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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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それが君の”しあわせ”? その2

 
前書き
大分前に書いたのだけれど、投稿するには些か短いかと放っていた作品です。
もういいやと思って投稿することにしました。 

 
 
地獄の窯は、開かれた。
中にはマグマを連想させるほどに真赤に煮えたぎる液体と、思わず口を覆い、顔を背けたくなるほどの強烈な刺激。それと正面から受け止めようと考える人間は、そうはいないだろう。これでもまだ世界中を探せば
最上の刺激とは言えないというのに、何故これほどに――そそられる。

そう。視覚が、味覚が、嗅覚が、更には痛覚までもがそれを危険だと判断しているにも拘らず、同時にそれから引き出されるものが存在した。

期待。
食欲。
好奇心。
そして、自分のために用意されたその食材と、食材誕生にかかわったすべての者に対する、感謝。

さあ、それにスプーンを沈ませろ。

さあ、それを皿に取れ。

さあ、それを――

「ッ・・・いただきます!!」

――存分に、食らうがいい。
それは・・・激辛と呼ぶのも生ぬるい地獄の味覚。
中華料理店「ヘルファイア」名物、激辛麻婆豆腐を・・・直中間宵はスプーンで掬い、口に含んだ。



 = =



辛さは必ず遅れてやってくるが、訪れてからでは最早手遅れだ。それが証拠に、親友の間宵に「辛い?」と質問すると、返事すら返さず無言で汗を流している。普段なら質問すれば返事を返してくれるが、その余裕すら今の彼女にはないようだ。

(だから止めておけばいいって言ったのに・・・どうして態々辛いもの頼むのかなぁ?)

そんな親友に船頭悟子が抱いた感想は、まさにそれだった。全く以て、食べれば辛いと分かっている食べ物を何故自ら食べようとするのだろう?その精神が悟子には一切理解できなかった。言うまでもなく、悟子は辛いものが苦手である。嫌いとも言えるだろう。食べて間もなくじわじわと押し寄せるむせるような痛みと、やけどをしたのとはまた違った熱さ。はっきり言ってしまえば、それは辛いではなく痛いと言うのだ。

この店を紹介したのは悟子だし、冗談交じりに食べてみればいいと奨めたのも悟子だ。そしてここは店の物騒な名前とは裏腹に辛くない食べ物も沢山存在する。だからその危険性を知っていて尚、これほど辛いものを間宵が頼もうとしたときは流石に忠告した。

「ここの麻婆、別の友達が来たときに頼んでたんだ」
「へー。そんでそんで?」
「それなりに辛いの得意な人だったけど、泣きながら二度と食べたくないって言ってた。・・・本気で辛いよ?」
「ほぉー・・・じゃあぜひ食べないとね」
「私、どうなっても知らないよー・・・」

(で、その結果がこの有様か・・・)

麻婆豆腐はまだ小皿数杯分しか減少しておらず、反比例してライスとお冷の減少率は異常に早い。そして同時に彼女の顔から垂れる量の汗も尋常ならざるものだ。申し訳程度にしていたメイクは既にすべて剥がれ落ち、今ではもう色気もへったくれもある状況ではない。

そんな姿になって、如何にも辛そうにしているのに、それでも彼女は小皿に乗った麻婆豆腐を間食せしめんとスプーンを進める。豆腐と一緒にあるあの赤い管のようなものは、輪切りにされた唐辛子。豆腐に沁み込むのも唐辛子や(ジャン)。ひき肉の味付けも、言わずもがな。
どう見ても待っているのは苦痛だ、苦痛以外の何物でもない。ただ辛い物を辛いと思い知って苦しんでいるだけで、そこに楽しさや美味しさが介在しているようには、悟子には見えなかった。



 = =



圧倒的、痛覚。

口を進めれば進めるほど、口内の敏感な神経たちが一斉に刺激の針を突き刺されて絶叫に近い痛みを脳へと送り込む。そのスプーンが触れる事に痛がり、熱を持っている事に痛がり、食材が舌の上に乗ったその事実に痛がり、そしてその食材が内包する刺激物に悶え苦しんで痛がる。

咀嚼の度に動かされる刺激物たちは否が応でも口の中を暴れまわり、食材を急いで飲みこみたい衝動に駆られる。だが、それは許されない。麻婆豆腐の中和剤としてクッションの役割を辛うじて果たしているご飯があるからだ。この最終防衛線にして城壁である筈の食材が、逆に咀嚼という一要素を齎して効率増加やダメージ軽減の妨げになっていた。

このご飯なしで、あの真赤な痛みをそのまま液体にしたような物質に対抗するのは余りにも無策、愚か、そして恐怖。今でさえこれほど苦しみ赤く腫れあがっているこの口が、ご飯の障壁を失うことでどれほどの損害を受けるのか、予測不能。予測不能とは、是非の話ではなく、ダメージ増加量の話である。

そして何よりも憎いのが、麻婆豆腐そのものの旨味。
一つ事実を語るならば、この麻婆豆腐は旨い。その旨さが――肉の甘味やとろみ、塩加減、豆腐に沁み渡った至高の美味こそが最も曲者。旨いものを人はいつも求めている。かつて日本人が生魚を食べるための文化を異常発達させたのは、生魚が美味であることを知ってしまったからだ。一度覚えた味を人は忘れられない。三大欲求が一つを刺激するこの味覚こそ、もだえ苦しむこの口に次なる痛みとそれに伴う歓喜を受け入れよと手を動かすのだ。

痛い、痛い、痛い―――でもおいしい。

腫れあがり、血流を加速させる毛細血管の収縮を促すように氷でキンキンに冷やされた水を煽る。煽る。何度も煽る。これで痛みが麻痺した、と思った瞬間にご飯と絡ませた麻婆豆腐を喰らう。喰らった瞬間に食材の持つ熱が冷えた患部を再加熱させ、口内に激痛。

脳が叫ぶ。
これ以上それを食べるな、それは危険だ。
食欲が叫ぶ。
食え。かっくらえ。それはお前の求めるものだ。

ご飯を口に布け。冷え切ったご飯が口の中をわずかながら防衛してくれる。しかし、ご飯が無い。食べきった。お冷がない。テーブルサイドのボトルが空っぽだ。これでは辛さと痛みに対応できない。

「ご飯おかわり!お冷も!」
「ハイただ今!!」

店員がすぐさまご飯とお冷ボトルを持って来る。
ご飯から湯気が出ている。熱を持っている。熱は最悪だ。血管を開かせ神経を過敏にも刺激する。冷えるまで待つしかない。豆腐もだ。表面が冷えても内側に熱を溜めこむ豆腐は麻婆豆腐の唐辛子より更に厄介な伏兵。痛い、痛すぎる。

食欲が邪魔をしてきた。ご飯を小皿に、麻婆豆腐と絡めてスプーンで掬い口まで持ち上げている。まだ口の中が冷えていない、ご飯も冷えていない。時期尚早。なのに食欲は既に次の一口を求めていた。

口腔を蹂躙し、舌を串刺しにする、痛み。

何でこの麻婆豆腐はおいしいの?何でおいしいのに辛いの?

辛い。
汗が、目に入りそう。
お冷。
お腹が。
ご飯が冷えない。
麻婆豆腐がまだある。
どうして。
どうして。
なんで私はこんなに辛い物を食べているの。
どうして。
辛い、辛いよ。
涙が出そうになる。
手が止まらない。
おいしい。
痛い。
水を。
痛い。
おいしい。
痛い。
残そうか。
残して諦めようか。
駄目。
なんで。
だって、食べたい。
いやよ、食べたくない。
でもおいしい。
でも辛い、痛い。
痛い。
お冷。

脳裏を駆け回る言葉が少しずつ脱落していく感覚。視界がクリアに――精神がフラットに――ただ、食べたいという食欲だけが、何度も何度も拷問のように繰り返された痛みを克服するかのような、境地へ。

次の匙を。
次の匙を。
次の――

「あ・・・・・・?」

次の麻婆豆腐は、もうない。
ご飯も無い。
皿の中の全てのものを、食べ終えている。

「・・・・・・った」

その事実を認識した瞬間に、駆け抜ける快感。

「・・・やっ、た」

告げられる、勝利のファンファーレ。


「やったぁぁぁぁーーーーーッ!!」

彼女はその煉獄と天国の狭間を潜り抜け、現世に舞い戻った。
人は何故辛い物を求めるのか。辛い物を求める人間は果たして幸せか。
その答えが、彼女の中で出た。

――この達成感は、代えがたい価値がある。

そして、溢れ出る歓喜を抑えられないまま、私は親友の方を向いて――

「やった、やったよ悟子――」
「・・・・・・」

ぺらり、と紙の捲れる音。読んでいるのは、さっき本屋で買ったらしい漫画。
こっちを見ていない。というか、完全に興味が無い。
その漫画を暫く読んで、悟子は一言。

「あ、今いい所だからちょっと待ってて」
「――・・・・・・・・・・・・」

その冷めた対応に、今までの辛さが全部吹き飛んで呆然とする。いくら間宵が苦しみの先の達成感を幸せと感じたとしても、それを理解できない人間にとってはただヘンな奴がヘンなことを言って苦しんでいるだけである。そして、そんな光景を見ているのは得てして退屈なものだ。

自分が幸せだからと言ってその幸せを相手と共有できるとは限らない。

幸せって何だろう。そんな哲学的な問いが頭の中をぐるぐる回る間宵だった。
  
 

 
後書き
激辛麻婆をネタにする前に、激辛麻婆を喰らうべし。カラオケに行く前に激辛料理は食べちゃ駄目ですよ。絶対ですよ。約束ですからね。腫れて高音が出なくなったせいでささきいさおと水木一郎の歌ばっかり歌うことになったからね。 
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