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盆の海

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第三章


第三章

「久し振りって御前」
「どうしてここに」
「帰って来たんだよ」
 彼は二人に笑ってこう述べた。
「帰って来たって!?」
「そうさ、今は盆だろ」
 それが牧人の答えであった。
「そうだけどよ」
「だから帰って来たんだよ。明憲と一緒さ」
「俺とか」
「御前東京の方に転校になったんだろ?聞いたぜ」
「知ってたのかよ」
「二人のことも知ってたさ」
 彼は笑ってこう述べた。
「ずっと見てたからな」
「何処からだ?それは」
「俺が今いるところさ」
 彼は微かに微笑んだ。
「見えるんだよ、そこから」
「見えるのかよ」
「ああ、何でもな」
 その言葉から彼が今はもうこちらの世界にはいないのがわかった。
「海で。俺のこと思ってくれたよな」
「ああ」
 二人はそれに頷いた。
「どうしているのかって思ってな」
「それでここに来たのか」
「今盆だしな」
「盆!?」
「ああ、盆じゃないか」
 牧人はこう返した。
「だから。帰って来れたし」
「盆か」
「そういえばそうだったな」
「だろ?俺の方からは御前等は何時でも見られるんだ。けれど会いに行くことが出来るのは」
「今だけか」
「そういうことさ。けれど嬉しいよ」
「嬉しいのか?」
「ちょっと一つくれないか?」
「あ?ああ」
 彼は西瓜を指差した。明憲はそれに応えた。
「ほらよ」
「悪いな」
 彼から西瓜を受け取る。そしてそれを一口食べてから答える。
「だってな。帰るのにも条件があるから」
「条件?」
「誰かが覚えてくれていないと。帰られないんだ」
 西瓜を食べながら言う。その姿は生きている時と全く変わらない。
「一人でもいい。誰かが覚えてくれていないと。盆でも帰られないんだよ」
「そうだったのか」
「だから俺達が思ってくれたのが嬉しいのか」
「俺だってさ、会いたかったんだぜ」
 牧人は言った。
「俺の方からは御前等のことはいつも見られるんだ。けれど話し掛けも出来ないし会うことも出来ない。これってかなり辛いことなんだ」
「見ているだけで満足出来ないのか?」
「人間ってそんなものさ」
 彼は少し悲しそうに笑った。
「何かを見ているだけ。思っているだけじゃ駄目なんだ」
「そうか」
「御前等だってそうじゃないか」
 そしてこう返した。
「会いたいと思っていただろ?俺に」
「ああ」
 二人はそれに頷く。
「それだけじゃ駄目なんだよ、人間ってやつはな」
「実際に会わなきゃ、か」
「俺も御前等も今満足しているよな」
 これもまた事実であった。二人も牧人も今は会えて嬉しかった。
「そういうことさ。人間って実際に会わないと駄目なんだ」
「そうなのか」
「あっちの世界でもそうだぜ。もう死ぬことはなくても」
「会えないんだな」
「見られるだけなんてな。空しいものだぜ」
 牧人は寂しい笑顔を浮かべた。
「手が届かないんだからな。どうしても」
「どうしてもか」
「けれどな」
 だがここで言葉を変えてきた。
「誰かが思ってくれたらこうして会えるんだ」
「俺達にもか」
「そして会えるには」
「俺達が覚えていないと駄目だったんだな」
「そうさ、だから余計に嬉しいんだ」
 彼は明るい笑顔になっていた。
「御前等が俺を呼んでくれたようなものだから」
「俺達が」
「御前を」
「盆だけだけどな。こうして会えたんだ」
「なあ牧人」
 義彦が声をかけてきた。
「何だ?」
「俺達、こうして会えるのは盆の間だけか?」
「当分はな」
「当分!?」
「そうさ、御前等がこっちの世界にいる間はな」
 彼はこう述べた。
「会えるのは盆だけさ。けれどこっちに来たら違うぜ」
「そっちの世界にか」
「ああ。そうしたらずっと会える」
 強い声になっていた。
「俺がこっちにいた時みたいにな。けどな」
「けどな。何だ?」
 今度は明憲が問うた。
「それはずっと先だぜ。御前等がこっちに来るのは」
「そうか。そうだよな」
「俺達も。まだこっちでずっといなくちゃいけないからな」
「そっちも楽しいけどな。こっちも楽しいぜ」
「楽しいか?」
「そうさ。そっちもこっちも変わりはしないよ」
「変わらないか?」
「そうだ。だから今すぐに来たいとか言うなよ。そうしたら他の人が悲しむからな」
「わかってるよ」
 その位二人にもわかっていた。笑いながら頷く。
「じゃあそれまで待っていてくれよ」
「ああ」
 牧人は二人の言葉に頷く。
「それで今はどうするんだ?」
「とりあえず西瓜もう一つくれ」
「ほらよ」
 今度は黄色い西瓜であった。牧人はそれを受け取ると美味そうにかじりつく。
 満面の笑みである。二人はその笑顔の牧人を見て思った。
「そういえばな」
「何だ?」
「そっちには西瓜あるのか?」
「勿論あるぜ」
 彼は答えた。
「味も変わらないぜ」
「そうなのか」
「花火もな」
「おっ、あるのか」
 義彦はそれを聞いて顔を上げる。
「それも一緒か?」
「ああ一緒さ。それも少しくれよ」
「少しどころか幾らでもいいぜ」
 義彦はそう応えて彼に花火を渡す。手で持って遊ぶものだ。
「自分で点けるか?」
「ああ」
 ライターも受け取る。そして火を点けた。
 花火が勢いよく燃える。三人はそれを囲んでいた。牧人がここにいる時は夏になるといつもこうして遊んだ。その時が今戻ったのだ。
「ただな」
「何だ?」
「こうやって三人いないからな、向こうは」
「御前さっきそれは自分で言ったじゃないか」
 義彦は苦笑いを浮かべてそれに返す。
「今は一人でもいいって」
「あっ、そうだったな」
 そう言われて牧人の方も苦笑いを浮かべた。
「だったら。当分あっちで一人でいるから」
「待っててくれるんだな?」
「そうさ」
 牧人の笑みはにこりとしたものに戻っていた。
「どうせ会えるんだからな」
「そうだよな。絶対にな」
「まあそれまでの間はお盆だけな」
「とりあえずこっちの花火をもっとやれよ」
「もうやってるよ」
 見れば最初の花火は終わって次の花火に移っていた。
「そして西瓜もな」
「今度は赤か」
「どっちもあるぜ。好きなだけ食えよ」
「悪いな」
 こうして三人は盆の間の束の間の再会を楽しんだ。それが終わってから三人で夜の海に向かった。
 夜の海は闇に包まれている。その中で波音だけが静かに聞こえていた。三人はその音の中で別れの挨拶を交わしていたのであった。
「御前、今海にいるのか?」
 義彦が牧人に問うた。
「まあそうなるかな」
 そして牧人もそれを認めた。
「俺、海で死んだし」
「そうか」
「そこが今の御前のいる場所なのか」
「厳密に言うとちょっと違うんだけどな」
 暗い砂浜で少し困った様な笑みを作った。
「あっちの世界なんだろ?」
「そういうこと」
 明憲の言葉に頷く。
「出入り口は海だけど。世界はあっちなんだ」
「そうなのか」
「そうだ。あっちの世界は一つなんだ」
「一つ」
「そこに皆いるんだ。だから一つなんだ」
 その言葉は抽象的と言えば抽象的だった。だが二人にはその意味がわかった。
「そうか、一つの世界か」
「そこにな、いるからな」
「ああ、それじゃあな」
「またお盆にな」 
 牧人は最後にこう言った。そして海に入って行く。波音だけが聞こえる。彼が海に入る音も。それは少しずつ消えていった。遂には波音だけになった。
「一つの世界か」
「そこにあいつは帰ったんだな」
 二人はそれぞれ口を開いた。
「それで俺達もだよな」
「ああ、何時かな」
 明憲は義彦の言葉に頷いた。
「あそこに行くんだ」
「帰るのかな」
「かもな」
 不思議とそんな気持ちにもなった。
「海から」
「あいつが今いる世界にな」
「何かそんな話してるとどっちの世界が本当かわからなくなってきたな」
「あはは、確かにな」
「ああ」
 二人は何かおかしくなってきた。それで笑いはじめた。
「とりあえずまたお盆だな」
「そうだな」
「あいつが来るからな」
「何時か俺達が行く場所からな」
 二人は何時までもその海を眺めていた。
 海は静かに暗闇の中その波音を聞かせていた。そこには清涼なものがあり、悲しさや寂しさはなかった。二人ももう悲しくも寂しくもなかった。ただ牧人とまた会う日のことを思うだけであった。

盆の海   完


                   2006・6・3
 
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