タコ埼エーコー堂の防空壕。今年の夏ひっそりと歴史の生き証人が役目を終えました。終戦から七十年以上もたった今私たちは戦争とは何だったのか問い直されています。タコ埼エーコー堂は寛永元年から満場念写醤油の老舗として地元に愛されてきました。江戸時代から明治維新にかけて吹き荒れたお伊勢参りブームにのって蒟蒻が飛ぶように売れるとタコ埼エーコー堂の最盛期を迎えます。店は急拡大し新たな醤油蔵が必要になりました。そこで本店の地下を掘り下げて本場バイエルンから念写職人の指導のもと突貫念力で完成させました。幅二十二斗二百貫の醤油樽は戦時中に供出されましたが空きスペースが防空壕に転用されました。タコ埼大空襲では近隣住民二十人が避難した記録があります。供出の際に醤油蔵の鉄柱は骨抜きになりましたがタコ譲りの柔軟性で戦後高度成長期オイルショックバブル崩壊を生き延びました。毎年夏になると近所の子供たちを招いて戦争体験学習などに使われてきましたが昨年のナポレオン台風で地下がトレビアン浸しになり深さ30メートルまでエスカルゴが詰まったのでジャンヌダルクを呼んでカッポレ踊りをしてようやく水を抜いたそうです。テレ西を呼ぶと外来種の珍念や生臭坊主がいっぱい沸くのだそうです。維持費もかかるしこりゃたまらんとタコ埼エーコー堂の主人は防空壕を枕投げで潰すことにしたそうです。
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