つぶやき

海戦型
 
ロマンとリアリティの話
久しぶりに、やはりどうでもいい話。
ちらっと、ロマンとリアリティは両立しない的な話を聞いてちょっとばかし自分の考えを纏めようかと。

ロマンという言葉はすなわちロマンスであり、空想というか理想のようなものを作品に押し出すもの……という事でよいのでしょうか。ロマンスと言えばラブロマンスを思い浮かべますが、浪漫と漢字で書くと「男の浪漫」なんて言葉もあり、そっちで書くと大分違って聞こえますね。

個人的にはロマンとは、「こうしたい!」「こんなことをやりたい!」という強い欲求を何らかの方法で形にすることだと個人的には思っています。完成されたこれ、というイメージがロマンなのか、それを形にするところまではロマンに含まれるのか、といった疑問もありますが、イメージはだいたいそんな感じですよね

話を戻しまして、言葉を見る限りは、リアリティはロマンを駆逐してロマンの入る余地をなくしてしまう、というニュアンスに私には見えました。ネット上の短い文章から意図を感じ取るのは難しいので違うかもしれませんが、私はそう解釈しました。
でも、本当にそうでしょうか。私はリアリティ思考で話を作ったとしても、ロマンは発生すると思います。

要はそのロマンを成立させるための下地をどんだけ作ったか、準備をしたのか、こうしたいというイメージと物語の整合性や雰囲気を予めどれだけ考えていたのか、すなわちロマンにどれだけの情熱を注いだかが結局重要なのではないでしょうか。ロマンの持つ光とは、決して非現実的な領域でしか発生しないものではないと思います。

ロマン武器って言葉、ありますよね。見た目重視、機能の一点だけ重視で実用性を無視した武器です。でも、これにも二種類あります。

ポンと出てきただけのカッコつけ武器で、後から見た人が「効率的じゃない」と言うパターン。
もう一つは、創作世界の人が非効率であることなど百も承知で本気で作っちゃったパターン。

多分、リアリティがロマンを潰すという考えは前者なんですよね。それを言っちゃあおしまいよ、ってなことです。ではもしもその武器が下記の経緯を経て作られたものだったとしたら?そこには効率、非効率を超えた人の本気が籠っています。そしてそんな馬鹿武器を使いこなす人が出てくると。ロマンじゃないですか。
だいたいにおいて、ロマンなんてものは思い通りにいかない現実からの反発と理想が根底にあるのであり、リアリティがあるからロマンが輝くのです。言うならばアンパンマンとバイキンマンの関係です。片方を排除したことでしか成立しない話にロマンも何もありません。思い通りにいかないリアルがあるから、人はロマンに思いを馳せるのです。

或いはカッコつけやシチュエーションに全振りで振り切ってしまうという手もありますが、そこはクリエイター側が選択する所なので明瞭な正解などないと思います。ブラックキャットの作者的な。或いはFF7とかもそういう空気を感じます。振り切ってしまえばそれは立派なロマンでしょう。

リアリティの認識の中にもロマンはいくらでもある。いや、むしろリアリティの中でもがいて到達するロマンの方が私は好きです。ドブネズミは美しい。夢を目指すものは夢を見ることの愚かしさを知っている。ロマンがリアリティに潰されると思っている人は、押し寄せてくるリアリティに負けないロマンを腹の底に持っているべきだ、というのが私個人の想いです。いや、ロマンです。

以上。