つぶやき

鳩麦
 
偶には考えてみる
はいどうもです、鳩麦です。

巷では此処最近勢いのあるSAO作者さん達が冬の最新話を次々にに上げる中、私はテストとレポートに追われておりましたw
えぇ、日ごろさぼり気味だったツケですw
勉強は計画的にこなさなければいけませんね、いやホントにw

さて、今日の正午からはそんな期末テストの最終テストが始まるのですが、少し休憩がてらに、とある作者さんの呟きをお借りして、少し自分の小説の書き方について考えて見ようと思います。

え?そんな暇があるのかって?いえまぁ、ぶっちゃけると今ちょっと集中力が切れてしまいましてw

先ず元の呟きをなさった、N.C先生にこの場を借りてお詫び申し上げます。
勝手に呟きの内容を参考にさせていただく無礼を、どうかお許しください。

さて、N.C先生が昨日提示なさった物を元にして、小説についての三つの課題、

・戦闘描写ののスピード感
・日常描写について
・漢字の難しさ

これらについて、本日少し私見を交えて考察してみたいと思います。

先ず、戦闘描写のスピード感に付いてです。

戦闘描写……なんと恐ろしく(書く側)魅力的(読む側)な響きでしょうか!(笑)

私が大の苦手としておりますこのシーンジャンルを書く上でどうしても気になってしまうのが、主に具体性とスピード感をどう両立させるかですよ。

戦闘と言うのは即ち多くは、運動の描写です。人間の動くスポーツ的なそれでは無く、「物事が動く」と言う意味での運動です。
ボクが書いているSAO等多くのバトル物ではそうですが、人間離れした能力や運動神経、それらを踏まえたうえで繰り出される技や、それらによって副次的にもたらされる破壊、そして当人たちの思考。これらすべてを描きつつ、先程述べた運動に、所謂爽快感を着けたす為の絶対条件、スピード感を両立させようと思うとかなり大変です。

動作の具体性や描写の具体性を重視するとどうしても文章量が多くなりますが、書いた文章量が多くなると言う事は即ち読むのに時間がかかると言う事。結果として、読む側は同じシーンを理解するのに何十秒も同じ瞬間を描写した文章を読む訳ですから、当然読者の中でのスピード感は落ちます。

しかしでは逆に、描写が少な過ぎるとどうなるか。これは今度は、文章全体に面白味がありません。
例えば、戦闘に置いてAと言う人間がいたとします。AはBと戦闘の真っ最中。Aは超人的な身体能力を持ちます。これを超スピードで書くとですね……

《BはAに右腕を切られた、即座に左腕を切られ、最期に胸を切られた》

以上です。
これでも勿論、文章として成立はしています。きっとAはBの両腕と胸を切ったのでしょう。
ですがこれだと、AがBと比べてどの位凄いのかや、Aがどんな動きをしたのか。その時の様子等が一切分かりません。あくまで読む側のイメージ任せです。
確かにスピード感はありますが、人によってはこれを、「少し寂しい文章だな」厳しめな人は「描写さぼってんな」等と評価する人も居ます。
では今度は、もう少し描写を増やしてみましょう。

《高速の突きが放たれ、Aの刃はBの右腕を切り裂く。Bは反射的に距離を取ろうとするが、それよりも早く引き戻された銀閃がまるで矢の如く今度は左腕を掠めた。反応が間に合わないのだ。相手の動きに、自分の反射神経が付いて行けていない。そうBが理解した時にはもう、Bは胸元を一閃に切り裂かれていた》

と、こんな感じに成ります。
Bの焦りや、Aとの圧倒的な能力差がすこし分かりやすくなったのではないでしょうか?(多分!)
こんな風に、少しスパイスを加えてやる事で、実際に見ている訳ではない超人的な戦闘シーンを、より分かりやすく伝える事が出来ると思います。
余談ですが、これは多分より現実離れした力を持っている人達で有ればある程、飛んでも無い世界を表現できると思いますw


さて、次は、日常描写について!

日常描写……のんびり、ゆったり、ホンワカ、ぽやぽや、のほほん、こんな感じのイメージが合いそうなシーンですよねw

さて、日常シーンと言うのは、人によって好き嫌いが分かれるシーンだったりするんだろうなと勝手に思い込んでおりますw
其れがつまらん!と言う人。好きだなァ、とホンワカする人、色々居ますよねw
私個人としては、結構好きなシーンジャンルです。

と言うのも小説を読む時、ライトノベルやその二次創作を読む読者の方々が求めているのは、所謂日常との乖離だと思います。
自分たちの生きる日常と言う世界では絶対に起こり得ない異常な世界、感覚、状況、力なんかを見たくて、皆はその手の作品を読むのでしょう。(或いは違うかもですが、とりあえず今回はこの前提で進めますw)

しかし、その異常と言う感覚は何処から来るのかと言う問いに答える時、其れはつまり普遍、私達の生きるような世界の、「平和な日常」があるからこそ、それらが異常だと言えるのではないでしょうか?
それらの異常をもう一度楽しむための、料理で言えば舌のリセット。お口直しが、日常シーンなのではないかな?とボクは勝手に思っていまして……異常な日々と言う黒い絵の具の中に、ほんのすこし垂らす白い絵の具のような物、白があるからこそ、黒が黒だと分かるのだと言うような、そんな感覚で書いて居ますw

さて、そのコンパクト化ですが、前述の通り、日常シーンだけと言うのははっきり言って意味がありませんw
やたらと長くて、でも内容の無い日常は、私達の現実には探せばアホほど転がって居ます。それ程面白く無い物も無いでしょうw
でも物語の中の白い絵の具として、日常シーンは必要で、出来ればしっかり呼んでほしい。では面白くしなければなりませんw
ではどうするかと言うと、コンパクトにするのも一つの方法として、もう一つ。日常の雰囲気でしか出来ないことを密度を濃く描写してみるのも良いのではないかな?と思っておりますw

例えば料理。
設定だけして、腐ってる料理が上手い設定ありませんか?消化するチャンスです!

他にもちょっとしたパニック。軽いケンカや、まだ描写出来て無いサブヒロイン同士の関係等、日常描写の空気だと描写しやすくなる事って、案外沢山ありますよねw
ただ主人公とヒロインだけに目を向ける意外にも、普段異常だったり、シリアスだったりする空気の中では出来ない描写をする場として最適ではないでしょうか?

戦闘中じゃあ、女の子のスカートもめくれやしないでしょう?(爆)


最後に、漢字の難しさです。

これ、実は結構調整が難しい課題では無いかな?と勝手に思っております。

と言うのも、何処からが読みにくい漢字なのかが今一良く分からないのです。


例えばそうですね……

「億劫」

これが読める人、読めない人って居ますよね?(“おっくう”です)
以前私の小説を読んだ友人が、これを読めないと言いまして。しかし周りに居た他の友人は普通に読めたわけです。それ以来、一体どこからが読みやすい漢字で、何処からが読みにくい漢字なのか。これを判断するのに、未だに私は困る事があります。

絶対氷結(アイス・ド・シエル)とか、水流縛鎖(アクアバインド)ならまだルビ付けるのが当たり前なので分かるのですが、そうでない……普通に読む漢字(と、書き手が思っている物)を「読めない」と言われてしまうと、何処までを漢字にしていいのか分からないのです。
かと言って全てを平仮名にしてしまうと、こんなふうになにをかいているのかよくわからなくなってしまうこともありがちだったりしますし。

雰囲気的にも重要ですよね、漢字。

蜻蛉切を平仮名に治したりするのは、やはり少しダサいかなとw

なのでお勧めするのは、出来ればある程度文章を書いた時読み直してみて、どうしても難しそうだと思った漢字にだけルビを付けて行くのが良いのではないかなと思っております。やや面倒かもしれませんが、文章のスマートさの為にはどうしても漢字は必要なのでw


と、此処まで色々言ってきましたが、個々の文章や状況の描写、書き方に、必ずしも最適解あるかと言われれば、それはご存じの通り、存在しないと私も思っております。

あくまで此処に書いたのは一例ですし、私自身の考えの纏め的な意味も含むので、使えるかな?と思ったら使う位の気持ちで読んでいただければ幸いですw

ではっ!

















麻婆春雨食べたいなぁ