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星の輝き

作者:霊亀
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第42局

「ふぉっふぉっふぉっ、それでオメオメと追い返されたというのか、青いのー、緒方君。ふぉっふぉっふぉっ」

 上機嫌で笑いまくる桑原を憎らしげに睨み付けながらも、何も言い返せない緒方。その様子に、芦原、ヒカル、あかり、奈瀬、塔矢も笑いをこらえるのに必死だった。佐為だけは遠慮なく一緒になって笑い転げていたが。

「そもそも緒方さん。藤崎さんの親御さんに名人の代わりに挨拶に行くにしても、真っ白のスーツはまずいですよ真っ白のスーツは。一般の方が見たらどこのホストかと思いますよ」
「……うるさいぞ」

 そう。院生の受験を決めたあかりは、親の説得を自分ができるかどうかが不安だった。何しろ、囲碁のことはまったく知らない両親だからだ。囲碁を知ってる人間でも、囲碁のプロのことまではなかなか分からないものだ。そして、院生は無料ではない。お金がかかるだけに、両親の承諾は絶対条件だった。
 前の勉強会でその話になったところ、ちょうど居合わせた緒方が、なら自分が説得しようじゃないかと名乗り出たのだった。

 ところが、派手なスポーツカーで乗り付けて真っ白なスーツで現れた緒方の姿に、あかりの両親は門前払いを食らわせたのだった。話をする以前の問題だった。一張羅を張り込んだつもりの緒方としては非常にショッキングな出来事だった。

「そうだよ、緒方さん。あの後大変だったんだぜ。あかりが変な男にだまされてるんじゃないかって、俺んちにまで来たんだから。なあ、あかり」
「え、あ、そのー。まぁ、うん……。あ、でも、ちゃんと、緒方さんはすごいプロ棋士なんだって説明しておきましたから!」
「かっかっか!まったく、いい大人が子供に迷惑をかけてどうするんじゃ」
「……申し訳ありません」
「まったく、仕方ないのう。つまり、囲碁のことをまったく知らない親御さんに、藤崎のおじょうちゃんが院生に入る許可をもらえればいいのじゃろう?そうじゃなぁ。確か緒方君、次の週末棋院で棋聖リーグ戦じゃったな?」
「ええ。芹澤さんとの対局があります」
「ふむ。進藤。おぬし、おじょうちゃんのために一肌脱ぐ覚悟はあるか?」








 棋聖リーグ戦、緒方対芹澤の対局は緒方の勝利となった。序盤に布石で芹澤がリードしたのだが、中盤の中央の攻防を緒方が制し逆転での碁だった。局後の検討が終わろうかという時に、桑原がヒカルをつれて対局室に顔を出した。

「緒方君、芹澤君、お疲れ。なかなかいい勝負だったようじゃの」
「これは桑原本因坊。お恥ずかしい。緒方さんに見事にやられてしまいました」
「いえ、序盤は押されっぱなしでしたからね。一か八かの勝負手が成功しました」
「して、検討はもう終わったようじゃの。実はの、芹澤君。緒方君にはもう了承をもらっておるのじゃが、この後ちと時間を作ってもらえないかの?」
「この後ですか?特に予定はありませんからかまいませんが」
「おお、それは助かる。進藤、おじょうちゃんたちを呼んで参れ」
「あ、はい。分かりました」
-一体なんでしょうね、ヒカル?
-んー、何するつもりだろうな、こんなとこまでつれてきて。でも、なんかいやな予感がするんだよな。

 ヒカルは、1階のロビーで待っていたあかりとあかりの母を呼びに走った。

「ヒカル君、いいの?こんなところに入って」
「ああ、大丈夫。桑原本因坊、プロの偉い先生が部屋を借りてくれてるんだ。ちょっとおばさんに話したいことがあるからって」

 対局室に案内されたあかりの母は、見慣れぬ周りの様子におどおどとしていた。しかし、室内に先日見た顔を見つけると驚きに目を丸くした。

「お、来られたようじゃな。どうも奥さん、お初お目にかかる。ワシは桑原と言う者じゃ。プロの碁打ちをしておる。こちらにおるのが、同じプロ棋士の緒方君と芹澤君。緒方君は先日そちらに迷惑をかけてしまったようじゃな。申し訳ない」
「先日は失礼いたしました。プロ棋士の緒方と言います」
「……どうもはじめまして。プロ棋士の芹澤です」
「はぁ、どうも」
 あかりの母は不審げに挨拶を交わす。あかりにそっと目をやるが、何が起こるか聞いていないあかりも軽く首を振る。
「今日は奥さん、あなたに進藤の実力を知ってもらいたくてここに来てもらったんじゃ」
「えっ!俺っ!」
「そうじゃ、進藤。おぬし、おじょうちゃんのために一肌脱ぐと申したであろう?」
「いや、それは確かにそういったけど!」
「芹澤君。おぬしはこの進藤とは初対面じゃな?」
「……ええ。初めてですね」

 視線が合い、会釈を交わすヒカルと芹澤。

「こやつは進藤ヒカル。そちらのおじょうちゃんが藤崎あかり。どちらもプロを目指す子供たちじゃ。奥さん。緒方君と芹澤君は囲碁のプロの世界でもトップクラスにいる者達じゃ。芹澤君。疲れているところ申し訳ないが、進藤とそうじゃな、1手10秒の早碁を打ってもらえんかな。君にとっても決して損にはならないはずじゃ」
 芹澤はヒカルをじっと見た。
「……、いいでしょう。桑原先生がそこまでおっしゃるのでしたら」
-さあ、ヒカル。あなたの力を見せてあげなさい。
-いや、でもっ!
-これはあかりのためですよ。
-いや、何で俺がここで碁を打つのがあかりのためなんだよ!
-桑原は信じるに足る者だと思いますよ。それに、私も今のヒカルがどこまで打てるのか見てみたいのですよ。この、芹澤という者も只者ではないのでしょう?
-そりゃそうさ。まさに日本のトッププロさ。でもまあ、桑原のじっちゃんがわざわざ動いてくれたんだからなぁ。ここで断るわけにも行かないか。

「ほれ、進藤、なにをしておる。さっさと座ってはじめんか。おじょうちゃんもただ待ってるのは何じゃな。緒方君と10秒碁を打つがいい」
「え!あ、はい!」
「まあ、仕方ないか、藤崎、こっちで打とうか」
「奥さん。囲碁のことは分からないとのことじゃが、少しだけ時間を下され。何、30分もかからんはずじゃ」
「はぁ」
 あかりの母がきょとんとする中、2組の対局は始まった。自然と、母の視線はあかりに向かった。

 あかりは緒方相手に善戦したと言っていいだろう。中盤の左辺での激しい戦い。お互いがお互いの隙を突く激しい展開となったが、あかりの読みは緒方に届かなかった。あかりの石は切断され、何とか小さく生きたものの、その隙に緒方が大きく地合いを広げた。そのまま差が詰まることはなく、あかりの投了で終局した。
 あかりの母は、勝負の内容に関してはまったく分からなかった。しかし、真剣に碁盤に向き合い、大人相手に本気で勝負するあかりの様子には大きく驚かされていた。
-この子、こんな顔で碁を打つのね……。碁なんかただの遊びだと思っていたんだけど……。

 20分ほどで終わったあかりと緒方の対局を横に、ヒカルと芹澤の対局は熱戦が続いていた。序盤、まったくの互角の展開に、芹澤は驚愕の念を隠せなかった。

-まさかここまで打てる子供がいるとは……。何者だ、この少年は。この手応え、この気迫。これではまるでリーグ戦だ。なんとも驚きだな。

 ただ、芹澤はリーグ戦直後と言うこともあり、本調子とは言い切れなかった。中盤、芹澤自身気づかなかった緩手(やや悪い手)をヒカルは見逃さずに攻めた。芹澤が気づいたときには、形勢はヒカルに傾いていた。

-そうか、しまった。さっきのノビはこっちを先にハネルべきだったか……。しかし、この難しい形をこの少年は読みきっていたのか。しかも10秒碁だと言うのに……。

 一手10秒の早碁は、プロでも決して簡単なものではない。10秒では深く読むための時間もなければ、形勢を細かく目算するだけの時間もない。直感やセンスが大きく影響するのだ。

 あかりの母の視線も、ヒカルに向けられていた。

-この子もいつの間にかこんな顔をするようになっていたのね……。まだまだ子供だと思っていたけど、いっぱしの男の顔じゃないの。

 終盤、すでに形勢は追いつけないものになっていた。芹澤はこのまま行けば自分が負けることを悟っていた。だが、ヒカルを試すかのように、最後まで打ち切った。そして、ヒカルは一切のミスなくヨセを打ち切った。

「ふむ。進藤の8目半勝ちじゃな。芹澤君、どうじゃね、この進藤は」
「いや、驚きました。見事にやられました。君はプロではないよね。院生かい?」
「いえ、院生じゃないです。それに、今日は芹澤先生がお疲れでしたから。おばさん。プロの対局、それも今日先生たちが打っていたリーグ戦のような試合はものすごく疲れるんだ。1日で3~4kg体重が減るくらいにね。そんな状態で打ってくれたからこの結果なんだよ」
「いや、それにしたって、進藤君だったね。見事な打ち回しだった。まったくつけいる隙がなかったよ」
「それでじゃ、芹澤君、隣のおじょうちゃんが打った碁も見てくれ」
「……これもまた、大した物ですね。進藤君に及ばないにしても、下手をしたら、プロ初段レベルの力があるのでは?」
「そうじゃろう。このおじょうちゃんに囲碁を教え、鍛えたのがこの進藤なんじゃよ」
「……いや、驚かされっぱなしですね。しかし、ここまでの碁を打たれたら納得できます」
「どうじゃ。芹澤君思わんかね。この進藤なら、今すぐプロになっても芹澤君と互角の戦いができると」
「思いますね。この進藤君なら今すぐリーグ入りしても不思議じゃありません。即ライバルですね」

 芹澤のこれでもかと言わんばかりのほめ言葉に、頭をかくヒカル。そしてそれを唖然として眺めるあかりの母。あまりの展開に頭がボーっとしてしまったが、次の桑原の言葉に目が光った。

「それでじゃな、緒方君、芹澤君。おぬしら、去年は対局料と賞金でどれくらい稼いだかの?」
「ええと、約2500万くらいですかね」
「私もそれくらいですね」
「2500万……」
「彼らは若手とはいえトップクラスじゃ。それくらい稼ぐ。ワシは賞金の金額が高いタイトルを取っておっての。総額で大体5000万くらいじゃ。4つのタイトルを持っておる塔矢名人なら1億近いはずじゃ」
「5000万……、1億……」
 あかりの母の目の色が変わった。
「入ったばかりの若手では普通そこまで行くのにかなりかかる。じゃが、それ以外にも、講演会やら囲碁教室やら指導碁やらで若手のプロでも年間ひっくるめて1000万近く稼ぐのは珍しい話じゃないんじゃよ」
「……実に興味深いお話ですね」
「そうじゃろう。奥さん、この進藤と言う小僧にはそれほどの将来性があるんじゃ。そしてのう、囲碁界というのは狭い世界でのう。同業者同士での結婚と言うのが結構多いんじゃな。トッププロ棋士ともなると一般人とかかわる機会も早々なくなってしまうでの。」
「なるほど、ごもっともなお話ですね」
 突然生臭い話になって唖然とする周囲をよそに、熱心に話し込むあかりの母と桑原。
「奥さん。この進藤は間違いなく稼ぐぞ。それもそう先の話ではないわい。これほどの優良物件、早々転がってはおらんぞ。こんな将来確実なやつを、どこの誰とも知らんやつに掻っ攫われてはもったいなくわないかのう?」
「まったくですね」
 
 すでに見も蓋もない話にまでなっていた。まさに獲物を狙う目でヒカルを見つめるあかり母の視線に、ヒカルは冷や汗を背中に流した。

「お宅のおじょうちゃんにも囲碁の世界に踏み込んでこれる可能性があるんじゃ。院生という場所で、プロの予備軍たちが腕を競っておるのじゃ。まあ、囲碁の塾のようなもんかの。どうじゃね、おじょうちゃんも希望しておることじゃし。親として子供の可能性を伸ばしてやっては?」
「非常にためになるお話でした。子供の可能性を伸ばすのは親としての義務ですよね」
「まったく、おっしゃるとおりじゃ」
「あかり!」
「……は、はい」
「囲碁の勉強、しっかりがんばるのよ」
「……お、お母さん……」

 あきれ顔で母を見るあかり。そして、唖然と見つめる緒方、芹澤、ヒカル、そして佐為。

-……ヒカル、これでよかったのでしょうか?
-……わかんね……。

 桑原がニヤリと笑みをこぼした。桑原本因坊の打った手は、この場の誰にも読めないものだった。まさに妙手。

 しかし、本因坊の名にふさわしい一手、と言えるかどうかは佐為の顔を見ると微妙だった。

 
 

 
後書き
妙手とは、囲碁や将棋において得に優れた着手の事を指す。多くの場合、通常予想しえないような、意外性の高い着手と言うニュアンスが含まれる。
               ウィキペディアより出典 
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