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赤城と烈風
波及効果と戦史研究
3単位制〜陸軍の経費節減策
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 当世界では前述の通り、大陸進出の放棄により陸軍の編制も史実と異なる途を歩んでいます。

 日露戦争当時は歩兵4小隊で1中隊、4中隊で1大隊、4大隊で1連隊、4連隊で1師団の編制でしたが。
 南山・遼陽・旅順・奉天の援蓋陣地を強襲の為、万単位の死傷者を出した為に兵力が枯渇。
 体力が落ち年齢の高い後備兵を動員、独立混成旅団を臨時に編成し戦力低下を補っています。

 1905年3月以降、帝政ロシア陸軍は精鋭部隊を送り極東戦線の崩壊も危惧されましたが。
 北欧・東欧・黒海沿岸等の被征服地域で独立運動が激化の為、破局を免れています。
 合州国の進出と経済勢力圏の確立、日露緩衝地帯の創設は陸軍の総帥・山県有朋も望む処。
 旅順・大連を含む遼東半島先端部の租借権、東清鉄道の南部支線売却に異を唱えませんでした。

 日露戦争開始時点の常設師団は計13個、史実では戦時中に急遽4個師団を新設。
 史実では講和成立後も計17個師団を常設の上、2個師団の増設も要求していますが。
 大陸に警備兵を常駐させる為でしたが、当世界では事情が異なります。
 歩兵3小隊で1中隊、3中隊で1大隊、3大隊で1連隊、3連隊で1師団に変更。
 4単位制を撤廃、3単位制を採用しています。


 連隊区は行政区分である都府県に変更され、戦地に派遣された第13師団・第14師団のみ常設。
 北海道は開拓中であり居住人口が過少の為、4個師団を駐留させ毎年交代。
 歩兵1連隊と砲兵・騎兵・工兵各1大隊で独立混成旅団、歩兵旅団1個と独立混成旅団1個で師団を編成。
 師団歩兵は計64中隊256小隊から計27中隊81小隊となり、3分の1強にまで削減されました。

 秋山騎兵団の健闘は高く評価され、ホチキス機関銃6挺を全歩兵連隊に配備していますが。
 280ミリ榴弾砲装備の重砲兵旅団も常設され、騎兵旅団と野砲兵旅団は計2個から計4個に倍増。
 砲兵・騎兵・工兵連隊の数は減らさず、2大隊を増設する事で相対的な比率を向上。
 師団と連隊の編制は、下記の通りです。


 1917年ロシア革命の勃発と帝政の崩壊、内乱突入に伴い陸軍は常設師団を削減。
 近衛師団と第1〜6師団を残し、北海道には毎年交代で師団を駐留させる形を取りますが。
 陸軍は有事の際に動員可能な兵力を確保する為、海外派遣に即応可能な陸戦隊の編成を海軍に要望。
 佐世保・呉・横須賀・舞鶴に各1個、海上機動旅団を常設する事となりますが。
 1917年7月フィンランドが独立を宣言、12月6日に赤軍が介入の際は超遠距離の為に緊急派遣を断念。
 1918年1月、北欧の親日国は全土を制圧され再び独立喪失の危機に曝されました。

 元情報将校の明石元二郎、当時の参謀本部次長は余った明治38年式歩兵銃を
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