| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

相棒は妹

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

志乃「兄貴は私の引き立て役」

 二時間程カラオケで歌って(俺だけだが)、俺達は帰路に着く事にした。元々家出たのが午後だったしな。あまり遅いとコスプレ作りをしている母親に怒られちまう。……しかも、志乃がいるしな。

 母はアニメ好きで、コスプレ作りを趣味にしている。ガヤガヤ動画っていうネット動画サイトのイベントとか、俺も愛読してる文庫のイベントとか、コミット(コミック・ザ・マーケットの略)とかで友達に服着させている。

 器用なもんだからけっこう人気高いんだっけか。この間無理矢理志乃が着させられていたなー。

 つか、その志乃がずっと黙り込んでいるんだけど、俺なんかしたか?俺はお前に言われた通りひたすら歌いまくったわけだけど。もしかして、俺下手なのか?それで呆れちまったとか?


 「兄貴、キモいからジロジロ見るな」


 「うおっ」

 俺とした事が、いつの間にか妹をガン見していた。つい答えが知りたくて。だって、今まで下手なんて言われた事無かったし。こいつに言われたら俺はもう立ち直れない気がする。


 「兄貴」


 「お、おう。どうした?」


 突然志乃が声を掛けてきた。こいつの声を聞くのが久しく感じられる。

 家までもう少しだ。三本電柱を通り過ぎた先の曲がり角を曲がりさえすれば、家はすぐそばだ。

 急に俺の中に焦りが生まれ始める。何で俺こんなに緊張してんだ?別に異世界に入ったわけでも事故が起きたわけでも無いのに。

 そこで俺は気付いた。原因が身近にあるって事に。

 そうだ、俺は志乃の返答を聞くのが怖いんだ。俺が剣道の次に力を注いだと言えるカラオケを否定されないか、って。もし俺が下手だって言われたら、本当に立ち直れないかもしれない。

 俺は弱い。心がガラスだと言っても過言では無い。俺は本当にガラスのハートの持ち主なんだから。

 剣道を辞めた事に、後悔は無かった。けれど、どこかずれていた。何かが俺の中で砕けたんだ。

 だから、どうでも良くなった。俺が怪我を負おうが熱を出そうが死のうが、自分の生きる目的など無くなったのだから。

 だから、俺は嬉しかったんだ。志乃に声を掛けてもらえて。カラオケに誘ってもらえて。

 久しぶりに歌った。最初は声が通らずに苦戦したけど、やっぱり俺の声だった。俺は中学三年間で練習した成果を濁していなかったんだ。

 だからこそ、ここで志乃に否定されたりすれば、今度こそ俺はどうでも良くなる。


 「……はぁ、情けねえ」


 「……兄貴?」


 「志乃、俺はもう挫けたりしない。たかが遊びだ。そう、遊びなんだ」


 思えばそうだ。カラオケって言うのは娯楽の一つだ。別にバカにされたって批判されたって問題無い。所詮遊びなんだから……。


 と、その時俺は左頬に痛みを感じた。口内が痛いのでは無い、外側がヒリヒリするのである。


 思わず閉じた目を開けると、そこには思いがけない光景があった。


 妹が兄を平手打ちするという、滑稽な絵が夕時の路地に浮かび上がっていた。


 「情けないのは今の兄貴だよ」


 静かに、それでいて意思の通った声が俺の鼓膜を振動させる。こいつ、もしかして怒ってる……?

 その声には怒気が含まれていた。同時に、落胆の色が滲んでいた事も俺は微かに感じ取った。


 「今の兄貴はもう挫けてるじゃん。もう諦めてるじゃん」


 いつもは仏頂面オンリーの志乃が、感情を露わにしている。家族に対してもそこまで喜怒哀楽を示さない妹が、俺に対して感情を爆発させている。これは夢か?

 けれど、頬に感じる痛みが俺を夢へと誘う事を許さない。これは現実なのだ。


 「そんなんじゃ、いつまで経っても兄貴は『どうでも良い』を繰り返すよ」


 まるで予言するかのように、志乃は言葉を紡ぐ。ばっと上げた顔には、涙を溜めた怒りの表情が湛えられていた。

 そんな妹に、俺は怯んだ。今の言葉にカチンと来て、怒鳴ろうとしたのだが、妹の顔を見た途端、そんな感情は引っ込んだ。今のは八つ当たりになり兼ねないと、そこで考えを改めた。

 こいつが本気で俺に怒っている。それはこれまでの短い生涯で初めての事だった。だから俺もどうすれば良いか分からなかった。


 「……悪い。俺、やっぱ変なんだわ」


 ひとまず詫びる。何に対してだか、よく分かっていなかったけど。


 「兄貴は、今何がしたいの?」


 すると、志乃はいきなり話題を変えてきた。身体を俺に背けるように翻し、こちらからでは後ろ姿以外見えなくなる。


 「本当はカラオケが遊びじゃないって思ってるくせに、嘘吐いたりして。本当はどうしたいの?」


 こいつ、分かってたのか。やっぱこいつにはエスパーの力があるらしい。

 そこで、俺の中に自然と笑いが込み上げてきた。それがついに表にまで現れて俺は笑ってしまう。


 「ちょっと、何笑ってんの?私は本気で怒ってるんだけど」


 後ろ姿で言われても怖くは無いのだが、本気なのは伝わるので素直に答える。


 「ごめん、でもさ。俺が今やりたい事って言うと……」


  一拍置いて俺は志乃に話す。今俺がやりたい事を。ゆっくりと噛まずに、こいつの耳に確実に入るように。


 「……歌う事なんだ。バカだよな。俺はカラオケで満足するだけの素人なのに。剣道を捨ててまでやりたい事が、結局カラオケなんだぜ?
 俺は遊びじゃないって思ってるけど、それは俺の価値観だ。他の奴らとは違う。カラオケは本来皆で楽しむための場所だ。歌専門は養成所とかにでも行けって話だよな」


 これは本音だった。俺は歌いたい。それが今やりたい事だった。けれど、俺はカラオケで満足している。全国採点で高得点と高順位を出して満足している。バカな話だ。歌って食うならもっと本格的な場所でやらなければならないのに。


 「それは、今までが厳しかったからそう思うだけだよ」


 俺が自虐的に笑っていると、志乃がこちらを向いてそんな事を言い出した。その目はわずかに赤くなっている。まるで、満月に浮かぶウサギのようだった。


 「兄貴はこれまで剣道を通して厳しい生活を送っていた。だから、極端になっちゃってんの。何もかも本気で構えようとしてんの」


 「そんなの、当たり前だろ。中途半端は一番良くない」


 「だって兄貴、『どうでも良い』ってそういう意味でしょ?」


 そこで俺はハッとする。俺は、こいつに言われるまで気が付かなかった。そうだ、どうでも良いって言うのは全てを放棄するという事。つまり、全てを途中で終わらせるという事なのだ。


 「俺は兄貴失格だな」


 「兄貴失格なのは昔からだから大丈夫。それより」


 ……そこはフォローしてくれないんだ。まぁ、素直に褒められても恥ずかしいだけなんだけど。


 「兄貴は今、歌うたいんだよね。それは確かなんだよね」


 「……おう。俺は歌いたい。それは本当で、偽り無い答えだ」


 俺は歌いたい。でも養成所に通う事は金銭的な話で難しい。カラオケなら抑えられる。他にやりたい事はあるか。否。あったとしてもそれは熱中するような事では無い。

 自問自答を繰り返して、俺はそう言った。剣道の次に俺が努力と言える事をしたもの。剣道の道を外れた今、それ以外にやるべき事は無かった。

 それを志乃に伝えると、こいつは顔を俯け、やがて決心したように俺の顔を見据えた。


 「ど、どうした?」

 「……役」

 「ん?声小さくて聞こえない」

 「引き立て役」

 「……は?」


 「兄貴は私のピアノの引き立て役。ひたすら歌って」


 こいつはよく突拍子もない事を言い出すが、これは理解が追い着かなかった。

 だが、俺は良い意味の中途半端で、考える事を放棄してしまう。

 だって、いつもは不機嫌そうな妹が、可愛らしい笑みを少し浮かべていたんだから。こりゃ仕方無いだろ。

 乗りに乗って、俺は聞いてみる。

 「ちなみにさ、志乃」

 「何、兄貴」

 「その、俺の歌上手かった?」

 「上手かった」

 ……妹が変だ。俺をこんな素直に褒めるだなんて……。 
 

 
後書き
妹の真摯さを現実で味わう事はおそらく出来ないです(独り言)。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧