「 SAO ~キリトさん、えっちぃコトを考える~」の感想

N-クローラー
N-クローラー
 
良い点
プッツンに行き着くまでの悶々キリトさんがさもありなん、という感じでひたすら暴走するのが面白いです。アインクラッド攻略途中に本当にこんな話があったのでは、と思わせられます。
 
コメント
掴みを考える・・・なるほど仰ることは解ります。
しかし「リンク・スタート」「フレンジーボア」「茅場さん」から書きたくなる人にもそれなりの理由があるのではと思ったりはしました。

物語というのは殆どの場合時系列で進行します。そしてSAOの場合、フレンジーボアはともかく、ゲームに入る直前の心理などのシーン、そして茅場さんの演説は最初の方にしか存在し得ない以上、書く側も読む側も最初にそれを持って来てくれる方がすんなり入りやすいというのはあると思います。

他にも「じゃあ書きたいシーンをがっちり見せたあとどうしよう?」となった時、なまじ原作設定があるだけに、書きたいシーンが途中からだったり飛び飛びだったりすると「地に足がつかないから原作との共通点に軟着陸したい」という心理が働き、結局始まりの日のエピソードに出てくるものから順番に無意識に使ってしまったという物もあるように感じるのです。
(これに関しては読む側の自分の嗜好として、新しい世界観で物語がスタートする場合は時系列が飛び飛びでも問題ないけど、既に確立された世界観の中でぽっと出野郎の物語を中途半端な所から引っ張られるとキツイ、というのがあるからかもしれませんが。)

後は、書きたいシーンの条件が特殊すぎて(例:ラフコフに入らなかったザザやジョニー・ブラックがアルゴと組んで情報屋、など)そのシーンだけでは物語が成立せず、結局最初から細々と書かなければならない(フレンジーボアは要らないけど、あやふやなプロットだけでは絶対に書けない)といった時には、やっぱり最初から書いてしまうのは必然では、と思ったりもします。

甘えかもしれませんが、書きたいシーンを書き殴って物語が空中分解するよりは無難な策を取りたい、という心理があるのかもしれません。

また、たまに「全体を書きたい」或は「この流れ」が書きたい(アインクラッド解放軍が快進撃したら、など)という考えで書き始めると、やっぱり大概の人は「始まりの日」の要素から順番に持ってきてしまうとは思います。

でも本当に言いたいことは理解出来ますし、本家SAOもキリトさんがリザードマンロードをスパスパ斬っていく所から話が始まってこれだけ人気になったというのが、理論の正しさを示す何よりの証左でしょう。ただ、そもそもの「書きたいシーン」が0からのスタートじゃなく、既に100ある原作に干渉するほど大仰なものだった場合は上記の理由から、あまり弄りすぎない方が書きやすく、読者としても入り込みやすいと思ってしまうのですが如何でしょうか? 
作者からの返信
作者からの返信
 
 N-クローラーさん、感想ありがとうございます。
 返信が遅くなってしまい、申し訳ございません。

 本当にこんな話が……と言っていただけるのは、やはり嬉しいですね。二次創作を書かせていただいている身としては、身に余る光栄でございます。自分としてもそれを一番に考えて書いているつもりではありますが、人の目にどう映るかはやはり気になりますし(笑)

 考察ですね。
 もちろん、様々な思いあって始まりから描くのはいいと思うのですよ! 自分もそれを否定するつもりは全くないです! ただ、「自分は最初からかきたいから書くのだ!」という思いを持って書く、その心意気だけは持っておくのがいいと思います、ということなので。そのあたりはN-クローラーさんのように短編等を書かれる肩にとっては、釈迦に説法かも、とも思いますしね。

 勉強になるご意見、ありがとうございました。