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乱世の確率事象改変

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受け継がれた意地

 大きなため息が晴天の元に零れた。呆れでは無く、感嘆の吐息である。
 一部の乱れの無い統率。指示通りに、手足のように動く各小隊。まるで生き物のようなソレは、まさしく覇王の親衛隊その最精鋭。
 操るのは……軍の頂点に位置する覇王。

「二番突撃っ! 四番と五番は後退後に攪乱の為に交差せよっ! 一番、右回りに旋回後、横面包囲っ!」

 中型の鎌を振り抜き、春蘭の扱う夏候惇隊を相手に指示を出していた。
 凛、と鈴のなるような声音は、敵への威圧と共に味方への鼓舞を含み、従う者達を無双の勇者として駆り立てる。
 華琳が初めに敷いていたのは遊撃陣。どのような事態にも対処出来る、率いるモノの力が最も繁栄される陣容であった。
 最前線で戦う二人の少女――――季衣と流琉はその身体で扱うのは無理だろうと誰でも思うような武器を振るって春蘭を翻弄していた。
 街から幾分か進んだ開けた平野での実践演習。設置された物見台でその様子を見ていた秋斗は、一所も見逃すまいと、無言でただその扱いを見定め続けている。春蘭の手伝い、警備隊から本隊への異動試験、秋蘭や霞の事務仕事補佐など手広く請け負っている秋斗は、その全てで武官の技能技術の悉くを頭の中に叩き込む為の労力を惜しむ事は無い。
 対して、隣でその様子を見やる詠は、その見事さを理解していながらも、口を尖らせていた。
 演習時、二人が言葉を交わす事は全く無かった。
 秋斗はこれから将になるのだからと、曹操軍で最高水準である部隊指揮能力を盗む為に。
 詠は……華琳の狙いを知っているが故に。
 幾分か後、大きな声が上がった。親衛隊の勝利を知らせる、華琳の堂々たる勝鬨をあげよの声が。
 結果としては華琳の部隊が春蘭を抑えた。しかし春蘭もさすがか、押し込まれて崩されながらも後一歩という所まで迫ったのだが、そこを逆手に取られて……否、予想通りだと抑え込まれたのだ。
 兵達の興奮冷めやらぬ声が耳に届く中、秋斗はまた、ほうとため息を吐いてから言葉を零す。

「夏候惇隊って曹操軍の主力のはず、だよな」

 前線を駆け抜ける夏候惇隊の練度は間違いないはず。だというのに、最後の砦として構える親衛隊がそれに“押し勝った”……その意味が分からない秋斗では無い。

「前線でも戦い、貫けなければ親衛隊として足りえない、本隊を囮としてまで詰め寄られてもその精強さを以って最悪の事態を利用して戦場を好転させられる。攻撃的っていうよりも、曹操殿の気質を表してるように見えるなぁ」

 明確に頭に刻み込んで行く。柔軟な対応力や親衛隊にしては鋭い突破力が単純に凄い……とも言えるのだが少し違う。
 考えれば不思議では無かった。効率を優先し、機をみて敏なりを体現しているような華琳が、自らで勝ちをもぎ取りに行く事は十二分に有り得る。さらには、敢えて本隊を餌として戦場を操る策など常套手段。それを兵法を隅々まで理解している華琳が行わないわけが無い。
 ただ、臣下たる軍師や将からすれば、万が一の事態にさせない事こそが最善ではある為、華琳自ら出陣する事も、引き込む策もなるべく使いたくは無いのだろうが。
 やっぱり凄いなぁ、と零した秋斗とは違い、詠は未だ難しい顔をして、秋斗の言葉を耳に入れていなかった。

「……えーりん?」

 何かしら反応するかと思ったが何も言わない彼女を不思議に感じて尋ねた。
 記憶を失い立ての頃とは違ってここ最近なら「えーりん言うなっ」と頭を叩かれるのだが、それすら無くて訝しげに眉根を寄せた秋斗は彼女に目を向ける。

「……足りない」

 零れた言葉と共に、悲哀に喘ぐように詠の瞳は細められる。

「足りないって何が?」

 詠ははっと息を呑み秋斗の方を見やった。後に、ふるふると首を振る。

「このまま練兵を積み上げても、華琳が目指してる水準には足りないのよ」

 絶句。
 秋斗は詠の言葉に耳を疑った。
 今の秋斗としては、曹操軍の親衛隊は完成されていると見えていたのだ。だというのに、このままさらに伸ばしても目指すモノに足りないと言う。一体目指しているモノは如何様なモノなのか、と。

「……曹操殿は一体どんな化け物部隊を目指してんだよ。まさか……徐晃隊か?」

 ポロリと零された一言に、詠は俯いてしまう。そんな言葉は秋斗の口から聞きたくなかった。

――もし、あんたに従ってたバカ達を華琳が扱えてたら……多分、さっきの演習を七割の時間で終わらせられたわ。

 そんな事を言えるはずも無く、はあ、と盛大にため息を漏らした。
 華琳が目指しているモノは徐晃隊最精鋭をより自分色に染めた上で顕現させること。即ち自身の親衛隊を失われた徐晃隊と同じ化け物部隊にするつもりなのだ。
 しかし、確かに徐晃隊が使っていた戦術を取り入れてきた事は分かるのだが、それでも足りない、と詠は感じていた。

 練度は、さすがは華琳を守る親衛隊。徐晃隊の最精鋭に勝るとも劣らなかった。
 連携にしても、これだけの短期間でより近しいモノをカタチに出来ているのは華琳が直接練兵を行ったからこそであろう。
 親衛隊で戦う二人の少女も、周倉と同レベルの指揮には届かないまでも副官として兵を操り、武力では彼の副長では及び得ない圧倒的なモノを誇って戦況を押し込めていた。
 士気に於いては華琳自ら率いて一番精強な春蘭の部隊を相手取っているのだ。戦場かと見間違うほどであり、本当の戦となればもっと高まるのは分かりきっている。
 親衛隊は最後の砦。ならば死を厭わぬのも言うに及ばず。

 それでも……詠はこのままでは徐晃隊に及ばない、と確信していた。
 何かが足りないのだ。
 喉の先まで出かかっているのが酷くもどかしい。今の演習で感じ取れた何かを知っているはずなのに、詠には咄嗟に出て来なかった。
 華琳自らもそれを感じているから、詠を呼んでまでわざわざ実践演習というカタチを取ったのだ。
 現在、徐晃隊の最精鋭を戦場で扱った事があるのは雛里と詠だけ。ソレとの相違点の指摘をこそ、華琳は求めている。雛里が此処に居ない為に。

――思い出せ。ボクはあのバカ達を扱った。たった数十人だとしても、副長と一緒の馬に乗って戦場で一体化した。だから、何が足りないか分かるはず。

 思考に潜って思い出しながら、考え込んでいる秋斗をじっと見据えた。噎せ返るような戦場で、彼が何を作り上げたのか読み解く為に。
 それでもやはり、分からなかった。

「しっかし……一つだけ気に食わんなぁ」

 突如、苛立たしげに秋斗が言い放った。呆れているとも取れる表情で。
 何事かと首を傾げると、チラと詠を一寸だけ見て、彼は小さく鼻を鳴らした。

「あの二人のことだよ」

 すっと差された指の先、華琳に褒められて喜んでいる二人の少女が詠の目に入る。

「……なんで? 華琳もあの子達の使い方は分かってるみたいだし、連携も問題なかったじゃない」

 また向き直って素直に疑問を零すと……秋斗は眉間に皺を寄せた。

「違う。あの二人は良かった。戦に出たことない俺でも分かる程に申し分ないと思ったさ」
「はあ? それじゃあんたは何が気に食わないって言うのよ」

 二人が気に食わない、でも申し分ない、と言うちぐはぐな意見であったために訳が分からず、不機嫌をそのまま秋斗に言うと、

「そうさな、俺が気に食わないのは――――」

 つらつらと説明を始めた。
 聞くうちに、大きく息を吸った。疑問が解けた。足りないモノが何かを、明確に理解出来た。次第に、口が緩んで行くのが分かる。

「それよっ! 足りなかったのはそれっ! そりゃボク達じゃ気付かないはずだわ」

 いきなり弾けた嬉しそうな声に、今度は秋斗が首を傾げる事になった。
 意地悪い笑みを浮かべて、ふふん、と鼻を鳴らした詠は秋斗の袖をグイと引っ張った。

「早く華琳の所に行くわよ! あんたにしか出来ない事が出来たんだから!」
「うえぇ? 俺? なんで? 何が?」
「いいから!」

 広がる晴天と同じく晴れ渡った思考を経て、上機嫌で進んで行く詠は、自分が普段しないような大胆な行動をしている事に気付くはずも無く……また、そんな事を気にもしない秋斗は、腕を引かれながら尚も首を傾げるだけであった。



 †



 春蘭を労い、両方の部隊を纏めさせるように言って、華琳は季衣と流琉の二人を褒めた後に一人思考に潜っていた。
 確かに親衛隊は華琳が直接練兵をした事によって、士気も、覚悟も、想いも、全てが研ぎ澄まされた。新しく取り入れさせた戦術も、仕事に励んでいる間に小隊長達がカタチとして出来るようにはしていた。
 それでも……足りないのだ。それも何が、とははっきりと分からない何かが。
 苛立ちが込み上げる。まるで黒麒麟に負けているような、そんな気分にさせられる。
 確かに毎日のように練兵をしなければ、秋斗のような狂信は得られないだろう。元より華琳とはやり方が違うのだから当然と言えば当然。されども、自分ならば今すぐには無理でもあの見事な部隊の完成系を作り出せる……と、華琳は自負していたのだ。
 何故、とそればかりが浮かび、心に沸き立つのは悔しさ。
 雛里は出来ると言っていた。しかし、例えこのまま毎日練兵をしようとも辿り着けないと華琳は感じていた。
 きっと雛里が気付いていなかった事があるのだ。考えても答えは出なかった。分からない事が、ただもどかしい。
 ふいに、華琳の耳に後ろから駆けてくる二つの足音が入った。軽快なモノとどうにか着いて行っているようなモノ。
 振り向くと見えたのは……何やら思考に潜っているらしい秋斗と、明るい表情ながらも不敵に見える詠。照れ屋でツンケンしてばかりの詠が秋斗の手を引いているとは……よほど嬉しい事があったのだろう、そう考えて、華琳はクスリと小さく笑った。

――もしかして詠は分かったのかしら。

 自らで解けなかったというのは些か心にささくれを齎したが、それでも答えが見つかったなら上出来である。戦が差し迫っている以上、こればかりに頭を悩ませる事も出来ず、追加で練兵に時間を割く訳にはいかなかったのだから。

「兄ちゃん! ボク達の戦いどうだった!?」
「おお、凄かった。許緒と典韋が率いてた場所は特に。夏候惇隊も手古摺ってたみたいだ。戦場での二人の連携も見事だったし、あの元譲に慌てた顔をさせれるってのは霞でもあんまりないだろうよ」
「へっへ~ん。でしょでしょ? ボク達二人なら春蘭様だってやっつけちゃうんだから!」
「ははっ、その意気だ。このまま行けば二人とも、いつか元譲や妙才を追い越しちまうんじゃないかな」

 近付いて立ち止まった秋斗に対して、親しげに声を上げて先程の演習の感想を尋ねる季衣には満面の笑み。嘗ての様な敵意は全く無い。
 今朝、記憶を失ってから初めて出会ったにも関わらず、季衣は秋斗の事を兄と呼び始めている。さすがに真名を預けるまでは言っていないが、敵視している鈴々への対抗心である事は予想に容易い。
 答える秋斗も何処か本当の妹と話しているように穏やかだった。

「……ありがとう、ございま、す」

 消え入るような声。
 流琉は恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め、もじもじといじらしく指を合わせて身を捩っていた。
 上がり過ぎた名声と、尊敬している秋蘭が彼を高く評価している事から、流琉は凪までとは行かないまでも秋斗に少しばかりの憧れを抱いている。まあ、店長に幾多の料理を教えた事も理由の一つではあった。
 余談ではあるが、秋斗は始め、二人の事を“ちゃん付け”で呼ぼうとしたのだが、背筋がむずむずすると拒否されてがっくり落ち込んでいた。

――流琉はマセているから、このままでは拙いわね。

 憧れは恋愛に発展しやすい。それが幼い少女であればあるほどに。
 風が言っているように秋斗が幼女趣味の危険性は――雛里を見た以上は完全に否定できないにしても――誰彼であろうと手を出すようなモノでは無いと雛里から説明されている為にあまり心配はしていない。
 しかしながら、流琉からではどうか。
 奥手で恥ずかしがり屋な流琉が秋斗に惚れれば、朔夜や月、詠のように哀しい想いを増やす事になる。雛里の悲恋は曹操軍の重鎮たちの間でも話題になっているのだ。
 年齢的にも、時期的にも、まだそういうモノは早すぎる。葛藤を繰り返して情操が育まれていくのは華琳とて分かっているが、それでも、幼い流琉が片足を突っ込むには絶望が深すぎて、まだ時期尚早と言えた。
 ふと、先ほどまで乱世の為に出来る事を考えていたはずなのに、また他人の恋愛沙汰を考えて……と華琳は自分の思考に呆れが湧くも、考えてしまったモノはしょうがないと切って捨てた。
 後に、子供の頭は撫でておくモノだ、と言うかのように手を伸ばしかけた秋斗を、牽制の為にジロリと藪睨み……する前に、

「誰かれ構わず頭を撫でようとするな、バカッ! するなら街の子供だけにしなさい!」
「いてっ!」

 詠がその腕を叩き落とした。余りに自然なやり取り。姉が弟に叱るような。
 まったくもう、と腰に手を当ててジト目で秋斗を睨む詠。秋斗は居辛そうに、またやっちまったか、と言うように頭をポリポリと掻いていた。
 そんな二人がおかしくて、季衣と流琉はクスクスと愛らしい笑みを零す。秋斗は苦笑を一つしてから、楽しげに笑う二人に謝った。

「……子供扱いしちまってすまんな、二人とも」
「ふふーん、そうだよ兄ちゃん。えーりんは分かってくれてるのにさ。ボク達もう子供じゃないもんねー」
「もう、季衣ったらすぐ調子に乗って――」

 そのまま他愛ない会話が流れて行く。穏やかな空間は居心地がいい。
 また思考がソレに向けられそうになっている事に気付き、華琳は微笑みを浮かべながらも心を切り替えた。

「さて……詠、話して貰えるかしら。親衛隊の改善点、見つけたんでしょう?」

 さらりと流れた華琳の声に、三人のやり取りを微笑ましげに見ていた詠は知性の灯った眼差しを向けた。
 自分達の部隊の事である為に、季衣と流琉の二人も直ぐそちらを向いた。秋斗も疑問がようやく解けそうだ、と興味深々の様子。

「ええ。華琳でも、雛里でも気付けないモノがあった。気付けるわけなかったのよ。ボクだってこいつの言葉で初めて気付いたんだもん」
「徐晃の言葉?」

 黒麒麟ならまだしも、戦場に立った事の無い秋斗から何故……と華琳は思考に潜り始めた。
 それを見て、詠は悪戯が思い浮かんだ子供のような目を向ける。

「前に言ってたわよね? 悔しさは最高の餌だって。それが答えよ。ほんの些細な……それでも兵にとっては大切な、ボク達では辿り着けない答え。多分、華琳は華琳だからこそ、余計に分からなかったのよ」

 以前、悔しさが餌とは確かに言ったが、既に檄や叱咤を飛ばしたりとソレを擽るように練兵だってしている。だから、華琳にとっては謎かけだらけの答えだった。
 より一層、じくじくと苛立ちが湧きあがる。

――分からない。全く分からない。何が足りない? 私の部下でも最初期、それも発足から所属してる兵もいる。この私が作る世界の為に命を賭けてくれる兵士達だ。徐晃隊の失われた最精鋭となんら変わらない。否、それよりも強固な練度であるのも間違いない。誇り高さも、全てが上だと胸を張って言える。なのに……この違和感はなんだ。扱えば扱う程に、現存する徐晃隊にすら足り得ないと思えてくる……この物足りなさはなんなのだ。

 詠の言葉を聞いて再び思考に潜っても思い浮かばなかった。
 ギリと歯を噛みしめた華琳に満足したのか、詠は薄く笑った。

「華琳、あんたの親衛隊と徐晃隊の違いはね、あんたが切り捨てたモノの差よ。それを向けられて屈辱と取るか、それとも当然と取るか、はたまた鼻で笑って受け流すかは華琳次第」
「……言葉遊びは止めて率直に言いなさい、詠」

 目を細めて言った。詠はその威圧的な瞳に気圧される事無く、ほんの少し哀しげに声を落とす。

「言えないわ。あのバカ達と同じモノを作りたいなら、あんたにだけは、はっきりきっぱりと言っちゃダメだって気付いちゃったもん。ただね、一つだけ教えられる。この大陸、いえ、歴史上に於いて黒麒麟と秋斗にしか出来ない事があるのよ」

 わざわざ命令を下したというのに、素直に従わない詠に対して詰め寄りそうになるも、瞬時に抑え込んで華琳は思考を回す。

――黒麒麟と徐晃にしか出来ない事? しかも歴史上、ですって? 黒麒麟にあって私に無いモノがあるというの? 性別の違いと歪な知識以外は私の方が……っ……

 やっと理解した。
 詠が何を言わんとしているのか。華琳達のようなこの世界の有力者では絶対に気付けず、自分の部隊が徐晃隊に足りえない理由。それはたった一つの想いが足りないが故なのだ、と。
 そして……華琳が自らそれを肯定してはいけない。

 屈辱……間違いなく感じる。
 当然……それを感じてしまえば華琳は覇王では無くなる。
 鼻で笑って受け流す……出来るはずも無い。それは最も尊ぶべき、人として生まれた時点で向けられてしかるべきモノ。
 華琳では絶対に手に入らないモノを、秋斗だけは持っていたのだ。なればこそあれだけの狂信を齎せた。

「……そういうことか」

 あらゆる感情が華琳の心を埋め尽くした。
 特に不快な感情が大きく湧く。普通なら許容出来ない。絶対に認めたくない。されども、最効率の戦場を展開できる化け物部隊を作り出す為には認めるしかない。
 その想いを向けられれば、華琳は抗わざるを得ないだろう。先導する者であるが故に、彼女はその想いを“明確なカタチとして向けられる”わけにはいかないのだ。

――だから……部隊には心の内に持たせるしかない。私も、季衣も、流琉も……部隊の想いを聞いてはいけない。私達自身が胸の内に持つ、誇りの為に。

「華琳様ぁ。兄ちゃんにしか出来ない事ってなんですか?」

 素直に尋ねてくる季衣に、華琳は微笑みを向けた。

「ふふ、そうね……言うなれば、あなた達が里帰りして確かめてきたモノに近いわ」

 首を傾げて並ぶ季衣と流琉の頭を優しく撫でた。近しいモノだけを言われてはさすがに分からないようで、尚も首を傾げるだけであった。
 秋斗も分かっていないのか、教えて欲しそうに詠に目を向けていた。だが、教えるつもりは無いとそっぽを向かれている。

「詠と徐晃に後の事は任せましょう。親衛隊を私の望む水準まで引き上げる基礎を作っておきなさい。春蘭の部隊は先に引き上げさせるわ」
「えっ? 俺に出来ることってなんだ? 親衛隊の練兵なんかさすがに出来ないぞ?」
「か、華琳様? 親衛隊の練兵なら私と季衣が……」

 秋斗が疑問を口から出すと、流琉も同意だというように繋いでいく。
 ふ……と微笑んだ華琳は詠に一つ目くばせをして、コクリと頷いたのを見てから背を向けて歩き出した。

「いいのよ。練兵をするわけじゃないの。それより流琉、街に戻ったら何処かの店でお茶の時間にしましょう。少し疲れたから甘いモノが食べたいわ。季衣もいらっしゃい」
「やったー! おっかし♪ おっかし♪」
「おい……曹操殿――――」
「ああもう! まだ分かんないの!? 教えてあげるからこっちに来なさい!」

 詠の呆れた怒鳴り声を聞きながら、華琳は流琉達を連れて歩く。なんとも言えないもやもやとした感情を胸に渦巻かせながら、誰にも言う事の無い思考を回していた。

――私の親衛隊には無くて徐晃隊にあったのは、徐晃を知ってしまったが故に湧きだした……身を震わせるような原初の悔しさ。見てくれでは守られる側に見える事の不甲斐無さを、どれだけ抗おうとも覆しようが無かった現実を……男にして異質な武力を持つ徐晃が取り払ってしまった。
 徐晃隊が持っていたのは、“徐晃のように女を守りたい”という想い。
 決して女を見下しているのではない。契りを交わした妻を守る夫のように、愛の結晶の子供達を守る父のように……自分達こそが守る側であると示したいだけ。守りたいモノに守られるなんて真っ平御免だという意地。
 つまり、歴史を辿って行く上で積み上げられて来た先入観に喧嘩を売っていたわけだ、あの徐晃隊という狂信者達は。

 端的に喧嘩と表現して、なるほど、と自分で納得する。
 これ以上無くしっくり来た表現であった。可愛くも聞こえる子供っぽい響きはおあつらえ向きと言えた。何故なら……黒麒麟が作り出した身体達の死に顔は、それほど純粋なモノだった。
 徐晃隊の始まりは『女を守りたい』という単純にして明快で、バカらしくも圧倒的な心力。華琳の親衛隊は、皮肉な事に華琳自身が少女である事を周りに“認めさせない”為に絶対にソレを持つ事が出来なかった。
 黄巾の乱、というモノが如何にして起こったかを思い返せば、ソレがどれほどの結束や絆、想いを波状効果と相乗効果によって強くさせるか、判断出来ない華琳では無かった。

「ふふ、ホントにバカね。男というのは」

 貶しながらも棘は無く、楽しさを含んでいた声に自分でも驚いた。
 よもや覇王が“男に守られたい”などと、少女のような想いを宿しているのではあるまいな……そうして頭に響かせた言葉で自分の想いを再確認し直した。
 だから彼女は今から秋斗と詠がする事を黙認する。兵達個人個人が胸の内に秘めるならばその想いを尊重するだけだ、と苦渋の選択……否、意地を張った最終線として呑んだ。
 華琳は……女である事を理由にして、私を守れなどと、天と地が引っくり返っても命じれるわけが無い。
 これから秋斗は導くだろう。
 結局は守られる側である兵士達の自尊心を叩き潰し、その上で導きの指標を打ち立てるだろう。華琳にとっては最も不快で、最も不愉快な指標を。
 それでも、華琳は是とした。
 有力な兵士は欲しい。特に親衛隊であればあるほど。
 不快だから、嫌いだから、苦手だから、嫌だからと避ける事はせず、有効であれば取り入れる。
 黒麒麟の身体を上回る部隊を作り上げて自身の方が上だと示す為、なんて意地を張った理由も、少しばかりはあった。それに、守られるなどとは、彼女は露とも思っていない。守る側は自分だと、最頂点に位置するが故に理解している。
 ふいに、彼女の耳にはからからと笑う声が聴こえた気がした。秋斗に……否、黒麒麟に笑われている気がした。
 親衛隊に介入させるのは自分の意思で命じたとしても……黒麒麟に、守ってやる、と言われているようで不愉快極まりなかった。
 春蘭達に言われるならまだしも、今の秋斗であってもそう言ってくる姿を思い浮かべると、何故か苛立ちが臨界点に達した。

「守られてなんて……あげるもんですか」

 楽しげに前を歩く二人には聞こえなかったのが幸いか。
 つい口を突いて出た囁きは、苛立ちを大いに含んでいるはずなのに、哀しみを溶かしたような響きであった。




 †




 覇王を守護する兵達は、その誉れ高き使命から己を磨き上げる事に全てを賭けている。愛する家族もいる、共に酒を酌み交わす友もいる、それでも、彼らの心にあるのは覇王の為。
 初めて少女が向かった戦を経験している者は部隊長や小隊長を任され、己が主が辿ってきた勇姿を追随する兵達に語り継ぎ、今の今まで想いを紡いで来た。
 黄巾後には、二人の少女の力量を認め、自分では無く彼女達が親衛隊長になることにも不満は無かった。全ては覇王の御心のままに、と。
 これらの事態を鑑みても、覇王が率いる親衛隊は嘗ての黒麒麟の身体と余りに似すぎている。これだけの短期間で技術を盗めるのも、練度の面からも精神的な面から見ても、なるほど、と納得が行くだろう。
 違いはただ一点……無意識の内に自身の現状に対してある種の諦観を持っている事。それだけであった。

 彼らは一つの追加指示を受けてその場に残されていた。
 主の武の片腕と言われている春蘭と先程まで子供のような言い合いをしていた男に話を聞け、というのが今回の指示。
 傍らには眼鏡を掛けた可愛らしい侍女。普段ならその男の隣にいるはずの、白銀の髪の侍女では無かった。何やら男と話し合いをしていたが、

「あんたっ……バッカじゃないの!?」
「でもやり方としてはありだろ?」
「……っ……人の気も知らないで……っ……バカぁっ!」
「ぐはぁっ!」

 口喧嘩になり、最後には太腿に蹴りを喰らわせて、彼女は走って去って行った。彼は涙目で自身の左脚を摩っている。
 こんな様ではあるが、その男――徐公明がどれほどの存在であるかを彼らは知っている。
 曹操軍の中でも憧れる者は少なくない。羨望と嫉妬を向けるモノも多々いる。それ即ち、黒き大徳、徐公明を認めている事に他ならない。

 全員の目が集まっていた。幾千もの力強い視線であったが、秋斗は臆すること無く、むしろ楽しそうにソレを受けていた。
 記憶を失っていても何処か懐かしく感じるその場の張りつめた空気に、思い出の切片があるやもしれないと、歓喜から口も緩んでいた。
 精強な曹操親衛隊は、主とは全く違うその飄々とした空気に僅かに困惑を漂わせていた。されども、規律に重きを置く彼らは乱れたりしない。

「あーっと、一応、知ってる奴とかいると思うけど、俺は徐晃、徐公明だ」

 なんとも間の抜けた声が辺りに広がった。
 どのような事を言うのかと緊張していた兵の何割かは、それによってほんの少しだけ気が緩まった。隊列が乱れ無くとも、表情から険が少しばかり取れる。

「ま、そんな固くなりなさんな。これから男同士の話をしようってんだから、あぐらとかかいてかまわん、座って楽にしたらいい」

 そう言われて、はいそうですかと座る者など、親衛隊には一人もいない。
 呆れたようにため息を一つ零してから、しんと静まり返っているその場に彼は言葉を紡いでいく。

「……もうそのままでいいや。さて……じゃあ……あんただ! 家族はいるか?」

 すっと一人の兵を指差して、彼は日常会話の如く緩い空気で笑いかけた。
 いきなりの指名にビクリと跳ねた一人の兵は、どう答えたらいいものかと一寸悩むも、ええいままよとそのまま答えた。

「自分には妻と子が居ります!」

 軍人らしいハキハキとした返事。調練の賜物であろう。居並ぶ兵の全員に聞こえるほどの大声であった。
 うんうん、と頷いた秋斗は、優しい笑みを浮かべて言葉を続けた。

「へぇ、お子さんは今どれくらいなんだ?」
「五歳になったばかりであります!」
「そりゃあもう可愛いんだろうな。娘か? 息子か?」
「息子です!」
「そりゃいい。自分の背中を見せて育てるってのはどんな気分だ? 俺はまだ子供がいないから分からんくてな」

 兵士は言葉に詰まった。
 単純な質問なら答えられたであろうが、それは即座に答えられる質問ではなかった。数瞬、悩んだ後に、兵士は力強い目で答えを紡いだ。

「父は覇王を守る誇り高き親衛隊であるのだと、忠義を胸に乱世を駆けていたのだと、それを誇りに持って平穏な世を生きて欲しいと、そう願う限りです!」

 しん……と、静寂が訪れた。
 秋斗は黙った。じっとその兵士を見つめた。自分と年の程がそう変わらないその兵士を、微笑みを張り付けて見据えていた。
 秋斗の様子を見れない兵士の誰もが、その兵士の答えに感動を覚えていた。自分も息子が出来たらそう願うだろう、娘であってもそう願うだろう、例え、戦場で死ぬ事があろうとも、と。
 問いかけを受けていた兵士と、秋斗を目にしている兵士達は困惑する。なにゆえ、彼は固まったのだ。間違った事は何も言っていない。そも、子を持ったならどんな兵士でも同じであろう……渦巻くのはそんな思考。
 ただ、兵士の発言は、秋斗の虎の尾を踏み抜いていた。

――やっぱり、気付いてないんだな。

 秋斗にとっては予測通りの発言であったが、直接確認すると抑えるはずの怒りが湧き上がった。

「……じゃあ、聞くが。なんでお前は守られてるんだ?」
「……え?」

 間の抜けた声で聞き返す兵士。秋斗はただ、微笑んでいた。ぞっとするような、昏い瞳で。
 兵士は背筋にぞくりと寒気が駆け抜ける。放たれた問いかけは意味が分からず、微笑みは冷たい。思考が上手く回るはずも無い。
 答えないなら興味は無いというように秋斗は離れて行った。全員を見渡せる物見台に昇り、ぐるりと一巡、微笑んだままで見回した。

「その様で誇りを語るのか、お前らは」

 は……と、バカにしたような、否、心底バカにした吐息を漏らした。
 遅れて、軋む音がした。親衛隊達の居並ぶ列から、弓の弦が一斉に引かれたように鳴った。兵達が拳を握りしめる音であった。
 聞こえていながらも、秋斗は気にしない。兵士達から怒気が溢れ出そうとそんなモノは予測済み。

「気付いてないのか? バカらしい。その様で曹操軍の最精鋭だと? 笑わせるな」

 場の怒りは徐々に、徐々に膨れ上がっていく。彼らの誇りを、今まさに秋斗は穢しているのだ。誇り持て……と、想いを高めてきた彼らにとって、一番怒りが湧くモノだった。
 ただ、やはり軍規を乱すことはしない。どれだけ屈辱的でも、侮辱されても、彼らが覇王の言いつけを乱す事は無いのだ。

「怒るなよ。お前らは今日の戦いで疑問を持たないのか? なんでわざわざお前らよりも年下の、ましてや自分の子供と遊んでいてもおかしくないような許緒と典韋が夏候惇を抑えに行ったんだ?」

 質問を投げかけられれば考えざるを得ない。
 最精鋭の親衛隊に入れるほどであれば協調性があるのは当然。覇王が認める黒麒麟が、意味の無い事をするはずがあるか、と感じていたのも一つ。
 巡る。頭の中で質問を反芻する。誰もが、誰しもがそれについて考えて行く。
 覇王の規律を理解し、徐晃隊の連携連撃を覚えられるほどだ。彼らは頭もそう悪くは無い。それならば、彼の言を考える事は出来る。
 それでも、秋斗の真意を理解出来るモノは少ない。それも計算の内だというように、秋斗は感情を抑え付けながら意地の悪い笑みを浮かべた。

「お前らは覇王を守ってる気かもしれないが、その実、覇王に守られてるのさ。夏候惇と相対するには被害が増えるから、兵よりも優れている女の将を宛がって被害を減らそう……クク、なんでお前らで止められなかったんだよ」
「それはっ……」

 堪らず、一人の兵士が口を開いた。しかし秋斗に睨まれて止まる。
 なんたる傲慢か……と兵士達は感じていた。徐公明は自分の力に酔っているのだ、お前と同じような事が出来るわけが無いだろう、と。

「俺が強いからこんな事言えると思ってるのか? バカ言え。じゃあ俺の部隊はどうだったんだよ。思い出してみろ。見て来たんだろ? 徐州で」

 兵士達の心の内を読んだかのように秋斗は兵士に問いかけた。
 瞬時に、兵士達の顔は恐怖に堕ちて行く。例え小さな戦場であろうとも死地として、自らの命を燃やして戦っていた部隊を思い出したのだ。

 彼の者達を操る鳳凰が救援の為に将を呼んだか……否
 将の突貫に対して一人でも怯えを見せて腰を退いたか……否
 突撃と言われて撤退と言われるまで一人でも下がったか……断じて、否

 そうだ、この男はあの化け物部隊を指揮していたのだ、と漸く理解した。
 秋斗はこれを思考誘導の楔としただけである。黒麒麟の影は大きく、徐晃隊は異質。だからそれを使って今の自分を黒麒麟と認識させる為に仕掛けた。
 道化師が演じるのは自分自身。想いは聞いた。在り方も聞いた。道筋も聞いた。されども、黒麒麟の真似事しか出来ないだろう。

 だが、演じると決めていた。
 それは……詠が帰ってきた事によって、彼女が一番仲の良かった、彼の片腕の話を聞けたからだった。
 秋斗は血を吐くような努力をしていないという負い目を持っている。さらには胸の内にある想いの強さから、記憶と経験が無い為に、自分もそんな男になりたい……という憧れさえ抱いてしまった。ありえないベクトルへと想いは伝搬したのだ。秋斗が憧れた、などと聞けば、副長はどう思うのか。

 ズキリ、と彼の胸が痛んだ。同時に、胸の内に憤怒の炎が湧いた。涙が零れそうになった。叫びだしそうになった。
 分からない。分からないのだ。記憶が無い故に、その男がどれほど誰かを守る為に血反吐を吐いてきたか、一つたりとて理解してやれない。
 徐晃隊が、黒麒麟の身体とまで言わしめた部隊が、どれだけの想いを宿していたか、欠片も思い出せないのが……悔しくて仕方ない。

――命を賭けて強くなっていったそいつらの事を……俺はどうして思い出せないんだっ!

 狂いそうな程の悔しさが心を燃やし尽くす。彼らへの懺悔が心を切り裂く。願ってやまない羨望が脳髄まで焦がし切る。
 抑えようも無い。抑えられるはずが無い。そのまま感情の濁流は秋斗を怒りの渦に呑み込んだ。
 矛先は自分自身。そして……その男達の努力を知らない兵士達。覇王であれど悪戯好きな一面を見せ、今の秋斗を切り捨てる事で背中を押してくれた優しい女の子と純粋無垢な少女二人……優しい女達に守られている事に気付いていない彼らであった。
 激情を胸の内に押し込めて目を細めた秋斗は、自分も聞いた、一人の男の話を語り始めた。

「ある男が居た。義勇軍から黒麒麟に付き従い、毎日、毎日、自分よりも格上の相手に挑んだ大バカ者が居た。血反吐を吐く訓練が終わった後で、敵わないと知っていながらも挑み続けた男が居たんだ」

 今の秋斗がするべき話では無いかもしれない。それでも語らずにはいられない。

「慣れない事務仕事も覚え、戦術を学び、兵法を学び、寝る間も惜しまず、毎日毎日、サボる事無く、飽きる事無く、何かを目指すようにひた走っていた」

 ゴクリ、と喉を鳴らしたのは誰であったか。兵達の眼差しは全て秋斗に向いていた。それだけ彼らは化け物部隊を知っているが故に、それを率いた秋斗の話は興味を引いた。
 幾人かの兵士達は驚愕に支配されていた。黄巾時代、追随していた義勇軍で徐晃隊とだけは話をしていた事があった。合同訓練もしたことがある。だから毎日黒麒麟に一騎打ちを仕掛けていた男を知っている。そして……黒麒麟を兵士何人で抑えられるか、そのような練兵をしていたことも、知っていたのだ。

「目指していた先は黒麒麟だ。その男はな……黒麒麟になって守りたかったんだよ。共に戦う仲間を、美しい将と軍師達を、次の時代に生きる子供達を……乱世を駆けると決めた男として、守る側に立ってたんだっ……自分こそが守る側だと、命と意地を燃やして示してたんだよっ! お前らに男の意地は無いのかよっ!」

 気付けば声を張り上げていた。その男の鮮烈な生き様と最期は、記憶に無くとも心を奮わせる。
 胸の熱さが伝えている。悔しい、羨ましい、同じ男であるのに何故こうまで違うのだ、と。
 秋斗は、もう知ってしまったのだ。雛里に守られている事を、新しい絆達が優しく包み込んでくれている事を。
 彼は無様で滑稽な道化師だ。たった一人の少女を笑顔にすら出来ない、彼女の心を守れない、そして彼女達に何も返してやれない……その悔しさが今の秋斗の心を燃やし尽くしている。
 彼女が笑ってくれたら秋斗は救われるのだ。しかしそれは『今の秋斗』では出来ない。傷つける事しか出来ない。だから羨ましい。黒麒麟が、黒麒麟の右腕が、黒麒麟の身体が……狂おしい程に羨ましかった。
 どれだけ願った事か。幾度の夜を越えて願い続けてきた。自分で助けたい、守りたい、救いたいという渇望を、どれだけ抑え付けてきたか。

 なのに何故、目の前の男達は守られる事に満足している? 何故、守る事を義務として受け止め安穏としている?
 違うだろう! 決して! 誰かを守りたい男なら、そこに満足という諦めを持ってはならないではないか!

 叫び出したいほどの情熱は、秋斗を熱く、熱く滾らせる。胸の内からマグマのような熱さが溢れてくるのが分かる。
 だから、秋斗の言葉には想いが乗っていた。記憶が無くとも、心を捻じ切りそうな悔しさと羨望があるが故に、彼の言葉は重く、熱い。

「なぁ、お前ら? そんな無様な姿で満足か?」

 兵士達にはもう、怒りはなかった。
 彼の頬には涙が伝っていた。声は震えていた。悔しさに震える男泣きの涙は、兵達の心に小さな波紋を広げ始める。

「お前らは女に背中を見せて貰う側なのか? お前らは、その背中を追い掛けようとしてるのかよ?」

 親衛隊の誰もが、二人の少女の背中を見てきた。秋斗の言葉は兵士の一人一人の心、奥深くに突き刺さる糾弾の刃。
 自分達はどうだ? 少女達のようになりたかったのか? 夏候惇隊は、張遼隊は違う。覇王の剣となりて御身を守る彼女達と“肩を並べる”為に背中を追い掛けている。なればこそ、彼女達の為の部隊なのだ。
 兵士達は眉根に苦悶を刻んでいた。自分達はいつも小さな背中を見て来たが故に。覇王を真に守っているのは……右腕や神速、その部隊こそ相応しいのだと気付いてしまった。

「違うだろう? なら、あの子達と肩を並べたいのか?」

 違う……そんな事、出来るか。大の男が少女と肩を並べてどうする。
 心の内で、反発の言葉が湧いて出た。兵士一人が、秋斗に先程問いかけられていた者が、ギリ、と歯を噛みしめた。

「……否」

 規律を守れ、そう言われていた兵士が、目の前の男を射殺さんばかりに睨みつけて言葉を零した。
 聞こえていようとも、秋斗は目を細めただけで続きを紡いでいく。

「その様で、先を生きる子供に胸を張って言えるのか? 我らは覇王を守る親衛隊なのだ、と」

 思考は巡る。
 もし、子供達が自分達の戦う姿を見ていたなら……子供に守られる自分はどう映るのか。

「……否っ」

 先ほどよりも大きな声が上がった。
 幾人も、幾人も、そうでは無いと心を燃やす。

「覇王に期待されないままで、戦場での仕事を子供に奪われたままで、お前らは満足なのか?」

 そうだ。覇王が自分達に将の相手を命じないと言う事は、期待さえされていないという事だ。
 秋斗の問いは、彼らが拠って立つ地盤を揺るがした。使えると期待されているからこその親衛隊のはずなのに、期待さえ向けられないのでは……彼らの存在理由が無くなる。それでは覇王に守られているだけなのだ。

『否っ!』

 轟、と悔しさに塗れる怒りの声が上がった。もはや全ての兵が、秋斗に燃える眼差しを向けていた。

「そう、断じて否! お前らは守る側だろうが! 女子供に守られるのは誇り高い親衛隊では無い!」
『応っ!』

 一部の乱れも無い返答が叩きつけられる。
 秋斗が言葉に乗せて送った熱は、彼らの心を燃やした。

「他者に願うな己で守り抜け! お前らが持つ意思の剣は覇王を守り、その行く道を切り拓く為にある! 誇れ、今よりお前らは真の覇王親衛隊となれるのだ! 男の意地を世界に打ち立てよ! 想いの証を心に刻み込め!」

 震える。手が、脚が、胸が、心が……。彼らは道を示された。自身の奥底に封じられていた、子供の頃に持っていたはずの想いを肯定された。

 そうだ、そうなのだ。自分達は守られる側であってはならない。生んでくれた母を守るように、愛する妻を守るように、愛しい我が子を守るように、覇王と、彼女が愛する少女達を守るのが、我らの使命であるのだ、と。
 既に先駆者はいる。結果として、同じように守れるのだと示されている。
 彼らはなんと言っていたか……同じモノが我らの掲げる証か?
 否、彼らの想いは彼らだけのモノ。我らだけの想いを世界に打ち立てよう。我らは覇王親衛隊。可憐な華々を輝かせる日輪の光を守り抜く事こそ、我らが生き様。

「華々に……光あれ……」

 ぽつりと、一人の兵士が呟いた。
 己が死せども、日輪は生きるのだから、そう願えばいい、と。俺達が守るから輝いていればいい……輝いて想いと命の華を照らして欲しい、と。そして美しく澄みきった華の名を持つ覇王にも、栄光と安らぎの光があらんことを、と。
 秋斗は笑っていた。想いが咲き誇る瞬間に立ち会える事が嬉しかった。

――華々に光あれ

 ぽつぽつと声が広がっていく。一人一人が想いを証として胸の内に刻んで行く。
 声が纏まり、願いが収束されていく。彼らの想いが一つとなっていく。

『華々に光あれっ!』

 たった一つの大きな願いとなりて、彼へと、否、世界に打ち立てられた。
 秋斗は子供のように笑う。黒麒麟が証を打ち立てた時にどんな心境であったのか、少し分かった気がした。

「さあ……乱世に華を、咲かせよう。お前らはお前らの、俺は俺の、自分達の意思と意地で……大切なもんを守り抜いてやろうぜ」























 蛇足~意地持つは男だけに非ず~


 
「……私はあんなことまで許可していないのだけれど?」

 目の前ではゆったりと椅子に腰かける徐晃。二人きりで会うのは娘娘以来だった。
 演習日から数日経って親衛隊の練兵に向かえば、徐晃隊が掲げていたように願いの証を……私の許可なく持っていた。一応、他の兵に広めるのはやめろと釘を刺しておいたけど、元より親衛隊以外には広めるつもりも無いようだった。
 不愉快だ。心底不愉快だった。その願いの内容を詳細まで聞けない、というのが余計に腹立たしい。

――この、道化師め……黒麒麟の真似事なんかするな。

 舌打ちを一つ。
 言葉に想いを乗せるには本気で感情を込めなければ乗らない。だから……こいつは演じてたわけでは無い。ただ純粋に、自分の身の内から言葉を零しただけ。黒麒麟がした事を今の徐晃が真似しただけ。
 つまり、私の精兵達の心を動かして纏めるようなモノが、今の徐晃にはあったのだ。

「なら上書きすればいいじゃないか」

 挑戦的な目で私を見て来た。
 この男……私がそれを出来ないと分かっているくせに。苛立ちがさらに増していく。

「……ふん、するつもりは無いわよ。兵同士の結束も固まったし、演習での動作も連携も違和感が無くなったのだから。望む水準、には足りないけれど及第点を上げる。その代わり余計な事をした差し引きで褒美は無しよ」

 兵達の絆が深まった、というのは大きい。季衣と流琉に対してのしこりも無く、むしろ前よりも親衛隊らしくなったと言える。
 あと一つ解決すれば雛里に聞いた戦術の全てを再現出来るようになるだろう。
 問題は……副長のような兵達の指標が居ないこと。それさえいれば私の為だけの部隊が出来上がるのに。
 そこでイラつく考えが浮かぶ。

――徐晃を私の補佐に付ければ確かに出来上がるけれど……

 親衛隊として徐晃を置くのは認められない。
 春蘭達が反対するのは目に見えている。将として扱わないのも勿体ない。何より私が描いている軍の柱の数には必要不可欠だし、周りから何か勘ぐられるのも鬱陶しい。
 何より……意地がある。
 男になど守られたくない。女子供のように守るべきモノという目で見られたくない。お前は私の下に跪いてこそ、そうじゃなければ意味がない。
 其処まで考えて、無性に腹が立ってきた。同時にいいことも思い浮かんだ。

「あと、詠と月に心配を掛けた事、しっかり償っておきなさい」
「う……でも――――」
「言い訳は却下よ。例え詠と月が許してるとしても、彼女達に誠意を示しなさいな。優しさに甘えるのは私の親衛隊に影響を与えたモノとしてどうなのかしら?」
「……何が出来るか考えとく」

――ホント、子供のような男だ。私といる時に気を抜き過ぎ。自然体で構わないとは言ったけどもう少し張りを……ああ、ダメだ。また乱されてる。

 思考が乱されてしまった。腹立たしい。劉備も似たような感じだったけれど、こうまではならなかった。
 ため息を一つ大きく落とした。自分への呆れを込めて。徐晃への苛立ちを込めて。

「はぁ、まあいいわ。とりあえず明日からのあなたにして貰うことを。
 真桜……李典の工房へ向かいなさい。春蘭の手伝いと街の改善はしばらく投げていい」
「李典殿の? 技術者って聞いたけど、なんか作ってるのか?」
「工房に籠ってるのは部下達の武器を強化する為。あなたにはね、次の戦で使う兵器が出来てるから、より有意義な改善が出来るかどうか話し合って貰いたいのよ。雛里から今までに無い新兵器の案を出せるとも聞いてるから、それも含めて練り上げなさい。出来れば短期間で開発、使用できるモノがいい」
「ちなみに出来てる兵器ってのは?」
「どうせ知るのだからあなたには言っておいていい、か……組み立て式の投石器よ。敵が動く櫓を使ってきたからそれの対処に当てたいの」

 目を見開いた徐晃は瞬時に思考に潜った。戦の事を考える徐晃はいつもより真剣に見える。

「……新兵器の開発ってのは……他にも敵が新しいモノを使ってくるかもしれないからか?」

 そういう所ばかりよく頭が回る。まあ、会話が楽なのはいい事か。

「そうよ。袁家には潤滑な資金があって、既に使った兵器の対策を私がしているのは当然、と考える軍師がいる。黒麒麟と同じく、私を打倒しようとしてた軍師が何も手を打っていないはずが無いもの」
「へぇ、その軍師の名前は?」
「田豊。私のモノにする子だから、しっかりと覚えておきなさい」
「……そう、か。了解」

 彼女の容姿を思い出して牽制を含めて伝えておくと、少し瞳に陰が差した。徐晃は田豊に何を思ったのか。
 聞いてみたいが今はいい。これからいくらでも時間はある。戦場に向かった時に隣に居させるのだから。
 これで要件は終わった。そろそろ仕事に取り掛かろう。

「では仕事に戻りなさい」
「はいよ。そんじゃ、またな」

 優しい笑みを浮かべて徐晃は立ち上がった。気安過ぎ。敬意というモノが欠片も感じられない。

「あ! これ渡すの忘れてた。はい、いつもお疲れさん」

 扉に手を掛けていた徐晃は戻ってきて、私の机に小さな袋を置いた。

「何? これ」
「店長と一緒に作ったお菓子」

 袋の口を開けて覗いてみる。幾つか小さな固形物が入っていた。
 一つだけ取り出して見ると……

「綺麗……」

 思わず口から言葉が漏れた。こんな綺麗な飴を作って来たのか。
 キラキラと光りを透過して輝く色は黄金。美しく切り取られたカタチはまるで宝石のよう。

「本来はべっこう飴って言うんだけど……店長は『琥珀飴』って呼び始めたな」

 琥珀飴。いい。そっちの方がこの美しさには似合っている。
 いや、それより徐晃に尋ねたい。

「どうしたの急に?」
「んー、なんとなく」

 嘘つき。
 こういうときは見え透いた嘘ばかりだ。どうせ私が仕事ばかりで休みが無いから、とかそう言った理由だろうに。それに加えて先程の事に対する謝罪の意味も込めてる。

――仕方ないから貰ってあげる。これがおいしかったら貸し借りは無し、それでいいわね?

「ふーん、そう。貰っておくわ。ありがとう」
「……くっ、どういたしまして。じゃあな」

 目を細めてお礼を言うと、私に看破されたのに気付いたのか悔しそうな顔をした。その程度読めないわけが無いでしょう?
 バタリ、と扉が閉まった。
 ため息が漏れる。こんな些細なやり取りが面白いなんて……そんなことは、断じて、無い。
 食べてしまうのが勿体ないと感じる美しさの琥珀飴を一つだけ口に入れてみた。

 優しく、甘く、穏やかな気分にさせてくれる……さっきまでの空間のような、そんな味だった。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。


恋姫は有力者、特に武官が女性優位の世界なのでこんな事が起こるかなと。
徐晃隊と副長は世界に植え付けられている価値観に反逆してたわけですね。

そして意地っ張り華琳様です。少女と覇王で揺れる彼女はこんな葛藤を抱くかなと思いまして。
次で物語が少し動きます。

ではまた 
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