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無題(思いつかない)

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無題

 
前書き
青春ものです。 

 
北関東の平原に新山が現れて三十九年。そこは富士を望む程の高台になっていた。西の麓から頂上にかけてはなだらかであり、登ることにそれほどの難儀は無い。反対に東の斜面はひどく急で、断崖に近い。頂上は柔らかなカーブを描き小さなドーム状になっており、東の急勾配を背に富士を眺めることになる。富士山の噴火が予言されてから約三十年かけて膨れあがった新山は「新山」とだけ呼ばれ、特に名前を付けられなかった。人々は云う。あれは富士の身代わりだと。名前を付けてはいけないと。「新山」は二十九年と八ヶ月、三百八十七㍍でその成長を止める。四十年かけてそれを取り巻く道路が整備され、「新山」は「富士」の身代わりとしての神的役割を解かれる。そしてその経緯から「新しい者たち」の象徴的垂涎の場となり、やはり「シンザン」と呼ばれた。

「新山」の認知と時を同じくして北関東に以前の暴走族と一線を画したグループが現れる。彼らは代々そのリーダーを「アキラ(公)」──漫画のアキラのことだが──と呼び、自分達のグループが「台風の目」を守るモノであることを(おおやけ)に主張した。「台風の目」とは「アキラ」的人間のことであり、「台風の目」は有害に相対する無害として発生し、尚且つ安全と「非」殺伐を同時にあらわした。「アキラ」は社会的に認知されるべき弱者とされ、それを取り巻く者達はそれに従う台風の雲の渦に例えられた。数多くの集団はその「アキラ」の秘密的性格から徐々に周囲への想像を肥大させ、彼らは空の台風のように破壊と豊穣をもたらすことを謳い街に踊る。グループの現存在は「アキラ」の現実的存在と、人々がその神秘的な噂を信じることによってたすけられている。その歴史は三十年前の出来事から始まり、人々によって造り上げられたのだ。

 神秘的ナモノゴトハ非神秘的ニンゲンニナイホウサレルコトニヨリ

 ダイヤモンドホドノ価値ニカワル

 ヨノナカノスベテノ事象ハケイケンサレタアトモ

 厳然トシテソコニアルトイウノニ

時は2026年 街が新緑に満ちる初夏 男達が火花を散らす。線香花火にも似たささやかな火花。 

「グライダース」

 彼らのチーム名である。
 
 北関東新山環状線内回りに グライダース 元山伍一の火花が散る。元山はカワサキ HIDRO 〝源平〟 1100の後ろにワイヤーでつかまり踵の鉄で火花を散らしている。ガードレールが微かに照らされて赤い。元山の腕は痺れはじめていた。この環状線を一周するまでバイクは止まらない。ヘルメットも被っている。ライダーススーツは炭素繊維を織り込んだ特注品だ。それでも腕はこわばる。コケてみなければそれの安心感は出て来ない。スーツは元山が好きなベージュに、赤いサイドラインが入ったデザインだ。こだわりの品と一緒に恥ずかしい感じになってしまったらもうその後はズルズルだ。奥歯が軋む。
「初めての割には度胸あるよね」佐々岡が言う。「大体腰引けるわな」元山の走る環状線南側のストレートをコインパーキングでチームメイトが眺めている。
 佐々岡はリーダーである。佐々岡はリーダーであるが「アキラ」じゃない。吉人だ。自分の名前に誇りを持ってる。他のやつみたいに女になびかない。少なくともそのために名前は売らない。佐々岡がサイドミラーから消えるのを待ってカワサキにまたがった亮太が元山に話しかけた。「少しゆっくりにするか?」MOMOのサングラスから少し目線を感じる。「ウレイライ」口がまわらないので何回か言い直した「タ行」と「ラ行」が入れ違ってる。バイクは徐々にスピードを落としている。亮太が腕を膝裏に回して挟むように言う。元山の体は二本の腕が椅子の肘掛みたいになった格好になっている。カワサキから音楽が流れていた。流行りのL&PM(ラブ・アンド・ピースマジック)の一節だ。

一時代後れた マシンガン撃ち放つ

穴だらけ木漏れ日は やさしさだけは伝えてくれない

焦がれた朝は胸に  幸せを焼き付ける

矛盾だらけの夏は  僕らの心冷ます

いつだって流行は若者の苦悩を歌ってる。歌うために苦悩を生み出しているようにも思えるほどそれはいつの時代でも若者のあらゆるところに生まれ、そして歌われるんだ。「灰汁抜きだ」思った。何か理由はわからない。きっと「若者の灰汁抜きなんだ」
 ギターソロがオクターブを二往復して破綻したところで曲が終わった。次の曲は前奏がやわらかいピアノだった。曲は知らない。頭の中では「アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド」が流れている。いつだったか、山に墜落したジャンボ機からヘリで救出された女の子の頭の中には「ビートルズ」が流れていたらしい。昔のVTRだ。「奇跡の瞬間」ってTV番組でやってた。なんで。ヘリに吊るされて「ビートルズ?」今謎が解ける。そういうこともあるんだ。きっと。こうしていると自分が立派に滑り切って「グライダース」の一員になったとしても何も変わらない気がした。正確に言うとこのグループはグループにならないことを目的としているんじゃないかって思わせるんだ。他のメンバーはスタート地点で待っているし。俺はひきずられている。亮太はスロットルを握るだけ。「つながりの無いグループ」元山はそう思った。「つながってる場合じゃないし、すげーツライし」って。
「みんな待っててくれっかな」
受け皿のあるドロップアウト&ダイブ。その何十秒かで、でかすぎた期待が適度に萎む。左カーブが続く。結構期待してたんだぜ。ワイワイ楽しめるやつを、色々とさ。
 環状線を三分の二ほど行ったところで別グループの車達とすれ違う。赤いスポーツカーで「アキラ」を後部座席の真ん中に置き、両サイドに女の子。前の席には男が二人いる。いつもの光景だって亮太は言う。
「うちのがなんであんなんがリーダーか教えてくれるよ」バイクのスピードが少し上がった。亮太も誰もが感じてきたような、然るべきときに感じなきゃならないようなものを感じる敏感さを持っているようだった。(じゃなきゃ突っ張ったりしない)嫉妬?焦燥感?何せ奴らは勃起したチンポを女に入れ入れすることに命を賭けてんだ。誰よりも固いチンポを。亮太の目の前でタコメーターが赤にかかる。亮太はこのスピードなら一周してあの赤いスポーツカーとスタート地点ではち会わすなと思った。左カーブが続く。亮太と二人でこのカーブを抜けなきゃならない。たとえ苦しくても抜けなきゃならないんだ。その後に何も変わってなくても。それが人生だって走りだす前に佐々岡が言っていた。そうたとえそれが同道めぐりでも走り続けなきゃならないって。
 スタート地点まで戻ると佐々岡吉人がタバコをふかして待っていた。隣にはメンバーの奈良と山荻がいた。他の後の二人はまだ名前を聞いていない。全員つなぎのライダーススーツを着ている。今日は元山の初日だから揃いを着てきたらしい。あまり華々しい感じはしない。ほったらかしグループだって聞いていた。「一人で走ってるし・・・」元山の半笑いの独りごちには耳を貸さない。上ずった心地を少し落ち着けるように鼻を二回かそこら鳴らす。
「割とゆっくりだったな」奈良が時計を見た。走り初めて二十分は経っていた。一周6.7㌔を周るには遅すぎる。
「タバコ吸いすぎた」佐々岡がアスファルトにタバコを踏みつけた。
佐々岡の目線の先には「チーム桜木」がたむろしている。帽子のつばを後ろに回して金のネックレスをしている実質のリーダーらしき男がこちらを一瞥する。
「おい、なんか言ってやれよ」佐々岡が元山に言う。
山荻が「通過儀礼」って教えてくれた。思い当たる言葉が出てこない。
「こっち見てんじゃねーよ こっち見てんじゃねーよ」二回言った。
「大丈夫。あいつら俺達みたいな男ばかりのグループがホモの気うつさないかびびってんだよ」佐々岡が元山の背中を突いた。「アキラ」の目線が他に移る。女じゃないし、車でもない。何か遠くを見るように目の前の何かを見ている。すぐ目線は山の頂に移る。月を見て、アスファルトを眺め、ため息ともつかない深呼吸でタバコをふかす。頭を回すたびにサラサラなオカッパが揺れる。
「大丈夫っスか」ネックレスがオカッパに聞く。
「なんかあったらすぐ言ってくださいよ」
「阿呆だ」うちのグループの誰かが言った。よく周りが醒めないもんだよ。
「巨根だとさ」
「え?」
「21センチ」
山荻が拳を縦に二つ並べて、うなぎを掴む奴みたいに頭上まで空を握っていく。「あはは」と声が漏れた。
「親指十本分か・・・」
道路の向こう、銘々のスポーツカーに女が吸い込まれていく。色気づいた赤いスポーツカーに(彼らは赤い車にしか乗らないわけじゃないけど)。狭いシートにかがみこむ女の太ももは物分りの悪い中学生でもでもぴくっとする確かな色気だ。全員口角が上がっていた。何か不自然に。
「ちょっとすっ飛ばしてくるわ。200㌔でよ」亮太が言う。誰かがほとんどお構いなしの相槌をうつ。カワサキのエンジンがニュートラルでフルに回る。
「おい。ナンボ走ってきたん?」
「そういうなや。今行くわアホ。なんで関西弁やねん」
 亮太がクラッチレバーを握ってローに繋ぐとヨシムラのマフラーが「フォンッ」と小気味のいい音を立てて後輪がグリップ、それと同時にフロントフォークが少し浮いてあっという間に闇に背中が消える。暗闇の中にシフトアップの音が響く。遠くで亮太の奇声が上がる。
 元山は赤い車の「アキラ」を思い出していた。初めて見た。「アキラ」は学校になんて行っていない。友達にそんなやつはいない。当たり前だ。彼らは学校になんていられない人種なんだ。「一般人」と一緒に受験勉強なんかしていると頭が痛くなって発症しちまう。話によると地震とつながりがあるらしかった。地震と一緒に発症しちまう。言い換えれば発症して地震が起こっちまう。どっちが卵なんだか。奴だって地球に乗ってるのに。
「何であいつらが女に恵まれてるか知ってっか?」いいやと元山が答えた。
「テレビが持ち上げたんだよ。巨チンをよ。モテナイ巨チン君達は鬱憤だらけ。百年前それが爆発しちまった。阪神大震災だよ。あの地震ってよ、小出しにしてたらそれほど大きいカタマリにはならなかったんだってさ。あいつが毎日いい女抱くと、関東地方がM4ほどの不幸から救われるんだって。なぁ・・・馬鹿だろ?」
「よく分からないけど、エネルギーが逃げるってことなんじゃ・・・」
「逃げ場は大事だな」奈良が答えた。「それにしてもたまるもんかね。そんなもん」
「お前にはわかんねー」山荻が言う。問題は溜まるかどうかなのか? 俺達だって溜まるだろ。それとも「アキラ」が全部引き受けるのか? 地球に溜まった鬱憤を。馬鹿げてる。
「巨チン放出伝!!」誰かが言う。あまり笑えなかった。
 昔の事はわからない。地震なんて起こっちゃいないし、この何年か。少なくともここ何年かは。確かにそうなのかもしれない。何か関係があるのかも知れない。でもわかっちゃいけないんだ。命だって懸かってたんだろ? でも馬鹿な話だってことだけはわかる。誰だってわかる。話をでかくするのは馬鹿な男達の癖だし。人間が地球に生まれて、地球はその前に生まれてる。人間がある意味地球とリンクしてるってのは学校で習った。学校でならった。ナマズみたいならかわいい。暴れだしたら地震があんのねって具合に。ねずみが船を下りたら、燕が低く飛んだら、みたいな感じで。奴らとても傲慢な存在として生きてるけど、(俺達が「アキラ」達を傲慢って見るのは、つまるところやっかみなんだけど、またそれが地球規模ってところがさ)なんか地球に生まれて、尚且つ人間で、他人につながりを求めるのが罪になっちまう人間じゃないか。奴ら。「違うか・・・」
「何?なんか言った?」考え事だって元山が答える。
「全部噂だよ。全部。噂ついでに教えたる。山梨の森に一号君の墓がある。アキラ一号君の。行ったことないけどさ。百年前の地震の元だっつー話。リンチ。嫉妬。風評にさらされて。死んだ。らしい。らしいよ。洞窟にあるとよう」佐々岡は少し肩を揺らしながら節を付けて話した。上ずった感じで話してくれた。あまり話すべき話ではないことも、話したくてしょうがない話ともわかった。佐々岡だってリーダーだ。「アキラ」に近い。
「世の中変わったんすか」
「大丈夫。全ての男の性的欲求を解消しない限り世界は変わり続ける。」
元山は何も答えなかった。ありえない話だ。十六年も生きてりゃそんなことぐらい分かる。日本なんて四枚のプレートの上に乗っかったシワ寄せの国なんだし、その“エネルギー”を巨チン君が逃がしてくれるって? 俺も逃がしてぇな。うーん、いっぱい。元山がニヤついてるのを見て他のメンバーが大笑いしていた。「何考えてんの」って。
「ちょっと寒い」佐々岡がトヨタで暖を採る。窓が白く曇る。その車の前に元山が手を組んで立っている。コンコンとガラスを叩く音がした。振り返ると「SEXしてー」って書いてあった。
「俺もっス」少し笑って言った。パワーウインドウが少し開く。
「生意気言うな」ウインドウが閉まった。聴こえないぐらいの声で言ったんだけどな。そうか「生意気」か。

「全てを満足させない限り世の中は変わり続ける」御もっとも。

 ボクタチノ旅ハツヅク

 タトエソレガ年老イタオオカミノシッポヲツカムタメノタビデアッタトシテモ

 コノママジャイイキテイケナイ子供ジャナクテモ

 一秒サキヘノタビガツヅク

 「新山」は佇む。マグマもたたえず(あるいはその奥深くに隠し)ただそびえている。その身代わりとしての存在の意味も、与えられた姿も人々を威圧しない。血脈を街に放ちそれ自体は人の肝臓に似て、全てを無毒にしていくかのように佇む。それは街を隔て、月を隠し、力を新しいものに向け、悲劇を免れた自然の理を説く、そんな姿に見える。千の人々の営み、それは然るべく不満を生み、放たれ、それを受け止める民作りあげし神の摂理から人々に配せられる皮肉的理不尽 全てを。「嗚呼、しょうがない」と。

リョウタノバイクガリョウタトトモニヤミニキエル

亮太が左カーブから立ち上がると長いストレートが待っている。スタートから二分も経っていない。フルに回るエンジンが亮太の体にも電気を満たしてくれる。そのスピードがタンクを挟む両膝を震わそうとしている。必死に内転筋に力を込める。遠くガスのタンクローリーが見える。全面スチールで丁寧に磨かれている。スロットルは戻さない。景色が消える。風の造る雑音が神経を集中させてくれる。「決して油断しちゃいけない」

サイゴハオイシイモノヲタベタカッタ

「ん?」亮太はタンクローリーから目線をずらして「ん?」と思った。

ナンデタネナンダヨ タネハナイヨ タネハ ハワイハニホンマモッテル タイヘイヨウマモッテルヨ タイセイヨウハ・・・ タイセイヨウハ・・・ アレ? アレ? ナンダッケ? ドコノシマ? タイセイヨウハドコノシマガマモッテルノカ・・・タシカポルトガル・・・スペイン・・ノリョウチ タイセイヨウノマンナカニ ソノウミヲマモルシマガアッタ・・・・ハズ・・・ウーン。アッ!アッ!アッ!

 ポン!という音とともに亮太の背中から半透明の子供が抜け飛び出る。それはちょっと舞い上がって地面に叩きつけられて転がった。育ちのいい中学生みたいな奴が亮太の背中を見つめている。「フーアブナカッタ・・・テクテク・・・」

亮太は混乱なんかしていない。ライダーススーツの左膝が少し擦り切れていた。深くバンクしたんだろう。ただ、ただ少しバックストレートに何かを置いてきちまったんだ。今、そのバックストレートに横たわっている亮太の大事なものが、街灯に照らされているのがわかる。きっとおぼろげな闇に横たわっているんだ。そしてそれは別れの挨拶も無く、しっとりと音も立てずに藪の闇に歩いて入っていく。そして二度と帰ってはこない。多分。
佐々岡の前に涎を垂れ流す亮太がいた。
「アキラがさ・・・喋ってるんだ・・・なんかさ・・・大事なもんを・・・工場の中でさ・・・・・・カツ、カツ、カツカツカツカツ・・・・鮭ちぎってさ・・・ミートソースかき回してさ・・・カツカツカツカツ・・・・たばっっ・・・たばたば・・・たばたばたー・・あはっ・・・ジンセイ花咲キャ散ル時オモウ・・・あはっ!」亮太は口角に荒い泡を立てて笑っている。口を空けるたびにそれが糸を引いた。瞳孔が夜と恐怖に似つかわしく開いている。焦点をぼかしているんだろう。佐々岡は何も反応しなかった。こんな状態は「膿が溜まった」って言うんだそうだ。とりあえず少し垂れ流しとけばいいんだと。けど、初めての元山には直視できない。目を合わせるとこっちの首が痙攣して目をそらしちまうことになる。どうすればいいかなって感じで視線をずらして髪を掻く元山に佐々岡が言う。
「こんなんしょっちゅうじゃないから。俺、送ってくから、メイメイ帰ってね」
「もう帰んの?」メンバーの一人が言った。
「今時間なら道もすいてるやん。飛ばしながら帰れや。亮太、トヨタで送ってくから。カワサキは神保が乗ってけや」神保って言うんだ。
「おい、伍一」と元山にも一緒に乗ることを指図する。佐々岡のトヨタはメタリックなオレンジに光っている。先刻夜の二時に元山の家まで迎えに来たやつだ。他のメンバーは銘々のバイクにまたがりエンジンを温めている。内陸のここの夜は六月でも少し露を運ぶ。高圧断熱タンクでもガスの冷ます夜風の水が滴る。マフラーから排ガスに混じる水蒸気が漏れ、水素系ガスが確かに燃えるのを見せている。夜とその光を軽い香りと、似つかわしくない重低音と白いもやが包む。もはや神聖ではない「新山」が、「グライダース」と夜を含み 劇画の劇画たらんとするエキスを十二分に発揮してその夜性を凛と保つ。プルシアンブルー。緑がかった暗い夜の青。微風がサイドガラスの隙間から助手席を満たしひやりと肌をさする。佐々岡が亮太を後部座席に横たえ、助手席に乗っている元山はそれを見ていた。「疲れてんだろ」佐々岡の言葉だ。
「シンザンねぇ」佐々岡がみんなの前とは少し違うテンションでつぶやく。「なんだかな」って感じだ。
「おい、伍一。シンザン拝んだか?」
「何でですか」
「偶像崇拝」
 元山は上目遣いで「シンザン」を見て手を合わせた。亮太の大事なものの供養みたいなもんね。
「自分、ずっとシンザンって神の山のほうだと思ってましたよ。あの神様の神で神山」
こんな話をするのはなんだか声が上ずっちまう。佐々岡がエンジンを回した。
「まだ小学校の時ここんとこ集まる人怖くて近づけなかったですもん」
「近づけないから神?」佐々岡が返した。
「いやーそんなんじゃないっすけど・・・なんかあそこから帰ってきた人は なんか神がかってるとか言うやつがいて・・・逆に怖くなって全然近づく気になれんくて。今日久しぶりですよ」
「デビューやし。今日デビューやし」佐々岡がバックミラーで亮太を気遣った。「壊れた関西弁」と思った。何故か俺達の世代はテンションが変わると訛りも変わる。
「ようグライダース選んでくれたな」車はゆっくり走っている。亮太が後ろで寝ている。環状線から町に向かう県道にゆっくり合流する。
「かっこええし・・・」 
「何で他のチームにせえへんかった?アキラに気に入られたら女もそこそこ行けんのと違うか?自分 顔かわいいし」佐々岡の左手の指に元山の頬肉がつままれる。元山は何も言わなかった。しばらくの沈黙。佐々岡はセブンスターを二本吸う。元山はあくびを何回かやり過ごす。亮太は歯軋りをしていた。
 家に着くまであまり記憶がない。疲れきっていた。少し大人になったのか、いつもより景色が近い。意識が広がっている。手が届かないものに届く、その感じだ。物理的にも精神的にも。動かないからこその世界の掌握。
「ふふ・・・」アドレナリン?分泌?出すぎたのかな、とつぶやいた。明日は土曜だ。元山はベッドに伏して考えている。安静を待っているんだ。窓のカーテンは開け放たれて、満月を偽った月が煌々と輝く。それは適当な距離まで遠ざかると、元山伍一に一言二言話しかけた後、お休みを言った。目を瞑ると血脈の潮騒が耳に届き、静かな夜を運んでくれた。

 ガレージの開く音が聞こえる。時間は九時をまだ回っていない。低いエンジン音が絶え間なく響いている。
「親父どっかいくのかな・・・」
下の階では食器の音が響いている。いつもの通り遅い朝食。両手には浅黒いあざが出来ていた。前日確認したより派手な色合いになっている。腿から背中にかけてがひどく痛む。夏休みの走りこみはどんなんや、と思う。母親がいつもよりやさしく部屋をノックする。いつもよりやさしく朝食へ誘う。いつもよりやさしくドアを閉める。階段を下りる足音はひどく静かだった。いつもなら緊張感を増すハーレイの音も聞き流せていた。父親のハーレイに乗ってツーリングしたことを覚えている。母親もそうやってツーリングに出たらしかった。今日ツーリングに行かないかという誘いは父親からの言葉だった。疲れから来る腹の据わりは元山伍一の意識を目の前の父親に並べていた。
「ワイヤレス持ってけや」と父親がぶっきら棒に言った。
「ジーパンとTシャツでいいか」
「おう」
 高校入学の時買ってもらったつや消しの黒いヘルメットにワイヤレスマイクを付けて目盛りを合わす。
「14チャンネル」「カチカチ」実際カチカチと声に出した。「カチカチ」

 久方ぶりの父親の背中は落ち着いて見れば普通だった。普通の大きさ、普通の厚さ、普通の硬さ。
「少し大きくなったか」
「何が」
「身長よ。いくつある」
「187」
「十センチでかいな。なぁ知ってるか。男と女は男のナニの分だけ身長が離れてると相性がいいらしいぞ」
「残念だったな」
「相性が悪いか」
「俺、男じゃ、ボケ」
ハーレイは国道を走る。制限速度を少し上回って走っている。小さい頃は小心と思っていた。何度もメーターを覗き込んだ覚えがある。
「今日はどこ行く」
「昨日アキラに会ったか」
「何で、急に」
「話に出たか」
「ああ」
「何か言ってたか」少し緊張しているようだった。
「噂以外知らん」
「三十年前は生まれてなかったもんな」
「知ってんのかい」
「今から行く」
「どこに」
「墓」
 しばらくの沈黙が続いた。
「どんな奴だったん」
「普通の子よ。ちょっと奥手のデカちんくんよ」父親も昔は悪かったのかしら。「うふふ」と思った。言葉に出かかる。
「下らん嘘話で死んだよ。毎年行ってるのよ、そこ」
「知らんかったわ・・・実際いたのな。しかも死んでんのな」
 伍一はひょっとしてと思う。父親がやったんじゃないかって。「アキラ」殺したんじゃぁないかって。悪い予感は繋がりやすい。やめよう。意識的に思考回路を止めてみた。
「なぁ、親父アキラちゃうよな」
「おれはアキラ違う」
「じゃなんでアキラはアキラなん」
「生まれつきだ」
 それからとうとうとアキラの性格やら特徴を聞かされた。温厚で怒ると怖いとか、色白でチンコの皮が長いとか、天然パーマの子は「アキラ」じゃないとか、足腰が弱いとか、そのため運動音痴が多いとか、そのわり声がでかいとか。水に弱い猫みたいな感じとか人に媚を売る犬に近いとか。つまりは単純に馬鹿にされやすい性質なんだ。まぁネタになりやすい。そのくらいの子はどこにでもいる。問題は「アキラ」っぽいだけでヤラレちまうことなんだ。小さい頃それっぽい子をいたぶると罪悪感も無く気持ちいい感じになるって噂が広まってさ、みんな子供のころからそれを避けようとして頑張っているんだから。そのぐらいの存在なんだよホント。ひどいな「はは」と声が漏れた。「21センチ」皮も入れてだろうな。
 バイクは並みの山を近くに見て左に切れた。
「おぉ、富士の樹海じゃないの」富士はまだ遥か遠い。
「えぇ、なんでそんなこと思う」瞬発的に父親が答えた。
「物騒な話はそこかと思って」
「陳腐な想像だなぁ」
「そうかぁ、陳腐かぁ」
 もう「アキラ」なんて昔の発想だ。百年以上前から若者の間だけで話が膨らんじまった。まったく関係ないことや、関係があるのに自分達も危ないから揉み消した話しもあるのだろう。話をそらす為に人だってよく死んだって話しもある。それは確かにあるんだ。揉み消そうとしたほど確かにあったんだ。もう全体像なんて分からない。でも自分達の文化に、考え方に脈々と受け継がれちまった。「マッタクッ!」厄介だな。「フゥー」
 バイクは林道を走る。初夏の陽気で緑が明るく、道を照らす太陽も柔らかい。元山伍一の緑のサングラス越しに森の緑が一層映える。日本の太陽は景色を色あせたものにしてしまう。もしくは日本の光に慣れてしまった僕らの色覚はと言い換えてもいい。
 バイクが止まったのは山の斜面を少し登ったところだった。森が深く、昼も一刻回らない時間でも薄暗い。湧き水が湧いている。錆びた、元山伍一の背丈より大きいタンクがあった。斜面を背に振り返ると田園が広がる。農業用水に使ったのだろう。
「しばらく休むか」ヘルメットをとって父親が言う。
「いいや」
「登っていけるか」伍一のからだは痛かった。登る気は起きるのだがあまり歯切れはよくなかった。
「まぁいけると思うよ」
 急がないからとの父親の声を聞いて、湧き水に手を伸ばす。顔の油っぽいところをこすってシャツの裾で拭いた。目の前の林道は階段で、一段一段がひどく狭い。古びた木材で造ってあった。道の脇からずっと奥までは草が生い茂り、その緑の葉が木漏れ日に明るく染まっている。あたりはシンとしていた。その草の葉に音が染み込んでいるのかと思わせる、柔らかな葉っぱ。「こんもり」その表現は似つかわしく、それを豊かに感じさせる。「豊か」少し気持ちが救われる。「オメデタイアタマ」と思った。日々の安全に飼われ、危険に慣れちまった。結構危険なんだぜ、多分。
 林道を親父の背中を見て歩く。少し歩くと疲れが体中に回った。親父のスニーカーは音を立てず細い林道を踏んでいく。道を覆う少し背の高い草を静かに掻き分けるとさわさわ音を立てた。伍一の頭の中はクラスの娘への初恋が満ちている。あの娘と鏡の前で激しい交わり。あの娘と手をつないで歩く。あの娘に優しい言葉をかける。あの娘と将来を語る。あの娘と子供を作る。結婚?「またか」話が飛びすぎた。アホみたいに飛んじまってる奴に春なんか来ない。もっと正確な想像じゃなきゃ。「バカだな」申し訳ないからそっとしまっておいた。いやいや恋心じゃなくてさ。
「遠いのか。そこ」
「いや、案外近い」
「案外って、何が」
「そこにあるもの考えたら案外」
  半刻ほど歩く。親父はふと立ち止まって(きっと思いつきじゃないと思うけど)辺りを見た。そのときの横顔は何かを確かめるような「うんうん」って感じだ。記憶を辿っているようにも見える。今まで重かった伍一の頭が澄んだ空気を感じる。やっと緑の中にいると感じた。右手には山の峰が見える。太陽は樹木の葉の層に遮られて木漏れ日としてその姿を隠す。目印なんて無いに等しいんじゃないかと思われる林に足を踏み入れている。二人の足は林道から大きく逸れていた。何を頼りに足を進めるのか分からないのに、親父の足取りの落ち着きに疑う余地が無いことを思う。
「もう少しだから」父親が言う。
 林の向こうに遊具が見えた。少し荒れた公園みたいな感じだ。別に似つかわしくない感じじゃなくて、時とともに風化している。その具合が荒れ果てたテーマパークの縮小って感じで伍一の目には馴染む。その公園を横切る間平地が続く。公園は林の中にゴルフ場のコースみたいに点々と存在していた。隣までの境界に雑木林がある。水の音。左手の崖の下に川が見えた。最後の公園を抜けると山肌がごつごつと岩肌になった。急勾配であまり草木は生えていない。昔ここに川の水があったのだろう、岩が侵食されている。風化して岩が削れ、オーバーハングするように頭の上に突き出している。
「次の穴だ。ちょっと待ってろ」父親はそういうと先に洞穴に入り、伍一はポケットに手を突っ込んで待っていた。水の音がけたたましくなく 落ち着きを運び、それを湛える森の空気が鼻腔に安寧の土の匂いを誘った。耳が澄んで風を感じる。山鳩が啼く。長い緊張が唇を乾かし、舐めるそばから風に奪われた。そう緊張しているんだ、多分。体中にじりじり電気が充満している。疲れかなと思う。それがもたらす冷静にも似た奴が奥に消えた父親への心配を不透明にしていた。
「だいじょうぶやと思うけど」独りごちた。「大丈夫かぁ・・・」何気ないため息で足を進めた。
 伍一は洞穴をのぞいた。奥に日の当たる場所がある。洞穴の天井に穴が開いているのだ。そこには向日葵があった。そう。

  ソコニハ向日葵ガアッタ

  ミタコトモナイオオキサノ向日葵ガアッタ

  制服ヲキタオトコノハッコツガアッタ

  ヒマワリノ根ハ ハハッコツヲツツムヨウニシテ

  オトコカライキモノトシテノ影ヲハギトッテイタ

  モウマルデヒトガシンデイルナンテオモエナイホド綺麗ダッタ。

 元山伍一はしばらく動かない。動けないのか、動かないのか、動いちゃいけないのか、縛られているのか、分からないまま動かなかった。注視した。まじまじと見た。「李」と書いてあった。名札には「李」と書いてあった。「中国人」と思った。ないしは在日と。向日葵は大きく、その花は太陽を求め天井の穴めがけて伸びている。茎は太く何本も絡み合い、その一本一本が両手で握るにあまるほどである。花は何輪か集まり太陽を目指す方へと向いている。その高さは軽く三㍍を超える。ちょっとした小人気分だ。
「あぁリンチで・・・こんなでかいの・・・」適当な感想かは確かじゃない。何が適当かは分からない。「アキラ」なのかは聞きようもない。噂どおり殺されたんだろうけど。
「親父どこ行った」父親がいない。
 ひとしきり洞穴の中を探して向日葵の茎をよじ登った。晴天。何の殺伐も感じない。「アキラ」と思った。父親がいない。〝suitable〟なんだかそれがてきとうなんじゃないかと思った。確かに失踪なんだけど。とてもふさわしい行動なんじゃないかって。

 帰りの道はひどく迷ったけど何とか国道までたどり着いた。日が暮れるまで歩きながらヒッチハイクをした。一組の若い夫婦らしき男女の乗るレガシィが止まってくれた。三人の会話はしばらく無かった。ダッシュボードに白いカスミソウとゆりの花束が置いてある。いい香りがしていた。民家が見える頃やっと女のほうが口を開く。
「ずいぶん背が高いのね。いくつ?」
「187。16です」
「ふーん、高校生?」
「二年です」

 しばらくの沈黙。

「ずいぶん疲れてる顔してるけど何かあったのかしら」とても慎重な口調で聞いている。隣の男がそういうことは聞くなと目で合図している。
「いけなかったかしら」
伍一は頭を振って「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。沈黙が続いた。気持ちのいい沈黙だった。とても気持ちが凛としている。
高校の近くで降ろしてもらった。家まで十五分ぐらいのところだ。深々と頭を下げて礼を言った。
高校の前を歩く。「アキラ」が恐らく本当に殺されていたこと、父親がいなくなったこと、母親になんて言えばいいか、もしかしたら父親も何らかの関係があるんじゃないかってこと、殺した張本人ってわけじゃなくても・・・そんなことを考えていた。
「もう帰ってこんか。もう親父帰ってこんか」
月が赤い。そしてひどく大きい。地球の影にわずかに侵されてそれは宙に浮いている。そのディティールは月を明らかに闇の前面に押し出していた。流れ星の流れない夜空が関東の平野を覆った。アスファルトは伍一の家まで続いている。「新山」まで続いている。

 ヒトノ想像ヲコエタモノゴトトハ

 ナシトゲタ人ノ一秒サキヘノタビノ結晶ナノダ

 ソウ ソレガ我欲ノタマモノダトシテモ

 アカイ血ノモノガタリダトシテモ

一秒サキヘノタビノ結晶ナノダ

ヒトツノ結晶ハソレヲツムギダス旅ヲシラズシテカタラレ

ソノタビハソノ人ノナカニダイジニシマイコマレル

スベテノヒトノタビハスベテノヒトノココロニ

ある六月の土曜日。「新山」のすその藪で中学生が腰を振った。年上の女の子と腰を振った。桜の木の下で。その一本、時期はずれの花が咲く。淡いピンク色の花。通りすがりの人はそれに感じ入り、「シンザン」を拝む。神の山だと言って拝む。人々にとって未だそこは神の住む所なのだ。

 
 
 
 

 
後書き
これ、どっか出したか?
まぁまぁよ。まぁまぁ。 
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