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雲は遠くて

作者:いっぺい
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58章 信也、バーチャルな下北音楽学校の講師をする

58章 信也、バーチャルな下北音楽学校の講師をする
 
 秋も深まる10月の日曜日。
株式会社・モリカワは、外食産業最大手、エターナル(eternal)が
(おこ)した慈善事業、ユニオン・ロックと、業務提携を実現する。

 先日の10月4日、新宿のサウンド・クラブで行われたユニオン・ロックの
オープニング・セレモニーに(まね)かれたモリカワの社長、
森川誠は、エターナルの副社長、新井竜太郎に語った。

「竜さん、この事業は、すばらしいと思いますよ。わたしも、
日本の未来を(にな)う、子どもたちの環境を良くしてゆく、
何か良い方法はないものかと、いつも考えているんです。
竜さんは、広い視野を持っていらっしゃる。
会社も、健全な社会があってこその会社ですからね。
社会に貢献できてこそ、会社も存在意義があるというものです。
モリカワも、ユニオン・ロックに参加したいくらいですよ。
わっはっはは」

 森川誠は、カウンター バーで、カクテルを飲みながら、
愉快そうにわらった。

「社長さん、お褒めいただいて、ありがとうございます。
ぼくの方こそ、社長のビジネスに対する高い視点や
会社の経営哲学などに影響を受けているんです。
森川社長、この際どうでしょう?ユニオン・ロックを、
ご一緒にやってまいりましょうよ、この慈善事業には、
みんなの力を結集させるしかないって思っているんです!」

 バーテンダーにすすめられたカクテルを楽しむ
竜太郎は、言葉を選びながらそういうと、森川誠に微笑む。

「そうだね。竜さん。ユニオン・ロック、一緒にやってゆきましょう。
これはまるで、坂本龍馬が、日本のためにと実現させた、
薩長同盟みたいな感じですよ。爽快ですね。
利益ばかりを追いかけて、競争し合っている場合じゃない、
わっはっは。竜さん、乾杯しましょう!あっはっは」

「ええ、おっしゃる通りだと思います、森川社長、よろしくお願いします。
みんなの力を結集するユニオン・ロックが成功して、
社会に大いに貢献できますように!森川社長、乾杯!」

 そういって、森川誠と目を合わせると、竜太郎は微笑む。

 ふたりが交わした、ユニオン・ロックの業務提携のニュースは、
瞬 く (またたくあいだ)に、サウンド・クラブに集まったみんなに広まって、
新聞や雑誌などのマスコミから世間にも知れ渡る。

 それから数週間後、インターネットのソーシャル・メディア(SNS)の、
ユニオン・ロックで、川口信也たちが講師をする、下北(しもきた)音楽学校の、
中学生以上を対象とする、参加無料の特別公開授業が行われる。

 インターネット上の、バーチャルな下北音楽学校の校長は、
映画音楽、テレビ・ドラマの作曲家として活躍中の、
レコード大賞の作曲賞も受賞者で、ギターリストの沢秀人(さわひでと)である。

 その特別公開授業の会場は、下北沢南口から歩いて4分の、
北沢ホールの3階にある定員72名のミーティングルームであった。

 ミーティングルームは、女子中学生や女子高生、10代から20代の男子たちや、
大学生や社会人の男女と、幅広い層で、満席となった。モリカワの森川誠や
エターナルの新井竜太郎の姿もある。清原美樹たち、グレイス・ガールズや
信也のバンドのクラッシュ・ビートのメンバーも後ろの席に集まっている。

「きょうは、下北音楽学校の記念すべき第1回目の公開授業ということで、
ぼく自身、かなり、緊張しているんですけど。あっはは」

 自らの緊張をときほぐそうとして、信也は、わらって、少し間を開けた。

「きょうは、こんなにおおぜいの中学生、高校生、大学生や社会人の方が
集まってくれるとは思っていませんでした。
ソーシャル・メディアというか、インターネットの威力ってスゴイですよね。
また、きょうの授業は、生中継で、いま、動画で公開しいるわけです。
まあ、ね、楽しく、みんなで、音楽を学んで行こうよ!
そして、楽しく音楽をやっていこうよ!っていうのが、
下北音楽学校の目的なんですから。高い志を持って、楽しくやってゆきましょう!」

 演台(えんだい)に立つ川口信也は、深呼吸して落ち着くと、
最前列に座っている女子高生とかを、余裕の笑みで眺めながら、
ワイヤレスマイクを持って、そんな話をする。

「きょうの、ぼくの話は、世界一の楽器についてのお話です。
世界一の楽器って、なんだと思います?」

「人の声だと思います!」

 信也にそう問われた、最前列の女子高生が、ちょっと高いかわいい声で、
そう答える。その子はどこかオトナびていて、パープル系のポップカラーの
アイメークをしていて、微笑んで、信也を見つめる。

「そうなんです、正解です。きょうの授業のタイトルが、『高い声を出す方法』
なんですから、世界一の楽器って、人の声だってことは、わかりやすいですよね!」

 会場は、わらい声につつまれる。

「歌が上手(じょうず)に歌えないっていうことで、悩んでいる人って、
たくさんいるんですよね。ぼく自身がそうだったんですから」

 信也がそういうと、「ウソだぁ」と前列の女子中学生がいったり、彼女たちの
わらい声で、会場はざわつく。

流行(はや)っているポップスやロックのほとんどは、みーんな音域が高いですから、
それらを歌いたくても、歌えないというのは、非常に絶望的なくらい、辛いものです。
このことって、歌うことが大好きな、みなさんや、ぼくにとっては、大問題ですよね」

「大問題でーす」と、前列の女子中高生たちが、さわいだ。

「そうなんですよ。歌いたいのに歌えないって、心が沈む、哀しいことなんですよね。
あっはは。わらって、ごまかしていられないくらいに。
まあ、今日(こんにち)のように、ぼくが3オクターブは、出せて、歌えるのも、
自己流ですが、ヴォイス・トレーニングをしてきたからなんです。
しかし、不思議なんですよね。なんで、好きな歌が、音程が高すぎて、
歌えないなんていう状況が、現代人の前に出現してしまっているのかってね。
人間の声帯というか、声を出すメカニズム(仕組み)に、もともと欠陥があるとしか
思えないくらいに、普通の、一般の人には高い声が出しにくいのですからね」

 会場のみんなは、静かに、信也の話に聞き入っている。

「最初にお話ししましたように、人間は声というものは、言葉でもって
意味も伝えられる、世界一の楽器だと思うんです。
言葉も伝えられる最高の楽器だって、おれに教えてくれたのは、
高校のときの音楽の先生だったですけどね。あっはっは。
おれはその話に、無性に、本当になぜか感心したんです。あっはっは」

 会場からも、わらいがおこる。信也のファンでもあるらしい、特に女の子たちのわらい声が、
(かざ)りけがないミーティングルームを(はな)やかにする。

「それで、きょうの授業のタイトルの、『高い声を出す方法』の、ぼくの結論なんです。
誰にでも、ふだん出している地声から、声がひっくり返って、裏声になるという、
換声点(かんせいてん)とか呼ばれている音域の区分があるんですよね。
その声の変わり目を、上手にクリアして歌えるようにするのには、
トレーニングしかないだろうというのが、ぼくの結論なんです。
要するに、歌うための筋肉があると言われているのですが、それを鍛えていくしかないと。
筋力トレーニングを、日々続けられるかどうかが、3オクターブの音域を
獲得できるかどうかの分かれ道なんだと思うんです。
最初はうまく行かないにしても、歌が好きならば、
楽しんでやって行けることだと思うんです。そんな努力をしなくても、
最初から、3オクターブを歌える身体(からだ)に、自然界はなんで
してくれなかったのかな!?と、今でもぼくは思いますよ、まったく。
しかし、人間がサルから枝分かれした、パンツをはいたサルのようなものだとすれば、
進化の途中なのだから、高度な芸術的な楽しみが、そう簡単に手に入らないのも、
仕方ないのかな!?とか思ったりもしますけどね。あっはは」

 信也がわらって、頭をかくと、会場は、また、明るいわらい声につつまれる。

「しかし、まあ、ぼくの自由勝手な仮説といってしまえば、それまでですが、
歌や音楽とかの、芸術的なことが、ぼくたちが、
このかけがえのない美しい地球で、平和に仲良く暮らしてゆくための、
差後の切り札かも知れないと思うのが、ぼくの実感なんです。
さて、3オクターブの歌声を手に入れたいと思う人のためには、
ぼくも、下北(しもきた)音楽学校も、できるかぎりのことをして、
サポートしてまいります。
われわれが(おこ)したユニオン・ロックという慈善事業は、
音楽や芸能を愛する人たちの力になってゆきたい、
そんなことが目的の事業なんです」

 そういうと、会場から、拍手と熱い歓声がわきおこる。

「歌うコツや理論は、インターネットで調べても、
けっこう詳しくわかりますが、高い声で歌うための、基本は、
肩の力を抜いたり、のどや舌も緊張させないようにして、
全身をリラックスさせることがあったりします。
または、腹式呼吸をするように心がけて、お腹に意識を持っていって、
のどの緊張をほぐすこととかもあります。
さらには、響きのよい声、高い声を出すためには、
鼻腔(びくう)口腔(こうくう)などの、共鳴腔をフル活用するなどがあるわけです。
これは、ギターやバイオリンの音が胴体の部分で拡大されるのと同じ原理です。
まあ、声を出すメカニズムが、しっかりできるようになるってことは、
クルマやオートバイの運転に似ていて、いかにスムーズに、
ぎこちなくないように、ギア・チェンジがしっかりできるかってことだと思います。
ですから、簡単ではありませんが、楽しみながらやってゆく、
そんな価値のあることだと感じています。
歌の練習なら、クルマやバイクのように、運転ミスで、事故って、
ケガするとか、命を落とす、そんな心配も無用なんですから、みなさん、
ヴォイス・トレーニングは、気軽に楽しみながら、がんばりましょう!」

 会場からは、大きな拍手と、女子学生たちの明るい歓声がわいた。

≪つづく≫ --- 58章 おわり ---
 
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