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打球は快音響かせて

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高校一年
  第九話 冬は蛹になる時期

第九話



「という事で、瀬戸国は大社地区、出雲の社に着いた上人であるが、ここでその社の荘厳な構えに信仰心を大いに揺さぶられたのは大江が答えた通りだ。ここで、一つ君らに聞きたいのは、この上人の発言と一行の発言とにどんな違いがあるか、という事だ」

1-3組の古典の授業では、深みがあり、それでいて高い浅海の声が響く。浅海の授業の評判は良かった。ハキハキとした語り口、生徒たちへの的確な問いかけ、何より生徒の答えをキチンと拾って授業の流れに生かす。26歳の凛とした美貌も評価の一つに入っているだろう。見た目が良いと、有能感が出てしまうものだ。これをハロー効果と呼ぶ。浅海の場合は、例えハロー効果に助けられようとも、一年通して授業する中で生徒を失望させないだけでも立派かもしれない。

「…鷹合!答えてみようか!」

浅海はウトウトしていた鷹合に唐突に視線を移して指名した。鷹合はびっくりして目を覚まし、慌てて教科書を開く。授業中に教科書を開いてすら居なかった。

(浅海先生の授業じゃ、寝れねぇよなぁ)

その様を見てニヤニヤしてる宮園は、こういう事態に備えて前の授業でたっぷり睡眠をとっていた。

「…172P、6行目、上人と一行の発言に何か違いはないかという問いだ。少し考えてみろ」

ページ数や該当箇所を教えてやり、発問をもう一度言った浅海は実に呆れた顔をしていた。鷹合はやっと該当箇所を読む(読めているとは書いてない)と、ひとしきり唸った後に答えた。

「あー、わかったー!」
「何が分かったんだ?」
「発言してる人がちゃいますよねこれ!」
「」

教室に冷たい笑いが起きる。大体どんな答えでも前向きに受け止めようとする浅海ですら、この答えには閉口する他なかった。こうなっては時間の無駄とばかりに、他の生徒に指名し直す。

「うん、よし」
(何でこいつ、してやった感出してるんだ?笑わせたんじゃなくて、笑われてるのに)

一仕事終えた男の顔をしている鷹合には、翼も唖然とするしかなかった。こうして、学校での1日は過ぎて行く。



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豊緑は温暖な南国、それでも冬ともなれば相対的に寒くはなるものだ。特に真冬でも日中15度はあるような木凪諸島からやってきた翼にとっては、この寒さは体に刺さってくるものがある。キャッチボールをするだけで、グラブの中の手に痛みが広がり、指が真っ赤に腫れる。
野球部は皆、冬が嫌いだと言う。冬は走り込み、トレーニングの季節だ。好きな"野球”をしているはずの夏でも暑さにウンザリしてくたばりそうになるというのに、今度は寒い中を面白くとも何ともないトレーニングばかりして過ごすのだ。面白いはずがない。夏季と冬季でスポーツを切り替える習慣の無いこの国の野球部員はだいたい、小学校の時からそんな「つまらない冬」を過ごしてきたヤツばかりなのである。

「1分!1、2、3、4…」
「ハァッハァッハァッ」
「死ぬ…」

みんな大好き、タイム走レベテーションは、個人のベストタイムが計られ、そこからどれだけ落ちたらアウト、という基準が設けられている。チーム一律の基準だと、速いヤツが追い込まれない。だから、個人のベストタイムに合わせるのだ。飾磨にとっては多少気は楽かもしれないが、しかしそれでも手は抜けない。タイム走だけでなく、普通の長距離走も、ビーチフラッグスなど短距離走も、ハードル走もあり、走り込みのメニューは次から次へと新しいものが出てくる。野球のユニフォームを着てるだけで、さながら陸上部である。

そうして持久力をつける走り込みが続いてから、12月に入ってからはラダーや守備のステップドリルなど、体の使い方の練習が入ってくる。ハードルくぐりなど、柔軟性と強さが問われるようなメニューもあり、11月に鍛えた持久力を元手にトレーニングを積んでいく。

そうしたトレーニングと並行して、ウェートトレーニングも始まる。基本となるのはブルガリアン=スクワットやカーフレイズ、重厚な下半身を目指して鍛える。上半身は肩周りを鍛え過ぎないよう、リストカールやラットプルが主になる。

身体を鍛えても、それだけでは体は出来あがらない。身体を作るのには必ず材料が要るのだ。練習中にマネージャーがご飯を炊き、メニューの合間に栄養補給としてゴマ塩や海苔、ふりかけなどで丼を平らげる。練習後にライフパックを飲み、就寝前のプロテインも義務付けられる。特に寮生は浅海の監視のもと、食事の量も監視されるのだ。
水面地区で中堅校の立場を得るだけでも、これだけの取り組みが必要なのである。むしろ、これだけしないと、上位校との差は開く一方なのだ。



ーーーーーーーーーーーーーーー


「パカン!パカン!」

竹バットの音が響き、打球が丸ネットに突き刺さる。ジャージ姿に、若干の汗が滲んでいた。

「打球、強くなってきたね」
「おお!お陰さまでの!ちょいと手応えも出てきよったわ!」

翼のトスを打つのは、1年生の外野手、太田桂吾。少し丸い身体をしているが、飾磨のような天然のデブではなく、意識的に食べて作った体型らしい。浅海に指導されるまでもなく「食トレ」を実践するあたり真面目さが伺える。実際、自宅生だったのが夏休み明けからは親に頼み込んで寮生活に切り替え、特待生を横目で見ながら、翼と就寝前の練習に明け暮れていた。

「秋はベンチ入れなんだけど、これならイケるかねぇ!」
「さぁ、外野の先輩も多いしなぁ。でも1年の中では良い線いってるでしょ、今でも」
「それじゃダメやろー。春に入ってくる1年の特待生は外野かもしれんし。」
「ま、同期の特待生2人とポジション被ってる俺が1番立場危ういんだけどね」
「だから今練習しよるんや!ほら、ピッチング行くで!」

翼と太田はブルペンに向かった。全体練習では中々翼はブルペンを使わせてもらえないので、このように先輩が自主練習すら終えて帰った後のグランドで投球練習をしていた。ブルペンの整備係がこの2人だったからできる事でもある。夜に太田に球を受けてもらうのと引き換えに、翼はトスを上げていた。相互依存、ギブアンドテイクである。

バシ!

太田のグラブに翼の投球が吸い込まれる。
そのボールの球筋は、段々と粘り強くなってきている。低めがお辞儀しなくなってきていた。

「ええぞうええぞう、その調子やけ。低めにパンパンくるやなかよ。」
「もう少しなぁ、球に力が出てくればなぁ」
「こんな寒い中で速い球放る必要なかよ!とにかく、ええフォームで、基礎ができりゃあ後は勝手についてくるんやけ」

太田が、四角く眉がやたらと太い顔に頼もしい笑みを見せてグラブを構える。翼がボールを投げ込む音が、何度も何度も繰り返し響いた。

 
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