つぶやき

マルバ
 
新シリーズ予告編1
 まさかこんなことになるなんて、僕は考えてもみなかった。
 建物の影に身を隠し、『あいつら』に見つからないようにする。どこへ向かえばいいのか、どこにいけば安全なのか。それすらも、まったく分からない。僕がいまできることは、どこからともなく湧いてくる『あいつら』からただ逃げることだけ。手持ちの食料はとっくに尽きている。扉の無事な家があれば、破壊して食料を失敬できるけれど、街中のほとんどの家がすでに破壊されてしまったから、『あいつら』が全部食い尽くしてしまったはずだ。
 家から持ちだした脇差しはもう刃がぼろぼろにかけてしまっている。当たり前だ、そもそも刃をつけるために作られた刀じゃないんだから。美術品としての模造刀に適当に刃をつけただけだから、そもそもこれは武器じゃない。それなのに――くそっ、きやがったか……!
 かさっ、と背後から音がした。振り返ると、『あいつら』――つまり『マモノ』が二匹、飛びかかってくるところだ。見た目はそこそこチャーミングなウサギだが、性格はウサギの数千倍凶暴だ。飛び退いてかわし、急いで刀を抜く。戦闘を長引かせると危険だ。できるだけ早く倒さなければ! 振りかぶって構え、再び飛びかかってきたところを思いっきり斬りつけてやる、そして同時に身体をひねってもう一体の突進をかわす。斬り飛ばされて転がったヤツに追い打ちでもう一撃かますと、そいつはあっけなく絶命した。あいつらはそれほど強くないが、僕の方もあいつらに何回か連続で噛み付かれたら死ぬ。『あの日』からだいたい三週間、僕はずっと死の危険と隣り合わせだ。
 もう一体が飛びかかってきた。構えが間に合わなかったので、飛び退いてかわそうとするが、あいつのほうが少し早かった。鋭い爪で思いっきり斬られる。アドレナリンのせいかたいして痛みは感じないが、斬られた左足に力が入らない。危険だ。左足をかばうように半身になり、刀を再び構えた。また飛びかかってくる。愚直なまでにまっすぐな突進、今度は絶対に逃さない! 体重をかけて頭から叩き割った。
 しまった……刃がもう限界だ。これじゃ刀とは呼べないな、もはや鈍器だ。左足を見ると、これもものの見事に切り裂かれている。物陰に身を隠し、シャツを脱ぎ捨てた。刀を添えて引きちぎり、止血帯代わりに添えて、縛り上げる。かなり痛むが、まだ歩くことはできそうだ。少しびっこを引きながら、角の向こう側を伺う。
 すこし顔をだして、ゆっくりと覗きこむと――運の悪いことに、ちょうどそこにいたとびきりでかいやつと目が合ってしまった。あれはマモノなんてレベルじゃない。大きな翼、鱗のある身体――ドラゴンだ。
 ああ、僕、ここで死ぬな。




「……で……か、大丈夫ですか!」
 ……誰かが呼ぶ声がする。どうやら僕はまだ生きているようだ。
「失血性ショックと低体温。早急な手当が必要だ」
「循環は正常ですけど、意識が戻らないんです! はやくなんとか……なんとかしないと!」
「落ち着け」
 何人かの人が僕の周りをせわしなく走り回っている。僕はなんとかまぶたをこじ開けた。
「意識、もどりました! もしもし、聞こえますか!? わたしの言ってること分かりますか?」
 若い女の子の声。僕は返事をしようと、喉に精一杯の力を込めた。
「きこえる、だいじょうぶ」
 自分でも驚くほど弱々しい声しか出なかったが、女の子は安心したようだった。
「いまから、あなたを都庁に搬送します。都内の病院はほとんど破壊されてますが、医者が都庁にいますから、あそこでなら治療が受けられます! もう大丈夫ですよ」
 都庁に……そうか、人類は滅びてしまったんじゃないかって思っていたけれど、まだ希望を捨てていない人がいたんだな。僕は彼女の言うことを聞いて安心した。安心すると、とたんに眠気が襲ってきて……
「あっ、だめですだめです、寝ちゃだめです! 死んじゃいます!!」
 そう言うなよ、眠いんだ。僕はゆっくりとまどろみのなかに落ちていった。


「もう大丈夫かい、少年。具合は問題ないネ?」
「なんとか大丈夫です。義足にも慣れました」
 僕の返事を聞いて、マサキと名乗った人物はうんうんと頷いた。
「そうだと思ったヨ、バイタルも安定してるしネ」
「それはそうと、なぜマサキさんが僕なんかの様子を見に来たんですか? マサキさんってかなりのお偉いさんじゃないですか」
「ん、きみ、それはボクが暇そうだって皮肉ってるのかイ?」
「いや違いますけど、純粋に気になって」
「ハハハ、素直でいいネ! そうだネ、まずこれを見てほしい。これを見れば、ボクの目的が分かるはずだヨ」
 彼に手渡された紙を覗きこむ。何らかの検査結果だとは思ったけれど、そもそも素人の僕がこんなのを見たところで何かが分かるはずもない。どこかSF映画で見たような、奇妙な折れ線グラフが一つあるのが見えるだけだ。ほとんど平坦だが、いくつかパルス信号のように上方向に飛び出している。
「これ、なんなんです?」
「異能分布(アベクトラム)検査の結果サ。ほら、こことここ、それからこの辺が飛び出してるだろう?」
「飛び出してますね、それは見事に」
「ああ、見事に飛び出してるネ。おめでとう、君は神に選ばれたんだ」
 マサキさんの芝居がかった言い方に、僕はうんざりして聞き返した。
「だから分かりませんって。いったい何が言いたいんです」
「君が『与えられし者(ギフテッド)』だってことサ。運動能力B-ランク、敏捷性D+ランク、超能力C++ランク。総合して戦闘能力C++ランク。研究適正はC+ランク。こういった基本的な能力はほとんど凡人と変わらないけど、アベクトラムのヒストグラムを見る限りだと、君は間違いなく何らかの異能を持っているヨ。それもかなりのレヴェルだ」
 今度は僕にも理解できた。都庁で治療を受けた後、僕は『異能検査』という胡散臭い検査を半ば強制的に受けされられていたのだ。日本を蹂躙しているマモノどもに立ち向かう正義の組織への入団テストを兼ねているのだそうだ。何らかの異能が認められれば、その対マモノ組織に勧誘されるのだという。
「ちょっと待ってください。今マサキさんが読み上げたように、僕の能力は全部平坦、凡人の域を出ない。一般的に言う天才レベル――ええと、Aランクって言うんでしたっけ、そんな能力は持っていないはず。たまたまサバイバルの知識があったから都庁に来るまで三週間くらい生き延びられたけど、それは単なるたまたまですよ」
 それが違うんだナ、とマサキさんはまた芝居がかった動きで異能検査の結果の紙をぺしぺしと叩いた。マサキさんのひょろい指がゆらゆらゆれるのを、僕はなんともなしに眺めた。このひょろのマサキさんも対マモノ組織の一員なのだから驚きだ。つまりSランク能力保持者、天才中の天才。
「フフフ、ボクの目は――もとい、アベクトラムはごまかせないヨ。君は間違いなくSランクレヴェルの能力を持っている。そういうわけで、ボクの目的は分かったネ?」
 ああ、分かったよ。つまり、この人はこう言いたいわけだ。
「僕に……ムラクモ機関に入れって言うんですね」
「アア、そのとおりサ! 君にはムラクモ17班、研究実動班に所属してもらいたい。頼まれてくれるカイ?」

 そういうわけで、僕は対マモノ組織――ムラクモ機関に所属することになった。正直、自分が天才的な能力を持っているなどという話は信じていない。ただ、何もできずに、力のある人達に守られているだけの自分が嫌いだっただけだ。

【セブンスドラゴン2020――東京編】 序幕