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素顔

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第四章


第四章

「そちらのお嬢ちゃんですよね」
「そうです」
 富子は答える。
「さあ美香子」
 娘に声をかけてきた。
「赤龍関に挨拶しなさい」
「うん」
 声を聞いて頷く。仕草に見るというものがないところからやはり目が見えないのだということがわかる。
「横綱ですよね」
「そうだよ」
 赤龍は優しい声でそれに答えた。その恐ろしい顔からは想像もできない程穏やかで親切な声になっていた。
「横綱のファンだそうだね」
「はい」
 声を聞いて赤龍に顔を向けて答えてきた。
「そうです」
「そうか。いつも横綱の試合を聞いていてくれるんだね」
「そうです。それで今度手術することになって」
 彼女自身もそのことを口にする。だがここで声が少し震えたことから怖いという気持ちもあるのがわかる。
「それで横綱に勇気を貰いたくて」
「そうだったのかい」
「この娘が是非にと言ったので」
 富子がまた言ってきた。
「それでだったんです」
「いい話だな」 
 親方は二人の話を聞いて感動したかのように頷いていた。
「そう思うだろ」
「ええ」
 赤龍もそれに頷く。本当にそうだと心の奥底から思っていた。
「だからだ」
 親方はまた言ってきた。
「わかるな」
「はい。美香子ちゃんだったね」
「うん」
 美香子はその言葉に頷いてきた。
「横綱も勝負に頑張るからね。美香子ちゃんも手術を受けるのを頑張るんだぞ」
「わかったわ。それでね」
「何だい?」
 ここで美香子は言ってきた。そして赤龍もそれを受ける。
「手術が終わったら」
「何かあるのかい?」
 彼はこの時美香子が何と言うか考えてはいなかった。ましてやそれが彼にとっては非常に辛いことであるということなぞ考えられる筈もなかった。
「また横綱のところに来ていいかな」
「いや、それには及びません」
 しかしここで親方が言ってきた。
「こちらから病院にお伺いします。お母さん、それで宜しいでしょうか」
「いいのですか、それで」
 富子は親方のその言葉を聞いて驚きを隠せなかった。
「あの、それですと」
「何、構うことはありません」
 親方はどっしりとした笑みを彼女に向けて言ってきた。
「そちらに御足労をおかけするよりは。鍛えてある我々の方がいいというものです。そうだな」
「はい」
 赤龍もその言葉に頷く。全くその通りだと思った。
「そういうことです」
「左様ですか」
「ええ」
 二人は同時に富子に答えた。やはり安定感のある、話を聞く者を安心させる声であった。
「是非こちらから」
「出向かせて頂きますので」
「それでしたら」
 富子もそれを受けることにした。こくりと頷く。
「横綱」
 美香子も赤龍に声をかけてきた。
「何だい?」
 赤龍は穏やかな声でそれに応える。その言葉にはあの無敵の横綱の姿はなかった。
「私、手術受けます。頑張ります」
「うん、頑張って」
 そう彼女に言う。
「きっとだよ、いいね」
「はい。それでですね」
 彼女はあることを提案してきた。
「二つお願いがあるんですけれど」
「お願い?」
「はい」
 そう言ってからこくりと頷いてきた。
「二つあるんです」
「何だい、それは」
「聞いてもらえますか?」
「うん。よかったら言って」
 言ってもいいと述べた。美香子はそれを聞いて述べてきた。
「わかりました。手術の日の勝負ですけれど」
「うん」
「勝って下さい」
 彼女は言ってきた。
「私も頑張りますから横綱も頑張って下さい」
「わかったよ」
 赤龍は笑顔でその言葉に応えた。鬼の様な顔が優しく綻んでいた。
「絶対勝つから。それは任せて」
「お願いします」
 まずはそれは受けることができた。彼としても敗れるつもりはない。何があっても勝つつもりになった。
 しかし願いはそれだけではない。もう一つあるのだ。それは何だろうか。赤龍はそれを考えながら美香子の話を聞き続けたのであった。
「それで二つ目ですけれど」
「今度は何かな」
 やはり穏やかな声で応える。
「はい。目が見えるようになったら」
「目が見えるようになったら?」
「私、横綱の顔を見ていいですか?」
「えっ」
 その言葉を聞いた時赤龍の表情が一変した。
「今何て」
「ですから」
 美香子はまた言ってきた。
「横綱のお顔、見ていいですよね。目が見えるようになったら」
「う、うん」
 赤龍はそれを言われて急に態度がよそよそしくなった。何か不都合があるようにさえ見える。
「いいよ」
「そうですか。じゃあ」
「有り難うございます、横綱」
 美香子は笑顔になる。富子も同じだ。赤龍はそんな二人の顔を見てもう何も言うことができなくなってしまった。
「それでは私共はこれで」
「横綱、きっと目が見えるようになりますから」
 美香子は笑顔のまままた赤龍に言ってくる。
「その時にまた」
「会おうね」
「はい」
 こうして二つの約束が為された。赤龍は勝負に勝つことと会うことが決まった。だが彼はこのことに対してどうしても困ったことがあった。
「親方」
 彼は親子が帰った後で親方に声をかけてきた。
「どうしましょう」
「どうしましょうっておい」
 親方は赤龍が珍しく弱気な顔を見せてきたので驚かずにはいられなかった。それで彼に問うた。

 
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