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SAO─戦士達の物語

作者:鳩麦
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GGO編
  八十五話 今だけなら

 
前書き
どうもです。鳩麦です。

今回は過程回。で、詩乃と美幸のターンです。たぶんね。

では、どうぞ!! 

 
呟くように行った詩乃に、リョウが笑いながら返す。

「うそってお前……ひでぇな。幽霊にでも見えんのか?足あんぞ。ちゃんと」
そう言って、涼人は詩乃の前で足を持ち上げて見せる。すると、美幸が口を尖らせて言った。

「しーちゃんは驚いただけだよ、りょう。からかっちゃだめだよ」
「へーへー、分かってますっての」
顔をしかめて涼人がそう涼人が返すと、詩乃がくつくつと笑う。

「なんだ行き成り、なんで笑う?」
「しーちゃん?」
「え……?う、ううん。何でも無いよ。それと……」
そろそろ自分でも立てるよ。と、彼女が言うと、「お、そうかい」と言って涼人はゆっくり支えていた肩から手を離した。

何故笑ったのか……何故だろうと、詩乃は考える。
先程までは自らの持つトラウマを刺激されたことと、見知らぬ(実は見知っていた訳だが)男に肩を掴まれていると言う悪寒と吐き気で体が心から冷え切っていたのに……
昔馴染みの二人……兄とも、姉とも呼べる人々が突然すぎるにもほどが有るほど突然現れ、自分の前でいつかのように……けれど、以前はからかうだけの涼人と困ったように返す美幸だった構図が、からかう涼人にたしなめる美幸と言う、少し変わった構図になっていた。
何もおかしくはないはずなのに、それを見ただけで、彼女の体の奥底から温かい物が湧きあがって来て、失っていた体温を取り戻し……つい、どういうわけか笑ってしまった。

『……あぁ、そっか』
嬉しいのだ。自分は。
久しく会って居なかった友人……否、兄姉とも呼ぶべき二人の幼馴染に会う事が出来て……唯純粋に嬉しい。東京に出て来てから……否。「あの日」が過ぎてから、「嬉しい」、「楽しい」が明らかに少なくなってしまった詩乃の世界の中で、もう遥か昔……時の中に過ぎ去った幼少の……彼や彼女とすごした時間はいわば温かい暖炉のような物で。その再現のような……過ぎてしまった時を繰り返すかのような時間が、今目の前にある。

「ふふ……」
「?あぁ?やっぱ笑ってんだろ、何だよ?笑える事あったか?あ、笑えると言えばさっきな……」
「りょう!」
「っとと……」
すぐ近くに居るだけなのに……何故だろう。こんなにも楽しい。嬉しい。

「えーっと……朝田さん、大丈夫?」
「へっ!?」
と、彼等の物では無い。別の人間の声が聞こえて、詩乃は意識が急速に戻るのを感じた。振り返ると、そこには顔なじみの男子生徒が遠慮がちに立っていた。

「えーっと、なんか路地裏から彼奴らが走り出てきたから来てみたんだけど……えっと?」
「あ、えっと……」
「あ、しーちゃんの友達?」
「え?あ、うん」
少年は、詩乃の元、クラスメートだった少年だ。もと、と言うのは彼が二学期から学校に来ていない事に起因する言葉なのだが……まぁそれは此処で語るべき事とは違うだろう。

「えっと、新川恭二くん。私のクラスメイト」
「えーっと、はじめまして。新川です。それで……」
恭二が遠慮がちに、しかし確かな目線で問う視線を送って来て、詩乃は一瞬二人の事をどう説明すべきか迷った。
唯の友達……と言うには余りに深い気がする。殆ど家族のようなものだ。けれど家族ではないし……と、詩乃が言うよりも早く、美幸が動いて居た。

「こちらこそ。はじめまして。しーちゃ……えっと、詩乃さんが小さい頃の友達で、麻野美幸って言います」
「桐ケ谷涼人だ。よろしくな少年」
「小さい頃の……?」
恭二が首をひねる。また数秒間何と言うべきか迷ったが……。

「うん。同じ街の出身。幼馴染……が一番正しいかな」
「そうなんだ……」
詩乃の後ろに居る二人を見た恭二の眼に何やら普段の彼と比べるといささか鋭い光を見た気がしたが、すぐに彼は微笑む。

「それじゃ、僕はお邪魔、かな?」
「あ、えっと……」
「別に良いぞ。俺らの事は気にしなくて。まぁ、此奴は夕飯作るって張りきってるが……携帯の番号だけ交換しときゃ良いだろ。買い物もすんだし」
美幸の方を指さして言った涼人に続いて美幸が微笑みながら頷く。

「うん、そうだね。しーちゃんはお話あるならしてきたらどうかな?」
「あ、え、へ?夕飯?え?」
どうも涼人の発言に聞き流せない言葉が有った気がして、詩乃は聞き返す。と、涼人があっけらかんと言った。

「あぁ。俺らの今日の目的、お前んち行って夕飯食うって。美幸の提案な。一応ばぁちゃん達に事前に家の場所と多分家に居るって事も聞いてたしな。あ、都合悪きゃ帰るぞ?」
「あ、いやそんなことは無いけど……え、でも悪いんじゃ……」
行き成り夕飯を作ってもらう(相手の金で)等良いのかと疑問なのと、行き成りの提案に戸惑いを隠せずに詩乃はどもるが、美幸は微笑んで……なおかつどこか興奮したように言った。

「そんなことないよ!久しぶりに三人で食べられるんだから、私頑張るよ!」
「え、あ、うん……わかった」
美幸お姉ちゃんって、こんなに押しの強い人だったけ?などと思いつつ、思わず頷いた詩乃を見て美幸は満足そうに「うんっ」と言った。
そうして、涼人と美幸は詩乃と携帯の番号を交換。涼人は路地をアーケードの方へと向き直ると、首だけで振り向いて言う。

「んじゃ、後でな。終ったらメールしろよ、適当にそん時落ちあう場所決めっから」
「うん」
「後でね。しーちゃん」
「…………」
頷くと、涼人と美幸はそのまま歩いて行く。東京のど真ん中のこんな場所で、故郷でのかなりの時間を共に過ごした兄姉に出会ったことにはいまだにいまいち現実感が無かったが、それでも嬉しい事に変わりは無い。
去って行く二人の背中を見ながら、今夜の食事に期待を抱きつつ、詩乃は恭二と共に歩きだした。

────

「……へへ」
「?どうしたの?りょう」
アーケードの方へと歩きつつ、突然笑ったりょうに、美幸が首をかしげる。

「ん?いや、詩乃の奴元気そうだったからな。なんだかんだ。ほっとした」
「……うん。本当、良かった。あ、でもさっき……」
「あぁ。カツアゲ喰らってたな……まぁ、後でちゃんと話すさ。っても彼奴ガキの頃からしっかりしてたし、いざとなりゃ自分でもなんとかすっと思うがな」
「でも……」
「ちゃんと話すっての。心配のし過ぎは毒だって、これ前にも言った気がすんだがな?」
「うん……」
少しだけ不安そうに、美幸は俯く。と言うのも彼女もまた、地方から東京に出てきたばかりの頃は、色々な不安やなじめ無さが有ったものだ。
特に、彼女は内気な事も会って色々あった。その時は……

「…………」
「?どした?」
少しだけ俯いて押し黙るような気配を見せた美幸に、涼人が声をかける。
その声が何時もより幾らか心配そうな気配を帯びていたことは、彼と長い間付き合っていないと分からないだろう。

「え?あ、ううん。何でも無い!」
「……そうか」
そう言うと、涼人は再び前を向く。と、ふと思い出したように呟いた。

「そういやぁ、新川って奴さぁ……」
「うん?しーちゃんの友達だよね?」
「ん。まぁそりゃそうなんだけどよ、彼奴多分詩乃に惚れてんじゃねぇ課と思うんだが……」
「あ、それ、私も思った」
美幸が手をポンッと合わせて言う。その顔はどこか嬉しそうだ。

「りょうの事、ちょっと睨んでたよね」
「ん。警戒心丸出しだったな。ありゃ、結構本気で狙ってるかもな」
ははっ。と笑いながら涼人は路地裏を出る。少し小走りで付いてきた美幸が続けた。

「もしそうなら……良い人だと良いね」
「悪い奴には見えなかったがな。ちっと警戒し過ぎ感はあったが……ま、問題ねぇだろ。もしろくでもねぇ奴ならぶっ飛ばすし」
「だ、駄目だよ!殴ったりしたら。此処は向こうじゃないんだし捕まっちゃうよ?」
「言葉の綾だっての。んなマジで殴ったりしねぇよ、あいつがPKじゃねぇ事くれェは分かってるつもりだ」
そう言って笑った涼人に、美幸は溜息をつきながら続くのだった。

────

染み込んだ雨水によって薄く色のついた階段を、詩乃、美幸、涼人の順で登る。普段は無機質なそれだけ動作をするにも、少し心が浮ついて居る。

「じゃあ、入ってどうぞ?」
「はい。お邪魔します」
「おっじゃま~」
久方ぶりに、詩乃の部屋に彼女以外の人間の声が響いた。以前ならば少しでも嫌悪感を感じただろうそれも、今は胸の奥が温かくなるそれだ。

入ると、三メートルほどの長さで廊下が続く。右にはユニットバスとトイレ。左にはキッチンだ。
奥へ進むと、そこに一部屋。右の壁に沿ってパイプベットと、ライディングデスク。左の棚には木製の小さな本棚とクローゼット。それに姿見。

「わぁ……良い部屋だねぇ」
美幸が嬉しそうにそう言うのを見て、詩乃は苦笑する。

「そ、そうかな?狭いし、洒落っ気も無いしで、あんまり女の子っぽくないかな……なんて」
「そんなことないよ。ちゃんと整頓されてるし、部屋が綺麗なのはその人の心も綺麗な証拠だって、おばあちゃんが言ってたじゃない」
微笑んで言う美幸をみて、何となく照れてしまう。
と、後ろからすねたような声が聞こえた。

「俺には皮肉にしか聞こえなかったけどなっと。ふぅ……これ、全部ぶち込んでいいのか?」
運んでいた買い物を廊下にどさりと下し、涼人は問う。

「あ、春雨は置いておいてくれるかな?って……それはりょうがちゃんと整理出来なかったのが悪いんだよ。ゲーム機とか出しっぱなしにするし」
「へいへいおっしゃる通り」
口をとがらせて言った涼人を見て、美幸は困ったように「ねぇ?」と言う。
確かに、幼少の頃の涼人は整理整頓がお世辞にも得意では無かったと言える。使ったゲームは出しっぱなし。何か飲んだらコップは流しにいれずにそのまま。食器の片付けも言われないと忘れるし、基本的に道具を元の場所に戻さない子供だった。
今はどうか知らないが、少なくともそのころを知っている詩乃としては、微笑みながら「確かにね」と言って頷いたのは当然だろう。

「さて……あ、りょう兄ちゃん」
「ん~?」
詩乃の方を見ずに作業を続ける涼人に、詩乃は言う。

「入れるのがひと段落したら、一回トイレの方に行ってて」
「あん?何だよ。女性陣で秘密の話でもすんの?」
「そうじゃなくて……」
詩乃の方を向いて問うた涼人に詩乃は内心「なんで言わせるかな……」と思いつつも呟くように小さな声で言った。

「……着替えるから」
「あ、さいで」
涼人が美幸に少々説教を喰らったのは、また別の話。

────

「出来たよ〜」
「おーう。腹減ったな」
「りょう、お皿出してくれる?」
「あいよ」
「あ、良いよ。私やる」
美幸は詩乃に気を使ってか皿出しを涼人に頼んだが、あえて詩乃は自分から動いて逸れを遮る。
自分の部屋とは言え、食事を作って貰って他の事までしてもらうのは気が引ける……親しき仲にも礼儀あり、だ。

「ん?あー、んじゃたのまぁ」
「うん」
立ち上がり、詩乃はキッチン脇の小さな食器棚に近寄ると、美幸の言う大きさの皿をテキパキと取り出す。料理が並んだ皿は涼人が運ぶ。

と、詩乃はふと茶碗に手を伸ばして、あることに気付いた。

「…………」
普段は洗い籠から直接取るために開かない棚の中には、既に二つ。どういうわけか、茶碗が3つあった。此処に有るからには買ったのは自分で有るはずだが、どうして買ったのだったか……そう思って思い出すと何時の間にか自分の口元が緩んで居ることに気付く。

東京に出て来るまで、詩乃には一人で食事をすると言う習慣は無かった。物心付いた頃には母と祖父母。美幸が居たし、美幸と涼人が居なくなってからも祖父母と母は同じ家に住んでいた。要は……

「癖……かな」
クスリと笑ってそんな事を言うと、美幸が首を捻った。

「どしたの?しーちゃん」
「ん……ううん。何でも」
そんなこんなで、夕飯の準備が整った。

――――

「すご……」
「えへへ……」
「っは〜。流石に旨そうだなおい」
涼人、美幸、詩乃の前には、青椒肉絲と麻婆春雨をメインに、市販の水餃子が入ったスープに、ご飯が並んでいた。

「み、美幸お姉ちゃんこれ……作りすぎじゃない?」
「うーん……多分、大丈夫……だと思うよ?」
「おう!問題ねぇな」
不安げに美幸に行った詩乃に、美幸が首をひねりながら答える。美幸の視線の先に居た涼人はと言うと……今にも料理にガっつきそうな勢いで既に箸を持っている。

「それじゃ、皆さんご一緒に」
「「「いただきます!」」」

────

料理の六割五分は、涼人の胃の中に入っただろう。
食事を終え、涼人はポンポンと腹を叩く。

「ふぅ……食った食った」
「すっごい食べてたね……」
「あはは……これ、最近普通なんだよね。りょう」
満足げな涼人を箸目に、烏龍茶を飲みながら詩乃が半ば呆れたように言い、美幸が返す。どうにも涼人の食欲と言うのは成長するにつれて増加傾向にある。

「飯がうめぇんだ。食わなきゃ損するだけだぜ?」
「りょう兄ちゃんのは食べすぎだと思うけど」
ズズッとお茶をすすりながら言う詩乃に苦笑すると、美幸が微笑んだ。

「太ったら、その時は食事療法しないとね」
「なんだ?お前がしてくれんのか?」
「……へっ!!!?」
ボンっ!!と破裂音が付きそうなくらい一気に真っ赤になった美幸を見て、涼人が首をかしげる。

「は?なんで焦ってんだお前」
「い、いま、いまの、ど、どどど、どう……」
「ん?なんだって?」
「な、何でも……無いです……」
ぷしゅうううううぅぅぅぅぅ……。と音を立てて俯いた美幸に再び涼人が首をひねると、詩乃が呆れたように溜息をついた。

────

「あ、そうだ……あの、しーちゃん」
「え?なに?」
その後数分。茶をすすりながら溜まった雑談に花を咲かせていた三人の中で、不意に美幸が詩乃の方を見て、少し真剣な顔で声をかけた。声だけでなく、雰囲気までも真剣味を帯びている気がして、詩乃は少し緊張しながら返す。

「しーちゃん……学校、楽しい?」
「え……?」
不意打ち気味な問いに、詩乃は首を傾げて問い返す。話題の転換が急で、脳が上手く付いて行かなかった為だ。

「さっきのカツ上げ……がっこで、苛めでも食らってんのか?」
「あ……」
涼人に言われて、詩乃はようやく気付いた。そうだ。昼間遠藤と言う女子に路地裏に連れ込まれていたところを、二人にはもろにみられている。聞かれない方がおかしい。

「その……少し、絡まれてただけだから。大丈夫大丈夫」
「…………」
「ホントに?無理、してない?」
美幸が不安そうな顔で、詩乃の目を覗き込んでくる。こういう心配性な所は昔から変わってないんだなぁと思いながら、詩乃は苦笑して答えた。

「心配しないで。これ以上有るようだったりしたら、ちゃんと警察の人に頼むから」
「そっ、か……うん。分かった。でも、ホントに無茶したら駄目だからね?」
「はい」
微笑んで詩乃がコクリと頷くと、美幸は少しだけ安堵したように胸の前に手を置いた。

「んじゃ、今度は俺から良いか?」
「え?」
次に詩乃に声をかけたのは、涼人の方だった。
少しだけ緊張して振り向いた詩乃に、涼人はカラカラと笑う。

「ははっ。んな身構えんなよ。唯ちっと気になってよ」
言いながら、涼人は机の下にあった右手を出して、一つのジェスチャーをした。握りこぶしから、人差し指と親指だけを伸ばしたような……子供が銃を模す時のような単純なジェスチャーだった。

「これ、なんかのまじないなのか?お前囲ってた彼奴ら三人そろってこうやって……詩乃?」
「…………!」
突然だった。突然、詩乃が目を見開いて全身を硬直させ、肩からカタカタと震え始めたのだ。
十二月のこの時期だが部屋には暖房が利いており震えるほどの寒さでは無い。だと言うのに、詩乃の震えはどんどん大きくなり、やがて自らの体を自分の腕で抱くように抑え、堅く縮こまるように体をくの字に曲げる。

「しーちゃん!?」
「詩乃っ!?どうした、おいっ!!」
「…………ぁ……ぁぁ……」
その尋常ではない様子に 美幸と涼人が立ちあがり、涼人が詩乃の肩を押さえる。触れると、更に、彼女が強く震えている事が分かった。明らかに尋常な事態ではない。

「美幸、救急車!!」
「え、あ、う、うん!」
即座に涼人は指示を飛ばし、美幸は涼人と詩乃を避けて玄関の方に走ろうとする。しかし……

「……っ!」
「えっ、しーちゃん?」
突然詩乃が、横を通り抜けようとした美幸の服の端を掴んだ。それたとても弱弱しく振りほどこうと思えばすぐにでも出来たが、美幸はその場に立ち止まる。

「詩乃、お前何して……何だって?」
「だ、ぃ……じょ……ぅぶ……だ、から……」
発された声は、先程までの静かだが芯の通った声とはかけ離れた、とても弱弱しい「大丈夫」だったが、確かに同じ意味を持った言葉として涼人の耳には届いた。

「……大丈夫だとさ……美幸、水頼む」
「そ、そんな大丈夫って……「美幸……!」……うん」
食い下がろうとした美幸を少々強引に黙らせて、台所へと向かわせる。
涼人はと言うと……

「ほら、詩乃、立てるか……?」
「ぅん……」
詩乃の腕を肩にまわして、ゆっくりと立ち上がらせる。
そのまま彼女をベット近くまで運んで、横になれるように座らせた。

「大丈夫……か?」
「うん……だいぶ、落ち着いてきたから」
弱弱しく微笑んだ詩乃と目線を合わせるように床に座り込むと、美幸が台所からコップを持ってきた。

「しーちゃん、お水。飲める?」
「あ、うん。ありがと……」
詩乃はそれを受け取ると、一口少しだけ水を口に含む。

「ふぅ……ったく、一体全体どうしたってんだ?」
「…………」
涼人の問いに詩乃は口を噤む。原因自体は涼人にあるのだが、本人は全く気付いていない。それをどう説明した物か……

「…………」
「……だんまりか……んじゃ予想で言うが……いいか?」
「り、りょう……」
「……美幸お姉ちゃん……いいよ。大丈夫」
自分から説明するのは……きっと無理だ。なら適当に言ってもらった方が、いっその事楽かもしれない。そう思って言った詩乃……だったが……

「……PTSDって単語に聞き覚えは?」
「っ……!」
一発で当てた涼人に、詩乃は息をのんだ。

「なん……で……」
「当たりか……やな予想ばっか当たるな」
「りょう?PTSDって……」
動揺する詩乃を見て、涼人が吐き捨てるように言う。二人の様子に動揺する美幸を尻目に、涼人は続けた。

「さっきトイレの方に入った時、錠剤の残骸見つけてな。その名前どっかで見たことが有ると思ったら、俺の学校のダチが時々飲んでるもんと同じ奴だった」
「同じって……」
唖然とした詩乃を見て、溜息をつくようなしぐさをしながらリョウは続ける。

「基本的にその薬は、精神安定剤としての効能を持つもんだって、そいつは言ってた。唯そいつがなんでそれを飲む羽目になったかがあれでな……病気のせいだって、そう言ってたよ。んで、その病名が……PTSDだったってわけだ」

心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder)
通称、PTSDと呼ばれるこの病の原因は、精神的、あるいは心理的な凄まじいショックである。と言われている。
死に掛ける、あるいは死に至るような重大な傷を負うなど、自身が経験し、忘れる事の出来ない強烈なストレスやショック等……所謂“トラウマ”によって引き起こされ、さまざまな後遺症を経験者に及ぼす。と言う、精神疾患の一種だ。

その後遺症は三つの項目に分かれ、この症状が一カ月以上持続した場合のみ、PTSDであると診断される。

一つ。精神的不安定から来る、不眠などの過覚醒症状。
二つ。トラウマの原因となった障害や関連する物事に対する回避行動。
三つ。原因となった経験、体験の一部あるいは全体にかかわる追体験。通称……フラッシュバック。

この三つの内、詩乃は……三つめ。フラッシュバックの症状を患っていた。
きっかけは、五年前。涼人が東京に引っ越した。そのわずか数週間後の土曜日の午後。母親と郵便局に来ていた詩乃の前に、突如として、拳銃を持った強盗が現れたのだ。

その頃の詩乃は、彼女の父親の死を原因とした精神疾患を患った彼女の母、朝田紀乃を守る。と言う少々小学五年生の子供にしては重たい目標を持って生きていた。
母親は疾患のせいで精神的に幼く、また平穏と静寂のみを欲する小鳥のようなひとで、そんな母を見ていると、自分を愛してくれる母親を自分の手で守らなければ。そう、いつの間にか思い始めていたのだ。

その性もあって、幼い彼女は外部からの干渉に対して異常と言えるほどに敏感だった。押し売りを追い返したことも、悪戯をした男子を本気で殴ったこともあった。一度だけ、涼人と本気で大喧嘩をして、頭から血を流す羽目になったこともあるほどだ。(涼人は怪我はなかったが、トラウマになるほど母親とおばあちゃんに怒られた)全ては、自分が母を守るのだと、そう心に決めた、幼いころからの信念がそうさせてきた。

そして、その強盗が入ってきた時、詩乃がとった行動は、ある意味で当然ともいえる。そんな行動だった。

局員を一人撃って、恐ろしさから動けない局員にイラついた犯人が詩乃の母親に銃を向けた男の腕にかみつき、銃を奪って……撃った。色々な偶然が重なり、拳銃の反動を抑え込むことに成功した小学五年生の少女は、結果として三発。拳銃を発砲した。

撃ち出された三十口径、七・六二ミリ弾は全弾男の腹部、右鎖骨、眉間に命中し、言うまでもなく、男は絶命した。

結果として、母親を守る事に、詩乃は成功した。しかし……それで、その事件が終わるはずも無い。
銃を用いて人を殺す。その経験は、小学五年生の少女が受け止めるには余りの重く、辛いものであったと言える。結果として、後遺症……深い深い心の傷が、彼女には残った。
銃やその類の物を見ると、それがたとえ何であっても自身の意思と関係なく事件の経験をフラッシュバック。後、体が拒否反応を示し、パニック症状……過呼吸や、全身の硬直、果ては嘔吐や失神すらもひきおこしてしまうのだ。当然、ドラマや漫画の類は見ることが出来なくなった。基本的には小説を読みふけるようになり、中学時代には事件の事を知る者たちは誰一人として詩乃に近寄ろうとはしなかった。

それを孤独に感じることはあったし、美幸や涼人に連絡しようと思ったことや、時折墓参りにやってきた涼人に相談しようかと思った事もあった。しかし小学校時代に投げかけられた容赦のない悪罵や中学時代の徹底した無視と言う経験は、それを拒んだ。
小学校から本が友人で、元々外部に対する興味の薄かった詩乃は、生徒や児童達にそう言った扱いを受けること自体には対して問題はなかった。
しかし幼いころから共に過ごしてきた友人であり、家族とも言うべき二人から同じ扱いを受ければ、それに耐えることは出来ない。心の奥底で、彼女はそう感じていたのだ。

だからこそ……彼女は今日まで、唯一人で、このトラウマと戦ってきた。
街を出て、その場所を遠ざけることで。一人で……戦ってきた。

「…………」
「…………」
「…………」
部屋には、静寂が降りていた。
涼人も美幸も一言も話さず、唯無言だ。

きっと、もう彼らと自分がかかわることは無いだろうと、詩乃は感じていた。人を殺した自分だ。数分前に、全て話すと決め、話し始めた時点で、覚悟を決めていた。
彼等は自分にかかわることなく、この先の人生を生き、自分はまたこの孤独の街で、一人の道を歩くのだ。
そうするしかない。それでいいとすら、詩乃は思った。この傷を克服するための、心の強さを欲しているからこそ、この街に来た。全ては、記憶と、時間の奥に、あの忌まわしい記憶を埋没させ、乗り越えるためだ。
そのために必要なのは強さだ。何物にも負けぬ、屈さぬ心の強さ。繋がりを求めては、弱さを見せることになる。遠藤の時もそうやって学んだではないか。
さぁ、顔を上げろ、どんな顔をしているか分からない二人の元幼馴染を送り出し……

ポフッ……

「……え……」
「…………」
突然、何か柔らかい物が、詩乃の体を包み込んだ。
背中から伝わる手の感触と、発作のせいで冷え切った体を染み込むように温める温もりが、自分が抱きつかれている事を告げていた。

「お、お姉……」
「……ごめんね……」
「え……」
耳のすぐ隣で聞こえた。呟くような、美幸の声。それがどこか泣きそうに聞こえたのは、気のせいだろうか……?

「ごめんね……しーちゃん……一番大事な時に、一緒に居てあげられなくて……ごめんね……」
「…………」
彼女は、謝っていた。

「一人にして……一緒に泣いてあげられなくて……隣に居てあげられなくて……守って、あげられなくて……ごめんね……」
「お姉……ちゃん……?」
困惑と、温もりと、ほんの少しだけ、痛いのと……色々な事が、胸の中をごちゃごちゃに満たしていた。

「私……だめだね……大事な時に居られなくて……知ってさえなかったなんて……お姉さんなのにね……本当にごめんね……しーちゃん……」
その声が、耳の中に染み込むように消えて行く。
涙声で、美幸は何度も何度も「ごめんね」を繰り返す。詩乃は抵抗もなく……唯されるがままだ。

「……俺も、兄貴分失格だな……。何度もお前に会ってたのに……気づいてやれなくて……悪かったな、詩乃」
涼人が、腰をかがめて、自分を正面から見ていた。本当に申し訳なさそうに顔をゆがめ……その大きな手を伸ばす。

ポフッ……

頭を、包み込むように、優しく、涼人の手が撫でた。それはとても懐かしい感触で、同時に昔の自分が大好きだった感触であることも思い出した。

でも、何が起きているのか、詩乃にはまだ、良く分かっていなかった。

ただ……

「…………」
詩乃は無言で、美幸の肩に頭をうずめる。少しだけ彼女の肩が震えて、その場所が少し濡れる。

今だけなら……ほんの少しだけなら……泣いても、良い気がした。
 
 

 
後書き
はい!いかがでしたか!?

サチさんの母性効果スゲェw

というか、やっぱり事前設定があるとやりやすさがありますね。
キリトと達と出会う前(=GGO編終了以前)の詩乃は他人を極度に避けている節が有るんで、信頼関係を築こうとすると手間なんですが……幼馴染設定つええ……事前に積み重ねた時間が此処まで効果を発揮するとは……

って、これ僕の主観なのでみなさんの目から見て不自然さが無かったかは自信がないんですが……
いかがでしたか?

ではっ! 
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