「冥王来訪」の感想


 
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東ドイツの結婚生活は苦労が多いでしょうか? 
作者からの返信
作者からの返信
 
>東ドイツの結婚生活は苦労が多いでしょうか?
1949年の建国以来、東ドイツにおいては慢性的な物不足に置かれていました
その内容は、ソ連の様に電化製品が全くないと言う水準ではなく、西ドイツのような自由な購買が制限されていたという事です
 建国当初からSEDは住民の物資供給に対する不満を感じ取っており、かなり社会主義圏としては潤沢な供給を心がけていましたが、不満は解消できませんでした 
 それ故、SEDとしては民心を宥める為、生活水準の向上を優先しました
しかし、農業集団化の失敗やベルリンの壁建設、1963年から始める『新経済システム』の破綻などもあって、89年の壁崩壊まで根本的な解決には至りませんでした

1961年の段階にあっても、終戦直後の1946年と物流事情は変わりなく、食料品すら不足していました。
一応、一般市民も金銭を出せば購入できたのですが、耐久消費財は一部の人間に優先的に回されました

ベアトリクスは、父が党幹部です。ユルゲンやアイリスは父が休職中とはいえ外務省職員です
世話役のボルツ老人は自家用車を所有していますが、これはすごく良い暮らしをしていると言うことなのです。
1960年代になっても自家用車を買うのは恐ろしいほど時間が掛かる様になっていました
平均6年近く待たされたという統計もある程です


食料品も慢性的に不足していました。党の都合で食料品の度々値上げを行うのですが、終ぞ都市部への十分な供給は出来ませんでした
ソーセージは水増しされ、生クリームは製造を制限されたほどです
テレビや冷蔵庫などの耐久消費財も、1970年の段階で100世帯当たり60%迄普及していましたが、コネや党幹部の役職になければ簡単には買えませんでした
(1971年の東独政府報告書でも、それを黙認していました)


ベルリン市内であれば1960年までは西ベルリンに買い出しに行けましたが、壁が建設されるとそれも出来ません

1960年の壁建設以降、SEDは西ドイツに逃亡した労働力の埋め合わせの為、女性の労働力活用を
推進する答申を出しています
(1960年の段階で女性の就労率は70%、1980年代末で90%でした)
ただ、自身が望んで就労したわけではなく、半ば強制的な面があったのは否定できません
(男女の賃金格差が低い面もその一つです)
仮にユルゲンが、ベアトリクスに関して主婦をさせることを望んでも、共産圏の軍隊は薄給です
生活の為には、彼女自身も軍隊に残るか、或いはコネを使って党の機関に勤める
或いは国営企業に働きに出るなどでしょうか
(もっとも、彼女自身はアベールのコネを使うのを嫌がるでしょうが)

結論から言えば、彼等はアベールの党のコネを使えば、物不足の東ドイツに在って、西ドイツ並みの『贅沢』な暮らしを出来ます
一般市民の様に買い出しで時間を取られず、子育ての為にパートタイム勤務をしなくてすむでしょう
ただ、それは西ドイツでは当たり前に出来る事なのです

以上の事から東ドイツは如何に貧しく、苦しい社会であったかが分かります

今回の東独の生活に関する話は、斎藤哲著、『消費生活と女性 ドイツ社会史(1920~70年)の一側面』を参照しました

次回以降は、通常通りの土日投稿に戻るつもりです
連休や祝祭日の際には特別投稿を考えて居ります