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打球は快音響かせて

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高校2年
  第四十一話 トリックプレー

第四十一話


「「「打てっ!打てっ!モロミーッ!
レフトにライトにヒットを放つぞ♪」」」

南学アルプスから「ジンギスカン」が響き渡る。
一塁にランナーを背負った美濃部がセットポジションに入り、ランナーを睨んでから打者の諸見里に投じる。

ザッ
「走ったー!」

それと同時に一塁ランナーの名賀がスタートを切った。

(好きにさせるかよ!)

送球に備えて腰を高く浮かせる宮園。幸いな事に、美濃部の投球も高めのストレート。捕手にとっては最も送球し易い球が来て、宮園は素早く二塁に送った。宮園の肩は強い。糸を引くように二塁ベースにボールが達した。

「アウトー!」

際どいタイミングだったが、二塁審判の手が上がる。南学アルプスからはため息。
宮園が小さく拳を握り、5回裏も無失点で切り抜けた三龍ナインがベンチに帰っていく。

「かぁ〜っ。あそこで高めにストレートが抜けるとはついてないのう。ストライクゾーンの球ならセーフやったんやがのう。」

南学ベンチでは神谷監督がボヤいていた。
が、あくまでも余裕がある。5回までヒットは2本、出したランナーも4人だけだが、しかし表情には深刻さの欠片もない。

「何球や?相手の球数」
「93球です」

スコアラーの女子マネージャーに尋ねると、すぐに返事が返ってきた。このマネージャーもよく日焼けした、島の子らしい女の子である。神谷監督はニヤリと笑った。

(ええぞええぞ。美濃部の球数は順調に増えとる。今ストレートが高めに浮いたんも、あれは疲れからと違うか?ウチの打線は今日もよく球が見えとる。そろそろ、甘くなってくる頃じゃ。)

グランド整備のインターバルに入る。
甲子園決定戦は、2-0、三龍リードのままで前半を折り返す。


ーーーーーーーーーーーーーー



「お、知花やんけ」
「悪りぃ、ちょいブルペン使うわ」

ブルペンで登板に備えて準備している宇良の所へ、知花がやってきた。宇良はキョトンとして場所を譲る。

「え?次お前投げるん?」
「準備しとけ言われたけんな。翁長の後はだいたいお前が投げてきたんやが」

知花はテキパキと、ハイテンポでどんどん投げて肩を作る。

「……どしたん?不満なん?」
「いや、俺は勝てりゃあ、何でもええけ。ボーイズの落ちこぼれの棚ボタエースに、プライドも何もあったもんやないけんな。」

自分で語るように、宇良は木凪本島のボーイズでは4番手投手。体が小さい“速球派”など、ただのバッピでしかない。それが南学にやってきて、球が極端に遅い翁長とセットで起用される事で今まで力を出してきた。背番号1をつけていても、それは自分の純粋な実力によるものではない事は自分が1番良く分かっていた。

「お前投げるんなら、上原にキャッチボールさせとかにゃいけんな。俺、言うてくるわ」
「お、頼む」

宇良がブルペンから出て行くのを見送りながら、知花は次々とブルペン捕手に投げ込み、短い時間で肩を作っていった。



ーーーーーーーーーーーーーー


「……焦るんじゃないぞ」

グランド整備の間に、三龍ベンチでできた円陣。浅海が中心に立って、ナインを諭していた。

「確かに南学打線はしぶといし、あの遅いピッチャーには完璧に抑えられている。でも、現状リードしてるのはウチだ。このまま試合を9回まで運んだ場合、勝つのはウチ、負けるのは相手。リードしているこちらが浮ついてはいけない。良いか?」
「「「ハイ!」」」
「しっかり落ち着いて、次の一点を取りにいこう。守備は一つ一つのアウトを丁寧にとるんだ。」
「「「ハイ!」」」

円陣が解かれると、浅海はタオルを手にとって顔の汗を拭いた。静かな試合展開、そして季節は晩秋なのに、汗がやたらと吹き出している。浅海は、自分自身も落ち着こうと息をついた。

(……このまま9回まで行けばって……多分、このまま終わらせちゃくれないから、生徒も焦ってるし、私も焦ってるんだけど……)

鳩尾がキリキリと痛んだ。この試合だけは何としても勝ちたい、勝たせたい。リードしている分だけ、欲が出る。しかし、どこか上手くいっていないような気がして、どうにももどかしい。

(次の一点が欲しい……)

浅海は唇を噛み、グランドの中を見つめた。
整備のインターバルが明け、南学ナインがベンチから飛び出してきていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


<1番セカンド渡辺君>

6回表、三龍の攻撃は1番の渡辺から。三龍打線は3回にリリーフした翁長からまだ1人のランナーも出しておらず、これでようやく2巡目に入る。引っ掛けたゴロ、フライを連発し、極端なスローボールの前にドツボにはまっていた。

(そろそろ追加点が欲しいな。こんな遅い球にいつまでも手玉にとられよったら恥やけ)

渡辺はここで主将の気概を見せる。
俺に続け。その思いは言葉ではなく、結果で語るのみ!

カーン!

浅海がしきりに言ったように、遅い球を引きつけに引きつけ、手元まで呼び込んで叩いたセンター前ヒット。目の覚めるような打球に三龍アルプスはドッと湧き上がる。

(……やっぱりこの子……頼りになる!)

ベンチに向かってガッツポーズした渡辺に、浅海は大きく拍手を送った。無死一塁。苦しめられてきた翁長からようやく安打が生まれ、追加点のランナーが出る。

<2番ショート枡田君>
「よっしゃァー!仕事するよ仕事をー!」

渡辺に続かんと、気合いの声を上げながら枡田が打席に入る。次の一点がどちらに入るのか、それはこの試合の行く末を大きく左右するのは間違いがない。

「うおっ」
「ストライク!」

枡田は初球、バントの構えをするもバットを引いた。ファースト、そしてサードが大きく前にダッシュしてきていた。余りに転がせるゾーンが少なく、サインは送りバントだったが自分の判断でやらなかった。素直に転がしていればゲッツーになったであろう。この場面は南学サイドも必死である。神谷監督が、今は立ち上がってベンチの最前列で指示を送っていた。

(このバントシフトじゃ、中々送るのも難しいな。でも、逆にヒットゾーンはこの上なく広い。翁長のこの遅い球なら、スタートも切れるだろう。相手はバントをさせに来ている。ランナーへの警戒もいくらかは……)

浅海はここでサインを変えた。
ヒットエンドラン。思い切ったバントシフトを敷いてくる南学サイドに、お返しとばかりに仕掛けていく。

(……エンドランか。ここは一、三塁を作る。)

サインに頷いた渡辺は、ジリジリと広めにリードをとる。前へ、前へ。気持ちは攻め。
水面地区の準決勝・水面海洋戦でも、浅海の思い切った采配がビッグイニングにつながった。この作戦を突破口にしてやる。渡辺は意気込んだ。

翁長がセットポジションに入り、ランナーの渡辺をジッと見た。渡辺と目が合う。その視線を少し保った後に、不意に目線をホームに戻した。

「やらせェー!」

一塁手の安里がそれと同時に声を上げ、送りバントに備えてダッシュの一歩目を踏み出した。

(スタート!)

渡辺は、ホームを見た翁長、一塁ベースを離れ始めた一塁手の安里の様子を見て、ほぼ無意識的に二塁方向に体重を乗せ、スタートを切りかけた。

その瞬間が勝負の分かれ目だった。

パシッ!
「なっ……」

渡辺が二塁に体を切った瞬間、翁長は再度視線を一塁に戻し、牽制球を投じた。安里も一歩目を踏み出しただけで、すかさず一塁ベースに戻って牽制球を受ける。渡辺は完全に逆を突かれた形になり、懸命に一塁に戻るが、そのヘッドスライディングは及ばなかった。

「アウトーー!」

一塁審判の手が上がる。
渡辺はしばらく、アウトになった姿勢のまま動けなかった。大事な追加点のランナー。
それを、まさかの牽制死、痛恨の牽制死で失ってしまった。

「よっしゃー!」
「さすが牽制名人やのー!」
「牽制のが球速かったぞー!」

南学ナインが湧きかえる中、渡辺はとぼとぼとベンチに帰っていった。惨めだった。

(ファーストとピッチャーの呼吸がこれ以上ないほどピッタリだった。……何て牽制だ。それを、この場面で完璧に決めてくるなんて!)

三龍ベンチの浅海はギリ、と歯ぎしりした。
絶好の追加点のチャンスを逃してしまった。しかし、渡辺は責められない。あそこまでタイミングバッチリの牽制をされると、引っかかるなと言う方が無理である。もし、防げるとしたら…

(……私が足を使ってくるという事が分かっていたのか?初球であれほどのバントシフトを見せてやれば、必ず走ってくると……。スタートを切る気で居れば、あの牽制にはかなりの確率で引っかかってしまうだろうし……初球のバントシフトから既に、この牽制死を狙っていたとでも……)

浅海は、エンドランのサインを出した事を悔いた。迂闊だった。左投手の牽制はもっと警戒しても良かったはず。いつの間にか、自分の中で“成功”を前提として居なかったか?これまでの試合でエンドランが決まっていたからと言って、調子に乗ってしまった?采配を持て囃される事に、自惚れてしまった?

(……くそ……私の未熟さだ……)

噛み締めた唇からは、既に血が滲んでいた。



カーン!

グランドでは、越戸がポップフライを打ち上げてしまっていた。
6回表、三龍は結果的に三者凡退に終わった。


「さぁー、流れが来るぞぉ」

南学ベンチで、神谷監督が笑った。


 
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