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乱世の確率事象改変

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強いられた変化

 設計図、というモノは技術者でなければ把握出来ないモノが大抵である。
 言わずもがな、細かい部品の名前や専門的な単語など、畑が一つ違えば分からない事が多々であろう。
 ただし、それはあらゆる方面に技術が発展した現代の話。秋斗が落とされた三国志に良く似たこの世界の文明はそこまで進んでいない。現代でのそこそこの学力さえあれば、なんとなく分かるモノが多数であった。彼にはある程度この世界を生き抜く為の常識的な知識が与えられているのもあったが。
 じっと、一つの設計図に目を通している秋斗は、隣でゴクリと生唾を呑んで見つめる少女――――真桜の視線に少しばかりの緊張を感じる。
 次いで、彼女が手に乗せているモノを見やった。それはミニチュアの投石器。設計図の完成品を小型化したモノであった。実物は大きすぎる事と、次の戦の秘密兵器である事、そして次の戦場にある程度準備してある為に、ミニチュアを前にしての話し合いをしているのが現在の状況。

「投石角度の調整は……?」
「この部分でやるんや。投石棒の止まる角度によって変えられるようにしてあんねん」
「上々だな。投石の強さの設定は一律なのか?」
「一応やな、こうやって――――」

 次々に質問を投げて、真桜がそれに答えて行く。
 現代知識は多岐に渡る。小学生の時に行った理科の実験の知識でさえ、この時代には宝となり得る。ましてや、義務教育を終えていれば、この時代の智者の持ちえないレベルまで到達している分野もあるのだ。
 物理学の中の物体の運動、つまりは力学についてなどその中に含まれる。数学の複雑な計算を解く公式であっても、この時代に提唱すれば奇人と言われても不思議では無いのではなかろうか。
 この世界には例外として氣という概念があるが、一般兵にとっては物理的な兵器ほど使い勝手が良くて、恐ろしいモノは無い。故に、秋斗はこの投石器の改善を任された時に素直に受け入れた。自分の知識が少しでも役に立つのならば、と。
 兵器の改善がなんの為か理解してはいる。所詮は兵器なのだ。人を多く殺す為の道具である。それを理解して尚、協力に乗り気だった。
 少しばかり今の秋斗は前の秋斗と違う。そのズレが何かは、彼も気付いてはいない。

「――――こんなとこでどうかな、真桜?」
「いやぁ……兄やんの話聞けて良かったわぁ。不満残っとった微調整もすんなり出来そうやし、それに投石器の応用がこんな簡単に出来るとは思わへんかった。さすがは魔法瓶の生みの……って今はちゃうんやった」

 話も終わり、嬉々として話していた真桜がしゅんと落ち込む。
 今は華琳に依頼されてから三日後である。武器の改良に勤しんでいた真桜は、昨日の昼に漸く全てを終えて、半日の休息を取った後に秋斗との仕事に臨んでいた。

 鉄板と断熱材の役目を果たす木々を組んで、温度を一定に保つ水筒「魔法瓶」を店長と一緒に開発したのが前の秋斗。彼はただ単に、何処でも暖かいお茶が飲みたかっただけなのだが、その発明が真桜を惹きつけていた。真名を出会って直ぐに交換してしまうくらいに。
 彼女は絡繰りに目が無い。絡繰りが好き過ぎて、黄巾の時に義勇軍を立ち上げる前でもいろいろと自作していたくらいである。
 現在彼女は華琳から与えられた役割により個別の工房を持っている。その中は用途不明のモノやら何やらがわんさか転がっていた。
 兵器の開発は彼女の仕事。ああでもないこうでもないと、時間がある時に試作品を作ってはいじり倒している。
 余談ではあるが、華琳が依頼した怪しいおもちゃも手掛けていたりする。

 自分の世界では普通の知識とは言えず、真桜が優秀な技術者であるから、と言うのも尊敬の眼差しを向けられてはさすがに口に出来ない。よって彼はただ、彼女の気遣いに対して答えを返す。
 
「気にすんな。今の俺も前の俺もそんなに変わらんし、頭ん中にある知識もそう変わらん」
「……ありがと、兄やん」
「ん、それよりさ……アレって……アレだよな」

 優しく諭した秋斗は休憩がてら、気分を変える為にその物体を指さす。精巧につくられたソレは男の象徴的ブツを模したモノ。女の子の前なのでアレとしか言えず口を濁した。

「お? 兄やんも好きやなぁ。くくっ、せや。アレや。華琳様に依頼されて作ったもんでな。お菊ちゃん言うねん」
「お菊ちゃんってまた意味深な……真桜はそんなもんも作ってるのか……」
「だって華琳様は兄やんと違うてついてへんねんもん。しゃあないやん?」

 つかつかと歩み寄った秋斗は、さすがに手に取る事はせずにマジマジと見やった。
 現代人の男として、エロ本や同人誌もある程度見てきた彼であるが、実際に実物を見てしまうと、百合っ子な覇王様だから仕方ないかぁ、と妙に複雑な気分になっていた。
 にやにやと笑いを浮かべながら隣まで歩み寄った真桜。難しい顔をしている秋斗の耳にそっと口を寄せて、

「使うてみる? 具合試して見るのも一興やし、ウチにとっては本物も見れる丁度いい機会やねんけど」

 なんて、悪戯っぽく口にした。

「はあ!? バカかお前! そういうのは好き合った男とだけしてろ!」
「あははっ! 冗談やんか! そんな怒らんといてーな」

 即座に動揺を見せて声を上げた秋斗に対して、からからと笑い声を上げる。
 からかわれた事を真に受けてしまった為に恥ずかしくて、ぐっと言葉に詰まった秋斗は誤魔化す為に舌打ちを一つ。

「なんや結構固いねんなぁ。ウチのは冗談やけど、もし、女に本気で誘われた時は断ったりしたら……あかんで?」
「……知らん。見境無くがっつく男も、腰が軽い男も嫌いだ。心に決めた女以外とはそういう関係にはならん」

 やれやれとため息を吐いたのは真桜。
 詠と共に黒山賊討伐に当たっていた彼女は、雛里や月の事も聞いていて、詠の気持ちにすら当たりをつけていた。軍人とは言っても女の子、恋愛のあれこれは大好物な果実であるのだ。
 だからこそ、自分が軽く見える性質の悪い冗談を使ってまで探りを入れてみたのだが、その結果には少しばかりの呆れを感じていた。
 椅子を反対にして腰を降ろし、キコキコと一定のリズムで揺れる真桜は、眉根を寄せる。

「なぁ兄やん。兄やんは名が売れとる。記憶が戻ったらウチらんとこの将になるってのもさっき聞いた。事務仕事もこなせる兄やんなら給金も秋蘭様並には上がるはずや。甲斐性的には問題あらへんやろ。女の二人三人くらい侍らせても、誰も文句なんか言わへんと思うで? たった一人しかいらへんって心意気は隣に立った女にとっちゃありがたいやろけど、どや?」

 さもありなん、この時代ならば有力者が幾人かの伴侶を持つ事など当たり前の世の中である。秋斗の元の世界の歴史上では、現代に至るまでは一夫多妻などそこいらの国々に溢れていたのだ。言わずもがな、故郷の日本にしても。
 何も問題は無い、と秋斗の価値観に対して否を示す真桜に、何処か微妙な表情をした秋斗は口を開いた。

「もし、だ。万が一、俺に惚れてくれるような心優しい人が何人かいたとしよう。けど俺には……全力で複数人に想いを注ぐとか、平等に皆を愛するとか、そんな器用な事は出来ないね。一番好きになった(ひと)を優先したいし、実際にそうするし、そうなると思う。自分が一番になりたいとかで争う女達は見たくない。皆を平等に愛してくださいなんて気持ちを押し付けられても困る。何より一番好きになった(ひと)を傷つけたくないし。そういうわけでお前さんの意見は却下だ。誰の事を言ってるかは……知らないって事にしておいてやる」

 呆然と、真桜は口を開け放った。読み取られていた、と遅れて気付いてバツが悪そうに顔を顰めた。
 秋斗は詠の事も月の事も、もしかしたらそうかもしれないくらいには予測を立てていたのだ。異常な程、自分に尽力してくれるのだからある意味で当然。
 そんな詠とこの前から親しくしているという真桜からの探り。これほど分かり易いパズルのピースは無い。最後に今のかまかけで予測をカタチに為した。

「……悪い男やな、兄やんは」

 苦々しい声音を向けられて秋斗は苦笑を零した。自嘲と懺悔とを存分に含んだモノであった。

「クク、そうだな。だから真桜はこんな悪い男には引っかかるなよ? そんで俺みたいな悪い男に引っかかった子に注意してやってくれな」

 自分からはさすがに言えないから、女の子である真桜がとりなしてやって欲しいと願いを込めて。
 違えずに読み取った真桜はまたため息を一つ、じっくりと宙に零してから、秋斗の黒瞳を見据えた。

「……あかんで兄やん。恋っちゅうのは戦争や。恋する女の子の本気は……怖いで? もし、そんな子が居ったとしたら、きっとウチには止められへん」

 にやりと笑う。瞳は肉食獣の如き輝き。自分はまだしたことの無いソレへの憧れを込めて、秋斗に言い放った。

――ウチやったら嫌やもん。好きな人とは一緒になりたい。傍に居たい。例えちょっとの時間やろうと、好きな人と楽しいこと共有したい。全力でぶち当たらな気がすまへんやんか。そういうもんちゃうの? 恋って。鳳統ちゃんやって、きっと一緒にいた方がええやんか。その為に皆やって……いろいろ気に掛けとるんや。

 発展先をまだ知らない、少女の憧れである。
 真桜の言葉を聞いて、恋とはエゴとエゴの押し付け合いであると、秋斗は思う。ならばきっと、自分を想ってくれる彼女の想いは愛なのだろうな、と感じた。
 きっと“彼女達二人”も、彼女と自分の為を望んでくれているのだろう。それもまた、別種の愛であるのだと理解を深めた。
 三人の少女の暖かさが、彼の心に温もりを落とし、悲哀を沸き立たせる。
 押し込むのにはもう慣れていた。そうして切り替えて、今度は彼がため息を返す番。

「はぁ……恋は戦争、ねぇ。互いの気持ちが大事だと思うんだがなぁ」
「じゃあ、もしもやで? 兄やんが一人の女の子を好きでしゃあなくて、でも他の女の子が振り向いて貰おうと頑張ってて、その内にその子に対しても好きな気持ち出来てしもたらどうするん?」

 真桜は昨日までずっと工房に籠っていた為に、他愛ない会話が止まらない。それが女の子にとって食いつきやすい恋の話題であるなら尚更。
 一応、華琳に依頼されたモノの草案は、真桜の優秀さから既に出来てしまった為に、息抜きも必要か、と秋斗はそれに付き合う事にした。

「さてな、その時になってみなきゃ分からんよ。男ってのは俺も含めて可愛い女の子に弱いからなぁ。でもきっと……好きで仕方ない子を選ぶ、と思う。例え他の子を傷つける事になろうと、深い関係にはならずに一人を選びたい」

 黒麒麟が自分と同じであるならば、彼女を幸せにしてやって欲しいと願った。例えあの二人が想いを寄せていて、前の自分が二人にも少なからず好意を持っていたとしても。
 客観的な物言いは真桜の意にそぐわないようで、むすっと口を尖らせた。

「もう……絡繰りの話はおもろいのに、色恋に関してはつまらん。もっとこう、がーっと欲望持とうや! 俺に惚れたんなら皆全力で愛してやるぜ、くらい言うてーな! 華琳様なんかすごいで? 前なんか……本気を出せば一度に七人までだったら行けると思うの……なんて言うんやもん」

 華琳のマネをして言い放つ真桜に、そんな事を言っている華琳を想像しようとしても……華琳と真桜では身体の一部分が極端に違いすぎた為に、胸が極端に大きい華琳を想像して、圧倒的な違和感から秋斗は盛大に噴き出した。

「くはっ、あははっ! 曹操殿の言い方マネしてもお前さんじゃダメだ!」
「えー、なんでなんで? 結構似てたと思たんやけど……自信無くすわぁ」
「いや……クク……だって、だってさぁ……あははははっ!」

 確かに言い方や仕草はそれっぽかったのだが、秋斗にはどうしても胸の大きな華琳が頭に浮かんでしまう。変なツボに入ってしまったようだ。
 また想像して、身体をくの字に曲げて笑い続ける秋斗の前で……彼の大きな身体に隠れて見えなかった扉が目に入った真桜は顔を蒼褪めさせた。
 キィ……と半開きになっていた扉である。ゆっくり、ゆっくりと開いて行った。
 其処に居た人物は、一つ指を口に当てて、冷たい瞳で微笑んでいた。
 背後が扉である為に、そして笑いに夢中である為に、秋斗は全く気付いていない。

「はーっ……笑った。何でかって? それはな……」

 笑いすぎて痛む腹を抑えているから、秋斗は真桜の蒼褪めた顔を見ていなかった。
 彼はそのまま、無邪気に本心を綴り始め……彼女の逆鱗に触れる。

「胸をお前さんの胸で想像しちまったからだよ。さすがに曹操殿に大きな胸は違和感があり過――――」
「わ――――――っ!」

 絶叫。
 真桜は思わず声を張り上げた。黙っていろ、と示されていたにも関わらず。
 後に、ツカツカと近付いてくる華琳に戦場で放つような殺気を向けられて腰が引けてしまい、椅子から落ちて声も途切れる。
 反射的に耳を抑えていた秋斗はまた俯いてしまったが故に、真桜の様子は見えなかった。
 ひやりと、首筋に冷たい金属を添えられて……耳から手を放した時にはもう遅い。

「……私に、何があったら、違和感がある、ですって?」

 凛、と鈴の音のように綺麗な声音も、威圧と殺気に彩られれば刃の如く。冷や水を被せられたかのように、どっ、と冷や汗が湧き出るのも詮無きかな。

「ち、小さな胸にも、いい所はたくさんあるんだぜ?」

 普段の飄々とした様子は何処へやら、頸に鎌を突き付けられたまま、秋斗は振り向かずに上ずった声を紡いだ。それが余計に、華琳の怒りの炎に油をぶち込むとは知らずに。

「ふふ、詠に違和感はあるのかしら? あの子は身長の割に胸が大きいけれど」

 秋斗の苦しい慰めの言葉は無視して放たれた突き刺さるような鋭い声。秋斗には寒気を覚えさせるような冷たいモノ。
 真桜は工房の隅でぶるぶると震えていた。自分が真似をした事も、ばっちりと聞かれていたと分かっているから。

「い、いんや? 無い、なぁ」

 違和感がある、などと言えるはずも無く、秋斗は焦りからもズバリと正直に言った。
 漸く、華琳は愛鎌である絶を彼の頸から引く。本当に頸を飛ばしてやる気は無かったが、自分の唯一のコンプレックスを抉られた怒りを率直に表現するには、いきなり張り倒すわけにもいかない為に、不作法を取ろうと思ってしまった。
 華琳は胸と身長に関してはかなり怒る。これが政治の場であれば笑い飛ばす所ではある。されども、身内だけの場では怒りをカタチと表す事もあるのだ。春蘭が無自覚でポロリと零した一言に怒る時が多々あったりするように。
 ほっと一息も着かず、ギギギ、と音が鳴りそうな動きで首を回して、秋斗は華琳の方を向いた。

「よう、曹操殿。ご機嫌麗しゅう。今日もツインドリルが絶好調だな。二つの螺旋は生命に受け継がれる進化の証だから、曹操殿には似合ってるよ」

 出来る限り誤魔化そうと、引き攣った笑いと軽い言葉を言った秋斗は……にっこりと華琳に微笑まれてそのまま硬直してしまった。

「ごきげんよう、徐晃。街の女子のように色恋の話題に華を咲かせるのも仕事の内、なんて言わないわよね?」

 無視。
 華琳の興味を引くはずの現代知識を出したのにコレである。拾って貰えない軽口ほど、哀しいモノがあろうか。

「どこから聞いてたんだよ……」
「さあ、何処かしら? 当ててみればいいじゃない。当てられたらさっきの発言は聞かなかった事にしてあげてもいい……かもしれない」
「……マジか、じゃあ――――」

 とぼける華琳は目を細めて冷たく笑った。秋斗は一寸悩んだ挙句にその誘いに乗って、話を進めて行く。
 そんな二人の様子を見て、真桜は驚愕に支配されていた。

――嘘やろ……あの男嫌いな華琳様が……兄やんと楽しそうに話しとる。

 真桜にはそう見えていた。楽しそうなどと、秋斗が見ればそうは見えない。しかし華琳の事を黄巾から見てきた真桜が見れば、それは大事件にも匹敵する光景であった。
 実力を認めているのは知っていても、このような他愛ない掛け合いはしないと思っていた。刃を向けるのも、相手がそれをしても許すモノだと知っているからこそ出来る。

――兄やん、あんた……無自覚の人誑しやな?

 そういえば真桜自身も、知識への興味が多大にあったと言っても、居心地の良さを感じていた事を思い出して、そう思った。
 ゆるゆると周りに巻き込まれながら入り込んで行く彼のような人物は、今までの曹操軍には居なかった。
 霞が近い。けれども違う。霞は巻き込むタイプである。
 華琳に対してそこまで出来る様子を見れば、なるほど大徳だ、と思った。ツンケンしている詠が惚れるのも不思議では無いとも。

「――――って時くらいだろ?」
「ハズレ」
「んじゃあアレだ。恋は戦争、くらいか?」
「それもハズレ」
「……答えは?」
「教えない」
「……あーもう! お前さん、怒ってるだろ!」
「ええ、怒ってるわ、とっても。許す気なんてさらさら無い、と言ったらどうする?」
「うわ、ひっでぇ……確かに俺の失言だけどさぁ……ここいらで勘弁してくれ。大きくても小さくても、曹操殿の魅力は変わらんだろ。元譲とか妙才みたいな綺麗な奴が惚れるくらいなんだから」
「……仕方ないわね。今度でいいから店長の店の甘味を、日を分けて十個献上しなさい。試作段階のモノでも構わない。そうしたら許してあげる」
「……店長に叱られるな、こりゃ。まあ、ありがと」

 情けなく懇願しながらも、上手く部下と掛け合わせた褒め言葉を滑り込ませる秋斗を見て、漸く溜飲が下がった華琳が妥協案を提示した。その他愛ない掛け合いはそこで幕を下ろす。
 次に、真桜は華琳に獰猛な笑みを向けられた。言葉を発さずに口を動かす。その動きだけで何を言いたいか分かった。

『おしおき』

 ぶるり、と身体が震えた。
 それは桂花のように、人の身を堕落させて求められるモノなのか、それとも霞のように、好きなモノを延々と取り上げられるモノなのか。
 真桜が怯えた為に、満足そうに微笑んだ華琳は、数瞬後に何故か苦々しげに眉根を寄せて、

「徐晃、椅子」

 短く鋭く、秋斗に不足を示す。逆らえるはずも無い。華琳は王。真桜ならば戦々恐々と直ぐに動いたであろう。

「あ、すまん。忘れてた」

 されども彼は、どっこらせ、と腰を上げてからのんびりと椅子を引き出していく。その光景を自然と受け取れる事が、真桜にとっては不思議でならなかった。

「……はぁ。相変わらず緩い……もういいわ」

 短く呆れを零した華琳。ジト目で秋斗を睨んで腰を下ろした。真桜と秋斗は、その対面に椅子を並べて座る。
 幾分か空気が張りつめた気がした。さながら、軍議の場のよう。静かに見つめるアイスブルーの瞳は秋斗を試している。否、信頼している、と言っていい色。
 カチリ、と歯車が噛み合ったような感覚を真桜は感じ取った。隣を見て、真桜は茫然とする。秋斗が先程までとは全く違う人に見えた為に。

「兵器の開発は問題ない。現物と追加物資を既にいくつか送ってあるなら、真桜が到着して改善出来るだろう。新兵器の開発は保留だ。次の戦までって限定されたら試行と物資収拾の時間が足りない。その代わりといっちゃあなんだが投石器の種類を増やす事にした。改良するだけになるけど、ぶっつけ本番でも十分だと思う。足りない資材は後で書簡に纏めとく。
 あと……曹操殿自ら此処にわざわざ来たんだ。進歩状況の確認を直接する為ってのもあるだろうけど、聞かれたくない話なんだろ? 何があった?」

 真桜の思考は止まる。華琳が何かを聞く前に言葉を紡いでいく彼は異質に過ぎた。
 別段気にする素振りも見せずに、華琳は口の端を歪めて楽しげに笑った。

「ふふっ、話が早くて助かるわ。この工房は秘密裏のモノだからねずみ一匹入り込めないものね。今日の昼、ねずみが城の網に掛かった。吐かせたら旧き龍が怪しい動きを見せてるとの情報が出てきたわ。他のねずみを情報操作の為にある程度泳がせたいから此処に来たというわけよ」
「城にねずみを入れて大丈夫なのか?」
「私に対する暗殺など日常事よ。それに対しての手は普段から欠かさず打ってある。それよりも……月と詠が問題なの。ああ、今は侍女仕事を止めさせて別室に移しているわ。元より風がわざと泳がせているねずみ達には、月も詠もバレてない。でもこれからは少し……危ういのよ」

 淡々と続けられていた会話が、そこで途切れた。真桜はゴクリと喉を鳴らす。秋斗が、華琳と同じレベルで話をしているのが、只々異常だった。
 
「……次の戦場近くで真桜と共に兵器の改善を行いつつ二人を守れ、んで……朔夜と詠に個別で袁家対策案を練り上げさせる、最後に……元譲の手伝いをしてた俺に兵の練度と士気を維持させる。そういう事、だな?」
「さすがに朔夜が兄と認めるだけはある、か。その通り。あなたと真桜、あの二人と朔夜には明日にでも官渡に向かって貰う」

 驚愕をそのまま表情に表した真桜は、化け物を見つめるような目で秋斗を見やった。先程まではただの気安く話せる男であったのに、と。
 気にすることなく、秋斗は目を細めて言葉を紡いでいく。

「すまん。さすがに街で動き過ぎたな。黒麒麟がこの街に居ないと分かれば戦の時機が早まるだろうに」
「いいのよ。一歩一歩、ゆっくりと治世の改革は進んで行くモノ。出来る限り早い内に手を付けるのは間違いじゃない。それに……戦の時機が早まるのも予測の内よ。私を誰だと思っているのかしら?」

 ふっと、秋斗は笑う。目の前の華琳は先程までの――友人と言うには些か距離が遠いが――楽しい人では無いのだと分かって。しばらくは楽しくて優しいやり取りは出来ないのだと理解して。
 す……と目礼を一つ。膝に手を置き、姿勢を正し……仕えていない身なれど、覇王の指示に従うと示す為に。
 華琳は、よろしい、というように満足げに頷いて返した。

「と、いうわけで……真桜、そんな感じよ。あなたの技術力を信頼してるから何も言わない。報告の仕事は徐晃に取られてしまったけれど、あれで問題は無かったかしら?」
「ええ、あの通りでした……けどっ、ちょっと待ってください華琳様! なんで兄やんは記憶無くしとるのにこんなに……」

 どう表現していいか分からず言葉に詰まった。秋斗は別に気にする事は無いと我関せず。
 華琳は……不敵に笑った。

「徐晃はこういう男、それだけでいいじゃない」

 意味は理解出来なかった。
 華琳がそれ以上言わないという事は、自分で考えろという事だ。
 諦めて、真桜は肩を落とした。ただ、生来楽観的な彼女はまあゆっくり考えたらいいかと思考を切り替える。大嫌いな戦までは、秋斗と共に絡繰りをいじれるのをとりあえず楽しもうか、と。

「明日からあなた達は共に過ごす事になるけれど、工房には出入り出来ないから……もう少しいろいろと話しておきなさい。じゃあ、任せたわよ、二人共。何か補足があったら書簡にして執務室の机に置いておくこと。明日の朝に返答の書簡を書いて渡すから」
「御意」
「ん、任してくれ。官渡で待ってる」

 二人の返答を聞き、すっと立ち上がった華琳は、振り返る事もせずに工房を出て行った。
 薄暗い工房に居たからか、目が光に慣れず眩しくて細められる。日輪は傾き、橙色に輝いていた。

――嘗て劉備の真逆に成長したように、私と同じ高みに上る為に成長していく。黒麒麟と同異な今の徐晃は……私の為の黒き大徳。こと戦に関しては私の思考と狙いを軽く読んでくる。本当に……乱世の為に生きているような、大バカ者だ。

 これから戦が始まるから、彼との……“断じて、面白いなんて事は無い”やり取りはしばらく無くなる。
 彼女は少し、それが寂しく感じた。



 †



 華琳が去って幾分か後、二人はお茶を飲みながらいろいろと話をしていた。
 殊更、武器と兵器の事を中心に。新兵器の開発はまだ出来ないが、真桜が途中で諦めた兵器が秋斗の知識によって使えるようになるかを判断したり、曹操軍全員の武器がどんなモノかを聞いたりと、多種多様な話であった。
 ちなみに、秋斗の武器は真桜にも分からない素材で出来ているようで、欠けない、錆びない、曲がらない……本当にわけが分からない長剣であった。
 そんな中、秋斗は一つの武器が工房の端に埋もれているのを見つけて、ひょいと手に取った。

「なぁ真桜、これって……」
「ん? あー、誰も使わん武器やけど、ウチが衝動的に作ってみた奴やな。色んな武器作ってみた方が想像力も湧くし。春蘭様の前の大剣と強度的には変わらへんから戦でも使えるで」

 訝しげに秋斗の剣をじっくりと眺めて秘密を暴こうとしていた彼女は、秋斗の手に取った武器を懐かしいモノを見るような瞳で見た。
 秋斗が持った武器は……戦斧。徐晃、といえばまず想像されるはずの武器であった。

――なんで俺は、徐晃なのに剣なんだろうな。

 考えても分かるわけが無い。彼を落とした腹黒幼女しか答えを知らないのだから。
 ただ、何処か懐かしいように感じて、秋斗は不思議そうに首を捻った。

「兄やんは斧も使えるん?」
「いや……使えない」
「そうなんや。ウチも見た事ある斧使いなんか華雄と関靖くらいしか知らんし、使い手おらへん武器ってのも可哀相やから武器庫に置いとこかな。誰か使うてくれるやろ」
「……っ!」

 真桜の話の途中で、秋斗の頭に鈍い痛みが走った。
 金槌で何度も殴られるようなその痛みは、彼に何かを訴えるかのよう。
 次いで、胸が痛む。ビシリ、ビシリと電流が走るかのように。身体と心が引き裂かれるかのように。


 真っ白な世界が頭を過ぎった。

 次いで、地獄のような死体の山と血の海が見えた。赤い髪が風に舞っていた。

 最後に見えた、三日月型に引き裂かれた口は誰のモノであるのか。


――なんだ……これ……?

 痛む頭と胸を押さえながら秋斗が思考を回そうとすると、もうそれらは頭に浮かばない。

「に、兄やん?」

 心配そうに見つめる真桜。秋斗は目を一つ瞑って、幾つか深呼吸をして痛みが引くまで耐えた。
 ゆっくりと、顔を上げて笑顔を作る。もう、痛みは消えていた。

「大丈夫だ。なんか偶に頭痛がするんだ。何かしら思い出す兆候かもしれないなぁ」
「そらぁええことなんやろけど……無理したらあかんで?」
「ん、ありがとよ」

 礼を一つ言って、大丈夫と示す。
 しかし、秋斗は違和感を覚えた。先ほどまでは全く、欠片も分からなかったモノが、何故か“分かる”という異常な事態に……彼は目を見開いた。

――なんで……斧での戦い方が“分かる”んだ……

 さも、今まで経験してきたかのように、彼にはその扱い方が次々と思い浮かぶ。
 剣での戦い方は前から同じようにそうであった。だが、斧での戦い方も分かるようになっているのだ。

 震えた。怖かった。恐ろしかった。
 自分が何か違うモノに変わってしまった感覚が……心を恐怖一色に染め上げる。
 この世界で目覚めた時のように、いきなりであれば怖くなかっただろう。今回は……起きている間に変化が起きた。だから彼は、ただ自分が、恐ろしかった。


 自分は誰だ……と、疑ってしまう程に


 自己の認識を自ら乖離させていく。黒麒麟の幻像が遥か遠くに見え、追い縋りたくとも追い縋れない現実がズシリと彼の頭に圧し掛かる。
 カラン……と斧が落ちて音を鳴らす。秋斗は膝を付いて蹲った。
 願う声が聴こえた。幻聴のはずだ。誰の声なのかも分からない優しくて哀しい声だった。
 責める声が聴こえた。幻聴に違いない。同じ声は昏い暗い音を吐き出していた。

「兄やん? に、兄やん! ちょ、どうしたんよ!?」

 駆け寄る彼女に答えることも出来ず、誰にも話すことなど出来ない。

 彼はいつもたった一人で……己に与えられた理不尽と向き合うしかなかった。























 †



 白の世界で少女は哀しげに眼を伏せる。

「記憶が次の戦で戻ってくれたらいいですけど……外史への取り込みが開始されたか、もしくは……」

 ポツリと零された言葉には懺悔の色が浮かぶ。
 モニターの中で蹲りながら、彼は笑みを浮かべていた。自分が誰かと、何度も心の内で自問自答を繰り返しながら。

「第一、第二の時のように取り込まれても世界が巻き戻る事はありません……が、継続されてきた時と同様、世界側は復元力(カウンター)たる人物を用意し始めています。二重雑種(ダブルブリッド)になったので、今まで一度も表舞台に出て来なかった人物が、徐庶の他にもう一人くらいは出てくるでしょう。呉に出るか、それとも蜀に出るか……それが問題です」

 カタリ、と音を立てたキーボード。画面が分断されたモニターは二つの国の主を別々に映していた。
 虎は断金と共にまだ傷の癒えぬ幼虎の会話を悩ましげに話し合い、大徳は伏竜と白馬の王と共に熱弁に華を咲かせていた。
 良き哉、と頷いた少女はカタカタとキーを弾ませて場面を回していく。
 西涼の雄と賢き悪龍、黄金の姫と無垢な幼姫……そして、覇王と道化師にまた戻る。
 はぁ、とため息をついて、何処にも動きが無い事に不足を露わに零した。

「第三適性者である徐公明に対する復元力(カウンター)は誰になりますかね。今回の事象の徐晃……いえ、黒麒麟と言ってあげましょうか。アレに吊り合うレベルのモノは……いないと思いますけど。二つの勢力の間で揺れている時点で、正史演義の徐晃を滅ぼす“孟達”の役目すら奪ってますし」

 確信めいた言葉には称賛が含まれ、滲み出る音は知性の鋭さ。
 幾回も、幾回も繰り返されたこの世界と、無限とも言える数の外史を観測して来た彼女でさえ、たった一つの可能性を信じるしか無い。ここまで掻き回された世界は読む事が出来ず。
 されども数瞬の後、ハッとして、口を引き裂いて笑った。

「出てくるなら……虎が為の豪弓か、それとも竜を継ぐモノ……ふふ、鳳統を大徳から奪った事で世界側の動きが制限されていますからね……やはり、順調です」

 少女は目を瞑り、祈るようにぎゅっと手を握った。この壊れかけた世界を繋ぎ止める願いを込めるかのように。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。


官渡の戦いが始まります。
袁家とのガチの戦、華琳様と劉表の対談には霞さんだけが居ます。

主人公は斧を振れるようになりました。
腹黒ちゃんはもう観測しか出来ないので何もしてません。

次は袁家のオリキャラ二人のお話。

ではまた 
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