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Fate/insanity banquet

作者:
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Fifth day


 ここ数日で最も良い目覚めをした士郎は、誰よりも早く台所に立っていた。まだ完全にスッキリとしているわけではないが、寝不足による疲労は昨日でとれていた。
 久しぶりに朝食を作るため、鼻歌を歌いながら手を動かしていく。だしを入れて鍋を火にかける。お湯が沸騰するまでの間、冷蔵庫を覗いて何を作るか考える。納豆と油揚げ、そしてワカメと卵、野菜入れにあった山芋とネギを取り出し冷蔵庫を閉める。味噌汁にいれるワカメとネギを手早く切って、ボールにいれる。そして、油揚げを半分に切っていく。この油揚げの中に、納豆と卵そしてあまったネギを入れてフライパンで焼くことで、キツネ焼きを作ろうとしていた。材料をボールにいれて混ぜ合わせていると、後ろから声を掛けられた。
「おはようございます、士郎さん」
「ん、おはよう。時臣」
 ボールを持ちながら振り返ると、今日もきっちりと服を着ている時臣の姿があった。
「何か、手伝いましょうか?」
「あ、それなら、この山芋を……」
 そこまで言って、昨日の夕飯時の事を思い出す。この子に包丁を持たせるのは、不良に鉄パイプ持たせるようにすごく危険だ。いや、凶暴になるとかそういう意味じゃなくて。
「えっと、それじゃあ、新聞取って来てくれるかな。あと、クロがまたどっか行っちゃったから、庭でご飯だよって言ってくれると助かる」
「はい、わかりました」
 そう言うと時臣はパタパタと走っていく。士郎は、沸騰した鍋の火を弱め、先程切ったワカメとネギを入れる。
「おはよ、士郎」
「おはようございます、シロウ」
 二人の少女の声がして、また士郎は振り返る。着替えを済ませている凛とセイバーに、士郎もおはようと返す。
「シロウ、今日の朝ご飯は何ですか?」
 嬉々とした表情でセイバーが尋ねる。士郎は山芋をサイコロ状に切りながら答える。
「ワカメとネギの味噌汁と、納豆入りのキツネ焼き、それと山芋の梅肉和えかな」
「寒くなってきているのだから、体を冷やす原因となる冷たいままの山芋はどうかと思うぞ」
 ぬっと出てきたアーチャーに驚きつつ、彼の言葉にうっと詰まる。アーチャーはそれ以上は何も言わず、すたすたと去っていく。そこで、士郎は思い出したように二人に言う。
「そうだ、俺、今日は少し早めに学校行くよ」
「ふーん、別にいいけど、何か用事でもあるの?」
 大きく伸びをしながら尋ねる凛に、士郎はそれは、と答える。
「昨日迷惑かけたから、一成に朝のうちに一言声かけておきたいんだ。どうせ、生徒会室に籠ってるだろうし」
「はいはい」
 凛はそう答えると、居間の方へ歩いていく。セイバーもそれに続き、台所はまた士郎だけの空間となる。お腹を空かせた虎が押しかけてくる前に、早く残りを作ってしまおうと、士郎は作業に戻った。

 学校についた士郎は、生徒会室に向かおうと廊下を歩いていく。あと少しで目的地、というところで後ろから肩を叩かれる。誰かと思って振り向くと、そこには黒髪の小麦色の肌をした少女が立っていた。日本人離れしているその顔立ちから、留学生だろうと判断する。自分よりも少し高い背の彼女は、ずいっと士郎に手を突き出した。
「衛宮士郎、これ、落としていてよ」
 彼女の手にあったのは、自分の学生証だ。
「あ、ありがとう。気が付かなかった」
 いつの間に落としていたのだろうと疑問に思うが、自分の手元に戻って来たため、それは良しとする。
「あの、どこかで会ったっけ?」
 いつの時代のナンパだ、と自分にツッコミを入れてしまう。だが、彼女は気にしていないようだ。
「直接こうしてお話するのは、初めてね」
 そう言うと、彼女は士郎の頬を両手の掌で包み込む。
「……」
 突然の行動は止める間も無かった。じっと士郎の琥珀色の瞳を見る彼女は、士郎を観察しているように見える。
「な、何か?」
 その視線が気まずく、思わずそう聞いた士郎。
「いえ。あなたは面白い人間だと思って」
 返されたのは、自分が賛同しかねる言葉だった。彼女の「面白い」という言葉に、士郎は首をかしげる。初めて出会った彼女に、面白い、と言われるほどの事を、自分はしたつもりはないのだが。彼の反応すら分かっていたように、彼女は声音を明るくして続ける。
「あら、あまり言われたことの無いことだったかしら? 少なくとも、わたくしの目にはそう映ったけれど」
 くすりと笑みを漏らすと、彼女は愛おしい物を見るような目で士郎をその瞳に映す。
「様々な因果が絡み合って、ここにいるあなたの存在は、とても完成されたものだわ。今まで見てきた人間の中で、一番美しい魂。あの子が、あなたを好きになるのも、分からなくもないもの」
 彼女はそこまで言うと、すっと目を細める。
「それなのに、あなたはこうして息をするのも苦しいのね」
 どきりと心臓が脈動するのを感じる。心が否定する、違うと。だが体は正直で、彼女から僅かに一歩足を引いていた。彼女の言葉をこれ以上聞くなというように。
「美しい魂を持っているのに、それを包む心の皮はひどく歪で、ズタズタに裂けて壊れている。まぁ、器としてみれば最高だけれど。罪悪感に押し潰されそうなのに、ただ一つの理想のために必死に立っているその姿。イラっとくるほどあの子とそっくりね」
 器、あの子、という分からない言葉がぐるぐると回る。
「ねぇ、衛宮士郎。わたくしがあなたの息の根をここで止めたとしても、あなたは後悔しないのかしら」
 彼女の手が士郎の頬から、するりと下に降りる。首にたどり着くと、優しく一撫でする。その仕種に、士郎は体を震わせる。脳内の危険視号が点滅しているというのに、士郎は魔法にでもかかったかのように動くことが出来ない。少年のものにしては細い士郎の首に、彼女はゆっくりと力を入れていく。彼女のしなやかな指はしっかりと頸動脈を押さえているようで、士郎の視界はだんだんとぼやけていた。
 遠くを見るように虚ろな瞳、口は酸素を求めて小さくはくはくと息を漏らしている。士郎のその表情を見ると、彼女は頸動脈を押さえていた指にさらに力を込める。士郎の頬は赤く染まり、目からは涙が一筋流れ落ちていた。
 前にもこんな状況があった。
 夢で、あの少年が自分の首をゆっくりと締めていく。あれは夢であったが、これは現実だ。
 苦しい、息が出来ない。
 このままでは、死んでしまう。
 でも、こんな状況を、自分は求めていた?
 このまま、意識を失ってしまいたいと思っていた?
 それは、いつから……。
「あなたは、あの子の大事な……」
 あの少年が、最後にすがるように士郎に言った言葉。その言葉が合図だったように、士郎の意識が覚醒する。力が入らない手を叱咤し、両手で力いっぱい彼女を突き飛ばす。彼女はその衝撃で士郎の首から手を離してしまう。
「っ、が、げほっ、ごほ……」
 溜めていた息を吐き出し、激しく咳き込む士郎。足の力は抜けてしまい、床に座り込んでしまう。
 座りこむ士郎の前に、彼女はにっこりと笑みを張り付けて立つ。かなり力を入れたつもりだったが、彼女は特にダメージを負っていなかった。
「冗談よ、あなたが死ねば、サクラが悲しむもの。大事な友達が悲しむところをわたくしは見たくないもの」
 サクラと聞き馴染みのある名を聞き、ますます彼女が何者か分からなくなる。うっすらと涙が滲む目で、彼女を下から睨みつける。それに彼女は肩を竦めて見せ、ぐっと顔を近付ける。
「わたくしのお遊びに付き合ってくれたあなたに、一つ助言をしてあげるわ。もしあなたが、この平穏を今までと同じように望むなら、敢えて危険な道に足を伸ばすなんて考えないことよ」
 彼女は士郎の額に唇を落とすと、言葉を続ける。
「そうね、例えば、魔術によって作られた猫の言うことは、あまり信用しない方がいいかもしれないわ。案外、猫の皮を被った悪魔が潜んでいるかもしれなくってよ」
 彼女はそう言うと立ち上がり、廊下を立ち去って行った。とりあえずの脅威が去ったことで、士郎は大きく深呼吸をする。
「何だったんだ……」
 かなり長い間締められていたせいか、首にまだ違和感が残っている。痕が残っていないといいが、と思い士郎は立ち上がる。
 そこで、自分の頭が妙にスッキリしていることに気が付く。寝不足とは少し違う、ここ数日もやもやと霧かかったようだった脳内が晴れ渡っているのだ。
「……とりあえず、生徒会室に行くか……」
 まだ少しふらつくが、このくらいなら大丈夫だと自分に言い聞かせ、士郎は目前の生徒会室に足を進めた。



「というわけで、買い物に行きましょう。トキオミ、カリヤ!」
 時刻は午後三時半。小学校から帰宅した時臣、そして昨日のようなことが起きないように、学校が終わった後は衛宮家に行くように言われた雁夜がキョトンとした顔でセイバーを見る。他の居候サーヴァント、ライダーは骨董屋の店番、アーチャーはどこかへふらりと出かけて行ったため、この家にいるサーヴァントはこの腹ペコ騎士王のみだ。
「ええっと、まだ僕は宿題が終わらなくて」
「俺も、明日漢字のテストがあるし」
 出かけるのはちょっと、と言いたげな二人。二人はちゃぶ台に教科書やプリントを広げ、せっせと鉛筆を持つ手を動かしている。セイバーは二人の言い分に大きく頷きながら言う。
「えぇ、分かっています。学生と言えば、勉強は重要なもの。ですが、これを見てください!」
 セイバーがそう言って二人に差し出したのは、一枚のチラシだった。黄色の紙に、黒のインクで文字が書かれている。
「なになに、『タイムセール、どら焼き一個三十円。破格の値段のどら焼きは、お一人様三個まで』と。あ、俺察した」
 雁夜が読み上げると、時臣もその紙を覗きこむ。セイバーはキラキラと顔を輝かせて二人に言い聞かせる。
「いいですか、この衛宮家の食費は、シロウが頭を悩ませる最大の原因の一つと言えます。それを、このどら焼きタイムセールは、僅かながら緩和してくれるものなのです。三人で買いに行けば、九個のどら焼きを手にすることが出来ます。通常一個百円のどら焼きを九個も買えば、シロウのお財布はすっからかんになってしまいます」
 ですが、とセイバーは力強く続ける。
「このタイムセールでは、どら焼きは一個三十円、九個買っても二百七十円にしかならない! これは、買いにいくしかありません」
 目の中にメラメラと燃える炎をちらつかせながら、彼女は拳を握りしめて言った。
「まず、食べるのを我慢するっていう選択肢は、セイバーさんに無いってことか」
 士郎さん、ご愁傷様と雁夜は呟く。
「ま、俺は行こうかな。この辺のこと、あんまり知らないから、探検みたいな気分になるし」
 マトウカリヤは、たいしてこの街に思い入れを作らないまま、家を出てしまった。間桐の家に戻ってからも、ほとんど地下に閉じこもっていたため、このあたりのことは知らないも同然だった。
「雁夜君が行くなら、僕も行こうかな」
 鉛筆を机の上に置き、時臣は彼に笑いかける。
「そうと決まれば、出陣ですよ、トキオミ、カリヤ!」
 セイバーの言葉に、二人は「おおっー!」と掛け声をかけ、三人は商店街に繰り出して行った。
 三人が玄関から出て行ったと同時に、屋根の上で昼寝をしていたクロが居間に入ってくる。ごしごしと顔を擦りながら、先程までそこにいた騎士王に声を掛ける。
「ふわあああ。おーいセイバー、クロはお腹がすいたのである。煮干しでも何でもいいから、取って……っていない」
 腹ペコ黒猫の頼みは、聞き届けられることは無く。仕方ない、とクロはご飯をくれる人を探しに、衛宮邸を後にした。

 目的のどら焼き九個をしっかり手に入れることができ、満足気な表情を隠さないセイバー。そして、今更クロを連れてこなかったことを思い出していた。クロが人間に変化出来ると、凛から聞いていたのだ。クロを含めれば、計十二個のどら焼きが買えたはずなのに、と若干ネガティブな考えになる。だが、彼女はそのクロが人間の姿になる時は、黒ビキニにバスローブという、とんでも格好になるということまでは知らない。
「さて、目的は果たしました。シロウたちが帰ってくるまで時間がありますし、二人がどこか行きたいところはありますか?」
 どら焼きの袋を大事そうに抱えながら、セイバーは二人に尋ねる。
「俺は、別に無いけど、時臣は?」
「僕も、特には」
 二人の返事と、傾き始めている太陽を見て、セイバーは言う。
「む、そうですか。では、暗くなる前に帰りましょうか。付き合ってもらって、ありがとうございます」
 三人が元の道を帰ろうとした時、背中からものすごい勢いで走ってくる人間の音が聞こえてきた。何事かと思って三人が振り返ると、そこには長髪、長身の美形男性が一人。
 その男の姿を見て、時臣と雁夜はきょとんとした表情を見せる。だが、セイバーは目を細めて、その男を見ていた。
「僕らに、何か……」
 自分たちを、というか雁夜を見て動かなくなってしまった彼に、時臣が問いかける。すると、彼は自分よりも六十㎝ほど小さい雁夜を抱きしめる。
「カリヤっ……」
 悲痛な声で自分の名前を呼ばれ、雁夜は目を丸くする。この男は確実に初エンカウントのはずなのに、何で自分の名前を知っているのか。もしかして、ストーカー? などという考えが一瞬のうちに雁夜の脳内を駈けめぐる。
「はぇっ? お、お兄さん、誰?!」
 苦しい、苦しいとジェスチャーを送る雁夜だが、本人には届かない。それを見兼ねた時臣は、彼と雁夜を引きはがそうと、男の手を引っ張る。
「雁夜君から、離れて下さい。け、警察呼びますよ。小さい男の子に、いきなり抱き付く不審者だって」
 そんな警察は、まだ多くの人で賑わう商店街に来ている人によって、不審者の通報と言う形ですでに呼ばれていたりするのだが、彼らは知らない。
「いえ。私にはNTR属性はありますが、ショタ趣味はありませんので、どうかご心配なく」
 キリっという効果音が付きそうなほどのいい顔で彼は言う。それを聞くと、バキバキと指を鳴らしながらセイバーが男の前に立つ。
「ほーう。リンたちが襲われた、黒い鎧の狂戦士、誰かと思っていれば。貴様、冬木生まれ、冬木育ちの、乱・素玄人ではないか」
「げっ……。何故王が、カリヤと一緒に」
「乱・素玄人。貴様とは、何があっても話を付けなくてはならないからな。そこを動くなよ……」
 乱・素玄人、否、湖の騎士であるランスロットに今にも殴りかかりそうにしていると、彼が大きく首を左右に振って否定する。
「お、王よ。誤解です。いや、どれから誤解を解けばいいのやら、私にも分かり兼ねているのですが、とりあえず色々と誤解です」
 信じてください、と言いたげな彼は、飼い主に叱られている犬を彷彿させる。一発ぶん殴っただけでは足らないと思っていたセイバーだが、彼のその姿を見て、心を落ち着かせる。
「ふむ、私の唯一無二の親友の言葉を信じるとして。では、昔のことは、ひ、と、ま、ず、置いておいて。何故、トキオミとカリヤを襲ったのか、その理由から聞かせてもらおうか」
 寛大な王の心に感謝、とも言いたげな顔で彼は話し出す。
「それはですね、私が今、仕方がなく契約をしているマスターの無茶振り命令の一つでして。私が意図してやったものではないのです。数人の写真を見せられ、この少年たちを抹殺しろ、とか言うんですよ。あの方の元にいるということは、ブラック企業で働いているようなものですから!」
 どこかのハサンも言っていたブラック企業という言葉。サーヴァントというものは、ここまで過酷な働きをしなくてはならない存在らしい。
「だから、こうしてあの方の目を盗んで、あなたに謝ろうと思って、ここに来たのです。カリヤ、そして、あなたにも」
 そう言い、ランスロットはカリヤとトキオミに視線を合わせる。
「えっと、お兄さんは俺と何か関係ある……」
 一番雁夜が気になっていたことを聞こうと口を開くと、どこからともなく一人の少女の声が聞こえてきた。
『御機嫌よう、バーサーカー。いい午後を過ごしているかしら?』
 そこに魔力の気配を感じ、セイバーは瞬時に、ランスロットの言うマスター からのパスなのだと判断する。
「ええっと、マスター?」
『なぁに、バーサーカー?』
 うふふと笑い声を漏らす彼女に、ランスロットはびくびくしながら尋ねる。
「何故、そんなに機嫌の悪そうなお声をしていらっしゃるのでしょうか、我が主よ」
『それは、わたくしの言いつけを破って、狂化しないまま、かつての王と先の聖杯戦争の元マスターの元にいるからじゃないかしら』
 彼女の言葉を聞き、さあっとランスロットの顔から血の気が引く。ヤバい、全部ばれている。この様子だと、さっきの会話も全て筒抜けの可能性もありえる。ランスロットが
『こんなところで、何、油売っているのかしら』
 怒り心頭といった、彼女の声が響く。絶対零度の冷たさを感じさせる彼女は、彼に非情ともいえる命令を下す。
『さっさとそこの、チビーズプラス騎士王を始末なさい』
「ま、マスター。あなた、昨日私に、彼らを殺すのは後回しとか何とか言って……。というか、あなた学校はどうしたんですか?」
 この時間、恐らく授業は終わっているだろうが、ホームルームなどは残っている。それなのに、自分とパスを繋いで話している彼女は何をしているのか、と思ったため聞いたのだが、それは今の彼女にとっては色々と火に油を注ぐものとなる。
『ふーん、そう。マスターの命令よりも、生前の王の方が大切だって言うのね? それもそうね、あなたはわたくしのことを、ブラック企業呼ばわりしていましたものね』
「いえ、あのですね。マスター?」
『あぁ、それとも。前回の聖杯戦争のマスターのことが、今のマスターであるわたくしよりも大事だと? どちらにしても、今日の夜あなたが帰ってくる家は無いわ!!』
 帰ってくる家は無いと、まるで反抗期の子供が親に怒られるときに言われるような言葉に、ランスロットは待ったをかける。
「マスター、色々と誤解が。いえ、半分以上本音なのですが!」
『苦手なもの本音トークとか言って、そこまで言うのね。よーく分かったわ、バーサーカー。ただの命令に従わないのなら、無理やりにでも従わせるだけよ!』
 彼女が何をしようとしているのか、セイバーとランスロットが瞬時に理解する。別に使い方は間違っていないのだが、この状況で使われるというのもなかなか困る。だが、そんな思いも届かず、怒りで我を忘れている彼女は怒鳴りながら命じる。
『令呪を持って命ずるわ。バーサーカー、目の前にいる騎士王たちを、はっ倒しなさい! 出来ずに帰ってきたら、今日は締め出しよ!!』
 彼のマスターの怒鳴り声が、その場にいるセイバーたちにも聞こえる。ついでに、パスを切る時のブツリという音までしっかりと聞こえてきた。
 沈黙が四人の間に流れる。それを破ったのは、令呪による無茶苦茶な命令を受けてしまったランスロットだ。
「お、王よ。ええっと、その」
 彼には戦う意思は無いのだが、令呪によって無理やり剣を彼女たちに向けさせられる。それを見て、セイバーは深くため息をつく。彼と再び会うときは、もっと殺伐したものを想像していたのだ。それがこんな形になってしまったのは少々気が抜けるが、これはこれでありかもしれないと思っていた。
「まぁいい、歯を食いしばれランスロット」
 自分の剣を構えている彼女にツッコミを入れる。
「王、根本的な解決になっているとは思えないのですが」
「あなたが、再び私に会いに来てくれた。私は、それだけで嬉しい。こうして、話すことが出来るのだから」
「王よ、エクスカリバーを振りかざしながらいう言葉ではない気がするのですが」
「ランスロット、とりあえず、エクスカリバー一本いっとく?」
「いっときませんよ!!」
 じりじりと近づいてくるセイバーと、何とかして逃げ出したいランスロット。二人の戦いが三つ巴の戦いになると、この時誰が予想しただろうか。

「二人とも、私の後ろに下がって下さい。この寝取り男、実力だけは本物ですから」
 時臣と雁夜を自分の後ろに下がらせる。ちなみに時臣の頭は、ランスロットが現れたあたりから思考回路がストップしており、一方の雁夜は、このランスロットが誰なのか必死に思い出そうとしていた。
「さあ、いくぞ!」
 ランスロットの内心はさて置き、セイバーは剣を振りかざし間合いを詰める。ちなみに、彼女たちが剣を取り出した時に、商店街にいた人々は危険を察知したのか退避済みだ。
 セイバーの不可視の剣、そしてランスロットのマスターから渡されたあんまり使い物にならなさそうな竹刀が重なろうとした時。
「我のセイバーに剣を向けるとは、いい度胸をしているな。この狂犬よ!」
 自信と威厳に満ちた声。金髪と黒いライダースーツを着ているギルガメッシュの登場だった。
「え、英雄王?!」
 考えもしなかった人物の登場に、ランスロットとセイバーの声がユニゾンする。どっちかっていうと、剣を向けているのは自分の王のほうです、とは言えずにランスロットは自分とセイバーの間に立つ男に視線を投げかける。
「久しいな、狂犬。また、性懲りもなく、セイバーのストーカーか?」
「貴様だけには言われたくないぞ、英雄王! 十年たっても王をつけ回して、羨ましい、じゃなくて」
 ポロリと漏れた本音に、セイバーの堪忍袋の尾が切れたようだった。この湖の騎士、死すべしと顔に書いてある。
「英雄王、やってしまえ。そこのNTR男は、私の部下でも何でもない。ただの某・スロットだ!!」
「ふむ、我の可愛いセイバーの頼みを聞いてやりたいのは山々だが、我はお前たち二人の戦いを長引かせるためにここにいるのだ。さて、ここはバトルロワイヤルといこうか?」
 にやりと彼が笑うと、二人は緊張した面持ちでギルガメッシュを見る。彼の後ろに、金の亜空間が現れた瞬間。今まで、セイバーの後ろに隠れていた時臣が飛び出した。
「ギルガメッシュさん、ダメです」
 彼の手を両手で握り、その攻撃を収めようとする。
「……何だ、時臣」
 自分の行動を止められたことか、はたまた他の理由か。ギルガメッシュは不機嫌そうな声で彼を呼ぶ。だが、それに臆することなく時臣は続ける。
「こんなところで、三人が戦ったりしたら、大変なことになっちゃいます。せっかく、素敵な商店街なのに、壊れたりしては大変です。それに、士郎さんにも迷惑かかっちゃいますから、ダメです」
 揺れる彼の瞳を見て、ギルガメッシュは宝具を射出するために上げた手を下す。戦いが一時中断したかと思われると。
「あ――! セイバー!」
 すたすたと商店街の真ん中を歩いてきたのは、衛宮家の黒猫。先ほど食べ物を求めて旅を始めたばかりのクロだ。
「クロ。留守番してくれているのかと思いましたよ」
 屋根の上で寝ていたクロの姿を見ていたセイバーはそう言う。クロはセイバーたちが手に持っている紙袋に注目していた。
「むー、クロはお腹が空いたのである! セイバー、そのどら焼き、クロに一個ちょうだい?」
 どら焼きの紙袋に手を入れようとするクロの手を、セイバーはぴしゃりと叩く。
「ダメです。これは、私の大事な大事なおやつなんですから。大体、猫ならば、自力で餌を捕るくらいのことをしませんか!」
「吾輩は、家猫だから、狩りは不得意なのだ」
 ぎゃいぎゃいとセイバーとクロがじゃれあっていると、ついにセイバーがクロをぽいっと放り投げる。みぎゃっと潰れたような声を出すと、地面に落ちる。仕返しを、と考えていると、クロは自分の体が何者かに摘み上げられていることに気が付く。その顔を確認しようとすると、クロはセイバーの元に投げ返される。
そして、冷徹な声がその場に響いた。
「ランスロット、いつまでかかっているの?」
 その声にランスロットが勢いよく振り返ると、そこには呆れた顔で腕を組んでいる少女の姿があった。
「マスター?!」
 あからさまに、げっという表情をしたことで、マスターの表情筋がぴくりと動く。
「あなたが、ランスロットのマスター……」
 先程ランスロットがブラック企業と称した、マスタである目の前の少女をセイバーは見る。
「先ほどは、わたくしも悪かったわ。あなたの王も、そして元マスターも、大事な存在なのに変わりないものね」
「マスター……! 分かって下さるのですか?」
「えぇ」
 彼女はにっこりと微笑む。その笑みは、天使の物のように柔らかいものだ。その微笑みを見て、安堵のため息をつこうとしたランスロットに彼女の言葉が突き刺さる。
「だから、あなたにわたくしの方が重要だということを分からせるために、絶対服従の命をだすわ」
「は、はい?」
 反抗的な態度を見せようとしたためか、彼女は手の甲に浮かぶ令呪をかざす。
「令呪をもって……」
「分かりました、分かりましたから」
 ランスロットの返答を聞くと、彼女は満足そうに頷く。そして、セイバーたちに背を向けて歩き出す。その後を、がっくりと肩を落としながらランスロットはついていく。
「あぁ、そういえば。明日の天気予報は、雨でしたわね」
 ふと思い出したように彼女は一度足を止める。くるりと振り返り、時臣と雁夜をその金の瞳に映す。じっと二人を見つめると、さらりと彼女は続けた。
「気をつけて、雨の日の帰り道は。何か良からぬものを運んでくるものよ」
 黒い髪が風に揺れたと思った時、そこに彼女とランスロットの姿はすでになかった。
 嵐のように去っていた二人の消えた場所をぼんやりと見ていると、不審者の通報を受けた警察が到着し、ちょうどことにいた唯一の成人男性であるギルガメッシュが取り調べを受けたというのは、この後セイバーの中での一番のネタ話となるものだった。

 日の入りが過ぎ、オレンジ色に染まっていた夕焼け空が藍色と混
ざり合っていく。その様子を、公園のベンチで見つめている少女が一人。しなやかな指で煙管を持ち、ゆっくりと煙吸う。そっと口離し、惜しむように煙を吐いていく。
「それで、どうだったのだ。雑種」
 彼女の前に立ったのは、先ほどセイバー達と対峙していたギルガメッシュ。彼女は煙管を自分の横に置き、彼を鋭い眼差しで射抜く。
「黙りなさい、金ぴか。わたくしを誰か分かって、その下賤な言葉でわたくしを呼んでいるのだとすれば、万死に値するわ」
 彼女の強い言葉に、ギルガメッシュはぴくりと眉を動かす。
「ほう、貴様。死にたいか?」
 地を這うような声と共に放たれる殺気。目の前の彼女はそれを恐れるでもなく、受け流す。
「わたくしには、あなたを座に還らせるだけの力はあってよ?」
 そう言い、彼女が彼に見せたのは、腕にある一つの輪。金に輝き、細かな装飾があるのが見て取れる。そして、そこにあるだけでもかなりの魔力を放っているものなのだとも。先に折れたのは、ギルガメッシュのほうだった。余計なことをする気はないと言いたげに、首を竦める。
 だがすでに彼女の意識は、他に向けられていた。
「衛宮士郎の側に感じていたから、一体なにかと思っていれば。あの子の魂の入れ物が、あの化け猫だったとは。セイバーが、初めてあの猫と対峙した時、ただのコピーかと思っていたけれど、さっきのでようやく確信が持てた。あれは、コピーじゃない。オリジナル……」
 ぐっと拳を握りしめて彼女は悔しそうに呟く。
「我が、あの場で足止めしてやったことは、貴様にとって有益になったのか?」
「……。感謝はしているわ。わたくしの計画に一瞬でも手を貸して下さったことには。でも、あなたはわたくしの敵よ」
 彼女の敵という言葉に、ギルガメッシュは、別段驚いた表情を見せない。彼女は風によって靡く黒髪を手で押さえながら続ける。
「だってあなたは、あの二人の少年や、衛宮士郎を殺すことを良しとはしないでしょう?」
 ギルガメッシュは何も言わない。
「先ほどの、時臣と雁夜と言う少年。彼らは、聖杯戦争で命を落としたマスターの転生体。その上、彼らは前世の記憶を持って存在している、完全なる異分子。わたしくしは、彼らを消去しなくてはならない」
 彼女の口からはっきりと告げられた、転生体という言葉。ギルガメッシュは、時臣を初めて見た時に自分の中に過ったものが正解だったのだと分かる。今、この冬木にいる時臣と言う少年は、紛れもなく第四次聖杯戦争の折、自分が見殺しにしたマスターなのだと。その事実が分かったことで、ギルガメッシュは自然と自分の口角が上がるのを感じる。
「人間は、死によって魂が完全なものとなる。転生を認めてしまえば、新たな生を生きることで、人の魂は新たに罪を背負うこととなってしまう。それは、悪よ。転生という邪なるものを、わたくしは認めないし、許すわけにはいかない」
 きっぱりとそう告げる彼女の目に迷いはない。
「転生をして、悪にならない人間は、選ばれた者だけですもの」
 それ以外は消去される運命にある。そして、それを請け負うのは自分だと彼女は主張していた。
「では聞こう。貴様は、どうだというのだ? その転生が悪だと知りながら、貴様は自分自身が悪だとは言わぬのか?」
 その言葉は、まるで目の前の彼女自身が転生した人間だと言いたげなものだった。
「わたくしは、自分が善だなんて思ったことは無くってよ。わたくしは、自分の欲望のために生きているのですもの。でも、それを後悔することも、赦しを願うことも、わたくしはしない」
 そう言って彼女は不敵に笑って見せる。自分が善とは思わない。だが、自分の為すことは間違ってなどいない。きっぱりとそう告げる姿は、彼の執着するセイバーとはまた違った美しさを放っていた。
「英雄王、一つ聞いていいかしら」
 彼の沈黙を是と取り、彼女は続ける。
「何故あなたは、わたくしの前に現れたの? いえ。わたくしは、あの子がここに来た時から、いずれはあなたを利用できれば、利用したいと思っていたけれど」
 あなたのほうから近付いてくるとは、と話す彼女。ギルガメッシュは目を細めて彼女を見る。
「面白い女がいると思って、来たまでよ。その欲望に満ちた瞳、崇高なる魂。我の女となるには少し足りぬが、そばに置いておいても悪くは無いと思ったのだがな」
 美しい、高潔な魂は目を見張るものがある。だが、自分と彼女は相容れぬ存在だ。自分は善であり、彼女は善とは言えない存在なのだから。彼女も彼の言わんとすることが分かったようだった。
「お生憎さま、わたくしは、いつの世も英霊というものとは相性が悪いのよ。わたくしの嫌う、転生に似たものを背負っている存在ですものね」
 彼女はそう言うと立ち上がる。日も落ち、空は黒く染まり始めている。ギルガメッシュの横を過ぎ去ろうとした時、彼女に一つ問いを投げかけた。
「女、お前は、何を求めて生き長らえる?」
「わたくしが求めるのは、この世界の理と概念の破壊。それだけを求めて、今、この時までわたくしは存在しているの。そしてその願いは、この時間軸、この空間軸でようやく叶おうとしている。誰にも邪魔はさせない。例えそれが、神だとしても」
 彼女はそれを伝えると、今度こそ夜の闇にその影を溶かしていった。ギルガメッシュはそれを見送ると、先程の彼女との会話のある部分を思い出していた。
彼女はこう言っていたはずだ。「時臣と雁夜は前世の記憶を持って存在している」と。だが、それはおかしい。自分が時臣に始めて出会った時も、そして今日も。彼は、自分を見て何一つ反応を示さない。それは、彼が記憶を持ってはいるが、まだ覚醒していないという証なのだろうか。
どちらにしても、飽くことは無い。その確信だけが、今のギルガメッシュの中にあった。彼は体を金の粒子に変えて、その場から立ち去って行った。



 あの朝の一件の後、生徒会室で一成に昨日の礼を言った士郎だったが、その時、首に残る痕を彼に見つけられ授業の始まるまでかなり問い詰められた。自分がなんと言い訳をしたのかは覚えていないが、朝からものすごく疲れたことだけは覚えている。そして、授業をフルでこなし、疲れ切った彼はようやく家に戻って来た。
「ただいま――」
 玄関の戸を開けて靴を脱ぐ。他の居候たちはどうしているだろうと思いながら、居間の戸を開けると。
「よっ、坊主」
 煎餅を持ちながらこちらに手を上げて声を掛ける青い髪の男、ランサー、そしてその横でちゃぶ台の上の籠に入っているみかんに手を伸ばしている白髪の少女、カレンの姿が目に入る。いつもは新都の教会にいる二人が、何故この家に来ているのか。
「ランサー、それにカレン。どうしたんだ?」
 自分の家の食料を勝手に食べられている、という事実は士郎の頭からは抜け落ちていた。蜜柑の白い繊維を綺麗に取って、カレンは口に放る。
「お邪魔しています」
 もごもごと蜜柑を咀嚼しながらカレンは返事を返す。その隣のランサーは、台所を指さしながら士郎に言う。
「今日とれた魚、冷蔵庫に入れといたぞ。サバが三匹と、ソウダガツオ一匹。旨い料理に化けるの、楽しみにしてるぜ」
「いつもありがとな、ランサー……じゃなくて」
 魚に流されて、目的を聞きそびれそうになり、危ないと自分に言い聞かせる。鞄を床に下ろし、士郎は部屋の中に入る。
「話はともかく、お茶を頂いてからです。日本茶がいいです」
 カレンはハンカチで口元を拭くと、士郎にそう所望する。それを聞いて、ランサーもまた俺もと士郎に言う。マイペースというか、遠慮を知らない二人にため息をつくが、士郎は着替えを先に済ませてくると伝え自室に戻った。
 着替えを済ませたついでに、居候たちの部屋を確認したが、どうやらまだ誰も帰ってきていない様子だった。凛とアーチャーはともかく、セイバー、そして時臣とうちに寄ることになっていた雁夜がどこかに出かけているというのは、少し珍しいと思ってしまう。士郎は台所の棚を空け、緑茶の茶葉の缶を取り出す。中に入っているスプーンで適量を測り、急須の中に入れる。と、丁度やかんが音を立て始めたため、コンロの火を消す。一度、湯呑にお湯を注ぎ、少し待つ。そして、湯呑のお湯を急須に注ぎ、一分ほど待つ。これで進出は出来たので、湯呑にお茶を注いでいく。ふわりと薫る緑茶のにおいが鼻孔をくすぐる。三つの湯呑をお盆にのせて、士郎はカレンたちの元へ行く。居間に姿を見せた士郎を見て、カレンは口を開く。
「少々、教会で困ったことが起きまして。相談に乗ってもらえないか、と思ったので来てみました」
「困ったこと?」
 湯呑を二人の前に差し出しながら、士郎は尋ねる。それに頷き、カレンは士郎に問いを掛ける。
「この前、新都のほうで起きた、殺人事件をご存知ですか?」
「あぁ、まだ犯人捕まってなくて、一家全員が殺されたっていうやつだよな」
 普段はそこまでしっかりとニュースを見るタイプではないが、冬木市内で起きた極めて残虐な事件ということで、印象がかなり強いものだ。被害にあったのは、一軒家に住む四人家族。とても仲睦まじい家族で、子供はまだ七歳と十歳という幼さだったとニュースで言っていたのを思い出す。そして、犯人は残虐な殺害方法を取ったとも。死因は、大量出血による失血死と出血性ショック。胸は刃物で切り裂かれ、心臓が抜き取られていたという。聞いただけでとんでもないと思うが、その上遺体は関節で切断されバラバラになっていたというからまた恐ろしい。
 目の前に煎餅や蜜柑を並べながら思い出すことでは無かった、と士郎が後悔していると、カレンが衝撃的なことを切り出す。
「実は、あれの犯人を教会で捕獲しまして」
 沈黙。
 数秒前に言われたカレンの言葉を、脳内で繰り返す。「犯人を捕獲」とかなんとか言っていなかっただろうか、この彼女。聞き間違いかもしれないという希望にかけて、士郎はもう一度尋ねた。
「い、今なんて?」
 二度も同じ事を言いたくない、と彼女の顔に書いてあるが彼女はもう一度ゆっくりはっきりと士郎に伝える。
「ですから、その犯人を教会で捕獲した、と言っているんです」
 やはり先ほど自分が聞いた言葉は、間違いではなかったようだ。
「な、なんですと?」
 若干声を震わせながら士郎は言う。何がどうなると、教会で殺人事件の犯人を保護することになるのだろうか。カレンは士郎のことは置いておいて淡々と続ける。
「正確には、自分から教会に来た、と言えますね。犯人なんだが、このままだと警察に捕まっちゃうから保護してくれ、とかなんとか」
「だ、大丈夫なのか? ていうか、その前に警察に通報すべきだろう?!」
 犯人の行方は分かっていないと報道していたニュース。普通、そんな人間が来たら一発で警察を呼ぶと思うのだが、欧州育ちの彼女とは感覚が違うのだろうか。カレンは大きくため息をつく。
「そこが、困ったところなんです」
 そこって、警察に通報すべき、という点なのか。そこが問題というと、犯人は有名人だったり、はたまた宇宙人だったりするのだろうか。ごくりと、固唾を呑んでカレンの次の言葉を待つ。
「犯人は彼なのですが、彼ではありません」
 思考が半分停止する。これは、言葉遊びか何かなのだろうか。犯人と自称する人物は、実は犯人ではない。教会に来た理由は警察に捕まるから……いや、それで何で犯人じゃなくなるんだ。犯人は犯人じゃなくて、犯人は……。
「おい、マスター。坊主、混乱してるから、早く最期まで話してやれ。このままだと、ショートしそうだ」
 士郎の脳内が、犯人と言う言葉に埋め尽くされそうになると横からランサーの手助けが入る。
 ランサーの言葉に肩を竦め、彼女は続ける。
「彼はいたって普通の子供なのですが、その中にかなり悍ましい物を飼っている。まぁ簡単に言えば、悪魔憑きなのですが。そんな彼を救いたいと思って」
「悪魔憑きというと?」
「犯人の普段の人格とは別に、あの事件を起こした悪魔の人格があるということです。通常の悪魔であれば、ホイホイっと聖水やらなんやらで祓えるのですが、かなりの大物が憑いているようなので、私と教会の力ではどうにも」
 ホイホイなど、黒いつやつや光る悪魔を連想させそうな言葉で軽く説明してくれるカレン。普通の悪魔って、聖水やらなんやらというアバウトな感じで祓えるものなんだろうか。
 とりあえず、彼女が何故衛宮家に来たのかは分かった。だが、もう一つの問題がある。
「それで、何で俺なんだ?」
 最大の疑問はそれだ。はっきり言って、魔術ですらこの頃知識が付いてきた士郎は、悪魔などは完全に専門外。というよりも、全く知らない。それなのに、自分に何故聞いてくるのかは甚だ疑問だ。
「うちにいるニート成金野郎が、あの雑種にでも頼めばいいと言ったので、他に頼る相手もいませんし来たまでです」
「む、無責任な……」
 教会にいる成金ニート、今度来た時にセンブリ茶でも飲ませてやりたくなった。
「まぁそれと、あなただったら、何だかんだ言って力を貸してくれると思いましたし」
 彼女の確信を持った言葉に詰まってしまう。確かに、ここで文句を言ったとしても恐らく、その悪魔が憑いているという少年の話を聞いてしまっては、自分は何もしないわけにはいかないだろう。それは、自分が許さない。
 まぁそうだけど、と渋々頷くと、それを見たランサーが笑っていた。坊主は変わらない、と。カレンは湯呑のお茶に口を付け、一口啜る。
「私だって、そんな犯罪者を匿いたくなんかありません。でも、悪魔の人格でないほうの彼は、いたって平凡な少年のはずですから。悪魔は忌むべきもの、そして聖職者は人々を悪魔から守る立場です。少々めんどくさくても、これは私のすべき仕事。出来なければ、誰かにやってもらいます」
 何かいいこと言っていた気がするのだが、最後の言葉で色々と台無しだ。彼女は湯呑を置くと、ビシッと士郎を指さして言う。
「という訳ですので、明日セイバーと共に教会に来て頂けますね」
 疑問符さえ付いていない。そして、提案の形を取ってはいるが、選択肢は「はい」「イエス」「分かりました」しか用意されていない。士郎はホールドアップで逆らう意思がないことを告げる。そして、一つ疑問に思ったことを尋ねた。
「いいけど、何でセイバー?」
「彼女の宝具は聖剣ではないですか。頑張れば、悪魔くらい払えそうな気がして」
「いや、悪魔どころか、教会が跡形もなくなる気がするのは俺だけなのか?」
 ごもっともな言葉に、カレンは片言でダイジョウブと告げる。労災保険には入っていると。

 湯呑に入ったお茶を飲み干すと、カレンはそういえばと話す。
「ウリエルという天使を知っていますか?」
 士郎は首を振る。ただでさえ、伝説や神話と言うものに疎いのに、天使の名前などというものを知っているはずがない。彼女はその返答は予測済みのようで続けていく。
「ウリエルは神の炎と呼ばれ、裁きと預言の解説者の役割を持つ天使です。懺悔の天使ともいわれ、地獄に堕ちた人間の魂を拷問で苦しめるとも。ですが反面、ノアの箱舟で有名なノアに大洪水だ起こることを知らせたり、エジプトから出て荒野を彷徨っていたイスラエルの民を光で導いたりする、人間への優しさもまた持っているのです」
 懺悔、という言葉が士郎の胸に引っかかる。もしその天使が自分の元に現れたのなら……。彼の思考はカレンの言葉によって中断される。
「前任のダニ神父が神父らしき仕事をしていたとは思えませんが、私は人々の痛みを理解する、神の僕となりたいと思っているのです。ですから、どなたでも懺悔室には立ち入ってもらって構わないですよ。天使によって裁かれる前に、話した方が苦しくないでしょう。それに、懺悔、というものは案外、人の心の霧を晴らすものかもしれません」
 なぜそんなことを彼女は今言ったのか。士郎が分かり兼ねていると、彼女は時計を見てあっと呟いた。時刻はそろそろ五時半、日が短いため外は結構暗くなっていた。
「それでは、明日お待ちしていますね」
 にっこりと笑みを見せると、彼女は立ち上がる。その姿を見て、ランサーが嫌そうな顔をする。
「帰るのか? 俺はここで飯食って行きたいんだが」
 にっこりとカレンはそれはもう天使のような笑みを見せ、一言。
「フィッシュ」
 衛宮邸からは、赤い聖骸布に包まれた青い狗が、引きずられながら新都に向かっていく姿が見られたという。
 これほどまで、明日が来ることが嫌になったのは初めてかもしれない。士郎は、二人の蜜柑の皮や煎餅の袋を片付けながら、自分の運命を密かに呪っていた。
 
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