び、蛇が出現し出す。彩斗は言葉を失った。
 蛇の母体の身体から、空間の隙間から。その数、十、百、千、万、十万、いや……それ以上だ。
 蛇の大群はみるみるうちに十三号増設人工島(サブフロート)の空を包んでいく。そして夜空の全てを覆い隠すほどに膨れ上がったところで止まった。

「これだけの数を止められるか、緒河ァ?」

 不敵な笑みを浮かべる立上。それはもはや恐怖でしかなかった。あれこそが二番目の眷獣である“大蛇の母体(ヘラ・バジリスク)”の真の力なのだ。あの蛇の一体一体が“神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣。そしてあの一体一体が真祖を殺せるほどの猛毒を所持している。
 絶望的な光景に指一つ動かすことができない。まるでメデューサの瞳でも見たようにだ。いや、今の彩斗には立上の真紅の瞳はメデューサの瞳に変わらない。

『諦めないで、彩斗』

 誰かの声がした。すごく懐かしい気がする。しかし、いまの彩斗を動かせるほどの力はなかった。
 絶対的な恐怖の前に伝説の吸血鬼もただの人間も反応は一緒なのだ。

『彩斗なら出来るよ』

 無茶なことを言うな。そもそもなぜ彩斗が戦わなければいけないのだ。なぜ命をかけてまで戦わないといけないのだ。別に彩斗は“神意の暁(オリスブラッド)”の力が欲しかったわけではない。
 それなら立上に譲ってもいいのではないのではないか?

「……それは違ぇな」

 否定する。それだけは肯定してはいけない。
 それは過去の彩斗を否定することになる。まだ思い出すことのできない誰かとの約束を否定することになる。
 それだけはしてはならない。
 ──動けよ。
 自分に言い聞かせる。脳が身体を動かすように電気信号を送る。しかし身体は動かない。
 すると誰かが背中を押すような感触がした。その温かな感触を彩斗は知っている。
 そうだ。そうだったんだ。
 ──彼女だったんだ。

『やっと思い出してくれたんだ』

「ああ」

 こんなところで思い出したくなかった。
 違うか。こんなときだから思い出せたんだな。
 ──またあの時みたいに背中押してくれるか?

『しょうがないな。……行ってこい、彩斗!』

 その響きこそが彩斗の身体を動かすための力だった。
 今一度絶望へと目を向ける。あれほどの大群を止めることはできるかどうかすらわからない。しかしやらなければいけない。
 暴走してでも、魔力を使い果たしてでも食い止める!

 右腕から鮮血が噴き出す。

「──降臨しろ、“神光の狗(アポロ・ガン)”、“狩人の二牙(アルテミス・ストレ)”、“戦火の獅子(アレス・レグルス)”!」

 魔力の塊が太陽の狗、狩人の猪、鮮血の獅子の形を形成していく。さらに武器化していた黄金の一角獣(ユニコーン)と紅蓮の牛を眷獣へと戻す。
 今、彩斗がもてる全ての眷獣をこの世界へと呼び出した。

「その程度の眷獣どもで俺の“大蛇の母体(ヘラ・バジリスク)”を止められると思うなよ」

 立上がわずかに指を動かした。すると今まで蠢くだけだった蛇が彩斗めがけて雨のように降り注ぐ。
 七体の眷獣の咆吼が響いた。

 ──そして




 先ほどまでのことが嘘だったように周囲には来た時のような静寂が制していた。
 こんなに今日は静かな夜だっただろうか?
 それよりもどうなったのだろう。
 身体が重い。感覚がない。
 彩斗が立っているのか、座っているのか、倒れているのかもわからない。わずかに動いた首で上を見上げる。
 そこにはいつもと変わらない暗闇が広がっていた。先ほどのように蠢くものもなければ、降ってくるものもなかった。
 倒せたのか?、と思ったがそれは機能を失いかけている耳が捉えた。

「よくがんばったな、緒河ァ」

 その声は一瞬のうちに彩斗を絶望へと叩き落とした。

「た……てが、み……」

 彩斗の視界に映った立上は、無傷だった。
 そうだった。彩斗は“大蛇の母体(ヘラ・バジリスク)”の蛇を止めただけで立上を止めれたわけではなかった。
 蛇を止めるために彩斗が払った代償はあまりにも大きすぎた。身体中には、無数の小さな歯型がついている。あれほどの攻撃を全て防ぎ切ることなどできなかった。
 それでも彩斗は動かなければならない。立上を止めるためにだ。
 彩斗が一歩踏み出そうとする。力の入らない足では身体すら支えられないということかその場に崩れ落ちる。
 尖った瓦礫が落ちている地面に倒れて痛いはずなのに痛みを感じない。もはや痛覚さえもないということだ。
 猛毒が身体に回ろうとしているのだろう。
 魔力もなく身体に猛毒が回っている。このままいけば彩斗は死ぬであろう。だが、死ぬ前に彼だけは止めなければならない。
 力の入らない足に無理やり力を入れて立ち上がろうともがく。
 ──動けよ! まだ終われねぇんだよ!
 意思に反して、彩斗の足は全く動かない。背中を押してくれる彼女の声も聞こえない。
 もう彩斗に戦う力はないということを示していることだ。
 だが、魔力があればいい。魔力さえあればまだ行ける。

「魔力……回復……血……吸血……」

 すると彩斗の中に一つの答えが降りてくる。
 いや、違う。誰かが答えを教えている。記憶の中に眠っている彩斗ではない誰かが一つの答えを導き出す。
 その答えに従う彩斗は自らの右腕に牙を尽きたてた。
 それは吸血行為だ。口内に鉄の味が広がる。
 しかし、自分の血を吸った程度では回復などできない。さらに言うなら彩斗の傷はその程度で癒せるほどではなかった。
 そんな彩斗に吸血行為よりも多くの魔力を体内に取り込む方法をそいつが教える。
 そのまま彩斗は尽きたてた牙をさらに深く抉りこんでいく。痛いという感覚はもうないようだ。痛覚がなかったのが責めてもの救いだったのかもしれないな。普通ならこんな行為苦痛でできるわけがない。
 さらに深く抉りこまれた牙が右腕の肉を喰い千切る。
 鉄の味とともにぶよぶよした感触がわずかに伝わってくる。生臭い。今にでも吐き出したいくらいの不味さだ。
 それを無理やり呑み込んだ。喉を自らの肉が通っていく。不思議で気持ち悪い感覚が体内へと流れ込む。

「グァ……──ッ!?」

 身体から何かが這い上がってくる。彩斗ではない何かが殻を破ろうとしている。
 こいつはヤバイ!、と自己防衛本能が抑えこもうとした彩斗だったが今の彼にはそれを止める力は微塵も残っていなかったのだった。




 止めどなく流れでる魔力の波が大気を震わす、引き裂く、劈いていく。
 島は今にも崩れ落ちそうだ。
 目の前で起きている光景に立上遥瀬(たてがみはるせ)は身を震わせた。膨大な量の魔力が一人を中心に大気へと放出されている。そんな量の魔力を立上は感じたことがない。
 ましてやその魔力は敵意に、殺意に満ち溢れている。

「な、何をした……緒河ァ!」

 立上は叫んだ。魔力の中心を睨みつける。
 先ほどまでの立つことすらできなきなかった“神意の暁(オリスブラッド)”の少年が今が化け物へと変化していた。姿が変わったわけではない。だが、その瞳は真っ赤に染まっている。真っ赤という表現は違うかもしれない。緋色の瞳が漆黒を纏っている。それは吸血鬼のそれではない。

「血ヲ……喰らウ……止メる」

 意識を失っているのかわけのわからない言葉を口に呟き続けている。
 彩斗がわずかに動いた。すると彼は一瞬のうちに立上の目の前に現れた。
 捉えられないほどの速さだったが、彩斗の拳は立上には届かない。奈落の門番の不可視の壁だ。
 彼の拳が衝突するとともに衝撃波を生み出す。それは吸血鬼の筋力という言葉だけで片付けていいほどの威力ではない。

「喰ラウ、助ケナきャ……皆ヲ……殺ス!」

 緋色の瞳が立上を睨みつける。それは一層恐怖心を高ぶらせる。真近でみた彩斗の姿はもはや吸血鬼でも、“神意の暁(オリスブラッド)”でもない。それは人の身を捨てた“化け物”という言葉がよく似合う。

「消し去ル……オれの邪魔ハ、サせなイ!!」

 右腕から膨大な量の鮮血が噴き出す。
 その鮮血は、眷獣をこの世界へと顕現させるための動作の一つだった。つまり彩斗は眷獣を再び呼び出す気なのだろう。
 しかし、彼の眷獣を呼び出すよりも早く立上は動いた。拳を固めて彩斗の顔面めがけて殴りかかる。
 眷獣を召喚中は吸血鬼の身体は無防備となる。もとより脆弱な身体を持つ吸血鬼を護ることが出来るのは、己の身体能力と眷獣だけだ。眷獣の召喚中はその二つが封じられている。
 この瞬間を狙えばいくら伝説の吸血鬼でも無力だ。
 しかし、彩斗は眷獣を呼び出す前に鮮血を噴き出している拳で立上をめがけて殴りかかってくる。
 予想外の行動に瞬時に思考を巡らせる。だが、彼の拳が立上に届くことは絶対にない。奈落の門番の不可視の壁がそれを食い止める。
 ……はずだった。
 彩斗の鮮血を噴き出し続ける拳が不可視の壁へと激突する。その瞬間、今までにない衝撃波が立上の身体へと襲いかかる。
 そんなことありえるわけがない。ありえていいわけがないのだ。吸血鬼の眷獣、魔力を無効にする兵器すら使用することなく“奈落の番人(ヘカトンケイル)”の不可視の壁を破ることなどできるわけがない。
 すると彩斗の左腕が鮮血を噴き出し、こちらへと殴りかかってくる。
 驚愕のあまり反応が遅れた立上に回避する術などなかった。
 彩斗の左の拳が左脇腹へと抉りこまれる。

「グァッ………!?」

 とてつもない衝撃が立上の身体へと襲いかかり、数十メートル吹き飛ばされる。それは巨大ななにかに激突されたような衝撃が身体中の骨を砕いた。
 それほどの力は吸血鬼の筋力だけの代物ではない。なにかが彩斗に力を流し込んでいる。そうでなければ奈落の門番の不可視の壁を防いだのも、一撃で立上の身体中の骨をここまで砕くことはできない。
 あまりの痛みに立ち上がることができない。
 そんな立上にトドメを指しにくるように彩斗がこちらへと駆けてくる。
 ──このままでは死ぬ
 絶対的な恐怖が身体を震わせる。

 立上は右腕に鮮血を噴き出す。

「顕現しろ、“黒妖犬(ブラックハウンド)”!」

 鮮血が膨大な魔力の波動へとなり、漆黒の獣の眷獣へと形を形成する。
 真紅の瞳を持つ漆黒の獣が化け物と化している彩斗を止めようと空を駆ける。

「アイ崎……夏の、ン……シなせナイ……ブっ殺ス……消エ、さレ……!?」

 彩斗の右腕の鮮血をより一層深まる。闇や絶望が鮮血とともに大気へと噴き出しているようだ。
 その瞬間、漆黒の獣が吼えた。
 違う。それは絶叫だ。苦痛にまみれた、死にかけの獣が吼える最後の叫びのようだった。
 立上が漆黒の獣を見た時には、もう遅かった。身体の至る所に銀色の杭が突き刺さっていた。その数、数百はくだらないだろう。
 漆黒の獣は抵抗することもできずにこの世界から消滅した。
 衝撃のあまり言葉を失う。
 あれが“神意の暁(オリスブラッド)”の真の姿なのだろうか。脆弱な肉体を捨て、眷獣の力にも頼らないあの姿こそが神の意思に近づきし者なのだろうか。
 あんな化け物を今まで立上は相手にしていたのだ。
 吸血鬼を捨てた化け物が一歩一歩立上へと近づいてくる。
 それは絶望だ。今の彩斗はただの恐怖の対象でしかないのだ。
 これほどの恐怖を味わったのはいつ以来だろうか。遠いどこかでこれほどの恐怖を味わった気がする。いや、近いうちだったかもしれない。
 そうだ。あの時もそうだった。
 この男だ。立上はこの男に……

「立上さん!」

 少女の声が聞こえた。それとともに目の前の化け物が吹き飛ばされる。

「なんでおまえがいるんだ?」

 痛む身体を無理やり起こして少女の方を見る。茶髪が肩にかかるくらいの長さの少女が心配そうに立上を見ている。

「立上さんを助けに来たんですよ!」

 片世董香(かたせとうか)が対魔族武術“虎皇神法”の構えをとる。膝をわずかに曲げ、右手を後方へと引き、左手で相手との間合いをとる。
 砂煙が舞う中から現れたのは、もはや吸血鬼の身さえ捨てた化け物となった緒河彩斗の姿だった。

「ソれじャダめ、ナんだ……もット、強ク……なラなクチゃ!」

 彩斗が地を蹴り、一気に董香との間合いを詰める。その速さに董香の反応が追いつけていない。
 右腕から鮮血が噴き出す。右腕が彼女の身体を薙いだ。
 その空間が消失する。次元が壊される。
 ギリギリで回避した董香が反撃にでる。強く地面を蹴りあげて両手に膨大な量の呪力が溜め込まれていく。大気へと吸血鬼の眷獣に匹敵するほどの魔力が放出されていく。

「虎皇雷撃──ッ!」

 虎皇の一撃が化け物の身体めがけて放たれた。凄まじい衝撃波が大気を震わせた。
 確実に決まった。あれほどのダメージを受けてはいくら“神意の暁(オリスブラッド)”といえどもすぐに回復することなどできない。

「え……?」

 少女のか細い声が響いた。そのあと、わずかに遅れてパァン、と乾いた音が鳴り響いた。
 先ほどまで大気を震わせていた魔力が一瞬で消え去った。あれほどの魔力の塊が一瞬で消失するなどありえない。
 魔力を無力化する術式でも発動しない限りはだ。

「血……肉ヲ……喰ワセろ!」

 彩斗が董香を喰らおうとする。

「人のもんに手出してんじゃねえぞ」

 奈落の門番の不可視の壁が化け物の身体を吹き飛ばした。

「す、すみません、立上さん」

「おまえは俺の栄養だ。まだ死なれちゃ困る」

「そう……ですよね」

 董香はわずかに笑みを浮かべて、ボロボロになった服の襟をずらし、透き通るような白い肌の首を露出させる。
 立上は躊躇することなく首筋に牙を埋めた。董香の口から弱々しい吐息が洩れた。

「肉ヲ、血を……! アい崎……かノn……ら・フォriアァ……ゆu麻!?」

 恐怖が再び姿を現した。
 それはもはや恐怖ではない。立上が倒すべき対象でしかない。
 動き出した彩斗に身構える。
 魔力は十分回復した。身体の回復は間に合ってはいないが戦えないわけではない。

「殺ス……ぶッコroす……きe去れ!?」

 それは唐突のことだった。
 今まで恐怖の対象でしかなかった彩斗の身体が糸の切れた操り人形(マリオネット)のように崩れ落ちた。

「ガス切れか」

 呆気ないものだった。あれほど恐怖、絶望だった存在も今となってはただの人よりも弱い。

「散々手こずらされたんだ。……ただですむと思うなよ」

 指を鳴らす。不敵な笑みを浮かべ、右腕を突き上げる。鮮血が噴き出てくる。

「顕現しろ、二番目の眷獣、“大蛇の母体(ヘラ・バジリスク)”──!」

 再びこの世界に現出された蛇の母体。

「終わりだ。……緒河彩斗」

 無数の蛇の群れが動くことのない彩斗の身体へと襲いかかっていく。
 終わりとは呆気ないものなのだ。歴戦の英雄も、ただの一般人も死とは平等なんだ。それは吸血鬼でもあっても例外ではなかった。
 立上はせめてもの弔いで黙祷を捧げた。

「立上さん」

 隣のいる少女が声を震わせながら呟いた。
 その声に反応し目を開ける。すると蛇の群れに囲まれていた少年の姿が霧のように薄れていく。
 吸血鬼の霧化現象だ。しかしあのような状態の彩斗にそんなことができると思わない。
 チッ、と舌打ちをする。

「まさか俺を騙せるほどの術者がいるとはな」

 彩斗の身体が完全に霧に変わった。それとともに新たな人影が現れた。
 銀の刃を持った黒髪の少女。獅子王機関より“神意の暁(オリスブラッド)”の監視役、逢崎友妃だ。




 金髪の吸血鬼の眷獣の攻撃の前に“夢幻龍”の霧化がギリギリで間に合い彩斗を救い出すことができた。
 だが、決して状況が変わったわけではない。彼の後ろには、美しい女性の肉体を持った眷獣がいる。それは“神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣だ。
 逃げるにしてもあの眷獣を止めることができなければ彩斗を助けることはできない。
 どうする?
 “夢幻龍”の全開を使えばギリギリで抜けられるかもしれない。
 可能性があるなら諦めてはいけない。最善策を尽くさなければならない!
 銀の刃を金髪の吸血鬼へと向ける。

「やる気みたいだな。それじゃあ、緒河とともに死ね」

 彼が指を鳴らす。すると蛇の母体の本体がついに動き出した。
 右腕をゆっくりと前に伸ばす。その瞬間、蛇の母体の右腕が巨大な蛇の頭となり襲いかかってくる。
 それほどの質量の塊を友妃一人で防げるのだろうか?
 いや、防ぐのだ──なにがあっても防がなければならない。
 彼を倒すことができるのは彩斗だけなのだ。ここで失うわけにはいかない。
 友妃の命に変えてでも彼だけは護らなければいけない。
 覚悟を決めて襲いかかってくる巨大な蛇に刃を尽きたてようとしたその瞬間だった。

「──“(ル・ブルー)”!」

 友妃の眼前に現れたのは、青い甲冑をまとった騎士の幻影。
 その正体を確認する前に唐突に目眩に似た奇妙な浮遊感が襲う。それは空間転送時に身体への副作用だ。
 誰かが空間を歪めて、友妃を蛇の攻撃が届かない位置に移動させたのだ。

「大丈夫だったかい、友妃?」

 聞き覚えのある声に友妃は驚愕の声を洩らす。快活そうなショートボブに男物のジャケットを着た美少女だった。

「どうして優麻ちゃんがここに!?」

「そんなことより今は逃げるのが先だよ」

 地面で気絶している彩斗を仙都木優麻は抱き起こしながら、屋上の下を見下ろしている。
 忌々しげな表情を浮かべる金髪の吸血鬼がこちらを睨みつけている。
 そして再び、巨大な蛇がこちらへと襲いかかってくる。

「跳ぶよ!」

 優麻が友妃の手を握って再び空間転移をする。

「逃がすかッ!」

 巨大な蛇が速度を増してこちらへと向かってくる。
 転移が間に合わない、と思った瞬間だった。雷光をまとう巨大な獅子が、巨大な蛇へと突進した。
 それは世界最強の吸血鬼第四真祖の五番目の眷獣“獅子の黄金(レグルス・アウルム)”だ。
 空間転移で消える一瞬間に友妃は、第四真祖の少年と剣巫の少女の姿を捉えたのだった。




 崩壊しかけている十三号増設人工島(サブフロート)に第四真祖の暁古城と獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜は降り立った。
 この場所でどれほど激しい戦闘が行われたかは、一目見ただけでもわかる。
 雷光の獅子が巨大な蛇へと突進する。
 荒れ狂う雷の魔力の塊が蛇を焼き焦がす。
 古城は、ここまで島を破壊した男と対面する。
 金髪の少年は忌々しげにこちらを睨みつけている。

「第四真祖……やはりあそこで始末しておくべきだったか!」

 金髪の少年の瞳が真紅に染まっている。最初に会ったときは、その圧倒的な力に恐怖を感じた。だが、今は違う。

「俺にはあんたに負けた借りがあるんだぜ。おまえの目的がなんなのかは知らねーよ」

 古城の瞳が真紅に染まる。それは怒りの色だった。

「……それでも、俺の仲間をおまえは傷つけた」

 それだけで戦う理由などそれだけでよかったのだ。
 難しく考えることなどなかった。

「おまえの計画に彩斗が必要だって言うなら、俺がおまえをぶっ倒してやるよ! ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ──!」

 古城がまとう禍々しい覇気に金髪の吸血鬼はさらに忌々しげな表情を浮かべる。
 そして古城の右隣には、小柄な影が歩み出た。
 銀色の槍を構えた雪菜が、いつものように言い放つ。

「──いいえ、先輩。わたしたちの、です」




 目を覚ました彩斗は口内には甘い血の味が残っていた。どこか味わったことがある気がした。
 あれだけ受けていた傷が嘘のように治っている。
 その場から動こうとした彩斗を何かが妨げた。それは鎖の感触だった。両腕が縛られた彩斗は、安っぽい鉄パイプに座らされていた。
 開ききらない瞼に映る光景に彩斗は困惑した。
 それは先ほどまでいた十三号増設人工島(サブフロート)とは違っていた。中世の城館を連想させる部屋だった。
 そんな部屋で彩斗は縛り付けられている。どうやら縛られているのは両腕だけではなく、身体を巻きつけるように何重にも鎖が巻かれている。
 無理やり引きちぎろうとしたが、ビクともしない。吸血鬼の力を持ってしても壊せないということは単なる鎖ではなく、魔術的な強化が施されている。

「目が覚めたんだね、彩斗君!」

 考えていた彩斗の背中から少女の声が響いた。慌ててこちらに駆け寄ってくる逢崎友妃だった。

「逢崎!?」

 友妃が心配そうに彩斗の顔を覗き込む。近くで感じた彼女の香りに少し頬が紅潮しだす。
 このままではいけないと思い彩斗は話題を変える。

「な、なんで俺は縛られてるんだ?」

「おまえが暴走しないようにだ」

 ゆらりと波紋のように虚空を揺らして、音もなく新たな人影が二つ現れた。
 豪華なドレスを身にまとった人形のような雰囲気を漂わせる自称二十六歳──南宮那月。ボーイッシュな印象のなぜか男物のジャケットを着こんでいる美少女──仙都木優麻だ。

「那月ちゃん……!? それに優麻!?」

「ちゃんではない」

 額に衝撃が走る。後方へとわずかに仰け反る。

「久しぶりだね、彩斗」

 予想外すぎる再開に彩斗が意味がわからなくってきた。まずここがどこなのかも彩斗にはわからない。
 那月がゆっくりと歩いて彩斗の前に立つ。

「時間がない。詳しい説明はあとだ。始めるぞ」

 那月の言葉に優麻と友妃が彩斗から離れる。そして友妃は“夢幻龍”を優麻は、“(ル・ブルー)”を出現させる。
 その状況にもはや彩斗の頭はついていけない。
 だが、那月の左腕に、一冊の古びた本が抱かれていた。
 その本には見覚えがあった。

「──その本って!?」

「ほう、覚えていたか?」

 那月が感心したように唇を吊り上げる。

「仙都木阿夜が持ってた、那月ちゃんをサナにしたやつだな」

「そう。“No.014”……固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書だ」

 固有堆積時間(パーソナルヒストリー)とは、ある存在が生み出されてから現在までに過ごした時間の総和、すなわち魔術的に蓄積された個人の歴史そのものだ。
 経験、記憶、成長、変化──魔道書“No.014”は、それら他者の固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪う。優れた術者を大人から子供に戻し、知識や経験を自分のものにする凶悪な魔導書だ。

「本来は仙都木阿夜がやったように、他人の経験した“時間”を丸ごと奪うための魔導書だが、さすがに神意の暁(おまえ)が相手では、そこまでの効果は期待できない。せいぜい貴様が過ごした過去の時間を再現して、共有できるかという程度だな」

 彩斗は那月の言葉に不安と同時に複雑ななにかの感情が湧いてくる。

「過去の時間の……再現……」

 立上との戦いで過去のことが彩斗の中では困惑している。
 彩斗を支えてくれた彼女。立上との因縁。彩斗と“神意の暁(オリスブラッド)”関係。全て完璧には思い出せていない。
 それを絶対に思い出さなければいけない過去だ。

「……那月ちゃん、頼む」

 覚悟を決めたように彩斗は那月を見つめる。
 那月は無感情な瞳で彩斗を眺める。

「おそらく、つらい体験になるぞ」

「そんなことわかってるよ」

 彩斗は静かに目を閉じた。
 そして記憶の奥で封印されていた扉の一つが開け放たれる。

 これは彩斗の物語ではない。
 これは“神意の暁(オリスブラッド)たち(・・)が紡ぐただの……《悲劇》の物語だ。

 
 

 
後書き
神意の祭典篇完結

次回、本土で暮らしていた緒河彩斗が出会ったのは、暗い目をした転校生、未鳥柚木だった。どうにかして打ち解けようとする彩斗に彼女少しづつだが心を開いていく。
そんな彩斗の前に現れた聖馬を操る吸血鬼。彼の狙いは、柚木を殺すことだった。
それをきっかけに全ての歯車が動き出した。“神意の祭典”、“神意の暁”の復活! 柚木を護るために彩斗は自らの危険へと飛び込んでいく。

追憶の惨劇と契り篇始動!!

とりあえずオリジナル篇が半分終わりました。
……ふぅ、疲れた。
いろいろとツッコミどころはあったかもしれませんが……
また誤字脱字などがありますと思いますが、その時は感想でお知らせください。
気になることや、作品の感想、意見でもいいので気軽に感想を書いてください。

また読んでいただければ幸いです。
 
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