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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第100話 魂の在処

 
前書き
 第100話を更新します。

 次回更新は、
 10月15日 『蒼き夢の果てに』第101話。
 タイトルは、 『深淵をのぞく者は……』です。
 

 
 英文を綴る際に発せられるシャーペンと紙の擦れる音。そして、何やら妙に不機嫌そうな雰囲気でコツコツと言う机を爪で叩く音が支配する部屋(へや)
 遠くに感じる人々の気配。しかし、その生活臭から何故か隔絶されたこの部室(ぶしつ)

 結局、裏ワザ……。例えば、仙術を使用して一時的な記憶力の強化。例えば、ソロモン七十二の魔将第四席アガレスの職能を使用して英語を脳に直接インストールする、などの明らかなズルは行わず、地道に試験勉強をする事と成り――
 現在、十二月三日。つまり、学期末試験前日の放課後。場所は文芸部兼、ハルヒの作った意味及び目的不明の同好会の部室。

 ……なのですが、高が試験勉強中にしては妙な緊張感に包まれているような気がするのですが。……この部屋は。
 それに厳密に言うと仙術をまったく使用していない訳ではなく……。
 現在、長門さんのマンションの一室では、俺の飛霊たちと長門さんの剪紙鬼兵(せんしきへい)たちが試験勉強中。
 飛霊はその経験をすべて俺にフィードバックする事が出来る為に、彼らが勉強をして覚えた事を後で俺に移せば、試験勉強を人数分の時間行ったのと同じ効果が得られると言う訳。

 確かに、一般人から見ると多少ズルいと言われても仕方がない方法なのですが、それでも俺はつい最近まで地球世界の高校生レベルの勉強からは離れて居ましたから、この程度の事は許して貰えるでしょう。
 少なくとも、すべて自分で勉強をして居るのですから。
 もっとも、これは別にハルヒの言う死刑が恐ろしかった訳などではなく、この高校への編入試験に合格した人間がその直近の試験で余りにも無様な結果を残すと、後に悪影響が出る可能性を考えての事なのですが。

 長門さん作成の二学期末試験予測問題から、ほんの少し意識がずれて行く俺。
 その瞬間――

「其処。三問目の答えが間違っている」

 少女としてはやや低い声音でそう指摘して来る長い黒髪の少女。
 口調及び表面上の雰囲気は不機嫌その物。口を一文字に引き締め、鋭い視線で見つめる様は、まるで不倶戴天の敵を目の前にするかの如し。彼女の周囲に存在する数多の精霊たちも、そんな彼女の気に反応するかのように活性化して居て、僅かながらも凍えた冬の大気を温めている。そう言う状態。
 ただ……。
 ただ、彼女自身が発して居る気。心が発して居る雰囲気はそう不機嫌な状態ではない。

 ……と思う。
 何と言うか、不機嫌と言うよりは好調と言う感じ。体調が良いが故に、自然と周囲の精霊に影響を与えているような感じでしょうか。今の彼女は。
 俺はそう考えながら、手元に落として居た視線を彼女の方向へと向けた。

 相馬さつき。異世界ハルケギニアの炎の精霊王(ブリギッド)とそっくりの姿形を持つ地祇(くにつかみ)に繋がる一族の姫。いや、似ているのは姿形や声だけではなく、その性格などに関してもかなり似ているような気がする少女。

 正面……会議室などでお馴染みの、脚を折り畳む事の出来る長テーブルをふたつ合わせた向こう側の真ん中に陣取るさつきがそう言った瞬間、それまで妙に苛立たしげながらも規則正しく音を立てて居た指が、そのリズムを僅かに狂わせた。
 それと同時に、何故か西洋のメイドが着るようなエプロンドレスとヘッドドレス姿の朝比奈さんが夜道でメデューサかゴーゴンに出会ったかのように立ちすくみ、同時にヒッと言う小さな悲鳴を漏らす。
 そして、何故か朝倉さんが海よりも深くため息をひとつ吐き出した。

 しかし……。

 しかし、そんな外野の不穏な空気など委細構わずの俺。そもそも、そんな細かい事にイチイチ拘って居られるほど現状では暇と言う訳ではありません。
 彼女から指摘された個所。俺の書いた答えと、長門さんが用意してくれた模範解答を見比べて見る。

 ……………………。
 成るほど。

「確かに単語の綴りが間違っているな」

 良くあるケアレスミス。テキトーに覚えて居るから、どうしてもこう言うミスはやって仕舞う。
 まして生来のイラチ。せっかちで落ち着きがない以上、判った心算でさっさと進んで仕舞うから、余り後ろを振り返る事もない。俺の悪い点が凝縮して出たような誤答。

 ありがとうな、さつき。……と軽く続ける俺の言葉を、片方の眉のみを上げて何か言いたそうな顔でこちら見た彼女。しかし、実際には何も言葉にする事もなく、大きく首肯くだけで答えに代える。
 流石に、ツンデレ娘のお約束のパターンで答えを返すほどウカツでは有りませんか。

 明日からは二学期末の試験が始まると言うこの日。運動部に関しては素直に練習を休みとする事に成って居たのですが、文化系の部に関してはその限りではなく……。
 ここ文芸部の部室では、教師用の椅子に座るハルヒがメイド姿の朝比奈さんが淹れたお茶を、まるで砂糖と塩を淹れ間違えたコーヒーのような顔で口に運ぶ。
 俺の右側には向こうの世界でそうで有ったように、長門さんがパイプ椅子に浅く腰を下ろし、膝の上に和漢で綴られた書籍を開いている。
 左側には何を考えて居るのか長門さんよりも謎の少女。水晶宮所属の術者神代万結が、何をするでもなく、ただパイプ椅子に定規を引いたかのような精確さで座る。

 もっとも、この二人に関しては人工生命体で有るが故に、未だ心が完全に造り上げられている訳ではない可能性の方が高いのですが。
 長門さんの場合は特に……。

「はい、武神さん」

 長門さんが用意してくれた問題が一段落した頃合いを見計らうようなタイミングで差し出される湯呑。ゆっくりと立ち昇る湯気と、彼女のおっとりとした声が何故か張りつめていた部室の空気を和ませてくれました。

 ……と、のんびりとそう考えた後、しかし、僅かに首を横に振り、先ほどの思考を素直に否定して仕舞う俺。

 何故ならばこの世界は表向き平和な世界。こう言う、のんびりとした雰囲気こそが本来の在り様。裏側は確かに危険な魔が蠢く世界なのですが、それは一般人が立ち入る事のない世界の闇の部分。陽の当たる明るい場所、表の世界はこれが正しい。

 ましてここは、人間が実社会に出て行く前のモラトリアムな期間……人生に於いては非常に重要な時間を過ごす場所。そんなトコロが生命の危険を感じる殺気立った空間で有って良いはずがない。

「あ、ありがとうございます。朝比奈さん」

 目の前を横切って過ぎて行くヘッドドレスを追い掛けるように感謝の言葉を口にする俺。その言葉に対して、彼女は彼女に相応しい表情で答えてくれる。
 その瞬間、またも狂うリズム。本当に何がしたいんだ、涼宮ハルヒと言う名の少女は。

 思わず何か言いたくなる……関西人ならば絶妙なツッコミを入れるタイミング。しかし、ここまで無視して来た場合、ウカツに触って仕舞うと、どう弾けるか想像が付かない以上、ここは放置をするのが吉。
 そう考えて、間を持たせる為に朝比奈さんが淹れてくれたお茶に手を伸ばす俺。
 少し暗い。昨日と同じ……。どんよりとした低い雲の垂れ込めた、冬の日に相応しい気温に支配された文芸部の部室に湯呑の温かさが手に心地良い。

 元々、少し低体温気味の指先にその湯呑の温かさを移した俺。そして机の上に置いたままにして有った湯呑を両手で持ち上げ――
 ため息にも似た微かな吐息を吐く。その吐息には、呑み込んだ液体に相応しい温かな色と、そして安らぎが籠められていた。

 そんな俺の仕草を黙って見つめる一同。
 ……って言うか、何故、そんなに俺が注目を集めなければならないのか、その理由がさっぱりと判らないのですが……。
 確かに、朝倉さん。朝比奈さん。弓月桜から見ると俺は正体不明の転校生でしょう。
 さつきは俺の正体――。水晶宮所属の術者。それも龍種だと知っているはずですから、その点に興味がある可能性は有りますか。
 ただ、長門さんと万結に関しては、俺が、この世界にこれまで三度訪れた事のある『武神忍』の異世界同位体である、と言う事は知って居るはずなのですが……。
 まして、彼女らふたりに関しては、他人が何をしようが自分には関係ない、と言う雰囲気が漂っているタイプの人間なのですが……。

 ハルヒに関しては……。
 その瞬間――

「ねぇ」

 腕にオレンジ色、其処に黒字で大きく『団長』と書かれた腕章を付けた少女が、彼女にやや相応しくない同じ年頃の少女特有の雰囲気で話し掛けて来る。もっとも、まさか俺が彼女に対して思考を向けた事に気付いた訳ではないのでしょうが。
 そう、妙な雰囲気……。何と言うか、見た目の印象から言うと、長門さんに相応しい雰囲気――躊躇いのような気を纏って。

「何や、ハルヒ」

 何の遅滞もなく答えを返し、少し腰を浮かせて彼女の方向……。長門さんよりも更に向こう側に位置する団長用の席。何処から調達して来たのか判りませんが、教師用の事務机に着くハルヒの方向に向き直る俺。

 その俺の答えを聞いて、躊躇いを振り払うかのように――非常に男らしい勢いで立ち上がったハルヒ。立ち上がった勢いで、彼女の座って居た車輪付きの椅子が背後の壁に当たり、かなり大きな音を立てた。
 しかし、一度思い切った彼女がそんな些細な事に気を留める事もなく、立ち上がった勢いのまま真っ直ぐに俺の方向に三歩進み、

「あんた、これに覚えはある?」

 何故か少し怒ったように右手を差し――突き出しながら、そう聞いて来るハルヒ。
 但し、その強い視線は……と言うか、何故か顔毎そっぽを向き、俺と絶対に視線が合わない位置に固定した状態で。

 何と言うか、この手の少女にお約束な挙動不審の態度に終始するハルヒに対して、口元にのみ浮かべる類の笑みを浮かべながらも、その差し出された拳の先を眼で追う俺。
 其処には……。
 かなり強い勢いで差し出された為、握り締めたチェーンの部分からぶら下がった物体が、肉眼ではしっかりと感じる事の出来ない瞬きを続ける人工の光を反射しながら大きく揺れていた。

 これは確か……。

「今年の春。オマエさんに会えなくなる直前の二月十八日に、図書館の司書に預けて行った首飾りやな」

 ごくシンプルな……。十字架に掲げられた救世主の姿すら象っていない、単なる十字の形をした銀製と思しき首飾りを見つめながらそう答える俺。
 但し、当然これは俺が彼女に渡した物では有りません。この首飾りを用意したのは俺の異世界同位体。

 今年の五月。ゴールデンウィーク明けに起きた事件。黒き豊穣の女神としては至極もっともな能力の発露に因って、この世界が危機に陥った事が有る……らしいのですが。
 黒き豊穣の女神シュブ・ニグラスとは神々の母と呼ばれる存在。一度現われると、その元々存在していた世界を破壊。そして長き眠りに就きながら、自らの子供たちを産み落とし続け、新しい自分の世界を作り出すと言われている神性。

 その事件を解決する為にハルヒの夢に侵入した俺の異世界同位体が、夢を見続けながら新しい世界を創造しようとしたハルヒが元の世界に帰還する気持ちを起こさせる為に、自らが魔法使いである事を明かした上で、その証拠として……この夢の中の再会が、自らの脳ミソが産み出した夢幻の絵空事でない証を立てる為に、出会った図書館にハルヒ宛てのプレゼントを残してある、と伝えた。
 ハルヒはくだらない――普通の日常生活に飽き、それ以外の世界の創造を望んだらしいので、彼女のすぐ傍らにも普通ではない非日常の世界が存在して居る、と言う事を教え、その非日常を確認する為には、目を覚ましてから自分で確認するしかない、と考えさせたと言う訳。
 最初から考えて居た……。その事件に関わったのが俺ですから、おそらくその程度の準備を行っていたのは確実。それでなければ、ハルヒを殺す……(めっ)するしか方法がないでしょうから。

 ただ、それでもかなり大きな賭けだったとは思いますが。

 そして、その出会いの図書館に用意して有ったのが彼女の持つこの首飾り。ごくシンプルなデザインですし、更に銀製と言う事で大した価値もない代物なのですが……。
 長門さんが身に着けて居る指輪やその他の宝飾品に比べると。

 ただ……。

「それをちゃんと着けて置いてくれたんやな」

 ありがとうな、ハルヒ。素直にそう口にする俺。対してハルヒは、妙に意気込んで近付いて来た勢いを簡単に受け止められて仕舞い、次の一手が打てない状態。
 ……ツンデレ気質の少女なら当たり前の反応。具体的には、視線を俺から外して有らぬ方向を彷徨わせ、やや上気した頬。心臓の鼓動も心持ち早くする状態。
 もっとも、俺を相手にドギマギしても意味がないとは思いますけどね。

 こちらの心の動きは冷静そのもの。目の前の美少女にツンデレ気質が有ろうとも、それで萌えるような人間でもなし。
 幼い頃からそう言う連中に囲まれて――。妙に胸を張って、腰に手を当てた少女たちに囲まれて勉強を教えられた経験のある俺に取っては、そう言う連中は正味ウザイだけ。むしろ、余り近寄りたくない苦手な相手。
 今でもそう大きな。身長はそれなりに有るけど、そう筋肉質な身体と言う訳ではない俺は、当然、幼い頃はもっと華奢で色の白い……見るからに大人しそうな男の子。こう言うタイプの少年は、ある種の少女たちから見ると、かなり頼りなく見えるようで……。

 そう言う傾向が無くなったのは、俺の身長が伸び出した中学校に入ってから。それまでは、妙にお姉さんぶった同級生の女の子たちに弟扱いされて居ましたから。
 そして、そう言う女の子たちの多くは、かなりの確率でそのツンデレ体質と言うヤツを身に付けて居ました。

 幼い頃の経験と言うのは重要だな。妙に教訓めいた事を考えながらも――

「その首飾りは一種のお守り。ハルヒに妙なムシが付かんように残して行った代物やからな。普段から身に付けて置いてくれなんだら意味はないんや」

 ――何と言うか微妙な言い回しですが、事実を有りのまま口にする俺。
 確かに聞き様に因ったら、オマエは俺のオンナだ、と主張しているように聞こえなくもないのですが……。
 彼女が手にする銀の首飾りには俺の気を通してある魔法具。具体的には持って居るだけで木行に因る攻撃をすべて無効化して仕舞うと言う優れもの。確かに限界は有りますが、この首飾りを装備した状態でならば、切れて垂れ下がって来た電線を素手で掴んだとしても平気でいられるはず。
 もっとも、表の世界で生きて暮らして行くのに、そんな異常な状態に陥る事はまず考えられないのですが。

 ただ、この首飾りに俺の気を付与してある、と言う点が重要。
 俺の気。つまり、高位の龍の気配。人化の術を究めた龍の気を発して居る魔法具を持つ人間に対して、簡単に手を出して来る妖物はあまり居ません。
 彼女に渡した十字架を象った首飾りは、異世界同位体の俺に取っては本当の意味でお守りだったはずなのです。

 俺の答えを聞いて、出来るだけ無表情を装うハルヒ。ただ、これは装っているだけ。少なくとも最初に首飾りを突き出して来た時に発して居た不機嫌な気と言う物は鳴りを潜め、異なった感情が表に現われようとしている。
 しかし、

「何よ、エラそうに」

 忍のクセに生意気。少し怒ったような口調でそう意味不明の台詞を続けるハルヒ。

 これは、表に現われる態度としては素直じゃない人間の典型的な答え。何か、もっと突拍子もない反応と言うヤツを繰り出して来ても良いとも思うのですが。
 もっとも、彼女に関しても別に好かれなければならない相手と言う訳でもない。……と言うか、この世界に取って俺、武神忍と言う人間自体が仮初の客。長居する可能性は低い以上、この周りの人間とあまり濃密な人間関係を築いて仕舞うと、ハルケギニア世界から開くはずの召喚ゲートに悪影響が出る可能性が出て来るので……。

 ただ……。

 ただ、このハルヒの持つ十字架を象った首飾りに関しては、妙な引っ掛かりも同時に感じて居るのですが……。
 あのハルケギニア世界で俺の親分だと名乗った少女。湖の乙女に俺としては二度目。彼女の言葉を信じるのならハルケギニアでは最初の出会いの事件で、湖の乙女が俺に言わせようとした秘密の暴露。『貴女が目覚めた後、あの出会いの図書館に……』の台詞に繋がるような気がするのですが……。
 あの夢の世界での邂逅がどのような意味があるのか未だに判りませんが、ハルケギニア世界でも這い寄る混沌や門にして鍵などのクトゥルフ系の邪神が暗躍している事は確実なので……。

 ハルケギニアに帰った後にこの事実。この世界で得た知識を元に彼女……湖の乙女に問えば、彼女は答えてくれるでしょう。
 彼女……未来の長門有希が知って居る事実と言うヤツを。

 この長門有希が暮らして来た世界と、俺が召喚されたハルケギニア世界との類似に思い至り、帰ってからの困難な道のりに頭を抱えたくなる俺。
 もっとも、この場で本当に頭を抱える訳には行かないのですが。

「あの~、すみません、武神さん」

 つかの間の休息。切った張ったの生活とは無縁の一般的な高校生の日常を満喫中の俺に、躊躇いがちに掛けられる少女の言葉。それに、少なくとも試験勉強で命のやり取りは起こりません。
 ハルヒの言う『死刑』が、本当の意味での『死刑』でない限りは……。
 俺がその妙にふわふわとした少女に視線を向けるのと、ハルヒが少しムッとしたかのような気配を発するのはほぼ同時。

 そうして、

「何ですか、朝比奈さん?」

 何にしてもハルヒの問いには答えたから問題ないか。そう考えてからメイド姿の先輩に応える俺。
 もっとも、ハルケギニア世界ではリアルメイドに囲まれた生活をして居ましたから、メイド姿の美少女に対しても、何の感情――特別な感情と言うヤツが涌いて来る訳ではないのですが。
 ……そうかと言って、周りを取り囲んでいるセーラー服姿に萌える訳でも有りません。
 絶対にね。

「さっきの涼宮さんとの話から察すると、武神さんは、今年の二月まではこの辺りに暮らして居た、と言う事なのでしょうか?」

 俺が何を考えて居るかなど判らない朝比奈さんが、イマイチ意図が読めない問いを投げ掛けて来た。
 ただ、確かに朝比奈さんに取って俺の出自は謎過ぎますか。実際、何処から転校して来たのか、……と言う基本的な設定すら、彼女に対しては話して居ませんでしたから。

 もっとも、そんな細かな事を言い出す前にハルヒのペースに巻き込まれて、有耶無耶の内にこの部活動兼同好会活動に参加させられて仕舞ったのですが。

「ええ、かなり短い間ですが、この西宮にも居た事が有ります」

 設定上ではそう言う事に成って居るので、一応、そう答えて置く俺。但し、俺が暮らした事が有るのは大阪で有って兵庫県では有りません。
 この西宮で一週間ほど暮らしたのは俺の異世界同位体の方ですから。

 その俺の言葉を聞いてひとつ手を叩いた後に、

「成るほど。だったら、その時に何処かで出会った事が有るのでしょうね」

 ……と、すべての謎が解けた探偵のような表情でそう言う朝比奈さん。ただ、彼女が行うと、何故かそんな仕草でさえ子供っぽく見えるのですが。

 そんなクダラナイ感想を思い浮かべる俺。
 しかし、それも一瞬。未だ何処で出会ったのかは思い出せていないけど、街の何処かですれ違う事ぐらいは有っても不思議じゃないですよね、などとかなり曖昧な言葉を続けて居る朝比奈さんにテキトーに相槌を打ちながらも、こちらも同じように、昨日から少し引っ掛かって居た部分が解消した事により、ややスッキリした気分に成りつつ有ったのは事実でした。
 但し、ひとつの謎が解ける事によって、更に深い苦悩の始まりと成る類の解決だったのですが……。
 俺に取っても。そして、朝比奈みくるに取ってもね。

 それ……その引っ掛かって居た部分と言うのは、昨日から彼女の発して居た気に対して、今の彼女の言葉に因ってようやく合点が行ったと言う事。
 彼女……朝比奈みくるが発して居た気。彼女が俺の顔を見つめる時に発して居たのは不可解。思い出せそうで、思い出せないもやもや感のような物でした。
 いや、それを言うのなら、朝倉涼子も何故かふと遠い目をして俺を見つめる事が有るのですが……。

「昨日、挨拶をした時に、何故か初めて会ったと言う気がしなかったんですよ。以前に、何処かで会った事が有るような、そんな気が。でも、何処から転校して来たのかも判らなかったし……」

 何処で出会ったのか。まるで夢の向こう側みたいではっきりしなかったのですが。
 もやもや感が晴れてスッキリとした顔で俺を見つめながら、そう続ける朝比奈さん。その時、矢張り女の子には何時も笑っていて貰いたい、と言う事を確信させられる。
 ただ……。

【長門さん、俺の異世界同位体と朝比奈さんが二月、もしくは五月にこの街を訪れた際に偶然出会った可能性はあるのか?】

 一応、念のためにそう【念話】にて長門さんに確認を行う俺。
 確かに、朝比奈みくるの言葉に納得出来る部分は有ります。昨日の挨拶を交わした時から、彼女の視線と表情。それに発して居る気はすべて不可解、と言う色で塗り潰されて居て、それを隠そうとはして居ませんでしたから。
 しかし、すべての事件。今年の七月七日が経過するまでに、彼女……朝比奈みくるとの接触は避けるような気がするのですが。

 何故ならば、相手が何らかの手段で時間を超える技術を有して居る以上、再度、過去の改変を行う可能性もゼロでは有りませんから。
 確かに次元断層。歴史が改変される際、どんな未来に進むか曖昧な……予測不能な状態の時に、あらゆる時間移動の可能性の有る能力。例えば、光の速度を超える運動すらも不可能となる現象が発生していたらしいので、未来人朝比奈みくると雖も簡単に時間移動を為せなかった可能性は大なのですが、それも絶対では有りません。
 何故ならば、彼女の持つ時間移動能力が、その縛りから外れた方法で行われる可能性がゼロでは有りませんから。

 俺のような存在。こちらの世界の歴史の書き換えを阻止する可能性の有る人間。向こうの……朝比奈さんの立場から言えば時間犯罪者。こちらの立場から言えば、異世界からの侵略に対する防衛機構に当たる人間の情報を有して居る可能性を考慮した場合、時間駐在員……もしくは工作員との不用意な接触は出来るだけ避けるはず、なのですが……。

【あなたと朝比奈みくるは一度接触している】

 しかし、長門さんの答えは俺の想像を少し裏切る答え。……と言うか、接触。これは、偶々偶然、道を歩いている際に目撃した、と言う話では無さそうな雰囲気。

【涼宮ハルヒが五月に起こした事件。それまでの世界を書き換えて、新しい世界を創造しようとした事件の際に一度接触をしている】

 そうして、少しの疑問の答えを説明する長門さんの言葉が続く。
 ……ハルヒが五月に起こした事件。確か、世界の改変。退屈な世界を書き換え、新しい世界。彼女に取って刺激に満ちた世界へと書き換える作業を行おうとした事件。
 神々の母シュブ=ニグラスに取っては当たり前の作業。しかし、その世界……。その世界に暮らす、すべての生命体に取っては非常に理不尽で、はた迷惑な神性の現れ。

 但し、

【その際に接触しただけならば、その時の記憶は既に彼女。――朝比奈みくるの中には残っていない可能性の方が高いんやないのか?】

 更に問いを続ける俺。そして大きく成って行く危機感。

 そもそも、その事件は一九九九年七月七日に始まる一連の事件の結果起きる事件。この世界の直接の過去が書き換えられた現在、そんな事件が起きた事を知って居るのは、ごく一握りの能力者に限られているはず。
 そもそも、事件に関わりのない一般人。この俺と同じ時間世界内に同時に暮らしている一般人に取って、そんな事件は大きな意味を持ちません。問題があるのはこれから訪れる可能性の有る未来の話です。

 おそらく記憶しているのは、その事件解決に動いた組織の上層部と、実際に事件解決の為に御仕事をした能力者たち。

 確かに、朝比奈みくるは事件の関係者には違い有りませんが、当時は加害者側と言う立場で事件に関わった人間で有って、事件を解決する為に行動した人間と言う訳では有りません。
 むしろ、そんな記憶が残って居る事を俺や長門さん。万結、そして、地祇系……つまり、日本を霊的な侵略から護る立場のさつきに知られると最悪、俺の異世界同位体が彼女自身に罪はない、と言うかなり強引な論法で助けられた生命を失くす可能性すら出て来るのですが……。

 確かに、現在のこの世界は表面上落ち着いて見えます。が、しかし、裏側は非常に不安定な状態。何時、もう一度揺り戻しのような事件が起きて、再び黙示録の世が到来する未来が描き出されるかも知れないのです。
 クトゥルフの邪神が顕現するような危険な未来が……。
 本来なら、その不安定な状態であるが故に、俺ではなく、この事件に最初から関わっていた、俺の異世界同位体が召喚されようとしたのですから。

【不明】

 答えは簡潔。しかし、内容は非常に深刻な内容に相応しい長門さんの口調。更に、彼女が発して居る雰囲気も不可解、と言う気が強いですか。
 成るほど。彼女の持つ常識では、この現象を完全に理解する事は出来ない、と言う事なのでしょうか。
 確かに、彼女にも魂があるのでしょう。それでなければ、俺と式神契約を交わす事が出来ませんから。……が、しかし、彼女自身が発して居る気は酷く希薄な雰囲気。資料に因ると、本来の長門有希と言う存在は、俺たちのような魔法に立脚した存在と言うよりは、表の世界の科学技術では未だ再現不可能な超絶科学により誕生した存在。
 そして、基本的に科学に立脚した存在が造り上げる人工生命体に、最初から魂と言う存在を定着させる例は聞いた事が有りませんから……。
 おそらく、彼女……長門有希と言う少女型の人工生命体は、魂魄と言う物を完全に理解して居る訳ではないでしょう。

 それならば、

【人間の記憶の方法と言うのは、ゼロとイチの科学に裏打ちされた至極一般的な方法と、それ以外。例えば、前世の記憶などを突然、復活させるような、科学では証明出来ない方法との二種類が存在している】

 少し意味不明の内容を話し始める俺。但し、朝比奈さんが俺の事を記憶している理由がコレだとは思うのですが……。

【そして、朝比奈さんが俺の事をおぼろげながらも覚えて居る理由は、おそらく後者の方。本来、有り得ない歴史上で発生した事件である以上、俺の事は彼女の中には残るはずがない記憶。人間に用意されたのが科学に立脚した記憶方式……脳に記憶するだけだった場合は、この有り得ない記憶は忘れ去られて、新しい歴史が産み出したその夜の記憶に因って上書きされるだけやったはずや】

 元通りの歴史の流れに戻された後に上書きされた記憶。五月の事件が起きた夜に彼女、朝比奈みくるに何が有ったのかは判りませんが、おそらくは平和な夜が終わって普通の朝が訪れる、そう言う日常が繰り返された記憶で上書きされたのでしょう。
 それでなければ、ハルヒがわざわざ世界を改変するとは思えませんから。

【せやけど、人間にはもうひとつの記憶を止めて置ける個所が存在していた。それが魂と言うあやふやな……存在を科学的に証明する事が出来ない部分。この部分に刻まれるのはその人物に取って非常に強い思いを持つ記憶。例えば、自らの生死に関わるような強烈な物は残る事が有る】

 本当はもっとランダム。何事もない日常の一場面が残る事も有るようなのですが、矢張り衝撃的な記憶が残る可能性の方が大きいらしい。
 自分自身の経験則から言わせて貰えるのならば……。
 もっとも、現在の生命で経験した出来事に因って思い出す度合いも、そして内容も変わるようなのですが。

【彼女に取っては、その五月の出来事。本来の平凡な日常に因って上書きされた記憶の方ではなく、俺と出会った記憶と言うのが、自らの生命の危機を回避する事が出来た経験、と成ったと言える。
 この経験が魂に刻み込まれたとしても不思議ではない】

 見つめ合うでもなく、長門さんはその視線を自らの手に広げた書籍に。俺は、彼女の後ろに立つハルヒと、その横に並ぶ朝比奈さんの方向に視線を向けながら続けた会話を終える。

 ただ……。
 ただ、俺自身としてはそんな悠長な――。朝比奈さんが俺の事を覚えてくれて居て良かった、などと浮かれて居る訳には行かない状態なのですが。
 いや、この部分に関しては、おそらく長門さんも同じ気持ちだと思いますね。
 何故なら、現状の世界は非常に危ういバランスの上に成り立っている世界だから。未だ俺のような存在が必要とされる状態が、安定したとは言い難い状態でしょう。その中で、風前の灯状態と成りつつある朝比奈みくると言う名前の少女の扱いをどうするか。その辺りに問題が出て来ましたから。
 彼女の以前の立場。元々、この世界に生を受けた存在などではなく、異世界の未来。過去を改変しなければ、彼女の生まれた世界へと帰る事の出来なく成った時の異邦人。普通に考えるのなら、そんな彼女は危険視せざるを得ない立場の人間です。少なくとも、俺がそれなりの組織のトップならば危険な因子は早い段階で処分する決断を下すでしょう。
 彼女が元の自分の目的。この時間にやって来た本来の目的。時間監視員の仕事を行い、再び、自分の生まれた時代を取り戻そうと行動を開始すると考えるのならば……。

 それに、もし俺が報告しなくても万結か、保護観察中に等しい立場上、報告しなければならない長門さんが水晶宮の人間に対して報告をするから、ここで俺が彼女を見逃したとしても意味は有りません。

 まして、この問題は水晶宮の人間だけの問題ではなく、この世界に暮らす生きとし生ける物すべての問題。クトゥルフの邪神の顕現と言うのはそう言う問題。
 ハルケギニア世界でも異界化した空間にクトゥグアの触手が顕現しただけで、大変な被害が発生したのです。それが、通常空間に本体が丸ごと一柱分顕現したと考えると……。

 そんな危険な未来を招きかねないのです。朝比奈みくるが記憶を取り戻して仕舞うと言う事は。

 かなり難しい判断を為さねばならない、暗澹たる気分に陥りつつある俺。これでは、ごく一般的な高校生の日常生活など夢のまた夢。
 そう考え始めたその瞬間、

「朝比奈さんもそうだったのですか?」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『深淵をのぞく者は……』です。

 
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