「冥王来訪」の感想


 
コメント
日本によって建設して満州がしっかり立ちたいのシナリオは二があります

1、エドワード・ヘンリー・ハリマンの条件を受けます
2、ハル・ノートを受けます

元々、満洲の存在とは石原莞爾によって計画した『日米決戦』のため。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>ハリマン協定の破棄
小村寿太郎はハリマン協定には反対しましたが、モルガン財閥の満州進出には積極的だった面がありますし、米国側も大規模な資本投下を考えていた節があります。
 どちらかというと満州事変囲碁のリットン調査団の報告書を受け入れなかったことの方が問題を悪化させたと思います。
 リットン報告書は、内容をよく読めばたしかに日本の行動を非難していますがその原因は志那の混乱にあり、満州国が出来た今、現状変更は難しいという内容で、かなり日本側の立場に立った報告書でした。

>ハル・ノートの受諾
ハル・ノートには二冊あります。
今日知られている対日強硬案はワシントンDCで書かれたものではなく、モスクワで書かれたものを英訳したもので、NKVD北米副局長であったヴィターリー・グリゴリエヴィッチ・パヴロフがハリー・デクスター・ホワイトに渡したものです。
ホワイトはモーゲンソー財務長官の私案を基にこの秘密計画に沿って書き上げたのが、今日知られるハル・ノートです。

もう一通はハル長官の直筆のもので、対日政策はずっと融和的でした。

仮に日本政府がハル・ノートを受諾しても、米国はドイツ参戦の口実として対日戦争を望んでいましたから、フィリピン沖の哨戒艇などを使った工作や別な形で戦争を招いたでしょう。

>満洲の存在
満州国の存在は満洲人自身の望みでした。これは紫禁城の黄昏やリットン報告書を見ていただければわかります。
また日本政府の立場としては対露防衛の観点から満洲と朝鮮半島に軍事力の配備は急務でした。
これは石原莞爾などではなく明治以来の政策です。

古代より日本にとって朝鮮半島に親日的な政権の樹立は重要な政策でした。
朝鮮半島に初めて王朝のできた三韓時代の前より、日本人は積極的に半島の南部に移住し、その影響力を行使していたことは、12世紀に編纂された朝鮮の正史である「三國史記」に記されています。
また、埋蔵物や陵墓より発掘された遺骨のDNA鑑定の結果からもそのことはほぼ間違いのない事実です。

朝鮮半島に足場を築いても地続きの満州から兵力を入れられたらひとたまりもありません。
6世紀後半にあった唐朝の高麗征伐や蒙古の侵入、17世紀の丙子の乱(『丙子胡亂』あるいは丙子之役)など、例を挙げればきりがないでしょう。

朝鮮半島の維持のためには満州は必要な土地でした。
以前も書きましたが1924年の馮玉祥のクーデターで紫禁城を追われた溥儀を保護した時点で、満州国建国に走るべきでした。
(もっとも溥儀の意識が変わったのは1928年の東陵事件であったと自伝の『わが半生』に書いてあったと記憶しています)