つぶやき

C.D./hack
 
最近の仮面ライダーについて。
…………なんかね、最近思うんですよ。
仮面ライダーという存在がねじり曲がり始めてね?って。

個人的に幼稚園の頃いろいろあって、誰とも関れなくなって引きこもりかけた時、家にあったクウガに救われました。

個人的にユキとか言ってる言葉とか案外、五代の物が多かったりします。
ユキを助けた言葉である、「この雨だって絶対止むよ!そしたら青空になる! 今だってこの雨を降らせてる雲の向こうには、何処までも青い空が広がってるんだ!」は、私を救ってくれたセリフでもあります。

クウガや一号は、自身の体が子供の手を握ってやれない事、殺してしまうのではないかという恐怖、自身と同じ存在を殺めていくと言う苦しみ、そういったものを背負って戦って、子供たちに背中で諦めるなと語っていました。

平成前期は初代のように自身の体に苦悩する主人公たちがよく描かれていて、全体的にダークな雰囲気が目立ちました。

それでもめげずに頑張る主人公たちが印象に残っています。
その姿に憧れとあきらめない事、元気をもらうことができていた気がします。

でも、今のライダーはどうも明るい印象や面白いギャグ風味の物が増えてきました。
別にそれを否定する気はありません。形式が変わったと言えばそうなるのですが……。

平成後期でもオーズの映司、Wの二人、鎧武の紘太にも平成前期に似たものを感じましたが、今の所、後期で前期のようなダークな中でも笑顔を失わなかった者は前述の他にいない気がします。

個人的には雄介、翔一、城戸、巧、剣崎、響鬼たちは特に元気をくれる存在であった気がします。

そもそも、石ノ森章太郎氏は仮面ライダーを現代社会への警告として世に放ちましたが、やっぱりシリーズ化してしまったせいか、ほとんどその目的と意味を失ってしまった気がします。

人の汚い所を描くのも最近ではほとんどありません。
ただライダーと怪人が戦って正義を示すだけになってしまった気がします。

最近はクウガのような雰囲気も、単純明快な関係性も、それぞれの正義も理想も何もかも描かれなくなってしまった+戦ってきた男たちの背中から何も感じなくなってきました。

かっこいい、優しい。それだけのヒーローはもういいです。

またあの頃の様なライダーが復活しないだろうか。ぶっちゃけフォームとか最低限でいいし、ライダーの人数も多くて三人がいい。(龍騎を否定する気はないけど13人もいらなかった気がする……)

まぁ、所詮は持論です。批判でも何でもするがいい、これが私の考えだ!! 
C.D./hack
 
いえいえ
むしろありがとうございます。こうやって語り合えたことは幸せですww
ただこう思っている人がいるという事を覚えていてください。
ただ一旦、原典回帰をしてみてほしいと思ったんです。
石ノ森さんが遺したその願いを、現代にもう一度だけ、子供たちに託そうとした願いを。
仮面ライダーにもそれぞれの正義があって、人生があって。
必死で生き抜いた証が、人々を元気づけていく。
全てのライダーに、それは共通しています。
復讐を誓ったライダーマンですらそうでした。
でもいつか、一号の様なライダーが来るのを待ってしまうんです。
だからこそ、あのセリフが忘れられないんです。

「時代が、子供たちがライダーを求めた時、俺たちは帰ってくる」

いつまでも私は帰りを待つ存在である気がします。それまでにどれだけのヒーローが駆けていくのか皆で見届けながら。最後に、私が特に大好きな滝さんのセリフを。

「なあ…信じてみねえか」

「たとえ、神も仏もいなかったとしても……」

「仮面ライダーはいる……ってな」  
蓮夜
 
なるほど
 確かに、エンターテイメント面にふれ幅が寄りすぎている、という意見は最近のライダーでは散見されていますね。商売優先のように見えるのも批判されがちですし、自分も正直春映画辺りは削ってもいいと思っていたり。

 ですが二期ライダーにもオーズの「欲しがること(欲望)は悪いことじゃない」や、フォーゼのズバリ「友情」など、テーマはエンターテイメントに隠れがちですがあると思いますし、そのエンターテイメント面で子供たちに笑顔と「ヒーロー」を与えていると思います。

 石ノ森先生が仰っている通り、仮面ライダーは時代とともに変わります。それを、あの頃のライダーに戻せ、仮面ライダーという存在がねじ曲がっている、などの意見は的外れではないでしょうか。

 また長くなってしまいましたが、要するに好き嫌いです。自分はどちらの作風も好きですし、「今のライダーを認めろ! 嫌いでも見ろ!」などと強制する気もありません。ただ、誰にだって好き嫌いはありますが、自分が好きなものを今もやるべき、という意見はただの押し付けで如何かと思います。

 では、偉そうになってしまいましたが、これで最後にしておきます。形はどうあれ、ライダーについて話せて良かったです。是非また<(_ _)> 
C.D./hack
 
うーん……
なんというか、根本にある願いがなくなってしまった気がするんです。
昭和ライダー達には、石ノ森章太郎さんの現代社会や環境破壊への警告、これからの人々への願いがしっかりと込められていました。(BLACK達は特殊な事情なため、そうであったかはわからないですが)
クウガには、これからを生きる子供達の為、あえてあの内容、あのラストにしたと製作陣が語っています。
私が言いたいのは、願いみたいなものが全く感じなくなった点です。
そもそも石ノ森章太郎さんが描きたかったのはシンが終着点でした。
どんな姿、どんな目に遭わされようとも家族と愛を、世界を守ろうとした仮面ライダーシン=人間。
シンの姿、昭和ライダーやクウガはそういった点をしっかりと描いてくれていました。
しかし今はシナリオやどこまでオリジナリティ、子供を楽しませることができるかというのに捕らわれすぎている気がするんです。
ウルトラマンでいう、ジャミラの話のように考えさせられる話がないんです。
世間は殺伐とし、自然に脅かされる今こそ、原点に還るべきだと思うんです。
楽しませるばかりではなく、考えさせられるものを望みます。 
蓮夜
 
好きな作品は龍騎、好きなライダーはG3−X
「『ある人』が言った……俺達は正義のために戦うんじゃない。俺達は人間の自由のために戦うんだ、と」

 前文は石ノ森章太郎氏が考える、『仮面ライダーという存在』をディケイドが代弁したもののような台詞です。最近のライダーだとか昔のライダーだとか、そんなことは関係なしに、この言葉が行動の起点になっていないライダーがいたでしょうか? 自分はいないと思います。槍玉にあげられているフォーゼとウィザードとて、震災に困る人たちの為に明るくしよう、というテーマがまず前提にありますし。

 C.D.さんは、C.D.さんが言う『仮面ライダーという存在』を、クウガのイメージに囚われすぎているのではないでしょうか? 仮面ライダー=クウガとして。もちろん、クウガが名作というのは、今更論ずるべきことですらないですし、自分もヒーローとして完成していると思います。

 C.D.さんがいう『最近のライダー』も、その本質自体はクウガ……ないし一号から何も変わっていません。多すぎるフォームやアイテム、明るい雰囲気などではなく、もっと肩の力とC.D.さんの中にある『クウガ』を抜いて、もう一度見てみることをお勧めします。

 『それぞれの正義も理想もなく、かっこいい、優しい。それだけのヒーロー』なんていません。みんな等身大の人間であり、及ばずながら平和を守る『仮面ライダー』です。


 長文失礼しました。まとめると「懐古乙」(失礼)

 
霊獣
 
そうでもないと思いますけど……
最後の希望・高校生ライダー「解せぬ」
いや、まあ上の2人とかも結構どんなダークな場面でも笑顔失わなかった人だと思いますよ?特に前者は希望が作品に背景にありましたし
あとギャグ風味に関しては結構どのライダーもあったしそこまで形式は変わってないんじゃないかなぁ……と。シリアスする所はしっかりシリアスしてますしいいんじゃないかなぁ
個人的にはライダーは人々を守ってお茶の間の子供達を笑顔にする存在、って思ってますしそれは今も昔もかわらないんじゃないかなぁ……昼ドライダーキバや戦っても生き残れない龍騎がおかしかっただけなんだ、うん
あ、あとライダーが正義を示すだけの所
錠前ディーラー「許された」 プロフェッサー「全部私のせいだ」
……この人達はちょっと特殊すぎたかなぁ