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その魂に祝福を

作者:玄月
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魔石の時代
第一章
  始まりの夜2

 
前書き
遭遇編。何やら色々殺伐としてますが……
 

 



 その瞬間、自分が真っ先に考えたのは代償で耳がイカレたままに違いないという事だった。――が、それはおかしい。自分が被っていた代償として捧げたのは皮膚だけだ。それ以外の機能に影響は出ない。
 もう一度言ってくれるか?――何かを聞き間違えたのだろう。強引に自分を納得させてから、問いかけた。
「私達の家に来ないか?」
 一言一句たがわず、その男――ついさっき救済したばかりの半死人は、そんな世迷い事を言った。救済が巧く行かなかったと考えた方がいいのだろうか。ただの火傷だと思って手を抜いたつもりはなかったのだが。
 自分の素性については、一通り話したはずだった。
 実際のところ、話す義理はなかったが――いや、リブロムを届けてくれた相手だ。それくらいの義理はあるか。もう一人の女はともかく、この男はこちら寄りの人間だ。多少血生臭い事を話したところで問題あるまい。その判断から、この男にだけは話した訳だが。
 もちろん、全てではない。たった今思いだしたばかりに事もあるし、まだ思い出せていない事もある。忘れている事にすら気づけていない事もあるに違いない。その中で、さらに胆略化した以上、語った内容というのは自分という存在のごく断片に過ぎないが。
 俺は異能者で、人殺しで、不死の怪物だぞ?――呻くように告げていた。魔法使いはこの世界に存在していない。御神美沙斗と行動を共にしていた以上、この器になってからも何人殺したか分かったものではない。そして、たった今取り戻した事実。
 そもそも、自分は人間ですらない。死体にとり憑き蘇った時点でまともな人間だとは思っていなかったが――どうやら、想像以上の怪物だったらしい。
「もちろん、ちゃんと聞いていたよ。にわかには信じがたい事だがね」
 ただ、美沙斗の相棒だったと言う時点で人殺しだと言う事は予想していた――自嘲するように、その男……御神美沙斗の兄は笑みのようにも見える表情を浮かべた。
「それに関しては、私も他人の事はとやかく言えない身だ。異能者……君が魔法使いでなければ、私は死んでいた。感謝する事はあっても嫌悪する訳がない」
 それはどうだか。命を救ったくらいで魔法使いへの嫌悪が消えるとは思えない。……たった今取り戻せた範囲での常識に従うなら、だが。
「それに、君が怪物のようには見えないな」
 確かに代償による損傷を癒すのは容易ではない。が、普通の傷なら話は別だ。思い切り掌を斬り裂いたところで、その気になれば即座に修復していく。たった今見せた通りに。
「君の体質は分かったよ。だが、それは怪物の証明ではない」 
 真意が読めず、視線だけで問いかけるとその男は笑ったらしい。
「そもそも、怪物が人を助ける訳がないだろう?」
 反論する言葉が無かった訳ではないが――これ以上付き合うのは時間の無駄だ。逃げる様にして、病室を後にする。そのつもりで、扉を開けると、
「お話は終わったかしら?」
 もう一人の女――つまり、あの男の妻がいた。
 ああ、邪魔したな――そう返事を返すより先に、その女は言った。
「あなたはこれからどうするつもり?」
 正直に言えばその質問に対する答えを持っていなかった。自分がやらなければならない事ははっきりと思い出した。自分がここに迷い込んだ以上、この世界のどこかに彼女達はいる。それを見つける必要があるが――伝手がないのは事実だった。御神美沙斗と行動を共にしている間、それらしい情報は手に入らなかった。だが、積極的に情報を集めていた訳ではない。見落としていた可能性の方が高い。この世界に魔法はない。それなら、今どこにあったとしても、いずれこちら側に追いやられるはず。ならば、
 相棒を探すべきだ――自分が下した結論はそれだった。御神美沙斗と行動を共にするべきだ。……例え、彼女がそれを望まなくても。自分は彼女の相棒なのだから。だが、
「もしよければ、私達の家に来ない?」
 この女もそんな事を言いだした。今度こそ深刻に思考が止まる。この女が命のやり取りとは無縁の世界で生きてきたのは明らかだ。なのに何故そんなを世迷い言い出すのか。そもそも自分を手元に置いておいて、この二人にどんな利点がある?――全く分からない。取り戻したばかりの記憶は役に立ちそうにもない。裏が読めない。真意が見えない。
 完全に途方に暮れ――それから先の事は、よく覚えていない。
 何か言い訳をしたような記憶があるが、全く内容が思い出せない。おそらく、自分でも記憶できないほど支離滅裂な事を言ったのだろう。
「君を助けて欲しい。妹にそう頼まれているんだ」
 せめて行き先が決るまでの間でも、そうしてくれないか――男が言った。それが、最後のトドメだったように思える。裏も真意も何も分からないまま……いや、
 そもそもそんなものは初めからなかったのだと理解するのは――結局、その二人の家に連れていかれてから……家族と呼ばれるようになってからの事だった。




 それはおそらく潔癖症だったのだ。そして、自分の役割に誇りを持っていたに違いない。だから耐えられなかった。
 自分に向けられる、浅ましい欲望が。自分はそんなもののために存在しているのではないのだと。だから、それは自分たちの創造主たちが滅んだ時、安堵した。あるいは高笑いさえしたかもしれない。
 これでようやく眠れる。薄汚い欲望ばかり叶えるくらいなら、永遠に眠っていた方がずっとマシだ。そうして訪れた安息は、しかし唐突に遮られた。
 そいつのせいで、自分はまた身勝手な欲望ばかり叶えなければならない。それには耐えられなかった。せめてそいつを八つ裂きにしたい。自分にはその権利がある。だが、自分にはそのための手足がない。手足が、身体が欲しい。奴を八つ裂きにする身体をよこせ。
 そして、それはついに生まれて初めて自分自身の欲望を叶えた。散々毛嫌いした、誰かを傷つけ貶める――そんな薄汚い欲望を。
 ……――
 一体何でこんな事になっちゃったんだろう?――夜の街を必死になって走りながら、そんな疑問がふと思い浮かんだ。とはいえ、その理由は分かっていた。
『助けて』
 突然、頭の中に響いたそんな声。その声に導かれ、家から抜け出したのがきっかけだった。そのまま不思議な声に導かれ、私が行き着いたのはあのフェレットを預けた病院。驚いたことに、そのフェレットこそが声の主だった。
 だけど、驚いている余裕はなかった。そんな事よりも、今はここから逃げ出すのが先決だった。嫌な怖さが背中を撫でる。それがどんな恐怖なのか、どうしても名前をつける気にはなれなかったけれど――もしも捕まってしまったら、名前をつけるしかなくなる。
 それは、とても怖い事だった。だから、必死で走る。
「あれは何なの?!」
 必死で走る私を、なんだかよく分からない影のようなものが追ってくる。それが何かは分からないが、とにかくこのフェレットが狙われているらしい。不自然なくらい人の気配がない夜の街を必死になって走る。どこに向かって逃げればいいのかも分からないまま。
「お願いです。お礼なら何でもします。だから――!」
「お礼って……。そんなこと言ってる場合じゃないの!」
 どうやら、このフェレットはあの何かをどうにかできるらしい。だが、そのためには私の協力が必要だと言った。
「それで、私はどうすればいいの?」
 どの道、私がいつまでも走っていられる訳がない。意味がないと分かっていていたが、電柱の陰に身を潜めて問いかける。
「はい。あなたに使って欲しいんです。僕の力を――」
 首輪から赤い宝石を取り外し、そのフェレットは言った。
「魔法の力を」
 今さらその言葉には驚かない。フェレットが人の言葉を話しているのだ。魔法があったとしても驚くほどではない。……というか、今はそんな余裕さえない。
 縋るような気持ちで、私はその宝石に手を伸ばす。だが、その直前で何かが私たちの間を切り裂くように通り抜けた。
「やめろ。その娘を巻き込むな」
 その声には聞き覚えがあるはずだった。誰よりも耳に馴染んだ声だったはずだ。だと言うのに、一瞬誰だか分からなかった。その声には、あまりにも感情がなかったから。
「光、お兄ちゃん?」
 初めて聞くその声に、恐る恐る問いかける。だが、それは本当に光だろうか。青緑色の水晶のように輝く見慣れた剣のペンダント。赤い文様が浮かぶ、黒い外套。そして、すぐ近くには凄い速さで回る鋭い何かがいくつか浮かんでいた。……まるで、獲物を待ち構えるように。
 ……――
「やめろ。その娘を巻き込むな」
 黒衣を纏ったその少年――見覚えのない魔法を使うその少年の言葉に、僕は背筋が凍りついた。殺される。逆らったら、間違いなく殺される。彼はそれを躊躇わない。理屈ではなく本能が叫ぶ。
「あ、あなたは……?」
 干からびた喉から、何とか声を絞り出す。この少年は魔導師ではない。彼は明らかに異質だった。静かで底の見えない、深淵のような魔力を感じる。
 彼が何者であれ、自分などがどうにかできるような相手ではなかった。
「見れば分かるだろう? 魔法使い――正義のための人殺しだ」
 その言葉に、僕は驚きを覚えなかった。代わりに息を呑んだのは、傍らにいる少女だ。多分、この少年の妹。とても信じられないが、おそらくは。
「口が聞けるなら答えろ。一体何が目的だ? 何が目的でこの世界に侵入した?」
 彼は自分が他の次元世界から来た魔導師である事を知っている。一体何故。いや、そもそもこの世界には魔法技術などないはずなのに。
 だが、そんな事はどうでもいい。
「危険とは、何の事だ? 返答次第ではここで、まずはお前を排除させてもらう」
 フードの向こうに覗く瞳の、光のない輝き。それはむき出しの刃を思わせた。芸術性など考えもせず、ただ何かを切り裂くためだけに造られた、ナイフのような輝き。
「待ってください!」
 恐怖に突き動かされ、叫ぶ。黙っていたら本当に殺される。それは分かっていた。
「事故、事故でこの世界に撒き散らされてしまったジュエルシードという宝石を探しています! それだけなんです!」
「それがどう危険――」
 言いかけ、彼が突然飛び掛ってきた。心臓がすくみあがり、何もできない。だが、それは正解だっただろう。彼は、僕……というより、その後ろにいた妹に飛びつくと同時に、氷の盾を作り出した。
 そして、その向こう側に何かが激突する。あの思念体だった。確認するまでも無い。
「それがどう危険かは聞くまでもなさそうだな」
 その思念体を一瞥し、彼は不快そうに言った。
「その娘に傷の一つでも負わせて見ろ。生まれた事を後悔させてやる」
 それくらいの事は平気でできそうだった。物騒な言葉を告げると同時、彼は思念体に向けて、あの回転する刃を放った。ただの質量兵器ではない。魔力を帯びたそれは、思念体をあっさりと切り裂き――そして消えた。魔力によって具現化しているらしい。
 苦悶の声を上げながらも、思念体が彼に向かって突進する。だが、無意味だった。
「消えろ」
 彼が告げると同時、巨大な氷柱が思念体を貫く。そのまま凍りついた思念体に向けて、彼は再びあの刃をいくつも叩き込んだ。乱雑に切り刻まれ、思念体の身体が霧散していく。そして、最後に残ったのは青紫の宝石――ジュエルシードだけだった。
「さてと、仕上げといこうか」
 言って、彼は右手を突き出す。そこから先のことは良く分からなかった。青白い静謐な光がジュエルシードからあふれ出す。それは彼の右腕に吸い込まれていき――最後に大きな光の塊がその腕によって引っ張り出される。それもまた、やはり彼の右腕へと吸い込まれていく。それが一体何なのか――どんな魔法なのかはまるで分らなかったが、残されたジュエルシードは――明らかにとても安定した状態になっている。自分が発見した時よりも遥かに。それを拾い上げ、彼は振り向いた。
「さて、それでは詳しく聞かせてもらおうか。これは一体何だ?」
 ……――
 つくづく面倒な事になったものだ。そのフェレットの話を聞き、最初に感じた事はそれだった。他に何を思えばいいのか。
(やはりネズミにしろ猫にしろろくな思い出がないか)
 陰鬱な気分で呻く。だが、何であれ対処しなければならないだろう。何でも願いを叶える宝石など、どうせろくなものではない。実際、どこぞの世界では滅びの原因になったらしい。驚くような事でもないが。
 ついでに言えば、この魔導師が入り込んできたのは、この宝石を探しての事らしい。そんな物騒な代物を相手に送れる人員がフェレット一匹とは、どこのどんな組織か知らないがよほど人材が枯渇しているのだろう。あるいは、自分達と無関係な世界など、どうなっても別に構わないという事かもしれないが――まぁ、団体で来られても面倒なだけか。こちらはこちらで勝手にやらせてもらうとしよう。
「ジュエルシードとやらの事は分かった。それで、何故この娘を巻き込もうとした?」
 何故なのはを巻き込もうとしたのか。問題はそれだ。それ次第で、このフェレットの処遇を決めよう。静かに心に決める。
「それは……彼女には魔法の才能があるから……」
「それが理由か?」
 それが理由なら、問題は一つ減る。要するに魔法使いが一人いればいいというのなら。
「は、はい。その、僕の力では、暴走体を止められないので……」
「だろうな」
 とりあえず頷いておいたが、半分は違う。あの魔物は、このフェレットを殺したがっていた。どうやら、眠りを妨げられたのがよほど腹に据えかねたらしい。復讐と言うべきか逆恨みと言うべきかはなかなか判断しづらいところだが、何であれ相性が悪すぎた。
(まぁ、何だ。安眠妨害は迷惑だよな)
 手の中のジュエルシードとやらに語りかけるように呟く。一通り暴れて満足したのか、今はすっかり大人しくなっている。それには感謝すべきだろう。下手に暴れられ、生贄にするしかなくなれば、どんな代償を背負わされるか分かったものではない。
 ただでさえ、もう人間とは言い難い体質だと言うのに。
「事情は分かった。仕方がない。この一件、俺が引き受ける」
 なのはを少しだけ見やってから呻くように告げた。
「予定よりずいぶんと早いが……魔法使いに戻るにはいい夜だ」
 やれやれ。相変わらず唐突な話だ――月も見えないような暗い夜空を見上げて呟く。
 本当に。予定よりずいぶんと早い。だが、それでも。
 今夜限りでただの人間であった高町光は消える。
 



 俺が高町光――いや、御神光と初めて出会ったのは、父さん――高町士郎の病室だった。もちろんその時に、彼が父の命の恩人だという事は聞いていた。とはいえ、やはりその時は気が動転していたのだろう。あまり詳しい話を聞く事はなかった。それどころか、ほとんど会話をした記憶もない。その時光は病室の片隅に佇んで、妙な――いや、不気味な装丁の本を読んでいたからだ。
 そのせいもあって、命の恩人だという印象より、不気味な奴だという印象の方が強かった。だから、両親が彼を連れ帰ってきた時は酷く驚いたものだ。さらに彼は御神美沙斗の相棒だと言った。その上、両親は両親で、彼女の息子だと告げたのだ。御神美沙斗と妹の美由紀の関係は知っている。いかなる経緯でそうなったのかも、今何をしているかも、ある程度は聞かされていた。だから、俺達兄妹――いや、俺と美由紀と光との間がぎくしゃくしたのは当然のことだった。
 もっとも、それとて大して長い期間だった訳ではない。そのうち店がどうにか軌道に乗り、美由紀は母さんを手伝って店の仕事に没頭し、俺は父の跡を継ぐべく道場に篭りきりになった。それから俺達が打ち解けるまでそれ相応に時間が必要であり、その間に光にはずいぶんと大きな借りを作ってしまった。もっとも、それが理由で打ち解ける事が出来たとも言えるが。
 そんな彼の秘密を知ったのは、父の士郎が退院してきてからだ。その日、いつも通り道場で修練をしていると、父さんが光を伴ってやってきた。
「光に魔法を見せてもらおうと思ってね」
 父さんは何の前触れもなく、そんな事を言い出した。確かに、両親が光を『魔法使い』と呼んでいたのは知っていたが――それは、単なる冗談か何かの例えだとばかり思っていた。だが、父さんは言った。彼は本物の魔法使いだと。
 ……――
「恭ちゃん、やっぱり、なのはがいないよ」
 末の妹――なのはが、夜中に家を抜け出したらしい。何となく、嫌な予感がした。というより、何となく嫌な予感がしていた。
 嫌な夜だ。何がどうという訳ではないが、暗く曇った夜空を見上げ呻く。
「光はどうしている?」
 こういう時、自分よりも弟の方が勘が鋭い。彼が平静にしているなら、おそらくは俺の思い違いに過ぎないはずだが。
「それが、光もいないみたい」
 何とも不吉だった。光が動いていると言うなら、何かしらの危険が迫っている可能性が高い。その上さらになのはまで不在となれば心配するなと言う方が難しい。
「仕方がない。探しに行こう」
 少し躊躇ってから、続ける。
「……夜遊びを覚えるには、なのははまだちょっと早いだろうからな」
 それは、自分自身の不安を誤魔化すための軽口でしかない。そんな事は美由紀も分かっていただろう。そうだね、と緊張に強張った笑みを見せた。
 それから先は、二人とも無言で自らの得物を抱え、家を飛び出す。
 一見して、街は普段と変わらなかった。それには安堵すべき事かもしれない。さらに言うのであれば、探し人もすぐに見つかった。……少なくとも、なのはだけは。
 とりあえず安堵すべき事だろう。光なら、少なくとも自分の身は自分で守れる。だが、幸運だとはとても言えそうになかった。むしろ、事態は俺が思うより遥かに深刻なのかもしれない。何故なら、俺達の姿を認めたなのはは、抱きつき泣きながらこう叫んだのだ。
「光お兄ちゃんがいなくなっちゃった!」
 ……――
「どう思う?」
 号泣するなのはを美由紀と二人で何とか宥め、家に連れて帰ってから。リビングの隅で、恭也は呟いた。
 光がいなくなった。それだけを繰り返すなのはから、それこそ一家総出――と言っても、こう言う時に一番頼りになる光がいないが――で、どうにか事情を聞き出す。だが、その内容はどうにも現実離れしすぎていた。
 夢でも見たに違いない――少なくとも、普通はそう考えるだろう。だが、幸か不幸か我が家は少々特殊だった。
「言葉を話すフェレットに、正体不明の化け物。それに、何でも願いを叶える宝石か。白昼夢でも見たんだろう……と、言いたいところだが」
 腕組みをし、険しい顔をした父さんが呻く。少なくとも、俺達にとって、それを一笑に付す事などとてもできない。何故なら、俺達は本物の魔法使いを知っているからだ。
「あの光が家のすぐ傍とはいえ、なのはを置き去りにするほどだ。あながち嘘ではないだろうな」
 どうやら光は、その喋るフェレットとやらと行動を共にしているらしい。そのために、確かに家の傍だったとは言え、そちらを優先すべくなのはを一人置き去りにしたと言うのなら、事態は深刻だった。
「光お兄ちゃん……」
 一体どうすればいいのか。嫌な沈黙が広がる中、なのはの嗚咽だけが響く。
「なのは……」
 そんな中で、母さんが静かに言った。
「本当は、なのはがもっと大きくなってから話すつもりだったけれど……」
 その言葉に不吉な気配でも感じたのか、なのはは泣きやみ、顔を上げた。
「光はね。魔法使いなの」
「魔法使い……」
 光の言う魔法使いは、おとぎ話に出てくるような夢のある存在ではない。正義のための人殺しだと、彼は言っていた。何故そう言われるのかという理由も合わせて。
 もっとも、それはそれでとても信じがたい話だった。……いや、そうでもないか。少なくとも、理由の半分は理解できる。とても信じがたいのはもう半分の方だ。そんな生き方ができるなど、とても信じられない。
「信じられないかしら。それなら……そうね。光の部屋に行って、窓の近くの棚を探してきてくれるかしら。きっとそこに証拠があるわ」
 確かに、あいつは自分でよく天日干しやら陰干しをしている。だから、大体その辺りにいるだろうが。
「あ、待って、母さん。それなら、さっきベッドの上にいたよ」
 部屋を見に行った美由紀が言った。
「そう。それなら……ちょっと驚くかもしれないけれど、落としたらダメよ?」
「う、うん……。分かった」
 良く分からないまま、なのはは早足に光の部屋に向かっていく。それを見送ってから、ふと思い出す。
「大丈夫かな?」
「大丈夫よ。確かに口は悪いけど、悪い子じゃないし」
「いや、そうじゃなくて。むしろ、あいつが大丈夫かなって……」
 あいつ――光が魔法使いだという証明でもある、あの本……『偽典リブロム』は、何故だか妙になのはを苦手にしているらしい。何とも変な話だが。
 そもそも、なのはは彼……だか彼女だかの存在を知らないはずなのだから。
「きゃあああああああっ!?」
『ぎゃあああああああッ!?』
 そんな事を考えていると、光の部屋から悲鳴が響き渡った。そのまま危なっかしい足音が戻ってくる。
「何これ何これ!? 何か変なのがいたよ~!?」
『誰だ! こいつにオレの事話しやがったバカ野郎は!?』
 先ほどとは別の意味で半泣きのなのはが、同じく半泣きのリブロムを抱えて戻ってくる。あれだけ悲鳴を上げてもちゃんと抱きかかえて戻ってくるとは大したものだ。場違いにも、そんな感想が浮かんだ。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。ね?」
 早口にまくしたてるなのはと、同じ勢いで罵声を吐きだすリブロムに、母さんがにっこりと笑って見せ、ついでにリブロムを受け取る。それで、取りあえず騒ぎは落ち着いた。
『それで、桃子。オレに一体何の用だ?』
 取りあえず一息ついてから、リブロムが少々不満そうに母さんに問いかける。
「なのは、リブロム君に説明してあげて」
 とりあえず、母さんはそれを男性だと認識しているらしい。男の声と女の声が二重に重なって聞こえてくるため、正直どちらなのか良く分からないのだが。
(まぁ、口が悪いしな)
 というのは、偏見だろうか。先ほどよりいくらか筋道の通ったなのはの説明を聞きながら、ふと呟く。まぁ、どうでもいい事だが。
『その話からするに、そのフェレットとやらは魔導師か……。よくよく運がねえなぁ相棒も。いや、そうでもないか?』
 なのはの説明を聞き終え、リブロムが言った。どうやら心当たりがあるらしい。
『しかし、何でも願いを叶える宝石と、それが生み出す魔物ときたか。懐かしい話だ
ねぇ。しかも侵入者の正体は魔導師か。ククク……なるほど。それはマジでやるしかねえよなぁ。ヒャハハハハッ!』
 なるほど、すでにその魔導師とやらがこの辺りをうろついているのは把握していたという事か。ここ数日光が纏っていた微妙な緊張感は、それが原因だったらしい。
「何でなの? 何で光お兄ちゃんがそんな事を……」
 詰め寄ると、リブロムは少し後ずさりした……というか、しようとしたらしい。母さんの腕の中で微妙に身体(?)を震わす。
『一つは相棒が魔法使いだからだ。魔物退治は本業だし、何でも願いを叶えるって代物には色々と因縁がある。……まぁ、不抜けた今の相棒でも、よほどの事がない限り放っといても大丈夫だろ。何せ相棒は不死身だからな』
 どうせ死にはしない。げらげらと笑い――なのはに睨まれて、慌てて咳払いをした。そのまま言い訳のように付け足す。
『むしろ、オレはそのフェレットとやらに同情するね。よりによってお前を巻き込もうとするなんざ、殺してくれって言ってるようなもんだ。何せ、ソイツが手を出したのは、相棒にとって可愛い可愛い大切な妹だからな』
 そこで、リブロムはなのはが持ち帰った赤いビー玉に視線を動かした。
『ところで、その赤いビー玉は一体どうした?』
「えっと……。そのフェレットさんが持っていた物なんだけど……」
 困ったようになのはが視線を泳がせた。渡される直前で光が遮ったらしいのだが――気付けば自分でも知らないうちに握りしめていたらしい。
「これがあれば、私にも魔法が使えるみたいなんだけれど……」
『だろうな。……アイツらが持ってたのとはちょっと違うようだが、多分これは――』
 心当たりがあるのだろう。だが、リブロムは途中で言葉を切り、大小の眼をぎょろぎょろと動かす。そこで、気付いた。開けはなられた窓の外側。そこから見える木の枝に何かがいる。わざわざ乗り込んでくるとは、なのはが拾ってきたこのビー玉は、どうやらよほど大切なものと見える。
『ったく、面倒なモン拾ってきやがって。取り返しに来たんじゃねえか?』
「かもな」
 何であれ、当事者に直接話を聞ける好機だった。わざわざ逃す手もあるまい。
 リブロムの言葉に頷きながら、近くにあったペン立からボールペンを抜き、飛針の要領で投げる。と、それは慌てて飛びのき、逃げ出そうとした。だが、逃がす気はない。そのまま適当にペンやら鉛筆やらで退路を断つ。最後に、リブロムが叫んだ。
『があああああっ! 大人しくしねえと頭から喰っちまうぞおおおお!』
「ひいいいいいいいっ!?」
 地面に縫い付けられ、悲鳴を上げたのは――それは、一匹のフェレットだった。 




(ああ、何でこんな事に……?)
 恐ろしく正確な狙いで飛んでくる数々の文房具で地面に縫い付けられながら、僕はひたすら恐怖に震えていた。
 そもそもの事の発端は、あの恐ろしい魔導師の少年だった。どうやら他の兄姉たちらしい二人の近くに妹を置き去りにしてから、彼は改めて詳細を問い詰めてきた。それはいい。確かに生きた心地はしなかったが、彼がジュエルシードを欲していないのは分かったし、その上で協力……という表現が適切かは分からないが、ジュエルシードの捜索には積極的に参加してもらえる事も分かった。それは望外の収穫だった。
 問題が生じたのは、今後具体的にどうするかという話をする直前だ。しかも、完全に僕のミスだった。
「落としただと?」
 彼の妹に託そうとしたデバイスを、どこかで落としたらしい。慌てて現場に戻るが、見当たらない。そうこうしているうちに、点々と続く破壊痕を目撃した誰かが通報したらしく、警察がやってきてしまった。そもそも、デバイスの反応が全くない。つまり――
「なのはが拾って帰ったという事か?」
 ぽつりと光が呟いた。遺跡調査中に危険な目にあった事は何度かあるが、この時ほど死を身近に感じた事はない。
「すぐに返してもらってきます!」
 彼らの家は、あの子を置き去りにした場所の近くにあるはず。光の返事も聞かず、僕は慌てて走り出した。そして――今に至る。
 何の事はない。逃げ出したその先でも、化物が待ち構えていた。少し考えれば分かりそうなものだった。何せそこで生活しているのは、あの魔導師の家族なのだから。
『があああああっ! 大人しくしねえと頭から喰っちまうぞおおおお!』
 最後に不気味な――見るからに凶暴そうな『本』が叫んだ。明らかに、デバイスではない。むしろ、本の形をした化物というのが適切だ。
 これを諦めの境地というのだろう。近づいてきた男性――文房具を投げつけてきた人だ――に首根っこを掴まれ、必死でじたばたとしながらも、何かしらの覚悟が決まっていくのを感じる。その頃には、家の中まで連れ込まれてしまった。
「驚いた。本当に人の言葉を話すのね」
『そうだな。妙なフェレットもいたもんだ』
「いや、お前が言うのか……?」
『何だ? 喋る本がそんなに珍しいか?』
「そうだな。喋るネズミと同じくらい珍しいんじゃないか」
『残念だがフェレットはネズミじゃねえ。どっちかっつーと猫だ』
「どっちでもいいよ。そんなの」
 彼の家族と、不気味な本が口々にそんな事を言った。しかも何故だか、平然としている。この世界に魔法技術など存在しないはずなのに。きょとんとしているのは、もう一人の少女――明らかに魔法の才能を持っている妹だけだった。
『それで、相棒はどうした? 殺っちまったか? いや、お前程度に殺られるような奴じゃねえか。ヒャハハハハハ!』
 何が面白いのか、物騒な言葉と共に、不気味な本が笑う。何かを言わなければならないのだが、何を言えばいいのか分からない。
「それで、光はどうしたのかしら?」
 そんな中で、一番温和そうな女性――おそらく母親だろ――が言った。ある種の覚悟を宿した、その哀しげな眼に見つめられ言葉を失う。何と答えればいいのだろう。彼は妹を置き去りにしてから確かに言った。
「あの子は、もう帰る気はないと?」
 表情に出ていたのだろう。静かに彼女は問いかけてきた。慌てて答える。
「いえ、違います。……その、もう帰れないと」
 もう帰れない。彼はあの時そう言った。微妙な言葉の違い。だが、おそらくそれは重要なものだ。そこに、どんな意味があるのかは僕には良く分からなかったけれど。
「そう……」
 もちろん、そんな言葉で彼女の表情が晴れる訳もない。意外だが、本当にこの二人は親子なのだ。そして、彼らは家族だった。おそらくは彼の全てを知って、それでもなお受け入れている。
「光お兄ちゃんは……何者なの?」
 そんな中で、一番末の妹が言った。どうやら、彼女だけは事情を知らないらしい。
『知りたいか?』
 その本の問いかけに、彼女は恐る恐る頷く。
『なら、覚悟しろよ』
 確かにその内容を受け入れるには、覚悟が必要だった。
 その本が言うには、彼はかつて存在したとある少数民族の末裔であるらしい。そして、その少数民族は生来、周囲の物を自在に操る力があったと言う。その彼らに、異民族の侵略的流入という悲劇が訪れる。その異民族は、彼らの『不可思議な力』を恐れ、戦き――『魔と契約したもの』という烙印を押し弾圧して行った。もちろん、その少数民族も必死で抵抗したが、結局は敗北、異民族の社会に取り込まれていく事となる。
 問題はそこから先だ。その戦争が残した爪痕の一つに、『魔物化』という現象があったらしい。彼らの『不可思議な力』――『魔法』と呼ばれるようになったその力の影響で、動植物が凶暴化、人間に危害を加えるようになったという。もちろん、その影響は人間にも及んだ。人間の魔物化。それに対抗できるのは、皮肉にもその少数民族の血をひく者達――つまり、魔法使いしかいなかった。もちろん、倫理的な問題もあっただろう。理由は何であれ、それは人殺しなのだから。そう言う意味でも、忌み嫌われていた魔法使いは汚れ仕事を押し付けるには都合がよかった。魔法の力に頼ろうとするのは、魔法使いを弾圧する者たち。そんな皮肉な状況の中で、彼らは魔物退治を続けていった。彼らもまた、自らの力を活かす場所を求めていたから。
『魔物退治ってのはつまり、魔物化した人間を殺すことだ。それが魔法使いの存在意義だし、掟でもある。そして、相棒は最も力ある魔法使いの一人だった』
 彼が最初に言った『正義のための人殺し』とはそれを意味する言葉だったのだ。
 なるほど、と思う。彼にとって魔法とは殺しの術なのだ。そんな血濡れた道に妹を巻き込もうとした存在を許すことはできないだろう。それが誤解だとしても。
『さあ、どうする? お前の大切なお兄ちゃんは人殺しだぜ?』
 それでも、追いかけるか。そう言わんばかりに、その本は言った。彼女には酷な話だろう。部外者である僕でさえ、ショックを受けたと言うのに。
 他の家族は知っていたようだ。誰もが静かに、末の妹の言葉を待っている。
「あのね……」
 そんな中、その少女は静かに口を開いた。




 今まで知らなかった光の秘密に、ショックを受けなかったと言えば嘘になる。私達と距離を置こうとしていたのも、きっとそれが理由なのだ。自分の居場所はここにはない。そう思っていたに違いない。
「光お兄ちゃんは、いつも意地悪な事を言うし、私をからかって遊ぶけど。嘘は言わないんだよ」
 けれど、それだけだ。光は私に嘘をついた事なんてなかった。
「魔物退治には、他の方法もある。そうでしょ?」
『へぇ? 何でそう思う?』
 その本――リブロムは、少し驚いたようだった。根拠はない。でも、思い出した事がある。切っ掛けは何だったかは分からない。何かのルールを破った時、光はこう言って笑ったのだ。それだけは、鮮明に覚えている。
「いつか、俺は掟破りだからなって、言ってたもの」
 皮肉げで、自分自身に呆れているようにも見えた。けれど、どこか、少しだけ。
 私には、誇らしそうに見えたから。
「それに、あの宝石の時も、何も殺してなんかない。だって、あの光はどこか嬉しそうに見えたの」
 光の体に吸い込まれたあの青白い綺麗な光。それは、まるで感謝しているようだった。
『……お前にゃ男を見る目がねえって、相棒がいつも嘆いてる理由がよく分かった』
 呆れたように、リブロムは言った。
『だが、全くねえわけでもないらしいな。確かに相棒は『掟破り』だ。元人間の魔物を何人も救済したからな。おっと、救済ってのは、元の人間に戻すってことだ。こいつができるのも魔法使いだけだけどな』
 ほら、やっぱり。そう言いかえそうとしたが、それは言えなかった。
『だが、相棒が言った『掟』ってのはどの事なんだろうな? 言い忘れたが、魔法使いの結社ってのは最終的に三結社が残る。それぞれが異なる信念を掲げ、だからこそ異なる『掟』を掲げている。魔物を皆殺しにしろってのはそのうちの一つにすぎねえ。それに殉じる事だって、他の結社から見れば充分『掟破り』なんだぜ?』
「……それでもだよ。私は光お兄ちゃんを信じてる」
 迷いがない訳ではない。怖いと思っているのも事実だ。けれど、光は今まで沢山優しくしてくれた。それを誰にも否定はさせない。覚悟を、決めた。
「これがあれば、私にも魔法が使えるんだよね?」
 知らない間に私が握りしめていた赤い宝石。あの時、このフェレットが私に託そうとしたこの宝石があれば、私にも魔法が使える。魔法が使えれば、光の力になれる。光を人殺しになんてさせない。
 ありったけの覚悟を込めて、その宝石に願う。
「お願い。私に力を貸して」
≪Yes,My Master≫
 



 驚いた。それが素直な感想だった。確かに、この少女に魔法の才能があるのは分かっていた。だが、まさかこれほどとは。
「えっと……。これでいいの?」
 白を基本としたバリアジャケットをまとい、黄金のデバイスを握りしめた彼女は、自分の身体を見下ろし、困ったように言った。
 彼女が手にしたデバイス――レイジングハートは、インテリジェンスデバイスだ。性能は高いが、使い手を選ぶ。実際、僕にはその性能を引き出す事ができなかった。
しかし、彼女は、初めから自分の物だったと言うかのように、あっさりとその力を引き出して見せた。あるいは、本当にレイジングハートが自ら彼女を主と決めたのかもしれない。そう思わせるに充分な――本当に、破格の才能だった。なるほど、血の繋がりなどなくとも、彼らは確かに兄妹なのだ。思わず納得する。
 一方、彼女の家族の反応は二つに分かれていた。
「すっご~い。アニメみたい」
「そ、そうかな? 変じゃない?」
「大丈夫。可愛いよ」
≪No Problem≫
「あら、この子も話すのね。なのはのこと、お願いね」
≪Yes Mother≫
 やはり彼の影響なのか、驚きはない。むしろ思った以上に好意的だった。姉と母の言葉に頬を染める彼女を見て、少しばかり場違いかもしれないが、微笑ましい気分になった。……ほんの一瞬だけ。
「確かに魔法らしい。それに、光のものとは違うようだな」
「ああ。ちょっと安心した。アイツの魔法は何か色々とえげつないからなぁ」
『そりゃ、しかたねえ。何せ相棒の魔法は殺しの手段だからな』
 おおよそ好意的な女性陣を他所に、残りの男性陣は口々にそんな事を言った。彼らは何故だか憐れむような目で僕を見る。嫌な予感がした。
『可哀そうに。死んだな、コイツ』
「まぁ、そうかもな。理由は何であれ、光を裏切ってなのはを巻き込んだ訳だし。ついでに言えば、魔法使いとしての光には俺でも勝てるか怪しいからな。父さんは?」
「どうだろうなぁ。そもそも光の本気なんて俺も見た事がない」
 彼の父と兄、そして相棒の言葉が嫌でも聞こえてくる。血の気が引く音がした。
『見ないで済むならそれに越したことはねえよ。オレはキレた相棒がこの世で一番怖い』
 深々としたため息とともに、リブロムがしみじみと言った。すうっと、意識が遠のくのを感じる。
『まさかまたあの惨劇を見る事になるとはなぁ。コイツも可哀そうに』
 闇に落ちる中、僕が最後に聞いたのは、そんな言葉だった。


 
 

 
後書き
魔石の時代が終わるまでは、基本的に毎週土曜の12時頃に更新していけると思います。
 
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