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鋼殻のレギオス IFの物語

作者:七織
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第一章
  第五話

 
前書き
四万九千字って何さ、何なのさ……ということで分割しました 

 
 レギオスに住む住人たちにとってその大小を問わねば都震というのは日常だ。
 何せ自分たちが住んでいるのは足の生えた円盤状の大地。その足を動かし世界を動き回っているのだ。
 足が「歩く」度にその揺れは都市に伝わるのは当然だろう。

 足元がいつも平坦とは限らない。小さな山を登り、傾斜を下り、泥濘んだ地盤に足を取られれば普段よりも大きな揺れが都市を襲う。
 その揺れを感じる度、中心部の人間たちは忘れかけていたことを何度となく思い出す。
 この世界で定住は許されず、自分たちが足を置き住む大地は動いているのだと。

 だからこそ揺れが都市を襲った時、ツェルニの住人たちは最初気がつかなかった。
 稀にだがよくあるという、矛盾しているがそうとしか言いようの出来事。それだろうと慣れた心で思った。
 家の棚は平気か、事故が起きなければいいな、どこか壊れただろうか。
 浮かんだのはその程度の心配だ。

 だから、その揺れが何度となく体に馴染んだ「日常」の揺れではないと気づいたのは極少数。その揺れをかつて「日常」として体に刻み込まれてきた者たちと、些細な違和感を違和感として認識できた者たちだけ。
 後者である一部技術者は都市機関部の損傷を危惧し、都市の統治者は原因究明をも含めた現状把握を行おうとした。

 その時点ではまだ危機感ですらない違和感の確認作業であり、夕刻であったことを踏まえ連絡のついた少数の念威操者の助力も得て探査を始めた。
 機関部の点検から始まり、続いて端子は原因究明のため都市外に飛ばされた。

 内部の損傷が皆無である報告がまず届き、そしてその一報は少しの間を置いて告げられた。
 確認されたのは地中にいる夥しいほどの生命反応とその蠢き。
 そしてそれが自分たちへと向かっていること。

 荒野の覇者、汚染獣。
 ツェルニは地中にあったそれらの巣を踏み抜いていた。















 夕闇の街に警報が鳴り響いていた。
 人に警戒感を与える不快さを秘めたその音は汚染獣の襲来を告げる合図だ。年に一、二度訓練で鳴り響くそれは訓練では無い事を告げるアナウンスと共に都市民に届けられた。
 カリアンは生徒会棟地下の会議室にいた。報告が届けられて直ぐにこの部屋は臨時の司令室となっていた。
 部屋には関係する各科の長が集まり、念威操者が操る端子が情報を伝えてくる。
 
「現在の状況は」
『汚染獣は現在、都市の第六脚部を登っています。半刻ほどで外縁部へと到達すると思われます』

 感情が外に出づらい念威操者といえど、はっきりと分かる不安を滲ませた声で状況が伝えられる。

「相手の数とこちらの布陣は」
『未だ地中にいる分も含め現在把握しているだけで千強。全員ではありませんが、各小隊以下は既に担当区域での展開が報告されています』

 千を超えると聞き部屋にいる者たちの表情に不安がよぎる。想像を超えた数だ。
 
「結構。そのまま探索を続行するように。それとほんの数名、生徒の誘導用に都市内に残すよう通達を。突然のことで対応できていない者もいるだろうからね」
『了解しました』

 端子から送られてきた情報がモニターに映る。部屋にいる誰もがそれを険しい表情のまま見る。
 この部屋にいる彼らに出来ることはさほど多くない。実際にその時が来るまではマニュアル通りの指示くらいしかすることがない。
 初めての事態でアマチュアの彼らには何をすればいいかわからない、というのもある。

「脚部の破損状態はどうなっている」
「足を取られたせいで負荷が偏ってるよ。歪みが出て金属疲労も随所にある。本来ならすぐにでも処置できるが、有機プレートの自動修復待だ。足も抜けてねぇ」

 事実は事実だとでも言うように、機械科の長は悲壮さを込めず淡々という。
 汚染獣がいる今、修理要員は出せない。
 現状では修理は不可能で、ツェルニはこの場所から動けない。
 
 汚染獣たちは地道に脚部を登っている。高高度飛行が出来ないのか、或いは機能が未発達なのかは不明だが、空を飛べないらしい。
 ツェルニを動かせるならば襲来する汚染獣の数を分割できた可能性もあったが、それは不可能だ。
 カリアンは商業科の長へと視線を向ける。

「そちらの準備はどうなっているかい」
「埃を被っていたが軽いメンテナンスを終えれば直ぐに使える。だが、出来るなら使いたくはない」

 汚染獣と戦うのは武芸者の仕事だ。だが非武芸者にも出来ないわけでもない。その内の一つが質量兵器の使用だ。
 だがこれはそれに伴う資材が消費される。敵の数に比例して消費も多くなる。レギオスという限られた世界において多量の資材の消費は容易く看過できない問題だ。
 質量兵器はあくまでも一時的な牽制や最後の手段。都市の盾となり矛となるのは武芸者だ。
 その矛を商業科の長は睨む。

「で、その主役が何故ここにいるヴァンゼ」
「武芸科の長として状況の把握をするためだ。うちの隊員は優秀だからな。俺一人いなくとも不備はない」

 視線を向けられたのは髪を後ろに撫ぜた背の高い男だ。
 第一小隊隊長も務める彼、ヴァンゼは大規模戦闘において武芸者の総指揮を取る立場の人間だ。戦闘が始まれば自身も戦わねばならない。そうなる前に分かるだけの情報を集めに来ていた。
 苛立ち混じりの言葉を気にもせずヴァンゼは答える。

「気にせずとも直ぐに出て行く。隊の場所まで十分とかからない」

 商業科長は小さく鼻を鳴らしヴァンゼから視線を外す。
 突然の非日常に押し込められた歪な静けさの底にある不安と苛立ち。
 音に成りきれていないその騒がしさをヴァンゼは感じながらカリアンに言う。

「勝てると思うか」

 それはこの場にいる全員が抱いている疑問だ。その答えを出せないからこそ不安に駆られる。

「そういう君はどうだい」
「後のない戦いに負けると思って挑む奴などいない」
「精神論かい?」
「そうだ。それと、質問に質問で返すな」

 ごもっともだとカリアンは小さく笑う。

「私は、勝つしかないと思っているよ」
「お前だって精神論だろうが」
「実際問題、何がどうであろうと勝つしかないのが事実だ」

 家畜を飼い植物を育て娯楽に興じる。そんな生活をしていれば忘れがちだが、人は逃げ回って生きているのだ。
 この世界における覇者とは環境適応者である汚染獣であり、上位に位置する捕食者。彼らからすれば人間は被捕食者でしかない。
 負けても二年後がある戦争ではない。都市が死ぬまでに逃げ出す猶予があるわけでもない。
 負ければ死ぬ。そこで終わりだ。
 ならばこそ、負けた場合など考える必要はない。

「子供の頃に一度、故郷が襲われたことはある。シェルターに篭もって気づいたら終わっていたよ。知識では知っているが実際に戦いに挑むのは初めてだ。戦力比を図ることも、最もらしい推論を立てることも出来ない。何より勝つしかない以上、勝つことを前提に今できる最善を動くしかないさ」

 そもそもレギオスという存在自体、汚染獣と戦うようには出来ていない。都市精霊によって動かされるレギオスは汚染獣から逃げ回るように動く。
 逃げることが前提。その結果、備えに必要な経験が欠落している。
 戦うのは逃げることが不可能で、どうしようもない場合の最後の手段なのだ。

「この世界で生きている以上向き合わなければいきない事態だ」

 映像の中で蠢く無数の汚染獣の姿をカリアンは見る。
 遠目に撮されたそれは正確な大きさをイメージさせない。無骨なコガネムシが一面に張り付いているようにも見える。
 だが一緒に映っている都市の脚部を考えればその一つ一つが容易く人を上回る大きさだと分かる。不安は消せない。
 ヴァンゼが背を向ける。

「実地に出る君たちにこんな場所からで済まないが、出来る限りの事はさせてもらう。頼んだよ」
「馬鹿が、『こんな場所』でなければ困る。それが俺たちの役割だ」

 はっきりとした口調でヴァンゼはいい切り部屋を出ていった。
 













 少し時間を遡り、レイフォンは小走りで誰もいない道をかけていた。ばら蒔いた配達物の一部が排水口に入ったせいで時間がかかっていた。
 路上駐車したシティローラーが撤去されぬよう願いながら向かうのはシェルターだ。
 クラリーベルとの話し合いで汚染獣が来た場合のことは決めてない。
 戦うのは構わないがその場合、女王の命令が果たせなくなる可能性が高い。

 レイフォンが問題を起こしてから都市を立つまでの間、グレンダンでは汚染獣の襲来が何度かあった。その際、謹慎の身だったレイフォンは一度も出撃をしていない。シェルターに入る気も起きずその度に身を隠していた。
 同じでいいのか、あるいは違うのか。
 クラリーベルの判断を仰ぎたかった。そのためにわざわざ遠回りし、アパート近くのシェルターへとレイフォンは向かっていた。

 クラリーベルと会えるならそれで良し。会えぬならグレンダンでないことも踏まえシェルターに入る。
 そう決めたレイフォンが記憶を頼りに角を曲がる。
 と、こちらに向かって走る人が視界に入った。
 周囲を見渡しながら走っていたその人はレイフォンを見つけると一直線に向かってくる。

「何故まだこんな所に。他の人の誘導は無かったのか」

 その背後には一枚、念威の端子が付いている。
 都市警の人間だ。
 私服に付けられた所属を示すバッジが事態の慌ただしさを表していた。

「ええとその、動くのが遅れてしまって」
「曲がるのは一つ先だ。こっちだと遠回りになるからちゃんと覚えて……一年生か」

 レイフォンの制服の刺繍の色を見て言葉を止め、少し考えるようにして端子に何かを言う。

「すぐ近くだ、案内する」

 遠回りしかけていた身として断る理由もない。レイフォンは後についていく。
 
「配送のバイトでもしていたのか?」
「シフト中たったので遅れました。先輩? は都市警の人ですよね」
「ああ。着替える時間も無く走り回ってるよ」

 シェルターの入口は本当に近くで、角を二つほど曲がれば直ぐに道の先にその姿が見えた。
 ここまでで良いだろうと足を止めた相手にレイフォンは聞く。

「汚染獣について、今どんな状況か分かります?」

 レイフォンからしてみれば当然の疑問からの問だったが、不思議なものを見る視線が向けられる。

「君、落ち着いてるな。……汚染獣は第六脚部を登攀中だよ。到達まで一時間を切った。ま、こんな時のためにいるんだ。何とかするさ。それじゃ」

 去っていく相手に背を向けレイフォンはシェルターの入口に向かう。
 シェルターは地下に作られている。だからそこに入るには専用の入口を通らなければならない。地面が割れ地下への下り道が顔を出すのが一般的だが、専用の建造物から昇降機やトンネルなどで下っていくことも出来る。

 向かう先は後者だ。
 地下への入口である建物付近には中に入らず都市警と何か言い争う不安そうな顔の生徒たちがいた。
 そんな中、全く様子の違う二人組を見つけレイフォンはそちらに向かう。
 背を向けていた一人はその接近に気づかず、もう一人がレイフォンに気づいて顔を上げる。

「何やってるの二人共」
「何って、見たとおり指相撲を……レイフォンですか」

 もう一人もレイフォンに気づいて振り返る。
 クラリーベルとアイシャは荷物を足元に起き、握手をするように指を組み勝負をしていた。中々に白熱しているようだ。
 視界が外れた一瞬を好奇と見たのだろう。何故かジャージ着用のアイシャは素早くもう片方の手でクラリーベルの指を絡め取り上からガッチリと親指で抑える。
 クラリーベルが視線を戻すより早くその手は元の位置に戻っている。

「あ、今絶対他の指使いイタタタタタ」
「気のせい。……四、五。私の勝ち」

 汚染獣の襲来で不安がる人の中、こいつら何をやっているんだという視線をレイフォンは向ける。
 勝ち名乗りを上げたアイシャは若干満足気だ。

「明らかに指輪が触れた気がしたんですけどね……レイフォンはバイトですか?」
「ええまあ。ほかの人もだけど中に入らないの?」
「行方不明の友人待ちですよこれ。探しに出ちゃった人もいて、都市警もそれで走り回ってます」
 
 今回の汚染獣襲来は酷く急な事態だ。外縁部付近などシェルターから離れた場所にいればそれだけ避難も遅れる。
 仲がいい友人がそれならば不安にもなり、探しに行こうと連絡手段もないのに飛び出す者もいる。
 改めて周囲を見る。不安な顔でじっと待つ者もいれば今にも飛び出して行きそうに思いつめた顔をしている者もいて、そういった相手を都市警が抑えている。
 これでは都市警の人間は仕事が減らず、外縁部に迎撃にも出られないだろう。

「私たちは一応レイフォン待ちです。どうせ迷って……ああいえ、どの入口から来るか分からなかったので。もう少しで無視して入るつもりでした」
「入って良いの? 聞いた限り、脚部を登っててもうすぐ来るって言ってたけど」

 どちらでも良いと思っていたがレイフォンは一応聞く。
 荷物を持ったクラリーベルは「んー」と考えるように視線を泳がせつつ、他の生徒から距離を置くように隅へ動く。

「いいんじゃないですかね、多分」
「そうなの?」
「現状じゃ陛下の命令守るの難しくて……というのは建前で、実際は別に私たちがいなくても平気ではないかと。ま、ま、取り敢えず歩きましょう。実は私、シェルター入るの初めてなんですよ」

 少しテンション高めに言うクラリーベルについてレイフォンとアイシャも荷物を持ち建物の中に入っていく。
 普段は閉じられている分厚い床の扉から階段を下り、何層にもなっている壁を通りながら歩いていく。

 既に大半の人はシェルターに行ったのだろう。さほど長くはない通路だが見える人影は少ない。
 広さはあるが閉鎖された空間だ。靴が地面を蹴る音が響き、空気が澱んでいる気がした。
 前に使われたのはいつなのか。或いは、これが始めてなのか。

「二人はシェルター入ったことあります? どんな感じなんですか」
「僕は公式戦で認められるまでは入ってたよ。弟たちが煩くて周りの人に頭下げたかな確か」
「院の子達は元気ですからね。今もそうなんですか?」

 クラリーベルが楽しげに聞く。
 もっとも、他人には聞かれぬよう声量は下げてだが。

「今はどうなんだろうね。リーリンに聞こうにもここ一年弱はさ。距離置かれてて、僕はちょっと……その、うん……ごめん」
「……すみません」

 答えづらそうにするレイフォンにクラリーベルは謝る。
 その空気を打ち消そうとクラリーベルは話をもう一人の方へ向ける。

「じゃあ、アイシャさんはシェルター入ったことあります? 何かありました?」
「前に一回だけ入ったよ。汚染獣に押入られて、知り合いの人が目の前で喰べられ」
「――こっちもかーごめんなさい!! そうでしたねやめにしましょう。はい、終わり!」

 二連続で地雷を踏んだクラリーベルが言葉を遮って打ち切る。半ばやけくそ気味だ。
 お前ら何なんだよとばかりに二人に視線を向ける。
 
「私はですね、入ったことがないんですよ。実家の方が安全だったので」

 貴様らは喋るなとばかりにクラリーベルが自分の話を始める。

「お爺さま天剣ですし、親族の方たちも実力者ばかりです。王宮も近く、そこにも天剣の方々いましたから」
「確かにそっちの方が安全かもね。王宮なら陛下とかもいるし」
「そうなんですよ。彼らが負ける相手にシェルターとか意味ないですから。すぐ傍に天剣授受者がいる様な場所でしたので」

 セキュリティシステムよろしく王宮には基本的に天剣授受者が最低一人は常にいる。汚染獣襲来時はもう数名増える。
 三王家であるクラリーベルの家なら王宮からはそこそこ近い。

「気づいたら公式戦で認められてました。なのでシェルターに興味あったんですよ」

 クラリーベルは楽しげに周囲を見渡す。
 それに釣られ天井を見上げ、そういえば何年ぶりだろうとレイフォンは思う。
 公式戦で汚染獣と戦うことを許されたのが八歳。出られる時は出続けた。多少の怪我があっても、隠して出続けた。
 だから、明確に記憶には残っていない。

 ここ一年程は戦場に出ていない。だがシェルターに入りはせず都市の中を逃げ回っていた。
 記憶の中にある天井は酷く高かった。実際、見上げるだけの高さはある。
 けどそれが今は近く感じられて、本当に久しぶりなのだとレイフォンは言い様のない感覚に襲われる。
 
「そう言えばひとつ前の話の続きなんですけど」
「ひとつ前?」
「私たちが出なくていいのかって話です」

 そう言えばしていたなとレイフォンは思い出す。

「迎撃はここの人たちだけで大丈夫だと思っています。経験則から考えて幼生体ですよね?」
「だろうね、僕もそう思うよ。登っている脚部は一つみたいだし、数もそこまで多くない」

 幼生体。それは生まれて最初の状態であり、汚染獣の中では最弱に分類される個体。
 幼生体は雌性体から産み落とされるが、数が多いということは母体となる雌性体が多く必要になる。

 巣を踏み抜いたということは幼生体は生まれてまもなく、ならば周辺に雌性体がある程度の数いなければならない。
 都心の強さから想定できる巣の大きさもそうだが、一つの脚部しか登っていないならば雌性体はいても一匹二匹。そこまで数はいないはずだ。

「学園都市なのでグレンダンと比べるのもあれですが幼生体なら平気でしょう。自前の武芸科で何とかなりますよ」
「確かにそう、なのかな」

 言われればそんな気にもなってくる。

「大丈夫。何かあっても、レイフォンなら平気」
「クラリーベルもいるし、何とか出来るとは思うよ。そんなに信頼されても困るけど」

 よく分からない自信に満ち溢れたアイシャの言葉にレイフォンは返す。
 
「けど、確かに平気かな。取り敢えずニーナさんたちに任せよっか」
「武芸科の人たちも遊んでるわけじゃありませんし、大丈夫ですよ」

 そう言って三人はシェルターに入っていった。






 価値基準は生まれ育った環境で培われる。それは金銭感覚や衛生感覚でもあり、安全への認識でもある。
 故郷とは違うと知識では知っていても、クラリーベルとレイフォンが武芸者の基準をグレンダンに置いたのは仕方がないことだろう。
 恵まれた育った人間が危険とは知りつつ「流石にないだろう」と無意識に基準を引き、無防備を晒しスラム街で財布や命を奪われる。
 それと似たことを二人はしていた。

 汚染獣戦の経験者として、気づけた可能性はあった。
 だがそこにいたのは一年近く戦場から逃げていた男と、手合わせの相手でも特に不足がなく気まぐれでしか汚染獣戦に出ない女の二人だ。
 また、一般教養科の二人は武芸科生の力量を正しく理解する機会がなかった。
 知り合いであるニーナを始め、対抗試合で見た小隊員の力量をツェルニにおける基準として見てしまっていた。
 



 それから暫くの後、汚染獣の襲来が目前と迫りシェルターへの通路は全て封鎖された。
 場違い過ぎる程の力量を持つ二人は最後まで気づかなかった。
 質も量も経験も恵まれた故郷とは違い、学園都市にいる武芸者にとっての幼生体の重さを。
 
 そして、獣は襲来した。












 


















 もし目の前に虫が飛んでいたら人はどうするだろう。
 仮にその虫が明らかな敵意を示し、倒さねばならないとしたら。

 虫が小さければ手で打ち払えばいい。或いは両の手で潰すのもいい。
 仮に大きくとも嫌悪感さえ乗り越えれば変わらず叩き潰せるだろう。

 ではそれが虫ではなく猫であったら? 
 素手で叩きのめすことは可能かもしれないが手傷を負うだろう。棒や刃物を使えば多少は楽になる。

 猫ではなく犬であったらならば。それも大型犬であったらどうなる。
 歯が食い込めば肉を貫き骨まで届き、足の速さは桁違い。もはや素手では勝てず、武器を持ち出すしかない。
 ではそれが犬でなく、獅子であったら。或いはそれに匹敵する猛獣であったら。

 人が素手で勝てる動物は良くて自分の体重の半分の犬だと言われている。それほどまでに身体能力がかけ離れている。
 何せ敵は牙を生やし、爪を持ち、厚い皮膚に覆われた全身は筋肉の割合が高く俊敏に駆けるのだ。

 重量もまた力の一つだ。
 重ければ重いだけ肉は厚く、生半可な刃は通らなくなる。銃弾も筋肉で止められ、相手の怒りを買うだけで終わる。
 事実、大型獣が走行中の車両と衝突したが車は中破し獣はほぼ無傷、などという馬鹿げた耐久性を示したと事例もある。

 ならばこそ、敵の獣が同じ重さであったら。それ以上であったら。
 それも犬や猫のように複雑な内蔵や大きな脳を持つまでに発達した生物ではなく、原初の、簡易な構造故に非常に高い機能と生存性を有した虫に似たそれであったとしたら。
 一体、何を持てば勝てるのだろうか。




 汚染獣を最初にその視界に収めた時、待機していた武芸者達の最初の反応は拍子抜けした、というそれが近いだろう。
 虫に似た体躯をした個体だった。一目見た姿はゾウムシやコガネムシのようでもあった。
 だが意外に大きい。
 家畜として飼っている牛よりも三回りほど上の体躯はある。遠めに見てもわかるほど厚い殻で覆われ、急勾配を登ってきた多足に生えた鋭い爪がガッチリと地面を掴んでいる。眼は明確に武芸者たちの方を捉えている。
 躰に比べ小さい頭部には挟のような大顎がある。

 確かに強そうだ。だが、時間をかかるかもしれないが問題なく倒せる。これだけの仲間がいるのだから。気を張っていたのが馬鹿みたいだ。
 ある武芸者はそう思った。
 その矢先、次が姿を現す。数が十ほど増える。
 巣を踏んだのだから当然だ、そう思う。

 次が現れる。数が、二十増える。
 まだ、問題なく倒せる。そう思う。
 さらに次が現れる。三十増える。
 まだ、倒せる。

 次が現れる。さらに四十増える。
 次が現れる。さらに五十。
 次が現れる。さらに六十。
 次が、次が、次が――
 悠長な考えが削り取られていく。不安の雫が次々に滴り落ち心に漣を立たせていく。

 アリの巣をつついた時のようにわらわらと終わりなく獣が続く。
 耐えない黒い波が押し寄せるようで、気づけば見渡す限りの外縁部の一帯が埋まっていた。
 詰まらぬようにと押され幅広く広がった様は壁であり波であった。
 それでもなお登りきれぬ後続が後ろに犇めき、一層広い黒い壁を作っていく。

 静かに通達が走る。汚染獣の総数、千百六十二。外縁部にいる数は、凡そ二百八十。
 見る限り数百の汚染獣。これで未だ半分にすら届いていないのだと、心に不安が染み出していく。
 夥しい数のそれらが一斉に羽を開く。響く、蜂が耳元で飛ぶ様な生理的な嫌悪と恐怖を煽る羽音。
 それを打ち消すようにヴァンゼの剄の篭った怒号が飛んだ。

『撃てぇ!!!』

 剄が走る。
 銃による弾幕、弓の掃射、壁を作る衝剄。
 それらが一斉に汚染獣に向け放たれる。
 全面にいた汚染獣がそれを直に喰らう。浮かしかけていた体は力の奔流に飲まれ、飛ぶことを諦めたように地を這って武芸者たちの方へ一斉に向かい出す。
 思ったよりもそれは速い。一般人ならば全力で駆けても容易く捉えられてしまう速さだ。
 それを合図としたように武芸者たちも動き、汚染獣へと向かっていく。

『可能な限り前に出すな! 狙える者は最優先で飛んでいる固体を狙え!!』

 伝達されるヴァンゼの言葉通りにゴルネオは持ち場の武芸者たちに指示を出し、自らも錬金鋼を復元しながら戦況を見る。
 飛ぼうとした個体の大半は阻止できたが、撃破という面で見れば先の一撃は前一列、壁の薄皮を剥がしただけだ。
 羽が未熟なのか、それとも体力が無いのか。
 一度飛ぶのを諦めた個体が再度飛ぼうとせず、比較的撃ち落としやすいことだけは有難かった。飛んでいる個体も余り高くは飛べないようで次々に撃ち落とされていく。

『――硬いな』

 端子から聞こえたヴァンゼの呟きにゴルネオは心の中で同意する。
 以後の指揮は各持ち場ごとの小隊に任せる。そうヴァンゼからの伝達が入る。
 ヴァンゼは総指揮ではあるが、全体の流れを決めるといった役割だ。各小隊の下に一般武芸科生が割り振られた臨時の隊が設けられ、此処の戦闘はそこに任せられる。
 小隊長であるゴルネオは隊の武芸者たちへ指揮を飛ばし、自分も汚染獣へと向かい錬金鋼に剄を走らせる。

 先頭にいる汚染獣、その一匹へ圧縮した剄が飛び、甲殻と衝突し鈍く弾ける音が響く。
 剄を受けた甲皮にはよく見ればわかる僅かな罅が入っていた。汚染獣の足を止めるだけの効果は無く、それでも邪魔だと思われたのか緩やかな弧を描くようにゴルネオへと汚染獣の進路が変わる。
 その、側面に。
 一息でゴルネオは入り込む。

 先の一撃よりも練り上げた剄を込めた拳を、直に甲皮へと撃ち込む。

――ルッケンス流 迫撃掌・裂罅

 強化された殻砕きの拳打が罅を砕き、込められた剄と共に殻の中の肉を穿つ。
 甲高い金切り音の様な悲鳴と共に飛び散る体液を浴びながらゴルネオは直ぐさまその場を離れる。
 先程までゴルネオがいた空間を鋭い爪が薙いだ。すぐ傍まで迫っていた別の汚染獣の爪だ。空振りしたその爪が外縁部のプレートを抉る。
 ゴルネオを追おうとした振り上げられた脚部。狙撃の剄がそれを撃ち追撃が止まる。
 
「ちっ」

 渾身の拳を叩き込んだはずの個体が動くのを見てゴルネオは舌打ちした。
 十分なだけの肉を飛ばしたと思ったがそれは錯覚。放射状に広がった罅の中心、そこの肉が抉れただけ。
 汚染獣の動きも僅かに鈍くなっただけだ。完全に殺すには少なくとも更に数発は必要だ。

 同隊の隊員が周囲の汚染獣の気を引く中、囲む汚染獣の爪牙を避け追撃を加えるべく近づこうとしたゴルネオは空気が熱せられるのを感じた。
 見上げた先、シャンテが先ほどの個体目掛け跳んでいた。剄で灼熱に染まった槍をシャンテが振り下ろす。
 槍はゴルネオの穿った傷跡へと刺さり、肉を焼きながら更に奥へ。込められた剄が穂先で爆ぜる。汚染獣が小さく痙攣する。

「あれ?」
「馬鹿が、止まるな!」

 肉に埋まった槍を抜こうとするシャンテをゴルネオは近づきざま引きずり倒す。一瞬遅れ、すぐ傍を通り過ぎた爪がゴルネオの腕を浅く切り裂く。

(っ、これでもまだ死なないのか)

 刺さった槍から逃れようと藻掻く汚染獣に接近、周辺の肉を吹き飛ばすように一撃を入れ、力任せに槍を引き抜いてゴルネオはシャンテを脇に抱えたまま下がる。
 追おうとした他の汚染獣を入れ替わるように前に出た武芸者が引き受ける。
 
「一撃で決めようとするな、決して止まるなといったはずだ」
「ごめん……」

 うなだれたシャンテを地に降ろし槍を渡す。
 他の武芸者も動いていた。数人で組みを作り、それで一匹に当たる。
 だが硬い殻に高い生命力を持つ汚染獣は殺しきるまでに時間がかっていた。汚染獣は数も多く、あまり時間がかかるようではジリ貧になるだろう。
 先ほど攻撃した汚染獣も見た目は死に体に見えるが未だ動いていた。

「可能なら脚部の破壊を優先するよう伝達しろ」
『了解です』

 念威操者へとゴルネオは伝える。
 直ぐに殺せないならまずは機動を削ぐ。
 数を減らすことに終始するより、戦線を突破され市街部に向かわれる方が困る。

(確か、神経節、だったか)

 多くの生き物、特に節足動物は体節制といい体節という構造の繰り返しで出来ている。ミミズや芋虫の体にある節の筋が分かり易い。
 体節は身体を稼働するための機能をそれぞれ有している。
 ある程度以上発達した生き物だと神経網が複雑になり、体節ごとに異なった機能を有したり体節間の関連性が深く、どれかを失うと生命維持に問題を起こす。

 だが昆虫のような生物だと個々の体節区切りで神経支配が強く、機能が独立し脳の代わりに近い役割を有すようになる。
 極端な話、頭がもげても止まらずに走り続けることもある。頭部の神経の役割が大きくなく、足を動かす部分の中枢神経は生きているからだ。
 頭をなくした虫の死因が餌を食べられず餓死、なんて事さえある。

 頭を砕き、脚をもぎ、腸を晒し、血を流し。
 それでもお構いなしでその爪を振るい重く堅牢な躰をぶつけてくるのだ。
 待ちの姿勢や一打ごとに止まっていては命が幾つあっても足りはしない。
 汚染獣の速さと重量を思えばただ当たるだけでも重傷になる。

 何より渾身の威力で撃ち込まねば壊れぬ殻。小隊長であるゴルネオでこれでは、他の武芸者ではどれだけ数を打てばいいのかも分からない。
 足を奪うにしても何人がかりで何発打てば十分なのか。

(もう少し、数が少なければ)

 汚染獣は脚部を登ってくる以上足場は限られている。汚染獣が現れる度に倒すのも一つの方法である。
 それを取らずある程度姿を見せるまで待ったのは、練った剄の一斉放射である程度の数を一度に減らすつもりだったからだ。
 だが予想以上に残った数は多い。
 飛ばすわけにはいかないと早目に切り上げたのが結果的にだが是と出ていた。

 グレンダンの武芸者達が重ねた初撃で十分な数を屠るのをゴルネオは見た事がある。
 汚染獣の中でも最弱の幼生体でこの体たらく。目の前の現実の光景とそれをつい重ねてしまう。

(グレンダンではこんなことは……いや)
 
 歴戦の相手と比較しての卑下など侮辱に近い。流れた思考をゴルネオは断ち切る。
 切られた腕の傷がジクジクと痛む。傷自体は浅いが汚染獣の爪についていた汚染物質が付着したのだろう。

 不意に、かつてサヴァリスとした会話をゴルネオは思い出す。
 汚染獣が襲来したその時、戦闘狂の兄が出撃する気配もなく家にいたのがゴルネオは不思議だったのだ。

――脆すぎてつまらないからだよ

 サヴァリスはデコピンの仕草をしながらそう言った。幼生体や雄性一期程度ではつまらないのだと。
 そんなものかと当時ゴルネオは思ったが、今思えばどれだけ馬鹿げた言葉なのかが実感できる。
 今までの環境がどれだけ恵まれていたのか。今更になって理解しながらゴルネオは動き続ける。
 反省は後でも出来る。今は今できる最善を尽くすのみ。
 
 実戦経験者などこの場には皆無。下級生も多い。時間とともに不安が伝播する可能性もある。毅然とした姿勢を示す必要がある。
 ゴルネオは幼生体へと向かっていった。










 

 息を吸うたびに鼻の奥がチリチリと痛む。
 幼生体に付着していた汚染物質が空気に混じっていた。個々の量は少なくとも数が積み重なれば確かな量になる。
 膨大な数の汚染された獣の臭い。溢れた血臭に肉臭。人の血の匂いも混ざっている。
 汚染獣との戦闘が始まり既に相当の時間が経つ。外縁部の最前線でニーナたちは幼生体の相手をしていた。
 既に嗅覚はロクに効かずその痛みだけが空気の匂いとなっていた。
 

 第十七小隊の受け持ち区画は第五小隊とは大きく離れた場所にあった。
 ニーナは吸った空気を臓腑に行き渡らせ鋭く吐き、地を蹴り跳ぶように幼生体へ迫る。
 右上から迫る爪に右の鉄鞭を持ち上げ斜めに受ける。左へと矛先を代えさせ、受けた力に逆らわずニーナは押されて屈むようにその下へ潜る。

 体を支えるように右足を出し、踏み込む勢いをまま体を捻る。旋回しながら前進し、弧を描き遠心力を伴った左の鉄鞭を横から脚部に撃ち込む。砕けヘし折れ、殻が弾け飛ぶ。
 その勢いのまま前方にある幼生体へも振り下ろし頭部を一撃で破砕する。

 頭を砕かられたとて直ぐに死ぬわけでもない。痛みに鈍感な幼生体の爪が半ば反射的に動く。
 だがその矛先は目の前のニーナではなく横へ、側面から接近し衝剄をぶつけたアイクへと振るわれる。
 腕に付けた手甲越しにアイクはそれを受けクルリと回し、受け流して爪を下へと叩き落とす。そして踏み込み甲殻に一打すると直ぐに場を離れ追撃から逃げる。
 
 その隙に止めを刺そうと動くニーナへ他の個体が前脚を振り下ろすが、背後からの射撃が脚の関節部を撃ちそれを阻害する。
 ニーナは回避動作を中断。前へと跳び頭を無くした幼生体の背甲に乗り、衝剄を撃ち込むと同時に双の鉄槌を下す。
 一瞬で放射状に罅が刻まれ伝播する。瞬くより早くそれが砕ける。
 背部が陥没し、透過した浸透剄が臓器を死滅させ全身の機能を停止させる。

『おいニーナ、先行し過ぎだ』

 射撃で援護を行っているシャーニッドが端子越しに諌める。
 本来、複数人で組んで当たる戦闘をニーナはほぼ単独に近い状態で行っていた。
 シャーニッドの射撃やアイクの陽動はあるがコンビネーションというよりニーナの動きに後から合わせているという状況だ。

 それでさほど問題がない、というのも問題だった。
 時間と数を重ね成す幼生体の撃破をニーナは凡そ三四の擊で成していた。
 両の手に武器があるのだ。一息の動作という事さえある。

 だがそれでも助力があれば危険は減る。
 それほどの擲ならば剄や体の疲労も早く積もる。それを和らげる事も出来るはずだ。

『さっき運ばれてった奴みたいに腹に穴空けてくれるなよ』
「ああ。だが可能な限り前で止めておきたい」
『それは分かる。強いのも分かるがもっと周りも使え。一人で突っ走るとミスった時助けられねえぞ』
「これでも深入りしないよう気をつけている。それに耐えられるなら耐えねばならん」

 くの字を描き迫る脚を真っ向から砕きつつニーナは言う。
 援護の手を緩めぬままシャーニッドの呆れた溜息が端子から聞こえる。

『旗印が要るのは分かるが十分過ぎるだろう隊長殿』

 アイクが言う。
 
『見る限り他の武芸者も全員、戦うだけは戦えている。とうに役目は果たしたはずだ』

 極一部の例外を除き武芸科の武芸者は全員、幼生体との戦闘に出ている。
 つまり一年生から六年生までいるということで、武芸者としての質も戦いに望む気概も違う。
 汚染獣との交戦経験のある者など皆無だろう。だが上級生になれば成人している。背に後輩も背負っている。恐れを捩じ伏せることも出来る。

 だが新入生ともなれば恐れで足が竦み動きが鈍りもする。
 何より、質が低い。
 基礎的な事しか習っていないと、外力系衝剄がロクに使えない者が思ったよりも多数を占めていた。
 必然的に近接戦闘しか出来ない。一層、恐れは増す事となる。
 だからそれを薄める役割が必要だった。

 それをニーナは行った。
 真っ先に化物へと踏み込み、至近の間からその手に握る武器を敵の躰へ直に叩き込んだ。
 戦えるのだと。それを示した。

「わかっている。だが、未だ問題が無いなら引く理由もない」
『問題が出来てからだと遅いぞ。そこらを見ろ』

 幼生体の攻撃を避けつつニーナは周囲を見る。
 正確には周囲の地面、そこに転がっているものを。
 人に付いていたはずの、切られた指や足や腕の一部を。
 
 死者こそ出ていないが既に何人もの負傷者が出ていた。
 そして見える欠片の数だけ、復帰できない者が生まれている。

『仲間入りするぞ』
「重々承知しているさ。深入りはしないから援護は他へ回せ。負傷者を一人でも減らしてくれ」

 ここは平気だ。だから他の場所の穴を埋めてくれ。
 一人でも負傷者を減らせるよう、死なせぬよう一人で背負えるだけ背負う。
 そんな言葉にシャーニッドは改めて溜息をつき、アイクは馬鹿を見る目でニーナを見る。

『仕事しすぎだな』
『アイクはアイクでちったあ仕事しろ。少しは倒せよ』
『そう言われても汚染獣は専門外だ』

 ニーナに動きを合わせ隙の出来た幼生体へと接近しアイクは拳を打ち込む。普段と違い拳の保護用に付けた黒鋼錬金鋼の手甲での一撃が殻に小さな罅を作る。
 その傍でシャーニッドの射撃援護を受けたニーナが一撃で大きく幼生体の体を抉る。 

『無理だな』

 速攻で諦めアイクは後ろへ下がる。

『汚染獣用の技とか何かないのかよ』
『有るにはあるがこうも周りに多いと無理だ。鎧徹しもあるが人じゃないからな。専門家に任せる』
『本来お前さんも専門家のはずなんだがなぁ……使えねぇ』

 幼生体の攻撃は人で言うところの反射的な動きに近い。直線的だが予備動作が小さく不意にくる。
 嗅覚が強いからか気配を飛ばすことも意味は薄い。複眼が相手では速度の緩急も効果は薄い。
 しかも痛みを気にせず待ちの姿勢などしたら速攻で吹き飛ばされる。
 攻撃は捌くのではなく避ける。何よりも速さと耐えない動き。そして一撃の重さが必要とされるのだ。アイクとは相性が悪い。
 

 改めてシャーニッドに促されニーナは一旦前線から下がる。
 息を整え体内で荒れ狂う剄を沈め、僅かばかりの休息を取る。
 だがさほどの間もなく、ニーナの目はそれを捉えた。
 
 視界の端、一匹の幼生体を足止めしている四人組。
 囮役をしていた下級生の動くタイミングが遅れた。
 急ごしらえな連携ゆえの、本当に小さなズレ。
 次の瞬間、無造作に振り下ろされた幼生体の脚が逃げ遅れた下級生の左腹部を貫いた。刺さった勢いで下級生は地面へと叩きつけられ、頭を強く地面にぶつける。
 刺さったまま再度脚を振るわれ、鋭い爪が腹の肉を無理矢理に裂く。

 下級生が放り投げられるように飛ばされる。
 脚が刺さっていた部分は抉れ、絶え間なく血が流れていく。
 血が、その中身が、溢れぬよう。立ち上がることさえ出来ない下級生は傷口を手で抑える。
 その程度で塞がるはずのないその穴を、武器も離し両手で。

「―――!! ――――!!!!」

 口は限界まで開かれ、目の焦点は合っていない。必死で抑える手も震え、指の隙間からは血が溢れ続けている。

 他の三人が慌てて回収し、後方の救急テントまで運んでいく。
 ほんの数秒の、束の間の出来事だ。
 それを見てニーナはロクに休まってもいない体に再び剄を入れていく。

『おい、ニーナ』

 端子越しに諌める声が届く。
 だがニーナは幼生体へと向かい、鉄鞭を振り下ろす。
 一匹でも多く屠るべく。
 ひたすらに、足を進めた。








 暫く戦い続けニーナの服が幼生体の体液で染まりきった頃。
 体に刻まれた傷も増え、最初の場所から少し離れて気づけば一人で戦っていた時。
 不意にニーナの耳が悲鳴を拾った。

 それは少し離れた場所にいる武芸者が上げたものだ。
 地面に転がっている男子生徒には右足は膝から下がなかった。幼生体の攻撃を避け損ねたのだろう。
 しとどに血を流し痛みを訴える男子生徒に向け、幼生体が脚を振り下ろす。
 必死に身を捩らせ避けるが、瞬く間に爪で刻まれ血が滲んでいく。
 
 仲間が助けようにも掴んで引きずり出す隙はない。殺そうにも一打二打では幼生体は身じろぎさえしない。
 その僅かな間に近くの幼生体が近づき数が増える。
 男子生徒は手に握った剣で必死に幼生体の脚を払い、なおも足掻こうと向かってくる幼生体めがけがむしゃらに振るい、

 カラン、カラン

 と音が鳴った。
 握っていた剣が遠く、地面を転がっていく。
 腕があったはずの場所。
 そこにはガチリと閉じられた幼生体の大顎があった。

「ッ、ぁあああ!!??」

 肉の欠片を付けた大顎が噛み合わされる。
 打合せられ響く音に鈍重で水気のある咀嚼音が混じる。

 持ち上げられた脚の爪が首を貫く寸前、旋剄で急接近したニーナの鉄鞭がその脚を横合いから両の鉄鞭で勢いのまま殴り、砕く。
 そのままニーナは男子生徒の前に無理矢理に体を捩じ込ませる。
 周囲の幼生体も迫り、武器を構える間もなくニーナに複数の爪の追撃が迫る。
 それをニーナは正面から受け入れる。

――活剄衝剄混合変化・金剛剄

 剄の壁が迎え撃つ。
 無防備なはずの体に届いた爪はニーナに触ることを許されず弾き返される。
 僅かに出来た隙。その隙間を縫ってニーナは体を反転させ幼生体が道を塞がぬよう背後へ衝剄を放つ。
 足に剄を集中させながら倒れた男子生徒へ踏み込む。
 すぐ傍に幼生体がいる。拾って逃げるだけの時間はなかった。

「腹に力を込めろ!!」

 その声が届いたのかは分からない。
 ニーナの足が男子生徒の腹部に激突しその体を浮き上がる。
 そのまま足を振り切り、男子生徒を仲間がいる方へと蹴り飛ばす。

 結果を確認する暇はない。僅かに生まれた隙を突くように幼生体の脚がニーナに背後から迫る。
 避けるだけの時間はない。体を旋回させつつ右の鉄鞭で受けて弾く。完全には弾けず軌道がずれた脚の爪がニーナの両肩を裂いていく。

 唇を引き絞って苦痛の声を抑える。
 姿勢を低くし地面を蹴り目の前の幼生体に接近。振り下ろされる脚の下へ体を潜り込ませつつ関節部を砕く。
 側面の甲殻へ力任せに右の鉄鞭を横薙ぎに叩きつける。中身諸共一打に砕かれたそこに左の鉄鞭を刺し、剄を撃ち込む。
 直ぐさまその躰を足場にして蹴り他の個体からの襲撃を躱し、ニーナは体を宙に舞わせる。

 着地点にいた幼生体の背甲へ鉄鞭を二本とも振り下ろし破壊。衝撃に幼生体が体勢を大きく崩す。
 放り出される直前、ニーナはその背を蹴って地に降りる。そこを狙って爪が迫る。
 虫が威嚇をするように後ろ足で立ち躰を起こした幼生体はニーナへ覆い被さるように複数の脚を振り下ろす。

 重さで責められたら勝負になるはずがない。
 だから、覆い被さってくるよりも早く、囲うように四方から迫る爪より速く前へ。
 懐に潜り込み、軸とすべく根を如く右足を踏み出し剄を爆ぜさせる。

――活剄衝剄混合変化・塵雷

 正面から撃ち下ろされた鉄鞭が幼生体の殻を砕き肉を穿ち、尚も止まらず進む。
 剄の余波が衝剄となり撃ち込まれ、全身の殻を破砕し破壊を続けていく。
 過大な威力の一撃で絶命した幼生体の体が夥しい量の血を撒き散らす。
 衝撃のままに飛ばされ背後にいた幼生体を巻き込みその脚を止める。

 鉄鞭を振り抜き、直ぐさまニーナはその場で体を回して後ろへと傾ける。
 瞬間、ニーナの頭があった場所を鋭い尖端が突き抜ける。
 薙払いではなく刺突に近い一撃だ。節榑立った構造のせいで奇妙な軌道を描き宙を貫く。

 技を避けられる心配がないと剄を出し切らぬよう調整したが、それでもやはり動きに一瞬の隙は出来る。ニーナの頬に朱い筋が刻まれ雫が滴れていく。
 走る痛みを噛み堪えながらニーナは膝を折り体を沈める。
 真横から振り払われた脚が頭上を通る風の音を聴くより早く、溜めた足のバネを弾けさせる。

「ぁあああああ!!」

 裂帛の気合を轟かせ地を疾走する
 瞬いた時には既にそこにニーナの姿はない。
 振り下ろした鉄鞭が幼生体の頭部を砕く。衝撃が伝播し背甲にまで及び破砕。大量の中身が地面に叩きつけられる。

(今、どれだけ倒した。後どれだけ残っている)

 流れる血を拭いながらニーナは考える。
 既に二桁の幼生体ニーナ一人で倒している。だが、それでも全体から見れば微々たるものだ。
 未だ大きな怪我は負っていない。だが疲労が積み重なればどうなるか分からない。
 少しずつ流れ出た血の影響も馬鹿にならなくなるだろう。

(血といえば先ほどの彼は無事だろうか)

 医療技術に関しては死んでさえいなければ大抵治ると聞いたことがある。意識はあったのだ、止血さえ出来ていれば死にはしないだろう。
 最も、あの蹴りが致命傷になっていなければだが。
 
 危ない所に助力し、或いは怪我をした者をニーナは既に何人も助けている。
 幼生体の大顎は枝木を剪定するように容易く四肢を断ち切る。関与していない範囲でも腕を、足を無くし運ばれていった武芸者は幾人にも昇る。辺りを探し回れば切られた手足がゴロリと見つかる程だ。
 走り回る最中、踏みつけそうになって姿勢を崩し脇腹を斬られたのはニーナにとって痛い教訓でもある。

 自分の区画だけしかニーナは知らないが、未だ死人は出ていない。
 単なる幸運と幼生体の生態によるものだ。
 幼生体は体の大きさに比べ頭部が小さく、口もさほど大きくはない。
 その為、捕食行為を行われても発見と救出が早ければ死なない可能性が高い。

 最も逆を言えば、捕食されるときは生きながらにして少しずつ食われるという事。
 それはきっと、最悪に近い死に方だろう。
 目の当たりにすれば恐怖が伝播する可能性が非常に高い。

 疲労はある。だが未だ動く分に支障はない。
 眼に映る限り、手の届く限りは助けたい。市街部には守らねばならない一般人の生徒たちがいる。
 武芸者としての「当然」を教えられたニーナは思う。

――私はあなたの為にいるんじゃない。お願いだから巻き込まないで

 そして脳裏を過るのは嘗て言われた言葉。
 ニーナは奥歯を噛み締め剄を燃やす。
 活剄で筋肉を収縮させ止血。再生能力も強化され簡易的だが皮膚が癒着し、頬の血が止まる。

(この程度で終わってしまえば結局、私は何も――)

 全身に回る剄を強め、未だ残る幼生体へニーナは足を向ける。
 そこへ別の区画で前線が突破された報告が入る。

 複数の幼生体がツェルニ市街部へと侵入。
 戦況は悪化を辿っていった。

 
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