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屠殺場

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第六章

 杉原はビザを出すことにした、それを何千と出してだ。
 多くのユダヤ人達を救った、だがそれでもだった。
 彼はリトアニアを去る時にだ、無念の顔で言った。
「もう少し書きたかったです」
「そうすればですね」
「あの人達を屠殺場から出せたのに」
「東欧はどうなるのでしょうか」
「わかりません、ですが」
 それでもとだ、杉原は沈痛な面持ちで部下達に言うのだった。
「今行われていることはやがて世に知られ」
「そうしてですね」
「人類の忌まわしい歴史の一ページとなるでしょう」
「まさかナチス以上に。彼等が暴虐だとは」
 リトアニアの極右主義者達を指し示した言葉だ。
「想像もしませんでした」
「いえ、それは」
 杉原は項垂れる彼にこう返した。
「欧州の歴史を考えれば」
「考えられることでしたか」
「欧州でのユダヤ人達への扱いは君も知っていましたね」
「言われてみれば」
 外交官も思い出した、ここでそのことを。
「そのことは」
「そうですね、欧州では長い間ユダヤ人達への迫害がありました」
「ジプシー達についても」
 ナチスはジプシーも迫害している、外交官はそれで彼等の名前も出したのだ。
「そうですね」
「何かあればです」
「ペストが流行したりしてもですね」
「そうです、ユダヤ人のせいにされたりして」
 そしてだったのだ。
「多くの虐殺が行われてきました」
「ルーマニアやリトアニアであった様に」
「そうです、ですから」
「今の様なことはですか」
「考えられたのです」
 杉原は深刻な顔で外交官に答えた。
「ナチスはその中の一つに過ぎないのです」
「そういうことですね」
「残念なことに」
「ではこれからも」
「ナチスだけではないのです」
 今現在の話をだ、杉原はした。
「ユダヤ人を虐殺するのは」
「そうなりますか」
「その中で。私が書けたビザは僅かです」
 杉原は項垂れてだ、外交官にこのことも言った。
「これからも多くの人が殺されます」
「間違いなくですね」
「はい」
 そうなることを確実視していた、だから杉原は今はその言葉を未来形、予想のそれにしなかったのである。
「僅か六千、少ないですね」
「そのことは」
 外交官は項垂れる杉原に言った。
「お気になされない方が」
「そうですか」
「はい、それだけ救えただけでもいいです」
「だといいのですが」
 杉原は項垂れるばかりだった、そうしてだった。
 ユダヤ人達の虐殺は続いた、だがこのことは長い間ナチスだけがやったことだと思われて来た。しかしそれは違っていた。
 日本のとある大学の図書館でそのことを調べていてだ、女子大生達がこんなことを話していた。
「ナチスだけじゃなかったのね」
「そうね」
「ユダヤ人を虐殺していたのは」
「各国の人達もしていて」
「ソ連もね」
 『平和勢力』であり諸民族の平等を解いていた筈のこの国もだったのだ。
「スターリンが物凄く殺していたのね」
「そうだったのね」
「長い間そのことがわからなかったなんて」
「酷いことね」
「スターリンがしたことなんてね」
 つまりソ連のユダヤ人虐殺はだ。
「日本だと学者さんやマスコミが隠していたのね」
「ソ連寄りの人達が」
「それでなのね」
「ことの事実がわからなかったの」
「平和や人権を言う人が虐殺を知っていても隠していたなんて」
「これも酷い話よね」
「全くよ」
 女子大生達は眉を顰めさせて話すのだった。
「世の中、酷い話もあるわね」
「虐殺があってもそれが隠されたり事実が曲げられて伝えられたり」
「そうしたこともあるのね」
 二人もこのことを知ったのだった、二人共その手元にあの大天使ミハエル軍団の本がある。その本を吐き気に耐えつつ読んだうえで話すのだった。
 ナチス時代のユダヤ人虐殺については長い間その真相はわかっていなかった、ドイツ以外の多くの国がその虐殺を行いその惨たらしさはナチスでさえ止める程だった。このことは歴史の闇の中に隠されていたがようやく出て来た。それは幸いであったと言うべきであろうか。それとも人が知るべき事実ではなかったのだろうか。その判断は容易ではない。


屠殺場   完


                             2014・8・30 
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