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ノヴァの箱舟―The Ark of Nova―

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#4『ファーストリべリオン』:2

 窓の外を見ると、珍しく雨が降っていた。人為的に管理することができる《箱舟》内の天候は、基本的に晴れだ。ランクの低い《箱舟》ともなってくると、転校管理システムが旧式で、上手くコントロールが出来ない場合があると言うが、此処はAランク《箱舟》――――《王都》を除けばもっともランクの高い七つの《箱舟》の一つだ。そんなことはなく、きちんと天候は管理されている。今日は一か月に何度か訪れる《雨の日》だったのだろう。

 この箱舟は、名を《ノーレッジ》と言う。Aランク箱舟の中で六番目にランクの高い箱舟で、《知識》とか言った意味があったはずだ。ただ、これらAランク箱舟の名前にはあまり意味がなく、別に大図書館や学校があるわけではない。むしろそれらは全て《王都》に集約してしまっているため、他の都市には回ってこない、と言った方が適切かもしれないが……。

 それでも、この《箱舟》都市が巨大であることに代わりはない。一つランクの低いBランク箱舟と比べれば、人と大型獣くらいの大きさの差がある。

 Sランク箱舟は世界にひとつ、《王都》のみ、Aランク箱舟は七つ、それぞれ《忠義》《寛容》《正義》《慈愛》《純潔》《知識》そして《勇気》の意味を持つ名を与えられている。Bランクからは、《ラグ・ナレク》前の発展した世界で活躍していた国家たちをそのまま引き継いだ《箱舟》達だ。《グレートブリテン王国連合(イギリス)》や《星条旗連合国(アメリカ)》、《ジークハイル帝国(ドイツ)》や《フランク王国(フランス)》などがとくに有名だ。もっとも、彼らの《王国》《帝国》という概念はほとんど形骸化している。彼らが使えるべき《王》とは、まぎれも無く支配者たる《教会》の長、《教皇(きょうおう)》なのだから。

 1つさがってCランクからは、《教会》からの信頼性が薄い国家や、『異国』と呼ばれた、「共通語が公用語ではない国家」が多く所属する、やはり《国家型箱舟》だ。とくに有名なのは、現在、人間が住む、一定規模以上の街がある《箱舟》で、唯一《教会》支部が置かれていない《箱舟》国家、《ギリシア神国》や、全世界で唯一『国民のほぼすべてが共通語を自由にしゃべれない』国、《紅日(くれひ)》などだ。

 男――――《教会》の高位組織、《十字騎士団(クロスラウンズ)》第九師団の団長と言う席を占める、チャイネイ・ズローイクワットの母国、《真》もこのランクC《箱舟》に属する国家だ。共通語の浸透度はあまり高くなく、チャイネイ自身、《教会》に身を置く”騎士”でありながら、ほんの三年前までは共通語がきちんと話せなかったのだ。当時所属していたのも《十字騎士団》第九師団ではあるが、その時チャイネイは一般兵の身分だった。共通語が話せなくてもさほど問題はなかった。第八師団と第九師団には、『異国』出身の人間が多いのだ。

 その状況が大きく変わったのは、先代第九師団長が退位、同時に運悪く副師団長が急遺し、チャイネイが団長に、その師の孫息子が副団長に就任した時だった。必然的に他の団長団や上層部の人間とも会話をしなければいけなくなったチャイネイにとって、「共通語が使えない」と言うのは相当に厄介なことだった。指示が分からず、戸惑うことも多かった。

 そんなチャイネイを救ったのは、今や自らの主となった一人の少年だった。

「チャイネイ?どうしたの?」
「いえ。何でもございません、コーリング様」

 チャイネイは、頭上から笑顔を見せる少年に笑いかけ返し、彼を肩車する体制を整えなおした。

 《教会》の司祭階級では、《教皇補佐官》を除けば最高である上位組織、《七星司祭(ガァト)》。その第六席に座する少年、コーリング・ジェジル。

 当時、空いたばかりだった第六席に、その素養を見込まれて座ったコーリングは、わずか三歳。甘えたい盛りの年ごろに、誰も知っている人間がいないというのはきっとつらかっただろう。事実、彼は最初の頃、今の様にニコニコ笑ってはいなかった。会議の途中に泣き出してしまう事さえあったのだ。

 孤独なコーリングと、孤独なチャイネイが引きあうのも時間の問題であった。さらにコーリングには、あつらえたかのように特殊な能力があったのだ。

 それは、生きとし生けるあらゆる生物と会話する能力。彼の持つ《刻印》、《猫》は、”神の作りたもうたあらゆる生物”、即ち果てはクジラから果てはチーズに沸いた蛆まで、全ての生き物と会話ができる刻印能力を持つのである。当時は小動物や、頑張っても人間が限界だった。現在では大型動物との自由な意思疎通が可能となっているが、当時はまだ人間と話せるようになったばかりだった。それでも、彼の存在は、共通語を知らないチャイネイにとって、色々な意味で重要なものになった。

 チャイネイは共通語を学び、”騎士”の精神を手に入れた。コーリングは頼れる人を見つけ、笑顔を取り戻した。それが、今の二人に強い絆を生み出している。

 キュレイ・マルークには第五師団が、セルニック・ニレードには第六師団が、フェラール・ゾレイには第八師団が付いているように、《七星司祭(ガァト)》にはそれぞれ直属の《十字騎士団(クロスラウンズ)》の師団が付いているが、コーリングと第九師団の絆は、他のどのものよりも強いとチャイネイは信じている。

 さて、今コーリングを肩車しつつ、チャイネイが向かっているのは《知識(ノーレッジ)》の《教会》支部の施設八割を占める第九師団の駐留所、その本部である。第九師団は《獣使い(ビーストテイマー)》と呼ばれる素養をもった人間が多い。もともとは『異国』に伝わる特殊な体術を使用することを目的とした部隊だったのだが…なお、『異国』の特殊な武器を扱うことを専門とするのが、チャイネイの友人でもある紅日人、ヤマト・ユウヒグレ率いる第八師団である…動物との意思疎通を可能とするコーリングの部隊として再編成されたとき、このような構成となったのだ。チャイネイが団長になったのも、もとはと言えば体術の素質だけでなくビーストテイマーの素質があったことが大きい。今の第九師団では、特殊体術を専門とする団員は以前ほど多くを占めていない。それでも、多いことに代わりはないのだが――――。

 
「チャイネイ様、遅いです!」

 チャイネイが団員のたまり場となっているミーティングルームのドアを開けると、一番にトーンの高い声が響いた。声を発したのは一人の少女だ。ミディアムカットにされた茶色い髪を二つ結びにし、鈴の様にも見える形状の髪留めでとめている。赤いチャイナドレスは第九師団の女性団員である証だが、その意匠は他の女性団員…もっとも、現在は彼女以外の女性団員はいないので、過去の、という言い方になるが…のものとは少し異なる。

 彼女の名はエィ・イーリン。多少上位ランク《箱舟》の血が混じっているチャイネイと違い、彼女は生粋の『異国』即ち《真》人である。そのため、彼女の名前は実に珍しい、名字が先に来て、後にファーストネームが来るという形を取っている。

 彼女は、第九師団副団長全権委任代理。本来ならば、第九師団の副団長はチャイネイの親友であり、チャイネイの師匠の孫息子であり、そしてイーリンの兄である男、エィ・ファンロンが務めているはずであった。しかし彼は二年前、「武者修行に出る」という謎の置手紙を残して失踪し、以後、彼の姿を見た者は居無い。なお、彼は一切の食糧及び着替え等を持って行かなかったので、生きているのか、日々の生活ができているのか危ういのが現状であると思われる。

 さて、イーリンはよくわからない夢想に取りつかれた兄の代わりに、第九師団の副団長をこなさなければならない、という強い使命感のたまものなのか、チャイネイのとる行動一つ一つを注意深く観察している。今日だってコーリングを迎えに行くので多少遅れることなど皆知っているだろうに、このように喚く。

「怒らないで、イーリン姉ちゃん。チャイネイは僕のこと迎えに来ただけだよ」
「で、ですが……チャイネイ様は第九師団の団長です。もしチャイネイ様に何かあったら、我々は崩壊してしまいます。それに……」

 その先は小さくてよく聞こえなかったが、イーリンの顔が真っ赤になっているのはなんとなくわかる。なぜだ?と思いつつも、チャイネイは「そうか、すまなかった」と彼女に声を掛ける。

「では次から、コーリング様の送迎には俺以外にももう1人つけることにしよう。イーリン、来てくれるか?」 
「え!?あ、は、はいっ!」

 イーリンの表情が、一気に晴れやかなものになる。そんなに送迎に参加するのが嬉しいのだろうか。それも当然だろう、とチャイネイは思う。コーリングの送迎や身の回りの世話を任されることは、第九師団にとって最高級の喜びだ。第九師団はコーリングの笑顔のために戦っている。

 だが、当のコーリングはチャイネイの頭上でくつくつと可愛らしく笑う。

「イーリン姉ちゃんはチャイネイのことホントに大好きだね」
「なっ」

 それを聞いたイーリンが、再び真っ赤になる。ちなみにその時、チャイネイは今日のコーリングの夕ご飯はチャーハンにするかギョウザにするかで迷っていて、この会話を聞いていない。

「な、ななな何言ってるんですかっ!コーリング様のお世話は第九師団の喜びだから嬉しいだけですっ!けっしてチャイネイ様と一緒だからでは……」
「ふふふ、ツンデレさんだなぁ~」
「もうっ、コーリング様はいつもそんな言葉どこで覚えてくるんですか!……それよりチャイネイ様、今日の手合せお願いしますよ」
「いや待て、ギョウザの皮は現在一枚も残っていないんだったか?うーむ、しかしピーマンも無いとなると……ん?ああ、手合せ(スパーリング)だな。わかった」

 
 チャイネイは頭の上のコーリングをやさしく下ろすと、近くの椅子に座らせる。だだっ広いミーティングルームの中央には、土俵とボクシング用リングを足して二で割ったような形状の闘技場が設けられている。第九師団のメンバーは、此処で時折模擬戦を行い、お互いを高め合うのだ。

 イーリンの相手は大抵の場合チャイネイが務める。そうでもなければ、第九師団のメンバーでは相手にならないからだ。

「……行きますよ」

 中央で儀礼をしてから、イーリンが構える。目を閉じた彼女の周辺を、黄金色のオーラが周回していく。チャイナドレスに隠れて見えないが、今現在彼女の胸元には、《(はす)》の《刻印》が光り輝いているはずだ。同時に、彼女の体の中心線に添って、円形の印が出現しているはずである。

 エィ家一子相伝の《刻印》、《蓮》は、本来ならば常人には第一段階の解放すら不可能である《チャクラ》を、第七段階まで使用することを可能とする能力を持つ。チャクラは九つ。自由にそのパワーを使えば、単体で天災にすら匹敵する力を持つという。どれだけの天才ですら第三段階の壁を超えるのは不可能と言われ、彼女は刻印の能力でさらにその先を行く第四段階を習得している。現在彼女の能力はそこまでしか達していないが、彼女の祖父であり、チャイネイの師匠だった男は、第七段階を完全に使いこなしていた。その一撃は岩を砕き猛獣を一撃で死に至らしめる大威力。

「―――――セァッ!!」

 気合いと共に、音速の手刀が迫る。首にヒットすれば、やすやすと首骨が砕け散るだろう。だが、当然されるままになるチャイネイではない。
 
 彼女の手首にふっ、と触れると、小さく息を漏らしながら、掌打。攻撃のベクトルを変えると同時に、相手の攻撃のパワーを使って距離を取る。

「まだっ!!」

 すると、流れるような動作でイーリンの攻撃が回し蹴り(ローリングソバット)に以降。今度はチャイネイの足を狙ってくる。

「――――っ」

 逆立ちにもにた体制をとると、チャイネイは腕の力だけで跳躍。そのままイーリンの頭上まで移動し、大上段からのかかと落しを敢行。異様なスピードでチャイネイの足が振り下ろされる。

「ぜぁっ!」
「っ!」

 ドウン!!という凄まじいインパクト。チャイネイも弾き飛ばされる。ギロチン台のごときこの足技は、チャイネイの()()()のなかでも飛び切りの強さを誇る。何度も対戦相手や、闘技場の幻獣たちを戦闘不能にしてきた技だ。鍛え抜かれた第九師団ですら、無傷ではいられまい。

 だが――――煙が晴れた時、再び構えるイーリンには、傷一つなかった。いや、チャイナドレスははやくも所々が引き裂かれ、ぼろぼろになってはいるが、彼女本人には一切の傷がない。だが、その表情は痛覚を我慢しているかのように歪んでいる。彼女の操る第四チャクラの能力は、《回復》。精神と肉体の回復をつかさどるこのチャクラは、傷を一瞬で癒し、再び戦うことを可能とする力を持つ。

「回し蹴りへの連携攻撃、冴えるようになったな」
「いつまでもそのままでいるわけにはいきませんから」
「そうか……だが、俺も負けるわけにはいかんのだな、これが」 

 チャイネイは自分の意識を、腕に宿った《刻印》に向ける。精神をかき集めて、《刻印》の”スイッチ”に流し込む。深紅の余剰光が発生し、チャイネイを取り巻き始める。

 そして、チャイネイの身体に変化が起きる。

 まず、体の所々に爪痕の様な模様が出現する。腕、足、頬、額。同時に犬歯は鋭くとがり、まるで獣牙の様に変貌する。さらには腕の形状が、めきめきと音を立てながら、どことなく猛獣っぽく変貌する。

 《刻印》、《虎》が引き起こす形状変化(シェイプ・チェンジ)。もっとも、今は大分能力をセーブしているため、あまり大きな変化は起きないが、これが完全開放とまでなると尻尾や虎耳まで生えてきて愉快な外見になってくる。

 だが、その能力は当然ただの笑い話では済まない強さだ。猛獣の身体能力は、明らかに人間を凌駕する。鍛え上げられた《騎士》たちなら猛獣や幻獣を撃滅することは可能かもしれないが、世界の総人口から見ればそれが可能なのは少ないだろう。チャイネイたちの方が異常なのだ。

 つまり、猛獣とは一般論的には人類より身体能力的には上位種だ。それが、洗練された人間の技を使用する。どれだけ恐ろしい事か、分かるだろうか。

「――――ルァッ!!」

 どこか獣めいた気合いを放ち、チャイネイの手刀がイーリンに迫る。とっさに腕を上げてガード。ものすごい衝撃と共に、イーリンの体が軽々と吹きとぶ。だが、チャクラの力は半端な攻撃で無効化することなどできない。即座に彼女のダメージは回復し、イーリンは空中で無理やり体制を立て直す。そして取った構えは――――

「――――――!」
「イァァァッ!!」

 ヒュドォ!!という大気を引き裂く凄まじい音と共に、イーリンの足がギロチンの刃が如く迫る。これは、チャイネイの技と同じ断頭台踵落し!!

 炸裂(インパクト)。チャイネイの体が吹き飛ぶ。もうもうと煙が立ち上る。いつしか、第九師団はメンバーたちは、息を止めながら戦いを見守っていた。

 そして――――煙の中から、無傷のチャイネイが姿を現した。

「う、嘘……!?」
「危ない一撃だった。俺が第五段階のチャクラ使いでなければ死んでいたかもしれない……腕を上げたな、イーリン。その実力に敬意を表し――――俺の、本気を垣間見せよう」

 チャイネイは、体内のエネルギーを開放する。相いれるはずのない魔力と霊力が同時に解放され、爆発的なエネルギーを発生させる。それに乗って、音速すら超えた突進。

 単純な攻撃ではあるが、それ故に馬鹿に出来ない破壊力を持った攻撃である。チャイネイの拳がイーリンに迫り……

 彼女を打ち抜く直前、チャイネイはイーリンを地面に引き倒すことで、惨事を防いだ。イーリンの首を抑えて、かぎづめ状に指を曲げた腕を振り上げるチャイネイの姿は、どこか狩りをする獣のようにも見えた。 

「……負け、ました」
「お前も良くやった。もうかつてのお前の兄よりも強くなったと思うよ」

 言葉が少ないチャイネイとしては、珍しく長めで、彼らしく率直な賛辞であった。イーリンは頬を染めてチャイネイから目をそらすと、消え入りそうな声で呟いた。

「あ、あの……そろそろ、退いていただけないでしょうか……このままだと、何かの始まりの様で……その……恥ずかしいです……」

 そこでチャイネイは、どうにもこの状況では自分がイーリンを押し倒したように見えるという事に気付いた。いや、あながち間違ってはないのだが……。

「!!……す、すまない」

 イーリンの上から身を退けるチャイネイ。いつの間にか、コーリングを先頭に、第九師団の面々が拍手をしていた。


 すがすがしい気分で窓の外を見ると、しかし雨はいまだ降り続いている。

「……なにか、良くないことが起こりそうだ」

 中規模のDランク《箱舟》の《教会》支部が壊滅しかけているという報告が入ったのは、それから三十分ばかり後のことだった。 
 

 
後書き
 お久しぶりです、Askaです。『ノヴァの箱舟』最新話をお届けしました。今回は第九師団の中国の皆さんの登場でした。ちなみに《真》は中国のことですが、モデルは三国時代のあとに天下を統一した《晋》という国……のつもりです。始皇帝の《秦》でもいいかもしれません。

 次回は《魔王》陣営に戻る予定です。お楽しみに。 
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