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とらっぷ&だんじょん!

作者:とよね
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第一部 vs.まもの!
  第14話 きょうふのいちや!


 ウェルドは遺跡の出入り口から、町に向けて走った。夏の終わり、この頃寒さを感じるほどのカルス・バスティードが、今は噎せかえるほどの熱気の中にあり、大気は透明に揺らいでいた。散乱するゴミや倒れた人間、折れた矢、血溜まり、それらがさやかに見えるのは、通りの向こうの区画を覆う炎が、余りに大きいが為だ。
 う、とうめくような声が聞こえた。背後にノエルが立っていて、口に両手を当て、後ずさる。
 彼女の姿に黒い影が覆い被さった。
「危ないっ!」
 ウェルドは叫んだ。咄嗟の事で、叫ぶしかできなかった。彼女を狙う白刃が、炎を照り返し、狂わしい光で目を()く。
 ノエルは見た。頭上高くに跳躍し、自分を一刀のもとに斬り捨てんとするそれが、魔物に見えたそれが――人間の姿をしているのを。
 青白い魔法の光が飛んできて、空中のそれに激突した。それは無舗装の歩道に落ち、黄色い砂の上でもがく。
 確かに人間であった。それでいて、人間ではなかった。
 左手に、普通の鉄の剣。
 右手に絡みつくのは、紫の、果たしてどのような材質で作られているかわからない、うねる剣であった。
 紫の剣は無数の触手で冒険者の腕に絡みつき、獲物を求める蛇のように砂の上をのたうっている。
「何をしているっ!」
 鋭い声が飛んできた。
 ディアスだった。ウェルドは我に返り、大剣を抜いた。紫の剣に絡みつかれた冒険者へと走り寄る。氷の魔法も完全には効かない様子だった。凍らされた部分の体の組織が再生していくのが見て取れる。
 大剣を冒険者の胸に突き立てようとし、弾かれた。はだけた胸は生身であるはずなのに、鋼のように固かった。
 そして、顔を見てしまった。
 数日前に酒場で飲んだくれていた、先輩冒険者だった。
 遺跡の安全な場所にしか潜らない事をオイゲンに非難され、女房子供が送金を待っているからと答えていた、あの……。
 目があった。極限まで見開かれ、真っ赤に充血し、瞳孔の拡大した目と。
「くっ――!」
 大剣に体重をかける。刃先が皮膚を突き破ったが、それ以上は動かなかった。
「退くぞ。こいつらには剣も魔法も効きにくい」
「こいつ『ら』!?」
「話は後にしろ」
 ディアスは炎の中に身を翻す。ウェルドはノエルの二の腕を掴んで促し、抜き身の大剣を手に後を追った。息を吸うごとに、喉が焼けるように痛んだ。ディアスは新人冒険者の宿舎を目指しているらしかった。そこに行ってなんになる? 宿舎が無事だという保証がどこにある? だが、そこに行かずにいられなかった。そしてそこに行くしかなかった。
 叫び。そして窓が割れる音。ガラス片と共に、腹を割かれた人間が上から降ってきて、落下の衝撃でその傷から(はらわた)をこぼした。ガラス片から体をかばおうと、先行するディアスが腕を頭上にかざし立ち止まった。二人、三人と、人間が落ちてくる。
 ノエルが悲鳴を上げていると、ウェルドは気付いた。呆然として、それどころではなかったのだ。ノエルもまた、自分が叫んでいる事に気付いていないのではと思えるほど取り乱していた。褐色の髪をかきむしり、うずくまってしまう。
 割れた窓に、炎をまとった冒険者が足をかけ、ウェルドを見下ろす。その左腕の……紫の剣。
 氷のスパイクが五本、紫の剣にとらわれた男に向けて連射された。
「こんな時に阿呆面をさらして見物か? いい身分だな」
 ディアスが左腕に抱えた石版を、右手の指でなでる。新たに氷のスパイクが現れ、彼の体の周囲を囲んだ。
「先に行け。その娘を連れて逃げろ」
 ウェルドは熱い砂を踏み、ディアスと睨みあう。
「ディアス、お前――」
「勘違いするな、足手纏いは要らぬと言っているのだ! 行け!!」
「…………クソッ!!」
 ノエルの二の腕を掴み、立たせる。
「だめ!!」
 踵を返し、砂を蹴立てて路地に入る。ノエルは半ば引きずられながらも、ディアスが立っている方に手を伸ばした。彼女の涙が戦場と化した町に落ち、たちまち乾いていく。ウェルドは振り返らなかった。煙をかき分け、咳きこみながら路地を抜ける。
 と、剣を突きつけられた。突きつけた男は、正気の人間だった。
「――お前、こないだの新入りじゃねえか!」
 酒場で会った事のある冒険者の一人だった。
「お、おい、あんたの仲間がさっき……」
「あいつの事は忘れろ、もう死んだんだ!」
 来い、と手で合図して、新人冒険者の宿舎がある区画へと、道を渡っていく。そちらはまだ燃えていなかった。カルス・バスティードの建物の大半が石造りだから、延焼が遅いのだ。
「紫の剣よ……」
 ノエルが走りながらウェルドの手を振りほどき、呟く。
「何だって?」
「紫の剣――『リトアラの殲滅』よ! 忘れたの!?」
「ネリヤ!」
 別の道から走ってきた女性の冒険者と合流する。ネリヤと呼ばれた女は、ウェルドの前に立つ冒険者の肩を掴み、揺さぶった。
「ドレスティ! イロットは? イロットはどこ!?」
「イロットはやられた、フォールトに……」
 女は目を見開き、頭を振った。
「……フォールト、フォールト、なんて愚かなの……。いつもの狩り場を外れたばっかりに……」
「オイゲンの親父に言われたこと、あいつ気にしてやがったんだよ。弱い魔物しか相手にできない骨なしだってな……」
 ウェルドとノエルを振り向く。
「お前たちは先に宿舎に戻ってな! 出るんじゃねえぞ!」
「あんた達はどうするんだよ?」
「バルデスさんとクムランさんの所にいく。大丈夫だ、あの人たちなら何とかしてくれる!」
「待ってください!」
 三人の目がノエルに集まった。
「あっちに、あっちに仲間がいるんです! 取り残されているんです! 助けてください!」
 ドレスティは目を背けた。
「……諦めるんだ」
 ノエルは肩をふるわせる。そして走り出した。新人冒険者の宿舎に続く見晴らしのいい一本道を、共に駆ける。
 後ろからカチャカチャという音が追ってくる。
 走りながら振り向いた。
『紫の剣』だった。追ってくる。音は、のたうつ剣が石畳を打つ音だったのだ。
「振り返るな!」
 ノエルに向けて言った。
 早い。
 追いつかれる。
 ウェルドは立ち止まり、右手にトラップカプセルを握りフリップパネルを出現させた。かつて人間だったそれは、フリップパネルに弾き飛ばされ、近くの壁に叩きつけられる。
 その体の下に、別のトラップの陣が敷かれる。ウェルドはトラップの主を捜した。見つけるより早く、雷鳴が耳をつんざいた。
「早く来い!」
 レイアだった。宿舎の扉を開けて、立っている。エレアノールも一緒だった。
 二人が駆けこむと、直ちに入り口が施錠された。こちらです、と二本の剣を両手に携えたエレアノールが、二階を顎で示した。
 エレアノールにレイア、ウェルドにノエル、四人が二階に駆けあがると、四本のポールが階段を封鎖した。アーサーのトラップだった。
 息を切らし、吐きそうになりながら、ウェルドはノエルと一緒に廊下に座りこむ。建物内は真っ暗だ。窓際に机やベッドでバリケードが作られているせいだ。
「助かった」
 目が慣れてくると、レイアの顔がぼんやり白く見えた。
「……お前には借りがある」
 破壊音が一階に響きわたり、ノエルがしがみついてきた。出入り口が壊され、立て続けに、各部屋が荒らされる音。それは階段を上り、ポールにぶち当たった。アーサーが顔面蒼白になりながら、トラップカプセルを握りしめている。
 通りを走る音。
「おい、新入り共……」
 誰かが様子を見に来たのだ。逃げろと叫びたかった。歯を食いしばるウェルドをよそに、敵の注意がポールからそれる。
 長い悲鳴が一階から外に逃げていった。悲鳴はいくらも逃げぬ内に途切れた。
 宿舎の二階を、闇と沈黙が満たした。
 アーサーが脱力して座りこむ。薄ぼんやり見える顔の数を、ウェルドは数えようとした。
「みんな、いるか? 揃ってるよな?」
 自分を含めて十三人いるようだった。
「なあ、ウェルド……」
 パスカの声が聞く。
「お前、ディアスと一緒だった筈だよな?」
 他に誰も口を利かないが、答えを要求されているのは明らかだ。出来るならこのままずっと黙っていたかった。
「ウェルド、どうなんだよ?」
 パスカの声が上擦る。彼の息が震えているのがよくわかった。
「ノエル、あなた知ってるよね?」
 と、シャルン。
 ノエルの息が早くなる。少し過呼吸気味だ。
「あの人――」
 鼻をすすりながら答えた。
「あたし達、殺されそうになって……その時……あの人、あたし達に……先に逃げろって……」
「……」
 沈黙が痛みに変わる。ノエルが顔を覆う。パスカの目が大きく見開かれ、バリケードの向こうの光を集め反射しているのが、やけにはっきりと見えた。
「そうするしかなかった」
 弁解しているみたいだった。そんな自分がほとほと嫌だった。それでもウェルドは言葉を繋ぐ。
「逃げるしかなかった、でなきゃ三人揃って死んでいた! そんな結果になったって、何にもならねえだろ!」
 拳で床を叩く。狂ったような咆哮が外から聞こえてきた。全員が硬直し、あるいは身構えた。シャルンが槍を手に立ち上がる。ジェシカは片隅で膝を抱えているが、その手には短剣が光っている。
「……あたし達では勝てないわ」
「そんなの、やってみなきゃ――!」
「今度ばかりはやらなくてもわかるわよ! あなた、向こうの区画を見た? ひどいものだわ! あたし達より経験が豊富な筈の人たちが何人も何人も何人も!」
「騒ぎ過ぎじゃないかしら?」
 イヴが言う。自室の戸にもたれかかる彼女は、今はワイングラスではなく、遺跡で拾った杖を手に持っている。魔装具だ。
「――あれは紫の剣よ」
 ノエルは声を落とす。
「紫の剣……?」
「聖書に記述があるわ。肉体の永遠のみを求めた人間が作り出した狂気の剣。それに取りこまれた人間は魂を失い、獣のように変化(へんげ)するって。それだけじゃないわ。あの剣で斬られたら助からない。どんな小さなかすり傷でも、そこから徐々に腐り始めて、痺れて、動かなくなって……心臓が止まるの……」
 シャルンは口許を押さえた。
「あなたは見た? あれを、あれの動きをその目で見たの? かすり傷一つ負わずにあれに勝てるような人が、あたし達の中にいると思う?」
 誰も答えなかった。

 誰も喋らぬまま、時間だけが過ぎる。皆、眠ってはいない。無言なだけだ。
「疲れちゃった」
 ジェシカの声が落ちる。シャルンがもぞもぞと姿勢を変え、言った。
「ジェシカ、誰かのベッドを借りて休んだら? 今は外も静かだし、休むのも大事だよ」
「ヤだよ」
 ジェシカは短剣を握り直す。
「寝たらあたしだけ逃げ遅れちゃうじゃん。そんなの御免だね」
「ジェシカ」
「嫌だよ。死ぬのは怖いよ……」
 言葉が切れた。遠くではまだ戦いが続いているらしい。窓を覆うバリケードに近い、サラの悲しげな顔が火に照らされる。火事が近付いてきている。
「……あたしの友達にさ。天使のペンダントを大事にしてた子がいたんだ。あたしの住んでた裏通りにさ、貴族のお抱えの私兵どもが来た時にさ、ずっとこうやって膝抱えて、一緒に隠れてた」
「……その子はどうなったの?」
「殺されちゃった。せっかく摘発から逃げれたのにさ。その後全然関係ない所でさらわれちゃって、その後……」
「さらわれた?」
「貴族連中にだよ。ひどいよ。あの子可愛かったからさ……」
 洟をすする音。ジェシカが目許を拭うのが、暗くてもわかる。
「神様も天使も助けてくれなかったんだよ。あの子には何もしてあげなかったんだよ」
「神なんかいねぇよ」
 ルカがびくりとして顔を上げ、ウェルドを見た。
「文句あんのかよ?」
「……い、いえ……」
 ウェルドは、ひどく気が立っている自分自身を感じていた。
「あんた、バイレステのお偉方がセフィータをはじめとする途上国を支配する方法、知ってるかい?」
「いえ、存じませんが……」
「『楽しい異文化交流』さ。相互理解をお題目に、両国の子供らを会わせる場を用意するんだ。貧しいセフィータの子供たちが目にするのは、バイレステの進んだ技術や豊かな暮らし……。そうやって何も知らねえ次世代の担い手を文明力で圧倒する」
「……」
「セフィータの子供たちはバイレステに憧れて、必死に勉強するんだ。それが故郷を豊かにすると信じてな。だけど、バイレステの学校に入って待っているのは激しい人種差別といじめだ。学校という閉鎖された空間の中で、砂漠の民である事はいつしか劣等感になり、故郷を憎むようになるんだ。そんな時、セフィータからの搾取を続けるバイレステ人はこう言う。バイレステに(くみ)しないセフィータの部族があるぞ、と。バイレステに盾衝き、侮辱し、豊かな国を奪い破壊しようとしている連中がいるぞ、ってな。そんな時、セフィータから来たセフィータ人はどうすると思う?」
「ご、誤解を解こうとするんじゃないでしょうか?」
「甘いな。『バイレステ人として』戦おうとするんだ。セフィータ人であるコンプレックスから逃れようとして、豊かで先進的なバイレステ人であると認められようと、同胞に剣を向ける。誰よりも苛烈にな。そうやって村が――」
 焼けたテント。
 散乱する織機の残骸。
 焼けた砂と混じり合う染料。
 浮かぶ死体によって汚れたオアシス。
 そして、無数の矢に貫かれて倒れている、自分とよく似た顔の――。
 ウェルドは声を詰まらせる。
 深呼吸し、続けた。
「……みんな逃げればよかったんだ。伝統が、誇りが、文化と武力の違いの前に何になる? 馬鹿だよ。大馬鹿だ。そんなものにこだわって、命を捨てるなんて――」
「ウェルドさん?」
「途上国が伝統のゴミクズなら、先進国は偽善のゴミクズだ。ゴミクズの上に君臨する神もまたゴミクズに決まってる! そうは思わねえか? でもな、神なんかいねえんだ。こんな残酷な事が(まか)り通るなら神なんかいないって、お前、思った事ないか? お前だってホントは一度くらいはあるんじゃねえかよ?」
 ルカは唇を戦慄(わなな)かせながら、答えを探している。
 その時、何かがウェルドの真横の部屋の、窓を破壊した。ルカの目が見開かれる。
「伏せろ!!!」
 パスカが叫んで、ルカに覆いかぶさった。戸板が部屋の内側から吹っ飛ばされ、何かがルカとパスカの頭上を通り、アーサーのポールに激突した。
 紫の剣だった。
 イヴが真っ先に動いた。閃光が視力を奪う。光に打たれた紫の剣の主は、咆哮を上げ、床の上で悶絶する。
「動ける奴から逃げろ!」
 誰か斬られたか、怪我をしていないか、確かめる余裕もなかった。
 ジェシカがパスカとルカに手を貸し、助け起こす。
「あたしは逃げるわ。じゃあね」
 魔法による足止めが効いている内にと、イヴは戸がなくなった部屋に入り、窓枠に手をかける。
「ど、ど、どうしましょう――」
「バカ! 逃げるんだよ!」
 パスカがルカの背中を叩いた。
「俺はこいつを連れて行く、みんなも急げよ!」
「じゃ、悪いけど先に行くね」
 パスカとジェシカが、ルカを引き立てるように連れて行く。窓から隣の建物の屋根に乗り移った。
「ウェルド、ノエルを連れて逃げてください」
 エレアノールが言う。
「あんたは――」
「私のトラップは足止めに使えます。無理はしません……だから!」
「悔しいけど、逃げるしかないわね」
 シャルンが、窓ガラスの散乱する部屋に足を踏み入れた。
「お、おれ、どうしよう――」
「馬鹿! あなたも逃げるのよ! ウェルド、早くノエルを連れて来て!」
 震える足で立ち上がるノエルの肩を抱き、支えた。シャルンとアッシュが共に宿舎を出る。
 雷鳴。二度目の閃光が更に敵をその場に縛り付ける。おぞましい咆哮が響いた。
「行け」
 レイアだった。
「全く、呆然と突っ立っている場合じゃないでしょうに。って、僕は君に言っているのですよ。どうしたんです? 剣なんか抜いちゃって。まさか戦うつもりじゃないでしょうね」
 アーサーがオルフェウスを見た。
「仲間が残っているのに逃げるわけにはいかない! みんな、早くここを出るんだ!」
「イヤですね。僕は最後でいいんです。レディの前で背中を見せて逃げるなんて無様な真似はできませんねぇ。そんな醜態をさらすのは、あなた一人で十分です」
「オルフェウス! 君は――」
「まだ言うのですか? 君は実に頭が悪い。サラさんを連れて逃げろと言っているのですよ」
「!」
 アーサーの目に光が走る。
 悔しさが伝わってきた。外の喧騒が宿舎に押し寄せて来る。
「行こうぜ」
 ウェルドはノエルの背を押し、先に立たせた。
「エレアノール、許せ! 無事でいろ!」
 彼女は頷き、悲しげに微笑んだ。
 ウェルドはノエルの手を引いて、窓から隣の屋根に飛び移った。たちまち熱気に包まれる。路上には、わずかなりとも足止めに使おうとしたのだろう、木材や、割れた酒の瓶が散乱している。それらの物やアルコールに引火して、火が広まっているのだ。
 縋りつくように、ノエルの手を引いて逃げた。
 彼女だけは守りたかった。彼女の為にではない。自分の為に。ノエルを死なせたら、宿舎から逃げた自分が許せなくなる。
 路地を挟んだ前方の屋根に、三人の仲間が見えた。
「パスカ!」
 来い、とパスカが手で合図する。ウェルドは屋根から飛び降りた。
「ノエル、来い!」
 屋根の上でまごつくノエルを見上げ、ウェルドは両腕を広げた。
「飛び降りろ! 早く! 大丈夫だから!!」
 ノエルは意を決して、ふわりとスカートを広げて飛び降りてきた。それを横抱きにする形で受け止めて、抱いたまま、ウェルドは走った。パスカたちがいる建物の外階段を駆け上がり、屋根の上でノエルを下ろす。
 屋根の下を誰かが走って行った。パスカが片膝をついた姿勢で弓を構えた。
「待って! あれ、バルデスのおっさんだよ!」
 ジェシカの言葉に、パスカは弓を引く力を緩める。バルデスが来た方向へ、五人は走った。エレアノールは追って来なかった。レイアも。オルフェウスも。イヴが、アーサーとサラが、シャルンとアッシュが、どこへ逃げたかわからなかった。気にする余裕もなかった。
 敵は人が密集する方を目指すと思われた。火からも戦いの喧騒からも遠い路地で、五人は座りこみ、息を切らす。
 女の声が聞こえた。
 泣いている。ウェルドは呼吸が整わぬまま立ち上がった。膝が笑う。
 建物の陰から伺うと、そこに人が倒れていた。流れている血の量から、既に絶命しているとわかる。
 泣いているのは、先ほどネリヤと呼ばれていた女だった。
「イロット」
 ネリヤは死者の手を握った。
「イロット、イロット――わかる? 私だよ……姉ちゃんだよ……」
 ウェルドは居たたまれなくなって、仲間たちのもとに戻った。


 
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