「『曹徳の奮闘記』改訂版」の感想

ナサラサヤハ
ナサラサヤハ
 
コメント
 何度もすいません。それとこれを最後の感想にさせてもらいます。

 さて、貴方の返事についてなのですが……何かおかしくないですか? 貴方が言うには主人公は蜀に攻められ、倭国に逃げた。そしてその蜀が北方に攻められ成都に追い込まれたから、主人公はざまぁ、と言った。

 これでは結局、主人公が彼らの敗北、つまり不幸を笑ったのと同じじゃないですか。これを簡単に言うと、自分達と試合で勝った相手が別の敵と戦って負けたから笑ったのと変わりません。はっきり言って人間として最低な言葉ですよ?

 そもそも、主人公側の人間は蜀の人間達がとる行動を卑怯呼ばわりしてますが……大体、戦乱の世の中ではそんなの言い訳にしかなりません。自分からすれば、主人公側よりも蜀の方が正しいように見えます。

 敵の弱点を突くことの何処がいけない? 敵を弱らせて何が悪いですか? それらの行動は自分達が勝つため、被害を抑えるため、理想を叶えるためにとった立派な『戦略』でしょう?

 嫌な手と言われるのは仕方ないとしても卑怯と呼ぶのは流石に器が小さいとしか言えません。

 それに主人公達にはかなり……いや、とんでもない問題があります。さっきも書いた様に主人公達は蜀に負けて国を追われ、倭に亡命した。そして、そこで主人公は幸せな家庭を作っているみたいですが……。

 これ、完全に国と民を見捨ててますよね? 話では戦火に巻き込まれた民を連れてきているみたいですが、それでもまだかなりの数の民達は戦争に捲き込まれている筈でしょう。なのにそれを放って、愛する者達と平然と過ごす……?

 国の王や重役としても、人としても最低の行為じゃないですか。しかも何で誰一人それに気付かないんです?

 情報で蜀が混乱しているのを知っているなら何で民達の為に蜀を打ち破って故郷を取り戻し、平穏を手に入れようとしないのですか? 何が『これからは苦難の道のりがあるかもしれないが、皆で乗り越えよう』ですか。説得力がありませんよ。エピローグの時点で既に苦難から『逃げてる』じゃないですか。正直、これから主人公達に何かの不幸が起きても自業自得としか言いようがありません。正直、自分は主人公達よりも卑怯な手を使ってでも自分達の信念や正義、理想を貫こうとする蜀の人達の方が遥かに好感を持てます。

 最後に一つ、話を作るならもっとしっかりとした芯を作ってから書くべきです。この作品にはあまりに矛盾が多すぎます。 
作者からの返信
作者からの返信
 
北郷は世界から主人公として認識されているので主人公がいくら頑張ろうが最後は負けるとなっています。(二七話)
卑怯呼ばわりですが主人公は原作を知っているので北郷が卑怯な事をするはずはあまりないという先入観があります。
負けるのは分かっているから建業に無防備宣言をして戦火の海に巻き込ませずに国民の命を優先しました。
呉のその後は外伝で出す予定ではあります。