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歴史クロス

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時系列(第一シリーズ)

1412年  1月16日《ジャンヌ・ダルク》  誕生
     両親は20ヘクタールほどの土地を所有しており、父《ジャック》は農業を営むとともに、租税徴収係と村の自警団団長も兼ねていた。

1424年  《ジャンヌダルク》(12歳)が神の声を聞く。

1428年  4月《ジャンヌダルク》(16歳)は親類の《デュラン・ラソワ》に頼み込んで「ヴォークルール」の守備隊隊長だった《ロベール・ド・ボードリクール伯》に「シノン」の仮王宮を訪れる許可を願い出た。

1429年  1月 「ヴォークルール」で《ジャンヌ》は、貴族である《ジャン・ド・メス》と《ベルトラン・ド・プーランジ》に出逢う。
     三度目の訪問でようやく《ロベール・ド・ボードリクール伯》の協力を得て、6人のフランス兵を連れて「シノン」へ向かってイギリス軍の取り囲む中を突き進み、フランスの王位継承者である《シャルル王太子》に謁見する。王太子は自分の顔を見たことがない《ジャンヌ》をからかうために偽者を謁見させた。しかし、《ジャンヌ》は謁見した王太子が偽者であることをすぐさま見破り、こっそり従者たちに紛れて潜んでいた本物の王太子を探し当てて見せる。
     フランスの王権の象徴であるジュワユーズと白馬を与えられた《ジャンヌ》は軍の先陣をして「オルレアン」に進軍する。
     《ジャンヌ》が謁見した日から軍を進軍させるまでの間に、ルパンはデュランダルを管理していた貴族を説得してデュランダルを譲り受ける。
     4月29日 「オルレアン」に《ジャンヌ》の軍が到着
     5月4日 「サン・ルー要塞」攻略
     5月5日 「サン・ジャン・ル・ブラン要塞」占拠
     5月6日 「サン・オーギュスタン要塞」攻略
     5月7日 イングランド軍主力の拠点である「レ・トゥレル」へ攻撃
     《ジャンヌ》に率いられたフランス軍の戦意は高く、全戦全勝でイギリス軍に包囲されていた「オルレアン」を解放する。
     《シャルル王太子》を説得して《アランソン公ジャン2世》の副官の地位につく。
     6月12日 「ジャルジョー」解放
          イギリス軍の重要な司令官の1人である《サフォーク伯》を捕らえた。
     6月15日 「マン=シュール=ロワール」解放
     6月17日 「ボージャンシー」解放
     6月18日 「パテーの戦い」において、子飼いのブリトン人の騎兵2000人と弓兵800人を率いて合流した《リッシュモン大元帥》と共闘。リッシュモン軍は《ジャンヌ》の指揮下に入り、実質的な指揮を《リッシュモン大元帥》が執った。
     6月29日 「ジアン=シュール=ロワール」から「ランス」へ向けてフランス軍が進軍を開始する。
     7月3日 「オセール」を占領していたブルゴーニュ公国軍が条件付降伏を申し出る。
     「ランス」への進軍路にあった各都市も抵抗せずにフランスに忠誠を誓う。
     7月16日 フランス軍が「ランス」に入城。
     7月17日 朝 《シャルル7世》の戴冠式が執り行われた。
     《ジャンヌ》より《シャルル7世》へとジュワユーズが返還される。
     再び進軍する時、ルパンからジュワユーズの代わりに聖剣デュランダルが与えられる。
     8月15日 イングランド軍の司令官《ベッドフォード公ジョン》が率いるイングランド軍と「パリ」へ進軍するフランス軍が対峙、戦線はそのまま膠着状態となった。
     9月8日 フランス軍が「パリ」へ攻撃を開始する。この戦いで《ジャンヌ》は石弓の矢が当たって脚を負傷したが、最後まで戦場に残って軍の指揮を直接執り続けた。
     9月9日 朝 《ギュイーヌ伯ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ》の意を汲んだ《国王シャルル7世》からの撤退命令を受けて《ジャンヌ》は戦場を去る。
     10月  《ジャンヌ》は「ン=ピエール=ル=ムイエ包囲戦」で軍に復帰した。
     11月~12月 「ラ=シャリテ=シュール=ロワール包囲戦」にも従軍したがこの包囲戦は失敗している。
     12月29日 《ジャンヌ》とその家族は貴族に叙せられた。

1430年  5月  《ジャンヌ》は「コンピエーニュ包囲戦」の援軍として「コンピエーニュ」へ向かった。
     5月23日 《ジャンヌ》の率いる軍が「マルニー」に陣取っていたブルゴーニュ公国軍を攻撃。ブルゴーニュ公国軍に6,000人の援軍が到着したことから、《ジャンヌ》は兵士たちに「コンピエーニュ城塞」近くへの撤退を命じ、自身はしんがりとなってこの場所で戦う。孤軍奮闘の末、《ジャンヌ》はブルゴーニュ公国軍の捕虜となった。
     当時は敵の手に落ちた捕虜の身内が身代金を支払って、身柄の引渡しを要求するのが普通だったが、《シャルル7世》が《ジャンヌ》の身柄引渡しに介入しなかった為、交渉自体が難しいという状況に陥った。フランスに見殺しにされたも同然の《ジャンヌ》は何度か脱走を計るが全て失敗する。最終的にイングランドが《ブルゴーニュ公フィリップ3世》に身代金を支払って《ジャンヌ》の身柄を引き取った。

1431年  1月9日 イギリスの占領統治府が置かれていた「ルーアン」で、《ジャンヌ》の異端審問裁判が開始された。
     「ポワチエ」の聖職者と《ルパン》が手を組み、《ジャンヌダルク》を替え玉と入れ替えて救出。
     5月30日 「ルーアンのヴィエ・マルシェ広場」で、《ジャンヌダルク(偽者)》の公開処刑。火刑の後、その遺灰はセーヌ川に流された。

 
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